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ゴールデンゲートブリッジ 前編

 “どこだ!”

 “あっちだ、ゴルフコースの方へ逃げたぞ!”

 “追え!”


 ひなたぼっこをしていた老人が、曲がった腰をしゃんと伸ばして、驚くべき速さで駆け出した。

 輪になってギターのミニコンサートを開いていた長髪の放浪者集団が、一斉に立ち上がって駆け出した。


 夾竹桃(きょうちくとう)の繁みから、ごつい男が飛び出した。

 通行人にカメラを預けて記念撮影をしていた太目の男女が、通行人と一緒に走り出した。女性と見えたのは男性だった。


 日置は呆然と、走る集団を眺めた。人々は、瞬く間に木々の間へ消えて行った。体の下でスウがうめき声を上げ、漸く我に返る。


 “大丈夫ですか”


 彼女は腕を撃たれていた。銃弾が貫通したかのように、腕の内側にも外側にも、赤い点がひとつずつあった。日置はポケットからハンカチを出して、傷口を縛った。


 ペギーとマリアが側に来た。クライドと竹野は、その後ろに立っている。クライドは蒼ざめていた。


 “銃声が聞こえなかったわ”


 スウはショックで青い顔をしながらも、落ち着いた声を出した。鳶色の瞳は、奇妙な光を湛えて日置を見つめている。


 “犯人には好機だろう。あんなに大勢いた護衛が、すっかりいなくなったからな”


 彼女が次の言葉を出す前に、竹野が口を挟んだ。FBIの女性達が、はっと顔を見合わせた。最初にペギーがクライドの側へ戻り、次にマリアが竹野の側についた。2人とも、あからさまに辺りを警戒している。


 日置は立ち上がり、スウに上から手を伸ばした。


 “どうしましょうか”


 彼女は日置の手を見て躊躇った。日置はまた視線を感じた。今度は方向もわかった。斜め後方から見ている。


 “伏せて!”


 日置が言う前に、竹野は動いていた。その場にしゃがみ、クライドの足を思い切り引っ張りながら、日置の斜め後方に向かって銃弾のように力を飛ばした。


 ブーゲンビリアの繁みが、風もないのにざわざわ鳴った。クライドは見事にすっ転んだ。

 今度は誰も悲鳴を上げなかった。


 “今、頭を、何かが(かす)めていった”


 クライドが倒れたまま、弱々しく呟いた。転んだ痛みよりも、狙われたと、いう恐怖の方が大きかった。彼の顔は蒼白を通り越して、ペンキを塗ったように真っ白だった。

 ペギーは呆れた表情になった。


 “銃声は聞こえなかったわよ”


 “彼女が撃たれた時にも、銃声は聞こえへんかった”


 日置は、繁みの向こうを睨みながら言った。竹野に反撃されて動揺したのか、これまで隠していた悪意が、犯人から漏れ出していた。


 その悪意は犯人の存在をくっきりと浮かび上がらせ、日置にも居場所がはっきりと感じられた。彼は、これほどの悪意が側にありながら、何故今まで犯人の正体が掴めなかったのか、我ながら不思議で仕方なかった。


 “オリヴァー、そこにおるのはわかっとるのや”


 “オリヴァーだって?”


 起き上がりかけたクライドが、名前を聞いて力が抜けたように、また地面に崩れた。信じられない、という風に頭を振る。

 ブーゲンビリアの繁みが、がさがさと動いた。マリアとペギーが揃って拳銃を構える。

 腕を怪我したスウも、拳銃を取り出した。


 ピンクの花群の間から、見覚えのある顔が現れた。両耳にかけた薄茶色の髪が、記憶にあるよりも少しだけ伸びている。厚いレンズの眼鏡のすぐ下に、掠ったような血の(にじ)みがあった。

 両手を上げた彼は、無邪気に微笑んだ。頬の傷から滲み出る血とは不釣合いに、無邪気な微笑みだった。


 “やあ、これは何の真似だい?”


 口からこぼれた言葉の調子も、この場の緊張感にそぐわない明るさを帯びていた。FBIの女たちは、うわべの呑気さに騙されなかった。


 “身体検査をします。そのままの姿勢で、前へ出なさい。怪しい素振りを見せれば、警告なく撃ちます”


 スウが油断なく拳銃を構えたまま命令した。

 オリヴァーは、素直に命令に従った。スウとマリアがオリヴァーに向けて拳銃を構え、ペギーが素早く身体検査を行った。

 彼女は戸惑いの表情を仲間に向けた。


 “彼は武器らしいものを持っていません”


 “繁みに隠したかもしれないわ”


 スウの言葉に従って、ペギーはブーゲンビリアの繁みに分け入った。オリヴァーは悪意を剥き出しにしてクライドを狙いながら、表面では相変わらず無邪気な微笑みを浮かべている。


