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グレース大聖堂

 日置と竹野は個別に事情聴取を受けた。

 日置を担当したのはフレモントである。彼は、スウが足を撃たれてからオリヴァーが倒れるまでの説明で、日置が常識的な範囲に収めたのを、好意的に傾聴した。


 最初にオリヴァーがスウを()()()のなら、何故彼はその後わざわざペギーの銃を奪ったのか、彼の銃はどこへ行ったのか、という矛盾も追及されなかった。


 彼は江上と宇梶が検査のため、入院した病院まで教えてくれた。2人とも目立った外傷はなく、念のための検査ということであった。



 事情聴取から解放され、建物の外へ出ると、夕方になっていた。

 竹野を探したが、先に帰宅したらしかった。ならば、宇梶達のいる病院へ行こうと、フレモントからもらったメモに目を落とした。


 “お忙しいところ失礼します、日置様”


 黒服をきちんと着込んだ初老の男が、日置の前に立っていた。クライドの家に仕える、執事であった。


 “ハンフリーさんやないですか。こないな場所でお会いするとは。ああ、クライドを迎えに来はったのですね”


 “いえ。エリザベス様のご用で、あなた様をお迎えに上がりました。どうか、ご一緒していただけないでしょうか”


 白手袋を嵌めた手が指す先には、磨き上げられた黒い高級車があった。

 後部座席の開いた窓から、短い琥珀色の髪に囲まれた、がっしりとして岩のような顔立ちのエリザベスが、手を振っていた。人懐こそうな笑みは、以前と変わらない。


 “クライドの命を助けてくださったそうね。とても感謝しているわ”


 心地のよい座席に乗り込むや否や、エリザベスは礼を述べた。クライドに怪我はなく、検査入院は念のためであるという。


 “友人が殺人犯と知って、とても衝撃を受けていたわ。カウンセラーからセラビーを受ける関係で、何日か入院するの”


 “もう病院に入院してはるんですか”

 “ええ、そうよ”


 “これからお見舞いに行かはるのですね”

 “違うわ”


 “ほなら、どこへ”


 訊きかけて、日置はエリザベスの心が()()読み取れないことに気付く。

 鳥肌が立った。


 彼女までもが、同じ能力の持ち主だったのだろうか。彼女はいつものように人懐こい笑みを返しただけで、質問には答えなかった。

 日置は、逃げ出す気力を失った。


 車内に沈黙が落ちた。黒塗りの高級車は、音もなく滑るように、サンフランシスコの町中を走る。時刻は夕方であるが、空はまだまだ明るい。


 後部座席と運転席の間には透明の仕切りがあり、運転するハンフリーの安全を守る。

 同時にその仕切りは、日置がエリザベスを害しようとした場合、彼が助けるまでに多少の手間を要する障壁でもあった。


 少なくとも、ハンフリーは日置を敵とみなしていないし、恐らくはエリザベスも同じだろう。


 (しばら)くして、日置は記憶を掘り起こした。以前クライドの家で会った時には、彼女は他の人と変わらぬ存在だった。大学を案内された時にも。

 では、それから今日までの間に、彼女に能力が発現したとして、技能を()()()()のは誰か。

 自ら気付いて、自らの手でゼロから鍛え上げたとは、考えにくかった。

 日置は、同じ能力かもしれない者が隣に座る状況で、それ以上推測を重ねるのを躊躇った。


 車は道を上がったり下がったりしながら、徐々に高度を上げる。風格のある家が、車窓の外を次々と流れていった。


 “着いたわ”


 エリザベスの声で、車が止まったことに気付いた。ハンフリーが扉を開けエリザベスを下ろす間に、日置は自分でドアを開け、反対側から降りた。

 ハンフリーが済まなさそうな顔付きをした。


 そこは、教会だった。背の高い鐘楼(しょうろう)が左右対称に配置された、典型的なゴシック調の建築物は、真新しかった。円形のステンドグラスがついた、三角屋根部分の真下が正面入り口である。

 まばらに人影が見える。観光客であった。


 “それではエリザベス様、後程お迎えに上がります”


 ハンフリーが一礼して去るのを待たず、エリザベスは教会の中へ入った。日置も後に続いた。


 一歩踏み入れるなり、感嘆の声が漏れた。高い天井を支えるアーチが規則正しく立ち並び、奥まで続く。その床には迷路が刻まれていた。

 両側の小窓を飾るステンドグラスを通った光が、柔らかく内部を照らす。最奥には縦長の、やはりステンドグラスを嵌め込んだ窓が並ぶ。


 とりどりの光が降り注ぐ空間には、静謐(せいひつ)があった。人々は敬虔な気持ちで迷路を辿り、あるいは立ったまま祈りを捧げていた。エリザベスがいなかったら、日置も祈りたい気分だった。


 エリザベスは真っ直ぐに、中央の説教台前に並ぶ木の椅子の間まで進み、その1つに腰掛けた。

 日置は2つ間を開け、同じ列に腰掛けた。すると、彼女は1つ間を詰めた。


 観光客はステンドグラスに魅入られて壁面に近い場所を歩き、聖人像に行き当たれば祈りを捧げる。会衆席に座るのは、2人きりであった。


 “グレース大聖堂というのよ。ご存じだったかしら?”

