留学生寮 後編
”こっちの人は、よく食べはるわ。もう、お腹いっぱいやわ”
江上が満足そうに呟く。自分たちの寮へ戻る帰途である。腹ごなしに、徒歩で構内を横切っていた。
彼女も宇梶も、普段話さないような人たちと接し、楽しく過ごしたようであった。誰々と話した、誰々は日本に行ったことがあった、などと互いに機嫌よく話している。
それぞれが、パーティで知り合った人々から、その後の食事に誘われていた。
日置は、ポテトチップスやチョコレートやコーヒーで満腹だったため、後ろ髪をひかれつつ断った。残る2人もまた、同様であった。
他の学生は、これからの夕食が本番なのだ。外見だけでなく、体の作りがまるで違う。
日置は、2人の会話をうわの空で聞いていた。話しかけられた時には返事をしたものの、その実、考えていたのは、まるで別のことだった。
フレッドについてである。
彼を見失った後、日置はレオナルドや寮に住む学生を探し、フレッド若しくは彼に似た容貌の人物を知らないか、訊いて回った。
誰も彼を知らなかった。来合わせた教職員にも尋ねてみたのだが、やはり知らなかった。
少なくとも、フレッドは寮に住んではいない。
フレッドは自宅から通う学生で、今日構内でたまたま日置を見かけ、後を付いてきただけかもしれなかった。
竹野によれば、読心能力を持つ人間に、日置の考えはまる見えだった。
となると、思考を隠す訓練を受ける前に、日置を見かけていた可能性は、十分に考えられた。
日置と同じ能力を持つ人間は、そう多くない。竹野が日置にわざわざ会いに来たように、フレッドが同じく興味を持っても不思議はない。自ら能力持ちであると告白したことからも、敵意がないと窺えた。
あのように、誰が聞いているかもわからない場で、会見を手短に切り上げたことも理解できる。気になるのは、フレッドが残した台詞である。
“調子に乗って馬鹿な真似はしない方が、いいぜ”
日本で禁止されていて、アメリカでは合法である薬物を使ったこともないし、酒を飲んで騒ぎを起こしたりもしない。平日は家と大学の往復で、休日も現地の人に観光案内されただけだ。日本にいる時よりも、勉強時間は断然長い。
馬鹿な真似をする暇もなく、全く心当たりがなかった。
フレッドの告白は嘘で、仲間と思わせることで、日置から告白を引き出すのが目的だった、ということも考えられた。その場合、後半の言葉は無視しても差し支えない。
ただ、相手を騙すならば、警告めいた言葉よりも、素直に食事へ誘うとか、耳に心地よい言葉の方が良さそうに思える。
忠告にしろ、騙りにしろ、彼が姿を晒して名乗りを上げるため、日置の元へやってきたことは事実である。日置にできるのは、いずれ必要な時が来るまで、フレッドの存在を覚えておくことであった。きっと、また会う時が来る。
案外、それが目的だったのかもしれない。
寮へ戻ると、日置宛に伝言が届いていた。
竹野であった。そう言えば週末、サンフランシスコ市内を案内したい、と言っていた。
一緒に帰った宇梶と江上が、遠慮なくメモを覗いた。日置は、サンフランシスコ観光の件を説明した。
”ジョーはどうするの? もう講義終わるし、一緒にマーシーの家行かんの?”
“僕は、もちろん行くよ。2人は先に別荘行ったらええんのとちゃう? 住所聞いとるし、後からそっちへ合流する”
ここは、誘うのが常識的な流れである。
敢えて、日置は口を噤んだ。
竹野と会って、訓練の成果を見てもらいたかった。フレッドの相談もしたかった。それには、2人きりの方が都合が良い。
宇梶も、江上と2人きりになる機会を逃したくない筈だ。受講期間中は、たまたま2人でいたとしても、勉強に忙しくて距離を縮めるどころの話ではなかった。
本当は、講義が終わり次第、帰国する予定だった。滞在旅費もかかるし、帰国後もすべきことは山積みである。そこを宇梶と江上、それぞれの思惑に折れて予定を伸ばし、飛行機のチケットを取った。結果的に、竹野と出会えたことで、日置にも滞在の延長が報われた形になった。
もちろん、宇梶の暴走を防ぐ意味でも、本当に合流するつもりでいる。
その宇梶が、日置の提案に乗らず、意外なことを言い出した。
”折角西海岸まで来たのやから、ゴールデンゲートブリッジにも挨拶したいやん。チャイナタウンも近いし、僕もそろそろステーキやハンバーグに飽きてきたから、ちょうどええわ。江上さんと一緒に連れてってくれんか”
勝手に江上を巻き込む。彼女は迷惑どころか、感謝の目つきを宇梶に送った。
日置はそれを見て、2人を連れて行かざるを得ない、と悟った。いきなり家の中で2人きりになるよりも、開放的なカリフォルニアの空の下を2人で歩いた方が、自然と距離も縮まるかもしれない。
観光地の人混みなら、竹野と2人で話す機会も取れるだろう。
”ほな、彼に聞いとくわ”
”頼むで。ダメでも後からついてくで”
竹野の連絡先へ電話すると、意外にも快諾された。電話口でフレッドの名前を出してみたが、やはり知らないと言う。
寮に設置された、公衆電話である。廊下を絶えず誰かしらが通りかかり、後ろには順番待ちの学生がいる。
それ以上の詳しい話はできなかった。




