ヘイトアシュベリー 後編
竹野は、気持ちよさそうに煙を吐き出しつつ、さりげなく、周囲を観察する。
「それが、奴が事を起こすきっかけとなった」
急に日本語で話し始めた。煙は、ちゃんと日置と料理を避けている。日置の見たところ、日本語を解する人間は、少なくとも周囲にはいない。
「奴の目的は、クライドを脅えさせること。あわよくば、彼が奴の代りに捕まってくれればなおよし。お前は、万が一、奴のやり口に気付かれた場合の、保険みたいなものだ。同類がそんなにいるとは思えなかったのだろうな。ま、現時点では奴も含めて4人もいるわけだが。こいつは奇跡的だね」
竹野は言葉を切った。
コーヒーとアイスクリームが運ばれてきた。アイスクリームはひと皿だけ注文したのだが、数人で分けられるぐらいてんこ盛りだった。バニラと、どぎついピンクと、舌まで青くなりそうな水色の3色アイスクリームの山頂から、チョコレートが垂らされ、ウェハースもついている。
竹野は名残惜しそうに煙草をもみ消し、ピンクから食べ始めた。
「空港とバークレーで事件が起きたのは、クライドとお前が揃ったからだ。だが、警察がお前に目をつけたことを知った奴は、ついでにクライドをばらしちまおうと考えた。あるいは、初めから最終目的は彼の命だったかもしれない」
「明日の作戦は、奴の予定通りだ。そのために、今日の事件を起こしたんだ。未遂に終わっちまったがな。明日、警察のいるところでクライドを始末し、お前を逮捕させてけりをつけるつもりなんだろう。デートに来る女の子は、間違いなく銃を持ってくるから、世間には何とでも説明をつけられる」
「ちょっと待て。奴がクライドの身近におるのなら、バークレーまでは説明がつく。でも、今日のことまでは、わからへんやろ」
竹野は青く染まった舌を、わざと見せびらかした。日置は、アインシュタインの写真を連想した。
バンドが演奏を再開した。周囲の視線は、ステージに向かい始めた。
竹野はコーヒーに口をつけて、最後に残しておいたバニラに取りかかる。
「わかるんだよ。だって、クライドがロサンゼルスに遊びに行きたいから、俺にサンフランシスコ観光の案内を頼んだのだもの」
日置は驚いた。てっきり、竹野の個人的な親切心だと思っていたのだ。クライドの面倒見の良さは、意外であった。
それにしても、クライドの身近にいなければ、彼の予定はもちろん、日置のスケジュールまで把握しきれない。たとえ心を読む能力があったとしても、である。
「誰なんや、一体?」
「クライドも顔が広いからなあ。これまでの事件は全て、人の出入が自由な拓けた場所で起きている。奴は頭がいい。警察でも、なかなか絞り込めないだろう。人殺しを辞さないほどの悪意を持っているのが普通の人間なら、見ればわかるんだけどな」
気がつけば、再びビートルズの曲が演奏されていた。発表されたばかりなのに、かなりの精度で仕上げていた。他の客の反応もいい。違うのは、外見と声質だけだ。それで、何か違う曲のように思えてしまう瞬間もある。こればかりは、どうしようもない。
時間が経つにつれ、店が混雑してきた。
2人はコーヒーを飲み終えると、席を立った。
勘定を済ませ店の外へ出る。さすがに空は夜の色に変わっていた。
やけに、空気が新鮮に感じられる。側にある公衆電話を使って、竹野がヘレンの家に電話をかけた。そういえば、以前日置が伝言を受けて電話した先も、ヘレンの家だったのだ。今見ているように、竹野の部屋には電話がない。
竹野はヘレンに、FBIに呼ばれた理由を正直に話したが、翌日の囮捜査については説明しなかった。
続いてソフィアの部屋へ電話をかける。彼女は留学生の寮に住んでいる。
“やあソフィア。今日は付き合ってくれてありがとう”
竹野はヘレンにしたのと同じ説明を、ソフィアにもした。日置は彼女と話したい気持ちがあったが、竹野に代ってくれとも言えず、彼も受話器を渡す素振りは見せなかった。
尤も、何を話したものやら考えつかなかった。日置は彼の電話が終わるまで、店に出入りする長髪の若者達や、外に置かれた『今日のお勧め料理』を眺めていた。
さっき2人が食べた、クラムチャウダー入りのパンもお勧めされていた。
「日置。お前、今日はソフィアの部屋に泊まっていることにするからな」
電話を終えた竹野に言われて、彼は目を剥いた。
「え?」
「折角の機会だから、大いに利用しなけりゃ勿体ない。ネルの話では、互いに連絡先の交換もしなかったそうだし、ソフィアの了解も取った。問題は何もない。さあ、マーシーに電話しろ」
日置は、財布の中から25セント硬貨をありったけ出して、手に握り締めた。竹野に言われるまま、予め聞いてあった宇梶の別荘へ電話をかけた。
電話口に、ちゃんと宇梶が出た。無事に着いたようだ。ひとまず安心した。
「大丈夫か。警察に捕まったんやて?」
「人聞きの悪いこと言うなよ。事情聴取されただけや」
ベルの音を聞きつけたのか、宇梶の背後で江上が代れ代れと騒ぐ声が聞こえる。
代られると面倒なので、日置は口早に事情を説明した。竹野と口裏を合わせ、翌日の予定については喋らない。
「そやから、今夜はもう遅うなったし、ソフィアのところへ泊めてもらうわ。どうせ予定もないし、悪いけどこっちでゆっくりさせてもらうわ」
「ソフィアって、おい」
「静くん、さっき電話が」
宇梶の動揺を見て割り込んできた江上の声を無視して、日置は受話器を元へ戻した。
振り向いたところで、竹野と目が合う。案に相違して、彼は笑っていなかった。
「嘘がばれないように、早いところ片をつけないといけないな」
「そうやね」
日置は同意したが、自分たちの力でどうになるものでもないことは、十分に理解していた。




