シモン視点 コレドの供述
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『マルク―ル侯爵家の勉強部屋』
ノエルが憔悴している。
決して表情には出さないけれど。膝の上の本のページをめくりながら僕は思い出していた。
「顔には出てないけどバレバレなのよ。ノエル様大丈夫かしら……」
ノエルから連絡を貰ったリンジーと僕はネージュ伯爵家へルミリエ嬢のお見舞いへ行って帰って来た。ルミリエ嬢が僕達のことを忘れてしまった。学園に入る前の記憶は残ってる。現在からある一定の期間の過去の記憶が消えてしまったらしい。僕達が面会しても全く記憶を取り戻す気配が無い。ノエルのことすら分からないんだ。当然だろう。
リンジーが怒ってる。物凄く。僕も腹立たしいよ。でもそれ以上に不安が大きかった。ルミリエ嬢の記憶は戻って来るだろうか?今は隣国の医療知識のあるフランシス様が診てくれている。隣国ではこういう症状を記憶喪失と呼ぶらしい。うちの国では物忘れの病、心が精霊の世界へ行った人とか呼ばれるかな。実際にそうなった人は見たことが無いけれど。ルミリエ嬢のこともだけれど、ノエルの様子がかなりまずいと思う。
「対策は万全のはずだったのに」
僕は唇を嚙み締めた。
「だったら、ルミリエのあの状態は何なのよ?!……っごめんなさいお兄様」
リンジーも不安で余裕が無いのだろう。無理もない。最近はルミリエ嬢と仲が良くていつも楽しそうにしている。少し勝気な双子の妹は静かに話を聞いてくれるルミリエ嬢と気が合うようだった。リンジーはとうに冷めてしまったお茶を一口飲んだ。
「いや、言われても仕方がない。まさかあのコレドがルミリエ嬢に危害を加えてくるとは……」
「ルミリエの中にあるノエル様への思いを消したかったんでしょ」
「え?まさかそこまで……」
あのコレドという男の執着から見て、再びルミリエ嬢に接触してくることは予想がついた。事前にノエルに相談されていた。ちょっとした魔術道具を使って屋敷の警備を強化させ、不法侵入してきたあの男を捕まえれば終わりのはずだった。薬を使うなんて一歩間違えばルミリエ嬢の命に係るようなことをするとは思わなかった。甘かったよ。
ノエルはマウティ商会とコレド・マウティという男について詳しく調査させていた。ネージュ伯爵家にありえない申し入れをした商人の息子。ルミリエ嬢を侮辱した。それだけで噴飯ものだけど、追及するには弱かった。何より、ネージュ伯爵は温厚な人物、というよりやや事なかれ主義の傾向がある人物だ。自分から訴え出ることはしなかった。大切な一人娘を馬鹿にされたというのに。
調べたところ、マウティ商会は諸外国から様々なものを仕入れていて、どれも目の付け所が良いのか売り上げが好調だった。治癒魔術師に診てもらえない病人や怪我人のための薬などは良心的な値段で売って人気のある商会だった。そこまでなら問題ない。しかし、一部の貴族にはどうやら通常の薬に紛れて「惚れ薬」のような怪しげな薬を高値で売りつけていたようだ。そして薬を買ったという事実を使って更にその貴族を脅して薬を買い続けるように仕向けていたのだ。
ノエルは商会を追い詰める捜査のために自分も城にしょっちゅう足を運んでいた。もうすぐに摘発することができる予定だった。まあ、その前にバカ息子がやらかしてくれたんだけど。
「そのくらい好きだったんでしょうね。分かるような気がするわ。私」
「え?もしかして、リンジーも誰かに……」
「最近読んだ恋愛物語にもあったもの。愛しい女性に自分を見てもらえないならいっそ……!っていう男の人が出てきたわ!その人って完全にお邪魔虫なんだけど切ないお話なのよねぇ」
「…………」
お兄ちゃんは焦って損したよ。僕は途中になっていた本に目を戻した。
「ところでお兄様は何をなさってるの?」
「ああ、これは隣国の書物だよ。フランシス様にお借りしたのと、うちの書庫にあった本も持ってきた。明日は王宮のベルナール様にお目通りを願い出てるんだ。王宮図書館への入館を許可してもらおうと思ってね」
「もしかしてルミリエの為の?」
「うん」
「!私も調べるわ!もう!先に言ってよね」
リンジーはテーブルに乗せた本を手に取った。
『……などと供述しており』
薄暗い狭い部屋で机に向かい合っている三人の男達がいる。一人は城の兵士隊の取調官で、もう一人は後から入室して来たその取調官の上司にあたる人物だ。そして最後の一人はコレド・マウティ。伯爵家の敷地に侵入して令嬢を拐おうとしたらしい。マウティ商会の一人息子だ。
「はい。今まではだんまりを決め込んでいましたが、父親の商会が違法薬物の取り扱いと貴族への脅迫を行っていたという疑いで摘発されることを伝えたところ、堰を切ったように話し始めました」
「うちの薬を摘発だと?親父何やってるんだよ!……くそっ!くそっ!サフィーリエか!」
ここでコレドは憎々しげに机を拳で叩いた。
「一体何があったんだよ。俺が薬の買い付けに行っていた間になんでルミリエが婚約してるんだよ?!
せっかく体に良さそうな薬も手に入れて来たのに!大体治癒魔術師なんて役に立たねえんだよ。高額だし、俺達の仕入れた薬の方がよっぽど効くんだ。安いものが多いしな。安全性?仕入れた国では問題なく使ってる!
サフィーリエ公爵家……その三男が何でルミリエに目をつけるんだ。今までルミリエの事なんざ知りもしなかっただろうに!俺の方がずっと長いこと見てきたのに!何で公爵家なんかが割り込んできやがるんだ!それにルミリエに何があったんだ?あんなに元気になっているなんて。いや、元気になるのは良いんだが……」
はあっと息をついて顔を覆うコレド。そのままその手で赤茶色の髪の毛をかきむしる。
「ノエル・サフィーリエ様とルミリエ・ネージュ様の婚約は正式な手続きを経て結ばれたものだ。どうあがいてもお前に入り込む余地は無いよ。聞いたところによると、政略による婚約ではなくお二人の仲も睦まじい」
取調官が無機質に説明する。
「ああ、だからさ、忘れてもらおうと思ったんだよ」
ここでコレドのヘイゼルの目に狂気が宿る。
「あの男のことも、貴族だってことも忘れてもらう。宝石なんかより花が似合う君に。もう一度まっさらなルミリエに戻して。俺のそばで元気に暮らせるようにしてやろうと思ってたのに」
「だからあの香水を送ったのか。残念だったな。あれはほとんど絨毯が吸ってしまったようだよ」
この男の企みは半分成功してしまっているが、それを教える必要は無いと二人の取調官達は考えた。
「ああ、そうかい。それならそれでもいいさ。どうせもうすべて終わりなんだから……」
目に光を無くしたコレドは力なく俯いた。この後も香水にかけられた魔術を消す方法をこの男から聞き出さなくてはならない。しかし最初の沈黙の時間が長く、長時間の取調べになったので一旦休憩を取ることになった。ため息をついた取調官達はペンを置くと書類を持って立ち上がり出て行った。だから彼らは気が付かない。コレドの口元に歪んだ笑みが浮かんでいたことに。
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