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アルカトラズ

 霧のサンフランシスコと聞いてきたのに、日置達は、これぞという霧には、お目にかかれなかった。

 その代わり、坂の町サンフランシスコは、たっぷり体験した。

 どういう地形になっているのか、自動車から見るだけでは、さっぱりわからない。


 市街地の道路は、京都のように、碁盤の目が組み合わさってできている。

 下り坂を走っていて、次の十字路に着くと今度は上り坂になり、また次の十字路に着くと下り坂になったりする。


 また、交差点が4本の下り坂の集合地点であることもある。北へ向かうと上り坂、南へ向かうと下り坂、というような法則が見えてこない。


 そして、交差点毎に上り下りの違いがわかるくらい、急坂である。路上に停まる自動車など、坂道を転げ落ちるのではないかと心配になる。


 実際、坂道に駐車する際には、仮にサイドブレーキが壊れても、車が転げ落ちないよう計算してハンドルを切っておかねばならない。

 日置も宇梶も、ごみごみした大阪や狭い道の多い京都で鍛えていなかったら、国際免許があっても運転を諦めたかもしれない。


 大都会のサンフランシスコは、集合住宅のような建物が多かった。そのあたりは日本と同様である。

 1階が店舗になっている建物は大抵2階建てで、一部の高級店を除くと、高い建物は教会か公共性のあるものが多かった。


 いわゆる一軒家は、うなぎの寝床のように両隣とぴったりくっついていて、日本人の感覚からすると、やや高級感に欠ける。やはり2階建てである。


 ソフィアによれば、地盤が緩い地域では、互いに寄りかかるようにして建築しないと、崩れてしまうのだそうである。彼女は隣に座るや、早速日置の手を握り締めた。


 江上の探るような目を意識すると、拒否もできない。幸い彼女はそれ以上身を寄せることもなく、窓の外に見える景色を解説してくれた。


 “ジョー、あの辺がジャパンタウンよ”


 白い石かコンクリートか、車内からは判別できなかったが、笠を縦に並べた形の五重塔が見えた。京都にある塔をモデルにしたのだろう。四角が円形になっただけなのに、日本とは違う異国の塔に見える。


 “ここが、世界一曲がりくねった坂道、ロンバードストリートよ”


 自動車の速度が、格段に遅くなった。

 前の座席越しに前方を見ると、車1台がやっと通れるような、レンガ色の石を敷き詰めた、恐ろしく曲がりくねった道が、下まで続いているのが見通せた。


 周囲は花壇を設えてあった。整備された歩道では、観光客がガイドブック片手に坂を上り下りしている。

 その急角度と曲がり具合は、スキーの上級コース以上であった。


 “これは凄い道だ”


 運転する宇梶が、緊張に声を張り上げる。先を行く竹野の車が、ゆっくり進んでいるから、まだよかった。

 後から後から、本当にこの狭い道を通るつもりなのか、目を疑うような大きな自動車が、坂道に進入してくる。中には、スピードを競う観光客もいるとのことだった。


 ロンバードストリートの向こうに見えるのは、サンフランシスコ湾である。

 空にも負けない青さの海が、白い建物を両脇に従えて姿を現していた。あまりに急坂なので、道路から海までの景色が省略され、飛び込み台に立っているように思えた。


 眼前に、海が浮かんでいるようにも見える。竹野は、フィッシャーマンズワーフへ行くついでに少し回り道をして、名所を案内しているのだった。


 “あれがコイトタワーよ。もうすぐフィッシャーマンズワーフに着くわ”


 ギリシア神殿の柱に似た、てっぺんだけローマの大劇場風の白い塔が、小高い丘の上に見えた。心なしか消火栓にも似ている。その後ろには、ベイブリッジが左右に延びている。


 ソフィアの言った通り、間もなく日置達は目的地に到着した。



 自動車から降りると、空の青さから予想していたよりも、冷たい空気が頬を撫でた。


 身震いするほどでもないが、サンフランシスコは、サンノゼよりも気温が低い。桟橋に舟がずらりと並び、白いカモメが飛び回る。鳴き声が重なり合うと、騒がしい。


 もともと漁師の船着場だった面影を、存分に残していた。懐かしい風情を残す赤レンガの建物は元桃の缶詰工場で、今は改装され商店街になっている。


 港らしいカニ料理のほかに、チョコレートも名物で、工場が残っていた。


 日置はチョコレートを見て、子どもの頃に見た進駐軍を思い出し微妙な心持ちになった。空襲を受けなかった京都に住んでいたこともあって、東京などより不快な目には遭っていない筈なのだが。


 恐らく、大人の話が無防備な日置の心に染み込んでしまったのだろう。傍で、同じ年齢の江上や宇梶は、綺麗に包装されたチョコレートを素直に賞賛している。


 各自土産物などを見て回り、時間を決めて集合する事になった。それまでのぎこちなさはどこへやら、江上はソフィアやヘレンと連れ立って、嬉しそうに桃缶詰工場へ消えて行く。

 宇梶も、お土産の下見をすると称して江上の後を追った。竹野と日置が後に残された。


 “ゴールデンゲートブリッジを見に行こうか”

 “うん”


 桃缶詰やチョコレート工場の建物を回って裏手に出ると、海があった。塩の匂いが一段と濃くなる。

 左の方に、サンフランシスコの象徴である金門橋があった。橋の色は朱色で、形はバークレー方面にあるベイブリッジとさして変わらない。


 しかし、この距離から見ても大きかった。ちょうど通行する部分に、うっすらと雲がまつわりついている。現在車で橋を渡っている人には、霧に見えるのだろう。橋は雲のせいで神秘的に見えた。


 “きっとご婦人達は、買物を済ませたら帰りたがるだろう。今のうちによく見ておけばいい。もっと近くで見せられなくて済まない”

 “いや、これで充分や。ところであの島には人が住んどるの?”


