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プレシディオ

 明日の打ち合わせをした後、寝る段になったが、狭いベッドには、どう頑張っても、2人並ぶことはできそうになかった。

 遠慮する日置に構わず、竹野は寝袋を取り出して、床へ横たわった。


 「どこでも、すぐに眠れるのが、特技なんだ。医者に向いているだろ?」


 彼は、言葉違わず、瞬く間に眠りに落ちた。

 取り残された日置は、ベッドの側にある本を手に取った。カーテンの隙間から漏れる光で、表紙を照らす。


 “感覚外知覚(透視)の研究”


 そっとベッドを降り、暗い中、部屋にある本の表紙を手当たり次第に見て回った。『救急医療』『災害時の緊急手術』などという医学関連の本に紛れて、『インドの神秘ヨガ』『念力を科学で解き明かす』『幽霊屋敷の現象と科学』といった題名の本が、闇に慣れた日置の目の前に浮かび上がった。


 どうやら竹野は、自分の持つ能力について、現代科学による説明を求めているようであった。竹野の蔵書を見ることで、彼の心を読み取れた気がして満足した日置は、ベッドに戻り目を閉じた。


 昼寝をしたにもかかわらず、日置は騒音だらけの竹野の部屋で、熟睡した。

 夢を見た記憶もなく、目覚めはすっきりとしていた。カーテンの向こうは、まだ夜明け前の空である。

 竹野が、電熱器で、お湯を沸かしていた。


 “おはよう。よく眠れたみたいだね”

 “おはよう。ぐっすり眠れたよ”


 英語で話しかけられたので、自然に英語で答えた。

 日置が顔を洗う間に、インスタントコーヒーとチーズとパンの朝食が、用意された。マーマレードもついている。

 普段は、甘いパンを食べない日置も、マーガリンやバターがない今朝は、マーマレードを塗って食べた。

 新鮮なオレンジの風味が、さわやかな朝の空気を口の中に運んできた。目が一段と冴えた気になる。

 窓の外では、太陽の光が少しずつ、空を明るい色へと変えつつあった。


 約束の時間ぴったりに、FBIから派遣された、3人の女性がやってきた。

 身分証明書を見せてもらう。彼女らも、FBIの職員であった。


 一番年上のスウは、燃えるような赤毛を波立たせた姿形は若々しかったが、顔だけを見ると竹野よりも老けて見えた。

 スペイン系の顔立ちのマリアは、長い黒髪を竹野と同じ三つ編みにして、垂らしている。

 3人のうち最も年若のペギーは、日置と同じくらいの年齢に見えた。こちらは、プラチナブロンドを真っ直ぐに肩まで伸ばしていた。


 全員がすらりとした立ち姿で、日置よりも背が高い。デートに出掛けるにしては、やや堅めの衣服の下には、銃の入ったホルスターが吊るされている。

 本と寝袋が散らばる竹野の部屋で、互いに呼び名だけの簡単な自己紹介をした後、今後の計画について説明を受けた。


 “プレシディオの観光案内所前で、待ち合わせをしますが、ランドルフ氏と合流次第、なるべく人気(ひとけ)の少ない方へ移動します”


 3人の中では司令塔に当たる、スウが説明役を務めた。てっきりスウが竹野につくものと思いきや、彼女は日置と組み、マリアが竹野と組むことになった。


 予想通り、クライドに寄り添うのはペギーである。あくまでも囮役に過ぎない民間人2人を相手に、打ち合わせる内容はさしてなく、話が終わるや、すぐ出発することになった。



 マリアは竹野の自動車で、日置はペギーの運転する車でスウと一緒に乗せられて、プレシディオまで出かけた。


 プレシディオは、ゴールデンゲートブリッジの(たもと)付近の地区名である。その南に、比較的大きな中華街があることで有名なリッチモンドがあり、さらに南下して、ゴールデンゲート公園がある。

 竹野の住むヘイトアシュベリーからみて、大体西側に位置している。


 “ジョーは、ゴールデンゲート公園に、行ったことがあるのかしら?”


 車内を支配する、重苦しい沈黙に耐え切れなくなった、スウが話しかけた。これからグループデートに出掛けるにしては、気分が沈み過ぎている。

 実際、デートと囮作戦では、天と地ほどの開きがあった。


 “いいえ。実を言うと、ゴールデンゲートブリッジの傍に行くのも初めてです”


 “まあ、残念ね。こんな時でなかったら、オランダにあるみたいな水車や美術館を巡りながら、楽しく過ごせるのに。あそこにある日本庭園の丸い橋、タイコバシはとても可愛らしいのよ。今度ジャパンでオリンピックが開かれるのよね。首都の、トーキョーで?”


