ウィンチェスター 後編
「降りろ」
日置が降りると、竹野も自動車から降りた。
死んだ男性は、後部座席に座ったままである。降りてみると、車は川のすぐ側にあった。茂みは途絶え、砂地が広がっていた。
川幅は広く、緩やかな流れであった。川の中ほどに発達した大きな中州から、立派な木が生えていた。
竹野は、懐から拳銃を取り出した。反射的に日置が両手を挙げると、苦笑された。
「お前なあ。よく見ろよ」
よく見るまでもなく、安っぽいおもちゃの拳銃だった。竹野はその玩具を、中州に向けて構えた。
中州に生えた木を取り囲み、葦やすすきが群生していた。トム・ソーヤがここにいたら、秘密基地を作るだろう。
竹野の銃は、弾倉が銃身と一体化していた。
拳銃の外側を模して左右に割った型を作り、そこへプラスチックを流し込み、成形したのち、再び左右を貼り合わせて作ったのだ。銃口の穴もない。動くのは、引き金だけである。それも、ぷらぷらと、ただ動くだけの代物だ。
竹野の指が、その引き金にかかる。カチリと音もせず、何の抵抗もなく、指の動くままに、従った。
塞がった銃口から、弾丸のようなものが飛び出した。
それは、彗星のように光の尾を引きながら中州へ向かい、箒を思わせる、すすきの花を首根っこから折った。
竹野は西部劇の主人公を気取り、おもちゃの銃を片手でくるくると回した後、銃身を握って日置に差し出した。
「これを、お前に教える」
日置は銃を受け取った。手に持っても、変哲もない、子どものおもちゃであった。
脳裡を、何かの記憶が掠める。彼は記憶を掘り起こそうとした。
「今のは?」
「俺やお前のような能力を持つ者が使える、護身の術だ。アメリカ人は銃を持てるが、俺達は持てない。能力の使い方を把握すれば、万が一誰かに狙われても助かる確率が」
日置の視線に釣られ、竹野が振り向いた。
後部座席にいた血まみれの男性が、車から降りてきていた。車内ではシートにかしこまっていたのに、降りる際にはドアを開けずに通り抜けた。
彼が自分の体から離れて随分と時が過ぎたようだったが、いよいよ人間を辞めることにしたらしい。
車の側面から徐々に姿を現した男性は、河原に足をつけてから立ち上がった。生きた人間が、腰掛けたシートから車を降りる動作そのものだった。ただ、ドアが閉まったままなだけだった。脚も2本揃っている。
無事な方の眼球と零れかかった眼球の水晶体が、日置の顔に焦点を結ぶ。
彼の丸く開いた口の形はそのまま動かず、彼の思念が直接、日置の心に投げ込まれた。
“裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者”
彼は全身で叫びながら、日置に向かって歩を進める。
さく、さく。
彼が一歩踏み出す毎に、どういう訳か、砂を踏み込む音がした。
その間も、裏切り者の叫び声が息継ぎもなく続く。規則正しい足音と、間断なく続く呪いの絶叫は日置の聴覚を圧し、血にまみれ、崩れた顔から発する視線は、日置の視覚を縛った。
日置はその場から動けなかった。
男の思念と足音は、互いに反射するように領域を広げ、日置を包み込まんとする。
日置の生命が、侵食されようとしていた。
それでも、彼は動けなかった。
「臨兵闘者、皆陣列在前……はっ!」
日置の前にいた竹野から、閃光が発せられた。男と目が合った瞬間から、彼の存在を失念していた。
閃光は、血まみれの男を覆い隠した。すぐにシルエットが透けて見えた。
意外にも、苦しみもがいてはいない。寝台に仰向けになった形で、むしろ安らかな眠りについたように見えた。すぐに閃光は消え、同時にシルエットも消えた。
後には、乗ってきた車が、何事もなかったかのように鎮座するばかりである。
「あの……竹野さん、今のは?」
日置は、体を動かせることに気付いた。後ろから近寄ると、肩で息をする竹野に問いかけた。彼は顔を向けた。
「うちは密教系だからな。成仏した、というところかな」
「成仏?」
外見で決めつけるべきではないが、男はキリスト教徒のような気がした。極楽か天国か、竹野は彼を、この世界から送り出したらしい。
「これが、力の本来の使い道じゃないかな。あいつ、意外と強力だったなあ。日置の練習用にと思ったんだが、初心者には無理だったな」
「そら、いきなりは無茶や」
竹野は日置に頓着せず、残念そうに男が立っていた辺りを見た。河原の砂地には、車の轍と2人分の足跡しかついていない。そもそも、湿った砂が、さくさくなどと音を立てる筈がなかった。
念の為、日置は車の後部座席を覗いてみた。血のしみ1つ、見当たらない。
男がこの世を彷徨っていた痕跡は、すっかり消え去ってしまっていた。
「じゃあ、改めて。特訓しようか」
「何を?」
「それだよ、それ」
竹野は、問い返した日置の手を指した。先ほど渡された、おもちゃの拳銃を握っていた。
「最初のうちは、道具があった方がイメージしやすいと思って、用意した。なくても撃てるのが理想」
「ほな、やってみるわ」
日置は、おもちゃの銃を中州へ向けて構え、撃ってみた。
何も起こらなかった。




