01.閉鎖社会
どうか、覚えていて欲しい。
いつか必ず会いに行くから。
覚えているのは、大切な友達の記憶。
忘れているのは、――――真紅に染められた視界?
☆彡 ☆彡 ☆彡
「アイリ、こんなところで会うなんて奇遇だな」
前髪を軽くかき上げ、斜めからの流し目を寄越した男に、私は氷の一瞥をくれてやった。こいつを視界に入れるたび、鳥肌が立って仕方がない。
「ザナーブ、奇遇も何も、あなたが私を付け回しているんじゃない。村長の息子って、そんなに暇なの?」
本当は『村長の息子』じゃなく『村長のバカ息子』と真実を伝えてやりたいところだったけど、さすがに素直に口にするほど愚かじゃない。この辺鄙で閉鎖的な村では、村長の権力というのは馬鹿にできないのだ。迂闊に誰かに聞かれてしまえば、下手すると村八分にだってなりかねない。
「暇なわけがないじゃないか。なんたって、半月後には結婚式が控えているんだからね」
芝居がかった手つきで再び前髪を撫でつけたザナーブは、ご自慢のさらさらした金髪が再び目にかかる位置に戻るのを待ってから、その鉄錆色の瞳をパチリとウィンクした。
「相変わらず君はクールだね。そんなに結婚を前にボクを焦らしたいのかい?」
ぞわぞわっと悪寒が走る。嫌悪感という言葉だけでは足りない。はっきり言って、台所に出現する黒光りするあの虫レベルで無理だ。
「あら、焦らすも何も、結婚は既に決まったことだもの。半月後には(嫌でも)毎日顔を合わせるのが分かっているのに、今から同じことをする理由が全く分からないわ」
直視しないように気を付けながら、私は足元の籠を拾い上げると、「それじゃ」と彼の脇を通り過ぎた。
「君の言う通りだね。半月後が本当に楽しみだよ、アイリ」
私の背中に投げつけられた言葉に「知るかバカ」と口の動きだけで返事をすると、私は足を止めずに家路を辿る。
(……考えるだけで憂鬱だわ)
アレと結婚するだなんて、本当に考えたくない。
無心で足を動かしていたら、いつの間にか家の前に到着していた。
「おかえり、アイリ。今日はどうだった」
「ただいま、おばさま。畑の方は順調よ。ついでにいつも通りザナーブと遭遇したわ」
つまらなそうに私に声をかけた叔母の顔が、ザナーブの名前を聞くとみるみるうちに喜色に彩られた。
「そうかいそうかい! お前は本当にザナーブさんに気に入られているね。わたしも鼻が高いよ」
叔母は私の父親の妹で、私が一二歳の頃から一緒に住んでいる。両親が事故で亡くなってしまった後、住み慣れた街を離れ、この閉鎖的な村の叔母夫婦の家に厄介になっているのだ。
「あれ、アイリ、帰ってたの」
叔母と違い、不機嫌そうな声を上げたのは、従姉妹のマリーだ。栗色の縮れ毛と胡桃のような丸い瞳は母親にそっくりで、ストレートの金髪の私と並ぶと、とても血縁には見えない。本人も見劣りすると思っているのか、あまり私と行動を共にしようとはしない。別に容姿一つで何かが変わるわけでもないでしょうに。
「えぇ、今帰ったところよ。体の調子はどう? マリー」
私はにっこりと笑ってマリーの体を気遣う言葉を口にする。本当なら、今日、畑仕事をするのはマリーの予定だったのだ。体調が悪いとか言って、私に当番を押し付けさえしなければ。おかげで、洗濯物を干した後に畑に出ることになってしまった。ついでに、あのバカ息子に遭遇することにも。
「そう、ね。おかげで随分と楽になったわ。ごめんなさいね、アイリ」
口先だけの薄っぺらい謝罪を口にするマリーが、仮病ということは百も承知だ。居候の私に対し、マリーは幾度となく仕事を押し付けている。叔母も叔父も勘付いているだろうに、わざわざ指摘することはない。所詮、私は居候の姪なのだ。実の娘を優先するのは、きっと当然なのだろう。
「今夜はゆっくりと休むといいわ。明日になれば、きっと回復するでしょう?」
「えぇ、明日はハンクやレベッカと森に出かける予定だもの。ゆっくり休んで備えないと。それじゃ」
マリーの言い分に口元がひきつる。要は、明日の畑当番は私であって、今日の分の埋め合わせをするつもりはないということだ。いつものことだと思うけれど、さすがにイラっとくる。




