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ゴールデンゲートブリッジ 後編

 “フレッド”


 “すっかり奴にやられちまった。今我々は、奴を海岸へ追い込もうとしている。カズに深追いさせるな”


 “我々?”


 フレッドは答えず速度を上げた。まるでオリヴァーの姿が見えているように、迷わず走っていた。日置は後から付いて行く形になった。不意に、視界が拓けた。



 朱色の巨大な建造物が、日置の目を奪った。ゴールデンゲート海峡にかかる橋、サンフランシスコの象徴、ゴールデンゲートブリッジである。


 底抜けに明るい真っ青な空の下、つり橋は自らの影によって、見る者を圧倒した。通行部分にうっすらとかかる雲が、橋の神秘性と存在感を増す。

 天をも突き刺す異様に縦長の鳥居が、しめ縄で結ばれ連なっているとも見えた。


 ただし、鳥居の向こうにあるのは(もり)ではなく、異界である。


 日置は橋の印象を心に留め、断崖に近いごつごつした岩肌を、ほとんど転がり落ちるようにして下まで降りた。

 そこは狭い砂浜になっていた。ベイカービーチである。


 意外に高さのある荒波が次々打ち寄せ、風も強い。


 モーターボートが1隻、白い軌跡を描いて海上を走る。

 橋に向かい走る竹野の先に、オリヴァーの後姿が見えた。

 彼の目指す方向、ゴールデンゲートブリッジの真下には、フォートポイントの博物館がある。もともと(とりで)として建設されたものだ。


 人質を盾に、立て篭もられたら面倒である。博物館の辺りから、人がたくさん出てきた。こちらへ向かって走るようである。


 竹野に追いついた。フレッドを見ても、彼は驚かない。オリヴァーが、方向を変えた。


 「(じょう)く~ん!」


 突然飛び込んできた日本語に耳を疑い、続けて日置は目を疑った。

 モーターボートが砂浜に突っ込み、宇梶と江上が転がり出てきたのだ。


 江上は転がった勢いで立ち上がると、目敏(めざと)く日置を認め、黒髪が乱れるのも構わず駆け出した。間にいるオリヴァーなど、全く眼中に入っていない。


 呆気にとられて速度を落とした日置達の目前で、オリヴァーが江上の腕を掴んだ。

 器用に引き寄せられて初めて、彼女は彼の存在に気付いた。日置の傍に竹野とフレッドの姿を見出し、状況がわからず混乱する。


 “何で、こんなところへ来たんや!”


 ど阿呆、と(ののし)るのをかろうじて堪え、日置は大声を出した。彼の形相に、江上が泣き出しそうになる。


 遅まきながら、オリヴァーが自分を縛めていることに気付き、逃れようとして銃を突きつけられた。ここに至って、彼女は漸く事の重大さを理解した。


 顔から血の気が引き、唇を動かせども声が出ない。


 “僕が教えたのさ。今日、君が女の子とここでデートする。彼女が積極的過ぎて、もしかしたら、結婚の申し込みをさせられるかもしれないって。でも、ここはプロポーズにはふさわしくなさそうだね”


 含み笑いをしながら、答えたのは、オリヴァーだった。くるりと向きを変え、背後から襲いかかろうとしていた宇梶をひと蹴りする。

 あっさりと、彼は気を失った。江上が更に硬直する。恐怖で心も体も麻痺して、逃げようという考えが働かない。


 オリヴァーは彼女を抱えたまま、海を背にしてモーターボートの方へ移動した。一定の間隔を保ったまま、日置達も彼を追う。


 “動くな! お前は、包囲されている!”


 FBIのフレモントが、銃を構えて怒鳴った。ぜいぜいと息を切らしたスコットが続き、黒っぽい服装をした男達も駆け付ける。


 しかし、既にオリヴァーは、モーターボートに辿り着いていた。

 ボートは、フレモント側へ腹を見せ横転している。

 運転席には、転倒した際に頭でも打ったのだろう、男が1人はみ出していた。


 だがオリヴァーが軽く小突くと、意識を取り戻した。彼に手伝わせて、モーターボートを動かそうとしている。

 両側からじりじりと包囲網が縮められる。男にボートを任せ、オリヴァーは左右に向かって声を張り上げた。


 “それ以上、近付くな。人質の命がないぞ!”


 FBIの男達も、日置達も、ぴたりと足を止めた。

 アメリカでは、こういう時、必ずしも人質最優先ではない。こちらが犯人の指示に従えば、人質を殺さない、とは一言も約していないし、約束したとしても、その言葉には何の保証もない。。犯人が動くより先に射殺すれば、この先の犠牲は確実に防げるし、人質が助かる可能性も高まる。


 今回FBIが足を止めたのは、だから、一時的な反応に過ぎない。江上は日本人であるが、そんなことは彼らの知ったことではない。ここはアメリカであり、日系人も大勢いるのだ。


 男は、忠実にオリヴァーの依頼を進めている。

 モーターボートを海へ戻すには、向きを180度変えなければならない。彼は横転を直す前に、方向転換を済ませるため、懸命にボートの鼻先を押していた。

 砂に足をとられて、ボートはなかなか動かない。


 “お前ら、彼女を見捨てるつもりだろう”


 日置の思考をなぞるように、竹野が言った。

 ぎょっとして日置が見たのは、フレッドである。彼はいつのまにか、銃を取り出し構えていた。


 “あいつらは仲間を殺されて、頭に血が上っているんだ。俺は、あいつらとは違う”