 物心のつかない子どもならともかく、オリヴァーのような人間が、この状況で微笑んでいること自体、充分怪しんでしかるべきであった。


 現に、撃たれたスウはそう考えている。彼女は、ほんの少し前まで日置を疑っていたのだが。

 日置は、竹野と2人でクライドを庇っていた。オリヴァーが姿を見せたのは、日置達を皆殺しにするつもりに違いなかった。


 恐らく、一度に何人も攻撃できないために、隙を窺っているのだろう。FBIの女性達は3人とも銃を持っており、誰かを攻撃した途端にオリヴァーが撃たれるのは確実だった。

 そして彼には、死ぬつもりがない。


 刺し違えて死ぬつもりならば、とうにクライドを殺している筈である。とはいえ、強烈な悪意の裏で彼が考えていることは、日置には読み取ることができなかった。全て推測である。


 “見当たりません”


 ペギーが枯草まみれになって繁みから脱出し、スウに報告した。スウの顔に迷いが現れた。オリヴァーはこの好機を見逃さなかった。

 両手がぱたりと下りて、ペギーの体を羽交い締めにした。ペギーは武器を探すために自分の銃を戻しており、オリヴァーに背を向けて立っていたのである。


 “あっ”


 ただ1人を除き、全員の口から同じ音が零れた。オリヴァーはペギーから反撃を食らう前に、素早くペギーから銃を取り出して彼女の体に押し付けていた。


 銃を奪うなどという面倒なことをわざわざしたのは、スウとマリアに危険を分からせるためである。案の定、彼女らは銃を見て動きを止めた。


 “彼女を放しなさい”


 “放せば殺される。そっちこそ銃を捨てろ”


 まるで場にそぐわない、ほがらかな口調であった。オリヴァーの顔に浮かぶ微笑も、口から出た言葉の内容も、てんでばらばらである。

 己の特殊な能力に、絶大な自信を持つがゆえの余裕。知らぬ者には、精神に異常をきたしているとしか思えないだろう。スウもマリアも、構えた銃を放さなかった。


 “狂っている”


 マリアの呟きが、日置の感想を裏書きした。口には出さないものの、スウも彼女と同じように感じている。

 彼女はペギーかマリアか自分のうち、誰を見捨てれば最も損害が少なくて済むか計算し始めた。


 オリヴァーの笑みが僅かに濃さを増した。スウの計算を読み取っているのだった。彼女が如何に巧みに計算しても、必ず裏を掻かれる。


 しかも、彼女はその事を知らない。今、真実を告げたところで、信じてもらえそうにない。説得するまでの時間が足りなかった。


 日置はなすすべもなく、スウの思考を見守っていた。彼女は結論を出した。その瞬間、彼女の立てた計画を知らないのは、伏せているクライドを除くと、彼女の同僚だけであった。



 “わかったわ。銃を捨てるから、彼女を放しなさい”


 ペギーが目を見張り、マリアが驚いてスウを見る。ここで彼女らはスウの考えを推論した。万が一に備え、予め打ち合わせておいたのだろう。肝心のオリヴァーは全く表情を変えなかった。


 “同時に捨てるんだぞ”


 彼はほとんど優しいとさえ言える口調だった。寛大にも、スウの芝居に付き合ってやっているのだ、という素振りを隠しもしない。だが、彼女達は彼の意図を知る由もない。


 スウは、大袈裟に、拳銃を放り投げる用意をした。マリアも一応彼女に倣うが、微妙に持ち方が異なる。


 “わかったわ。1、2の3、はいっ”


 マリアが後ろに吹き飛んだ。引き金に指をかける間も与えられなかった。直後に、くぐもった銃声が聞こえ、逃げようと心の準備をしていたペギーが、がっくりと頭を落とした。


 続けざまに、オリヴァーは弾除けでもするようにペギーの体を盾に動かし、終いには銃を放り投げた後、彼に突進しかけていたスウに向けて投げつけた。


 事態を見守っていたクライドが、声にならない悲鳴を上げた。


 “くそっ。お前もか”


 オリヴァーは日置達をひと睨みし、ブーゲンビリアの繁みに飛び込んだ。


 剥き出しだった悪意の周りに、たちまち堅い殻が成長し、彼の存在を覆い隠す。竹野が後を追った。本人達は気付いていないが、マリアもペギーも、頭を撃ち抜かれて死んでいる。


 スウは投げ出されたペギーの死体を前に、燃えるような赤毛を振り乱したまま、呆然と座り込んでいた。死んだ2人が脇を通り過ぎても気付かない。

 当然だった。普通は気付かないものだ。


 “なんで2人とも死ぬの?”


 日置はスウの顔に、往復で平手打ちをした。手も痛いが、心も痛い。他に、効果的な方法を思いつかなかった。

 鳶色の瞳に正気が戻るのを待たず、正面から強い口調で言い聞かせる。


 “クライドを護ってください。僕らは彼を追います”


 言い捨てて、後を追った。

 2人の姿は見えず、竹野が見せてくれる視界を頼りに、右へ左へと走った。僅かに後れを取っただけなのに、なかなか追いつけない。


 不意に、脇から人影が飛び出してきた。

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