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チャイナタウン 前編

 竹野にしごかれ、くたくたになって帰宅すると、宇梶が部屋にいた。

 同室のインド人学生イシャンが、日置の姿を認めて立ち上がった。


 ”僕はこれから夕食へ行く。戻るまでには済ませてくれ”

 “ありがとう。そうする”


 ルームメイトが気を遣って部屋を空けてくれた後、宇梶を見て異変に気付く。

 彼は酔っ払っていた。しかも悪酔いである。


 弥勒菩薩(みろくぼさつ)に似たルームメイトは、彼の様子を心配し、日置が戻るまで見守ってくれていたのだ。

 まさに仏のような人物である。


 「すまん、言うてしもうた」


 のっけから謝られた。何のことやらわからない。宇梶の心はアルコールによる酩酊(めいてい)で、混沌(こんとん)状態にあった。


 「何も食わんと飲んだくれたのか。宇梶、お前飲み過ぎや」


 日置が帰ってくるまでは、と気を張っていたらしい宇梶は、彼の腕の中に倒れ掛かった。長身の宇梶は、ただでさえ重い。同じ部屋の、椅子からベッドへ移動するにも苦労した。

 ジーンズのボタンを上から外し、シャツの襟元を開ける。


 徐々に、宇梶の記憶から、日置の去った後の様子が読み取れてきた。

 江上は、日置の後を付けようとしたらしい。荷物もそのままに図書館を飛び出したのを、宇梶が追いついて引き留めた。

 その後、取り乱す彼女を慰めようとして、彼は思いのたけを告白したのだった。


 「阿呆やなあ」


 急ぎ過ぎや、と日置は心の中で思った。酔っ払って混沌とした宇梶の心からは読み取り難いが、江上は告白を受けた動揺から、日置が好きだとまで言ってしまったようである。


 それで、宇梶が飲みに走った、という訳であった。


 ややこしいことになった。

 日置としては、はっきりと江上の気持ちを拒絶する事なく、自然の成り行きで江上が宇梶に心を向けてくれればよい、と願っていたのだった。

 虫の良い願いとは分かっている。



 (しばら)く新鮮な空気を送ってやると、宇梶の様子が落ち着いて、そのまま寝入りそうである。日置の部屋で熟睡されては、困る。

 宇梶の頬を軽く叩く。寝惚け眼の彼を、無理矢理起き上がらせて、苦労しながら彼の部屋まで送った。


 宇梶の部屋のルームメイトは、夕食後に図書館へでも行ったのか、不在だった。


 「江上さんは、日置が好きなんやて」


 ベッドに寝かしつけ、ジーンズを苦労しながら脱がしていると、宇梶が言った。目を閉じたままである。

 日置は、脱がした服を椅子の背に掛けてから、酔っ払った彼の耳にも届くよう、はっきりと言った。


 「僕は、彼女と付き合うつもりは、ない」


 宇梶は応えなかった。

 日置は、そっとドアを閉めた。心身共に、とても疲れていた。

 かろうじて、シャワーを浴びるだけの気力を奮い起こし、ベッドへ潜り込んだ。

 まずは、睡眠で体力を回復する。試験勉強は、後回しである。

 たちまち眠りに陥った。



 翌朝、食堂に現れた宇梶の顔色が悪いのは当然として、江上の顔色も優れなかった。

 今日は最終試験というのに、2人とも絶不調である。


 日置も夕食を抜いて寝てしまったので、体調はまずまずだが万全とは言い難い。


 ”待って”


 日置は江上を見た。彼女の言いたい事は、顔に書いてある。彼は、彼女が実際に口を開くまで待った。


 ”マーシーから聞いたのやけど、ジョーは、ほんまに付き合うとる人おるのん?”