 日置が指差したのは、沖合いに浮かぶ大きな島で、工場のような頑丈そうな大きな建物がいくつも建てられていた。一見したところでは、人々が生活している活気のようなものは感じられない。


 “あれはアルカトラズ島だ。最近まで連邦刑務所だった。知らないかな、数年前に脱獄事件で大騒ぎになった?”

 “知らへん”

 “そうか”


 日置は辺りを見回した。観光客がそこここを散策しているが、彼らの側には誰もいなかった。江上達も目一杯買い物を楽しむようである。戻る気配はなかった。


 “彼女、恋人おるのによく協力してくれはったね”


 ソフィア・パルデューのことである。竹野はやや躊躇(ためら)ってから、日置を正面から見た。


 “彼女は、ゲイなんだ”


 つまり同性愛者である。サンフランシスコには除隊したゲイが大勢住んでいる。男同士でも女同士でもゲイである。日置は衝撃を受けた。存在を知っており、気にしないつもりでいたにもかかわらず、実際身近にいたと知って受けた衝撃が、更に彼を打った。


 偏見に気付いて羞恥を覚える日置に、竹野の心配そうな、かつ厳しい視線が注がれる。動揺のあまり、日置は心を隠すことを失念していた。至らぬ部分や醜い部分まで、全部読まれてしまった。穴があったら、入りたい。

 しかし、竹野はまだ日置の側にいた。日置は心を落ち着けて、口を開いた。


 “好きになりかけとったみたいや”

 “そう思ったから、教えた。勝手にバラしたことは内緒にしてくれ。いい奴なんだ”


 それから竹野は視線を和らげた。わざとらしくため息をつく。


 “胸の大きい女の子が好みとは、ね”

 “違うわ。距離の取り方がとても合うてたんや”


 慌てて誤解を正す。胸の大きい女性は、確かに日置の好みかもしれないが、今の問題ではない。ついでの勢いで、一昨日からの騒ぎを竹野に話した。


 “ほんま、ソフィアに来てもろうて助かったわ”


 カモメの声が(うるさ)くなってきた。見上げると、カモメが乱舞していた。時折(ふん)を落としたり、海面に向かって急降下したりする。


 “日置もキャナリーの店を見たらどうだ。冷やかしだけでも面白いぞ”


 カモメをぼうっと見上げる日置の腕を、竹野が軽く引く。ぱっと日置が腕を抜いた。


 “もしかして、竹野さんも、ゲイ? 僕は、女性が好きだから、そういうお付き合いはできないよ”


 質問の背景には、フレッドとの記憶があった。今では日置も、竹野の能力を疑わない。

 同じ秘密を持つ同胞を見つけた時、すぐに名乗り出る危険を冒す者は、いないだろう。秘密の性質にもよるが、暫く様子を探り、自分に害が及ばなければ、放置するのが通常の反応ではなかろうか。


 相手が自分の存在を知っているかもしれない場合でも、せいぜいフレッドのように牽制するぐらいで、竹野のように親切に能力を鍛えてくれることなどまず考えられない。

 竹野の非常な親切は、単なる好意を超えているように、日置には思えた。


 “お前なあ、自惚れるなよ”


 竹野は呆れた顔をして、軽く日置の頭を叩いた。色気も何もない。

 それが答えだった。


 “念のため、聞いてみただけや”


 ちっとも痛くないのに頭を押さえながら、日置は言い訳した。確かに、日置がモテる男と勘違いしているようにも取れる。それに、この考え方もまた、ゲイに対する偏見が作用している気がする。偏見を正す道は、遠い。

 彼は再び反省した。


 2人は来た時と別の道を通り、桃の缶詰工場の前へ出た。年代を感じさせる、赤レンガの叙情的なアーチが彼らを出迎える。

 新しい商店街には、人々がひっきりなしに出入りしていた。


 “ほう、やっぱり会ったね。長髪くんも仲間かな?”

 “フレッド!”

 “こいつが?”


 フレッドは、買物客で賑わうフィッシャーマンズワーフの爽やかさに、不似合いな男だった。

 長めに切り揃えたプラチナブロンドの髪を、七三分けにして余りを耳にかけているのは、前回と同じである。


 違うのは、茶系のスーツを身に(まと)っているところで、観光客にも学生にも見えなかった。

 窪みの奥にある灰色の瞳で、用心深く日置と竹野を見比べている。


 今日のフレッドは、竹野により注意を向けていた。竹野も彼を警戒し、2人の間には火花でも散りかねない。


 “あ”


 日置が視線を感じたのとほぼ同時に、竹野が彼を庇って地面に身を投げ出した。固い地面に頬を打ち当て、思わずうめいた。


 “くそっ、どういうことだ?”


 フレッドの舌打ちが聞こえ、日置は顔を少し持ち上げた。既に、彼は走り出していた。後姿がみるみる人ごみに掻き消される。


 人々はフレッドには注意を払わず、地面に伏せる日本人2人に、怪訝な視線を投げかけた。

 竹野の腕が離れたのを感じ、日置は起き上がった。


 周囲には、何の異変も起きていなかった。

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