 ”そうやね。父が、是非行くように勧めとった”

 ”そうだろうと思ったわ”


 エリザベスはおざなりに返すと、正面にあるステンドグラスを見つめ、囁くように話を続けた。


 “父も子どもの頃は、この辺に住んでいたそうよ。昔大きな地震が起きた時、火事で家が燃えてしまって、それで今の家に引っ越したの。祖父には骨董(こっとう)趣味があって、ヴィクトリアンハウスに住みたかったらしいのね”


 ここで彼女は向きを変え、日置を正面から見た。


 “でも私は今の家が嫌い。だって、幽霊がいるんですもの”


 彼女は言葉を切り、日置の反応を窺う様子であった。

 日置は何と応じたらよいものか、わからなかった。やはり、彼女にも同じ能力があるのだろうか。


 “エリザベスには、幽霊が見えるのやろか”

 “リズと呼んで。いいえ。幸いなことに、今の私は見ずにいることが出来る。オリヴァーが、その方法を教えてくれたの”


 彼の名前を出す時、その口調は挑発的に聞こえた。

 相変わらず心は読めなかった。しかし、日置に理解できたことがある。


 “リズ、君は彼のことを、愛していらはったの?”


 敢えて疑問形にした。エリザベスは急いで頷いた。

 途端に、彼女の閉じていた心が、割れた。


 怒涛(どとう)の如き奔流(ほんりゅう)に呑み込まれないよう、日置は自分の心を守り固めなければならなかった。

 彼女は、内心の動揺を表に片鱗(へんりん)も表さなかった。こうしてみると、兄のクライドよりも大人びて見えた。


 “ええ、愛していたこともあったわ。もしかしたら、今でも愛しているかもしれない。ねえジョー、オリヴァーはとても頭がよくて、私の話を信じてくれて、心を守る方法も教えてくれたのよ。口に出しては言わなかったけど、私は結婚してもいいと思っていたわ”


 ”でもクライドが気付いて、私から彼を遠ざけたの。彼の家柄と資産が釣り合わないから、私たちの両親が反対するだろう、愛だけでは生活できないって。彼が、私のためを思ってしたのは、本当だったと思う。兄がオリヴァーに何と言ったのかも、聞かなかったわ”


 ”でも、私のせいでオリヴァーがあんなに人を殺して、クライドも傷つけて、射殺されたと思うと、居たたまれない。私だって、生活のためにバーガーランドで働けたと思うわ。もし一緒になれないとしても、きちんと自分の口から説明すべきだったわ。ジョー、あなたオリヴァーに最期まで付き添ったのでしょう? オリヴァーは、私に何か言い残さなかったかしら? ()()()()()()()()()()()()()()()()()と思って、あちこち行ってみるのだけれど、嫌なものしか見えないの”


 エリザベスは淡々と語った。彼女の口調は、内容とまるで似合わなかった。まるで、オリヴァーが話すのを聞いているみたいだった。


 日置は、オリヴァーの最期を思い浮かべた。砂浜に顔を伏せ銃弾の雨を浴びる間、つかの間見えた、彼の心の裂け目。


 死を目前にしたオリヴァーの心は、人の形を留め得ないほど、悪意と憎悪に満ちていた。思い出すだけで、自分まで底なし沼に引き摺り込まれるような感覚を覚える。

 中には、満たされなかったエリザベスへの思いも、あったかもしれない。


 しかし、彼女に教えられるほどの何も、そこから読み取ることはできなかった。彼の魂は生きながらにして損なわれつつあり、肉体と共に、消滅したのだろう。


 エリザベスは、真摯(しんし)に彼の返事を待っている。日置は、大聖堂の高い天井が、2人の上に重くのしかかってくる幻覚に、瞬時とらわれた。


 “彼は、何も言い残しまへんでした。僕の印象に過ぎんのやけど、リズとのことは、彼の中で納得できとったのやないか、とそんな風に思います”


 エリザベスの目が大きく見開かれた。失望と悲嘆の中に、安堵と羞恥が僅かに混じっていた。いまや、彼女の思考を明確に読み取ることができる。その心は、ただ素直で可愛らしいなどという、単純なものではなかった。


 オリヴァーが彼女に教えたのは、心の大事な一部分だけを隠すという、高度なやり方だった。初めて会った時、彼女は既に、技能を会得し、使いこなしていたのだ。

 日置が初めて知る技法だった。竹野も知らないかもしれない。


 改めて、オリヴァーの才能を感じると共に、彼のエリザベスへの愛を悟った。告げるべきだろうか。


 “ありがとう”


 迷う間に、エリザベスは立ち上がり、日置の手を取った。機を(いっ)した。もう、終わったことだった。


 “笑わないで、最後まで聞いてくれて、ありがとう。きっと、あなたなら、そうしてくれると思ったわ”


 教会を出た2人の前に、黒塗りの高級車がぴたりと停止した。盗聴していたようなタイミングだった。


 運転席からハンフリーが降り、エリザベスのために扉を開ける。見送るつもりでいると、ハンフリーは扉を開けたまま待機し、彼女が手招きした。


 “乗って。サンノゼまで送るわ”

 “いや、自分で帰れるわ”

 “正面に陣取っていると、皆の迷惑になるから、乗りなさい”


 気がつけば、夜の(とばり)が降りた空の下、観光客から胡乱(うろん)な目を向けられていた。

 離れた場所にも、入口に向かってカメラを構えたまま、()れる人がいた。


 “ほなら、マーシーの入院する病院まで、送ってもらえますか”


 今度は、日置も同じ扉から乗り込んだ。ハンフリーが、仕事を手順通りこなせた満足を胸に、運転席へ回る。

 車は滑るように発進した。

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