 “はい、そうです”


 折角気を遣ってもらったのだが、スウの話は、余計に現在の楽しくない状況を浮き彫りにしたに過ぎなかった。しかも、日置の苦手なオリンピックの話題である。

 会話が途切れ、車内はまた沈黙に満たされた。


 “霧が出てきたわ”


 ゴールデンゲート公園の緑地帯を抜け出すと、ペギーが舌打ちせんばかりの調子で言った。


 もともと雲の多い空であった。ここへ来て、急速に雲が地上へ降りてきているような印象があった。上空から見れば雲でも、下界から見れば霧になる。


 スウも、ペギーの言葉に同調して難しい顔付きをした。更に年を取ったような外見になった。雲は徐々に霧に姿を変え、気が付くと自動車はすっかり霧に囲まれていた。


 前を走る車のテールランプだけが、車間距離を掴む拠り所である。こんな天気でも、ペギーは速度を落とさず走行していた。ペギーだけでなく、他の車も同様である。

 下手に1台だけのろのろ走る方が、危ないのかもしれない。


 プレシディオの観光案内所に到着したのは、日置達の方が早かった。霧は少し薄れてきている。

 平日で、午前中の比較的早い時間帯であるせいか、霧のせいか、人影はまばらであった。

 観光案内所は、如何にも西海岸らしい明るい色調の一軒家であった。ペギーが代表して中に入っている間に、クライドが到着した。


 “やあ、カズにジョー。こんな天気であいにくだね。そのうち晴れると思うけど”


 クライドは少し緊張していた。やはり、予めFBIから協力を依頼されていたのだ。互いに紹介しているうちに、ペギーが戻って来た。

 途端に、クライドの緊張が解けた。彼は眩しそうに彼女を見た。


 “彼女もスタンフォードの学生かい? サンタバーバラにでもいそうな感じだ”


 実際カリフォルニア大学サンタバーバラ校の卒業生であるペギーは、ハンサムなクライドの言葉に、満更でもなさそうな表情を浮かべた。


 スウとマリアは面白くないのを表情に出さないよう苦労している。日置は背が低い上に、のっぺりとした典型的な日本人顔だし、お下げ頭の竹野も美形ではない。

 彼女らにとっては仕事である。選り好みしている場合でもなかろう。女性陣は全員、スタンフォード大学の学生ということになっていた。


 “じゃあ、全員揃ったところで、その辺を散歩しましょう”


 スウが音頭を取り、それぞれ男女2人組になって観光案内所を後にした。

 霧は徐々に晴れてきている。白い(もや)が、空で待つ雲に戻っていくような感じである。


 視界が広がるに従って、辺りの景色は色彩を取り戻した。緑色の芝生、濃い緑の木々、紫やピンクの花々が、思いもかけない近くに出現するのは、下手なアトラクションよりも印象的だった。


 日置はいつ始まるとも知れない犯人の攻撃に怯えながらも、この散策を楽しもうと努めた。

 太陽の力が強まるにつれ、同じように散策する人々も増えてきた。アメリカ人は男女のペアで行動するのが原則と聞いていたが、仕事を抜け出してきたような男性の2人組や、男子学生らしい集団など、こうして見ると必ずしも男女一対ばかりではなかった。


 あるいは彼らは、国外から来た観光客なのかもしれない。スウと日置が先頭に立っていて、彼は彼女の足の赴くままに従っていた。そういう計画である。


 彼女は海岸の方へ向かっているようであった。後にはクライドとペギー、竹野とマリアが続く。

 黙々と歩く日置達とは対照的に、クライドや竹野は、それぞれの相手と会話を楽しんでいた。特に小声で言葉を交わしては、くすくす笑い合うクライドとペギーは、本当にデートをしているように親密な様子であった。


 いつしか空は晴れ上がっていた。日置の目の端に、ゴールデンゲートブリッジの朱色が飛び込んできた。彼は思わず振り返って橋を見やった。クライド達がびっくりして足を止めた。


 “どうしたの”


 口を開いたのは、スウである。やや咎めるような口調であった。


 “すみません。ゴールデンゲートブリッジが見とうて、つい立ち止まってしまいました”


 “もう少し歩いたら、もっと間近で見られるわよ”


 側に寄ってきたペギーが、日置の言葉を聞きかじって慰めた。頬を薄桃色に上気させ、すっかりクライドに夢中になっている。


 “どこへ行くんです?”


 竹野が追いついてきて、わかり切っていることを敢えて尋ねる。さっきマリアに教えてもらったのである。


 “ベイカー海岸よ。さあ、行きましょう。お昼になってしまうわ”


 スウが切り口上に答えて、(きびす)を返した。慌てて日置が後を追う。

 彼女は、自然なデートに見せかけることを、放棄してしまったようであった。いや、デート中に喧嘩というシチュエーションもありうるか。

 背の高い彼女が長い脚を交互に動かし大股で歩くと、日置は小走りでもしなければ並ぶことができない。


 “あの、もう少しゆっくり歩いてもらえまへんか”


 “ゆっくり歩いたら、撃たれやすいじゃない”


 彼女は速度を緩めない。日置は小走りをしつつ、呼吸を整えた。


 “では、僕がゆっくり歩いて標的になります”


 彼女は急に足を止めた。長い脚が意思の変化に間に合わず、互いにもつれた。日置は前へ出て彼女を支えようとして、視線を感じた。


 “伏せろ”


 竹野の叫び声が耳に届くよりも早く、日置はスウを体で(かば)って一緒に倒れ込んだ。スウが鋭い悲鳴を上げた。

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