 彼は深く頷いた。江上の内面に釣られて、深刻な表情にならないよう気をつけた。できるだけ快活な口調で付け加える。


 ”明日、サンフランシスコで一緒に飲茶をすることになっとる。江上さんも来はるなら、紹介するわ”


 元々行く予定になってはいたが、こうなっては行きたくないだろう、と逃げ道を作った。案の定、反射的に行かない、と言いそうになった江上は、どうにか自制した。


 ”是非、紹介してちょうだい”


 付き合っている女性などいない。

 この短期間で、交際相手を見つける余裕はなかった。


 明日のデート相手は、昨日のうちに打ち合わせて、竹野が適当な女性を連れてくる手筈となっていた。

 乱暴な話だが、アメリカにおけるガールフレンドやボーイフレンドの関係は、日本ほど深刻な位置付けではない、と説明されて、日置も一応納得した次第である。

 竹野の紹介ならば、信頼できるだろう、とも思った。



 よく眠ったおかげか、試験の手応えは、まずまずだった。もっとも、実際の成績は、結果が出るまで、わからない。


 昼を挟んで、午後には軽く全体のまとめ講義があり、それで全部終了だった。

 大学事務局へ行って、身分証の返還やら成績送付先の確認やら寮の退室など、諸々の手続きを終えた後、寮の荷物を片付けて、バスの時間待ちに共用スペースにいると、宇梶が荷物を抱えてやってきた。


 大きな荷物は、日本へ先に送る手配をしてある。今の手持ちは、数日旅行する程度である。


 ”ナナは、シスコ行く言うてた?”


 顔を合わすなり、宇梶が聞いてきた。

 昨夜の醜態(しゅうたい)は、記憶にないようである。表面上は、気まずさのかけらもない。

 しかし、酔う前にあった告白騒ぎの記憶は、しっかりと残っていた。ただそれは、日置が知らないことになっている、筈だった。


 ”今朝も聞いたけど、行くて。あとな、ナナにも言うたけど、向こうで彼女紹介したるわ。楽しみにな”

 ”お、おう。楽しみやな”


 日置が昨夜の騒ぎについて改めて確認しなかったように、今朝、江上との間にどのような会話があったのか、宇梶も改めて確認しなかった。


 そして3人とも、サンフランシスコへ行くことになった。


  

 サンフランシスコにはいくつかチャイナタウンがあり、それぞれに特徴がある。待ち合わせした店は、一番大きなタウンであった。神戸の中華街よりも、規模が大きい。


 坂道の傾斜に気をつけながら、パーキングメーターの空いた場所に素早く駐車する。宇梶の運転は、なかなか手慣れていた。


 彼の別荘へ行くに当たって、レンタカーを借りることにした。これで空港までの足も確保できた。


 行きは宇梶が運転した。日置は助手席に、江上は後部座席に乗って、道中ほぼ無言であった。そして、そのことについて、誰も突っ込まなかった。


 車を降りると、アメリカのイメージを裏切る漢方薬のような匂いが、鼻を刺激した。

 看板は漢字だらけで、行き交う人も東洋系が圧倒的に多い。建物は欧米様式の石造りであるが、目隠ししてここへ下ろされたら、香港辺りと言われて信じる人もいるだろう。


 目指す店の前へ近付くと、人だかりがしていた。辺りには同じような食堂が幾つも並んでいるのに、1つの店の前だけが混雑している。

 観光客よりも、地元民の雰囲気を備えた人間の方が多い。


 通行人が、苦労しながら人込みを掻き分けて行く。

 その向こうから、女性を両脇に従えた竹野が手を振っていた。片側に寄り添うのはヘレンである。

 竹野が三つ編みを垂らした姿は、見事にチャイナタウンに調和していた。欧米人が見れば、清代の辮髪(べんぱつ)かと思うだろう。


 “やあ皆さん。迷わずに来られてよかった”

 “時間に遅れませんでしたか”

 “大丈夫。とにかく、中に入ろう”


 日置が竹野とやり取りする横で、宇梶と江上の視線は、見慣れない女性を無遠慮に観察していた。

 江上のように真っ黒な髪の毛を長く垂らしていたが、肌の色は欧米系の白さである。宇梶と同じ位背が高く、ゴム(まり)と形容したい胸を持っていた。


 彼女は宇梶達の視線を無視して、日置に笑いかけた。日置も心得て、殊更(ことさら)にこやかに笑顔を返した。

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