翡翠の涙
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「どうする?夏休みはまだ残ってるけど、またミソラ湖に戻る?それとも王都で菓子屋巡りでもする?」
魔人の事件も片が付いて、今日はサフィーリエ公爵家にお呼ばれしてる。魔人を封印した壺は数人の隊員さんに付き添われて隣の大陸にある魔術の研究機関へ送られたそう。
「うーん。お菓子屋さん巡りはローズちゃんが喜びそうだけど、ミソラ湖へ行きたいかな。せっかく行ったのにゆっくりできなかったし、あの大精霊さんに報告もしたいし」
「聞いた感じだと、その大精霊はかなり力があるみたいだ。たぶん報告しなくても「見てる」んじゃないかな」
ノエル君はしぶったけど、ノエル君と私はミソラ湖へ戻って古の神殿へ向かったんだ。ちなみにローズちゃんは白ちゃんと藍墨ちゃんを故郷の森へ送っていったから、きっと後から追って来ると思う。一応書置きも残しておいた。
神殿の屋根の上。翡翠色の大精霊が座って空を見てる。
「おお、来たかルミリエ。見ておったぞ。此度は大儀であったな」
翡翠色の大精霊はふわっと飛び上がり、私達のところへ降りてきた。長い翡翠色の髪が風に乗って踊っているみたいでとても綺麗だった。
「よくここにいるとわかったな」
「僕達を行く手を阻んだのは貴女なのではと考えたんです」
ノエル君が私の前に出た。
「…………」
あれ?ノエル君と大精霊が睨み合ってる。どうして?
「なるほど。お前は我が領域へ踏み込んだ痴れ者の仲間か」
「ちょっと待ってください大精霊様!どうしてそんなに怒ってるんですか?」
「痴れ者とは誰のことですか?」
「ふん。封印されていた魔人を解き放った愚か者のことだ。全く何年経とうが人間は碌なことをせぬ」
「魔人の件は確かに我々の落ち度です。そこは謝罪しましょう。申し訳ありません。ですが。そちらこそ、僕のルミリエを一つ間違えば帰ってこられないような場所へ攫ったそうですね」
「ノエル君?ノエル君まで!」
な、なんで喧嘩を始めちゃうの?
「攫ったとは人聞きが悪い。私は動けぬ故、招待したのだ。迷子にさせるようなヘマなどしない」
「どうしてルミリエを巻き込んだ?命じるのなら僕達でも良かったはずだ」
「人間は信用できない。それに……」
翡翠の大精霊はここで見下すようにノエル君を見て笑った。
「ルミリエ以外にあの魔人の件を任せられそうな者などいなかったからな」
「そこまでおっしゃるのなら、ご自分が動かれればよかったのでは?貴女はとても強い力を持っていらっしゃるのでしょう?何も我々人間に頼らずとも仲間をお助けになればよろしかったのでは?」
今度はノエル君が冷笑を浮かべた。
「私はここから、この地からは動けぬ。それがあの人との約束だから」
悲しそうな翡翠色の瞳が潤んだような気がした。翡翠色の大精霊にはかつて契約を交わしてずっと一緒にいる人がいた。私とローズちゃんみたいに。ここで待っててって言ったきりその人は帰ってこなかったそう。
「もう百年程になる」
「……残念ですが、その人はもう……」
ノエル君はそのまま口ごもった。
「わかっておる。人の寿命はあまりにも短い。でも約束したからな。ここで帰りを待つと。なれば私はここから動くことはできまいよ」
「そっか。翡翠ちゃんはその人が大好きだったんだね」
「翡翠ちゃん?なんだその呼び名は!」
あ、つい呼んじゃった。
「それに私は人間など好きじゃない!」
腕を組んでそっぽを向く翡翠ちゃん。見た目は小さい女の子だから可愛い。
「意地っ張りねぇ……」
「ローズちゃん!」
「ローズ、戻ってきたのか」
「ただいま!白たちの森を見てきたわ!ついでに近くの町もね!面白いものがいっぱいあったわよ」
なんだ、ローズちゃんは白ちゃんと藍墨ちゃんが心配でついていったんじゃなかったんだ。
「契約している割には自由な精霊だな……」
翡翠ちゃんは呆れたようにローズちゃんを見た。
「貴女は縛られすぎよ。……でも、もうわかってるんでしょう?」
「…………」
「翡翠ちゃんはずっと待っていたかったんだね」
帰ってこないその人を。ノエル君も沈痛な面持ちで翡翠ちゃんを見てる。
「だから!貴女もルミリエと契約しなさいよ!」
「へ?私?」
「な、なにを……」
「ローズ?どういうつもり?」
ローズちゃんの言葉にみんなで驚いた。
ローズちゃんが言うには別の人と新たに契約をしなおせば、前の人との契約は無効になるって事だった。そうすれば翡翠ちゃんは自由に動けるようになるって。
「そうなの?」
「たぶんね」
「そんないい加減な……。大体ルミリエはどうなる?体に負担がかかるんじゃないのか?」
「それは大丈夫よ。ルミリエの魔力はほぼ底なしだもの。後は貴女の心の問題よ」
ローズちゃんは翡翠ちゃんに向き直って胸に手を当てた。
「私の心か……。私は、私はもう充分待ったと思う」
翡翠ちゃんは晴れた遠くの空を見上げた。
「ルミリエ、頼めるか?」
少し震えながら小さな手を差し出す翡翠ちゃん。
「うん。翡翠ちゃんがそれでいいのなら」
私はそっとその手を握った。一瞬翡翠ちゃんの体が輝いてそして元に戻った。それだけだけど翡翠ちゃんの何かが変わったような気がした。翡翠ちゃんの瞳から一粒の涙がこぼれた。
「ありがとう、新たな我が主よ。私は何をすればいい?」
「今はなにも。自由になって。私が困ったら助けに来てね。私も翡翠ちゃんが困ったら助けに行くから」
「承知した!」
満面の笑みを浮かべ、瞳を閉じた翡翠ちゃんは飛び上がり、疾風となって空を走って行った。
「元気な精霊ねぇ」
ローズちゃんは嬉しそうにそれを見送っていた。
その日からしばらくの間ミソラ湖は強風が続いて、湖面が空を映すことは無かったんだ。
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