 オリヴァーに銃口を向けたまま、フレッドが答える。沈黙が続いた。男は手を変え品を変え、モーターボートを動かそうとしている。


 ボートが動くことが、彼の命を救う、と信じている。


 “人質を見捨てずに、奴を無力化するには、どうしたらいいかな”


 やはり視線を外さずに、竹野が誰にともなく呟いた。


 “目を潰したら、暫くは人を傷つけられないぜ。あんたにはできまいが”


 答えたのは、またもやフレッドだった。


 “なるほど、()()()できない”


 竹野は素直に頷いた。それから、日置にオリヴァー達の姿がよく見えるように、少しだけ体の向きを変えた。


 “集中力だ、ジョー”


 その時、男の努力が実り、モーターボートがぐらりと動いて向きを変えた。カーテンを開いたように、オリヴァーの向こう側の景色が見通せた。


 FBIの男達の殺意が、矢の如く日置に突き刺さった。当然、オリヴァーにも彼らの殺意は伝わる。彼は江上を盾にして、モーターボートの僅かな陰に隠れようとした。男達の銃口が一斉に火を吹いた。


 “伏せろ!”


 誰かが叫んだ。

 日置は前に倒れ込みながら、ありったけの集中力を使って、オリヴァーと江上の足元に力を投げつけた。砂が水飛沫(みずしぶき)のように舞い上がり、その中心で彼らはくるりと反転する。


 竹野が力を使ってオリヴァーの銃を飛ばし、フレッドが彼の目を潰すその直前に、オリヴァーが日置に向かって殺意の塊を放ったのが、まるで映画のコマ送りのように、ひどくはっきりと見えた。


 突然、ペギーとマリアが現れた。いかにも死んだ者らしい登場の仕方だった。

 本人たちが自覚しているかどうかは、わからない。彼女らは、亡くなる直前に見た姿のままだった。ただし、その身には傷ひとつない。


 その先を、日置は見る事ができなかった。オリヴァーの殺意を寸前でかわし、そのままうつ伏せた。頭上を、銃弾が次々と通り越し、時にはぱらぱらと降ってきた。

 彼は銃声が止むまで、砂浜に顔を伏せ続けた。



 “上手くいったみたいだぜ、ジョー”


 フレッドの声に顔を上げる。江上が、スコットに抱え上げられるところだった。

 日置は、モーターボートまで駆け付けた。砂に足を取られ、思うように進まない。

 彼女は意識を失っていたが、奇跡的に怪我もなく生きていた。


 すぐ側で、オリヴァーが襤褸(ぼろ)切れのように死んでいた。そこには死骸だけが残っていた。

 ペギーたちのようではなくとも、何かありはしないか、と日置は周囲を含めて探してみたが、それらしい影も見当たらなかった。


 モーターボートを運転していた男は、オリヴァーと反対側に逃げて、無事だった。彼はまだボートの脇で小さくなっていた。


 日置は江上の無事を確認した後、少し戻って宇梶を見つけた。彼は意識を取り戻していたが、腰が抜けて起き上がれないようであった。


 「何なんや、これ?」

 「何やろね」


 肩を貸して立ち上がらせようとするが、上手くいかない。FBIの誰かが来て、有無を言わせず担いで行ってしまった。フレッドが竹野と連れ立って来た。


 竹野はお下げを右手に持ち、ぶんぶんと振り回している。彼の髪は、首の辺りでぷっつり千切れていた。


 “どうしたの、それ?”


 “(いたち)の最後っ()というところかな。折角伸ばしていたのに”


 “てっきり、僕に攻撃をしかけたのやと思うてた”


 “いや、気のせいじゃない。俺にも攻撃してきたぞ。とんでもない奴だった”


 フレッドが日置の印象を裏付けし、早くも検証が始まっているオリヴァーの死体を、感慨を込めて見やった。


 “彼らは、知らないんだろう?”


 (あご)で宇梶を指して言う。日置は黙って頷いた。改めて、彼に対する疑問が湧き起こっていた。

 彼の心を読み取ったかのように、フレッドはにやりと笑った。


 “彼はCIAで働いているんだとさ”


 竹野が彼の代りに答えた。


 “FBIの連中と来たら、手柄を1人占めしたがって、困っちまったよ。お蔭で犠牲者が増えちまった。彼らも、同じような部署を抱えている筈なんだがな”


 “僕達、どうなるのやろか”


 “どうもしないさ。人質は無事だったし、容疑者は拳銃を持ったまま死んでくれた。あとは、FBIが世間に向けて辻褄を合わせてくれるだろう。死んだペギーやマリアが奴を滅ぼすのを手伝ってくれた、なんて話は、誰も信じないぞ”


 “僕()見ました”


 日置が言うと、フレッドは戸惑ったように頭を掻いた。


 “そいつは、心の中に、しまっておくんだな”


 筋肉質のハンプティダンプティの片割れ、フレモントがやってきた。日置達を見る目には、嫌悪と恐れが混じっていた。


 “事件の解決にご協力いただいて、ありがとうございました。記録のためにお話を伺いたいのですが、お時間をいただけますか。ええと、あなたもご一緒に”


 最後の言葉は、フレッドに向けて発せられた。

 彼は自分の感情に後ろめたさを覚え、顔に出さないよう精一杯気を遣っていた。それで日置達は、彼の気持ちを尊重し、彼の言葉にだけ反応することにした。

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