13.気まずい顔合わせ
「……」
執務室だというその部屋で、私は居心地悪くソファに座っていた。目の前のテーブルには、ほかほかと湯気を立てるお茶があるが、とても手を出せる雰囲気じゃない。
そのお茶を出したリュコスは、部屋の隅に戻って、口元を押さえて肩を震わせていた。
私の向かいに座るのは、私を連れ戻したあの少年だ。あのときは上からだったから、艶やかな銀髪しか目に入らなかったけれど、こうして真正面から見ると、赤い瞳の方が際立つ。こんな真っ赤な瞳の人を初めてみたけれど、不思議と不気味というより綺麗という印象の方が先に立った。
「リュコス。無駄に我慢するぐらいなら、遠慮なく笑えばいいだろう」
「……っく、あっはっはっはっ! いやー、傑作、傑作。滞在時間は半日足らず、即座に逃げ出されるなんて、面白過ぎるでしょう!」
笑えと言ったのに、少年はテーブルに飾られていた花瓶を無造作にリュコスさんに投げつけていた。難なく片手でキャッチするリュコスさんは、それでもまだ笑いが止まらないようで、お腹にもう片方の手を当てている。
「疲れているだろうから、と先延ばしにしたのが仇になったな。もっと早く話す場を設けていればよかったか」
「だからオレっちが、到着してすぐにって言ったのに、色々拗らせた誰かさんが、弱腰になるか……おぉっと」
ティーソーサーが宙を舞う。いや、舞うなんて優雅なものじゃない。投擲武器みたいに、まっすぐに的――この場合はリュコスさん――目掛けて飛んで行った。あっさりそれをキャッチするリュコスさんも、何者なんだろうか。
「アイリ。とりあえず、どうして脱走したのか、どこへ行くつもりだったのか、聞いてもいいか?」
ぐ、と私の喉の奥が鳴った。それを尋ねられるのは当然だろう。相手が私よりもずっと年下の少年だというのは予想外だけれど。
私は答えるより先に、おずおずと手を挙げた。
「あの、答える前に、あなたの名前を聞いてもいい?」
「……あぁ、そういえば名乗っていなかった。俺はライ。次期シュトルム侯爵、と言えばいいか?」
「……っ!」
絶句して、そのまま頭を抱えてしまった。まさか、脱走したところを捕まえたのが、婚約相手だなんて。最初から印象最悪じゃない。いや、誰に捕まったとしても、報告はされるだろうから、印象が最底辺なのは変わらないけれど、気持ちの問題だ。直に逃亡中の姿を見られるのと、報告だけされるのとでは、なんというか、羞恥の度合いが違う。
「アイリ?」
「えぇと、私の婚約者、ということ? ……ですか?」
「そうなるな。別に敬語はいらない。こんな姿形の相手に、敬語も面倒だろう」
確かに、自分よりもずっと年下に見える相手に対し、敬語はちょっと違和感あるけれど、そこは身分差というものがある。
素直に頷けないでいると、ライは困ったように笑った。
「どちらにしろ、結婚すれば対等だ。今のうちから慣れておいた方がいいだろう?」
「そ、それもそうかもしれない、けど。本当にいいの?」
「あぁ、構わない」
この貫禄よ。年下のくせにこの度量。身分の為せる業なのだろうか。お貴族様は幼い頃から厳しい教育を受けさせられるというし。
「それで、話を戻そうか。アイリがなんのために、どこへ行こうとしていたのか。……あの村に戻る気だったのか?」
「まさか。それはありえない」
私は即答していた。考えただけでぞっとする。村に戻ればどうなるか、叔母夫婦が村長に私のことをどう説明したのかも分からないのに。最悪、すべてを放り出して村から逃げ出していてもおかしくない。逃げるに十分なお金は貰っていた。
「私は、あの村に住むより前に住んでいた街に行こうと思ってたの。元々、村長の息子との結婚より前に脱走して向かう予定だったから」
「何のために?」
「……もしかしたら、くだらないと言われてしまうかもしれないのだけど」
「聞いてみないと分からないな」
「幼馴染を探したかったの。幼馴染と言う程、長い付き合いじゃなかったんだけど、あの街で待ってるっていう約束を果たせていないことが気がかりだったから」
「――――そうか」
ライは笑って頷いた。やっぱりバカにされているんだろうか。でも、バカにされたとしても、私にとっては大事な約束なんだ。
「その幼馴染の名前と容姿を教えてくれ。探させよう」
「え!」
私は耳を疑った。まさか、すんなり受け入れてもらえるとは思ってもいなかった。
「? 何か問題でもあるのか?」
「えっと、まさかそんな寛大な対処をしてくれるとは思わなかったから?」
「俺の方にも強引に進めた負い目があるからな。あと、強引な形でここに招き寄せた自覚もある」
「あ、ありがとう、でいいのよね?」
「あぁ」
少し照れ臭そうにくしゃりと前髪をかき上げたライは、初めて年相応の表情を見せてくれた。
「と、とりあえず、アイリは今夜はもう遅いから休んで。この件はまた朝食のときにでも……あ、その、今後は朝食と夕食を共にしてもらえないか?」
「あ、えぇ、そのぐらいは全然問題ないけど」
「ありがとう。それじゃ、おやすみ、アイリ」
「うん、おやすみなさい。あなたも夜更かしさせてしまってごめんなさい」
「いや、俺は夜型だから、これから朝まで起きてるんだ」
「え!」
「昼夜逆転の方が、色々と捗るから」
「体に悪いんじゃない?」
「心配してくれてありがとう。でも、夜に起きてるのは、仕事上のこともあるから」
子どもをそんな時間に働かせるなんて、と思ったけれど、私はようやく笑いの発作から復帰したリュコスに案内されるまま、執務室を後にした。
(聞きたいことがたくさんあるけれど、徐々に、でいいかな)
色々ありすぎて、私の方も心が追いついていない。初めての脱走。徘徊していた顔色の悪い人間たち。随分と年下の婚約者。こんな興奮状態で寝られるものかと思ったけれど、着替えてベッドに潜り込んだところで、睡魔はあっさりやってきた。




