皇太子妃を交代する話
タイトルは親父ギャグではありません。
ざまぁがありますが、直接的なものではありません。
誤字脱字等はご指摘頂いて納得できたものだけ採用しています。
(大半採用です。ありがとうございます。)
2023年7月26日ジャンル別日間ランキング(恋愛) 1位になっていました。
多くの方が読んで頂き、ありがとうございます。
お茶会は離宮にある庭園の一つ、薔薇に囲まれたガゼボに用意された。
「ようこそ、マクニール伯爵令嬢。いえ、今日より皇太子妃ジャスティーナ様ですわね。
私のことはアーシェラとお呼びになって」
白い薔薇に囲まれた、花に劣らぬ佳人が立ち上がって出迎えてくれる。
夜会で見かけたことはあるけれど、今まではご挨拶も難しかった方だ。
アーシェラ様の後ろにいる侍女達が慣れた所作で、簡易的ながらも美しい礼をしてから再び仕事へと戻っていく。
慌てて私が礼をすれば、軽やかな笑い声を上げられた。
「お止めになって。私は今日をもって皇太子妃をお役御免となる身。
今の時点で皇太子妃であるジャスティーナ様が礼を執る必要もないし、ほら、後ろで貴女の侍女達も困っているわ」
言われて振り返れば、家から連れてきた侍女たちがまごついた様子で私を見ているだけで、今の状況にどうすればいいのかわからない様子だった。
主人として注意するべきなのだと口を開き、けれど白い薔薇で染めたかのような手が上げられて私を制する。
「このような状況で誰に礼を執るべきか、判断するのはとても難しいわ。
公的な場でもないのだから、今日は許して差し上げてもよろしいでしょう?」
そう言ってから席に着くようにと勧めてくださった。
私が座れば、生家では見られない美しい食器と磨き上げられたカトラリーが並べられ、温かな紅茶で満たされた揃いの柄のカップが音も無く置かれる。
伯爵令嬢であった私は相応に裕福であり、高い基準の生活を送っているのだとしても、それでも高位貴族や王族とは比べ物になるはずがない。
侍女だって領地のない名ばかりの男爵令嬢や王都にある商会の子女がせいぜいだけど、王宮ともなれば品性を問われるから私と同じような伯爵令嬢や婦人が侍女をしていることもある。
彼女たちを采配するというのはどれだけ緊張するのだろう。
私の目の前にいるアーシェラ様は気にした様子もなく、優雅な所作で扇を置いて私に微笑みかけた。
「改めてジャスティーナ様にはお喜び申し上げますわ。
皇太子殿下が真に望まれた妃として、末永く添い遂げられてくださいね」
「……アーシェラ様は、その、よろしかったのでしょうか」
私は彼女を蹴落とした人間なのだ。
今日のお茶会だって何を言われても仕方ないのだと、覚悟を決めて訪れたのに。
「私が皇太子殿下の御子を授からなかったのは、白い結婚を三年続けたからと聞いていらっしゃるはず。
それもこれも貴女を想い続けられた、皇太子殿下の一途な心があればこそ」
カップに落とされた砂糖は一つ。
「そこにどうして私が入り込めるでしょう」
アーシェラ様を見返せば、その瞳に怒りや妬みといった悪意はなかった。少しばかり凪いだ感情に何かが見えた気もしたが、私にはアーシェラ様の考えることなどわからない。
皇太子殿下の寵愛を一夜も受けぬまま、それでも賢妃としての座を築き上げ、今なおも多くの貴族から敬愛を受けていらっしゃる。
一部の貴族からは白い結婚など偽りで、アーシェラ様に子ができぬせいで皇太子妃の座を追われるのだと悪しざまに噂する人もいたが、毅然とした態度は変わらぬままに公務を務められている姿は崇高であると褒めたたえる人のなんと多いことか。
「皇太子妃になった以上、その責務を果たすだけ。
ただ、それだけですのに」
「それよりも今はジャスティーナ様のことですわ。
いまや国中で知らぬものはいないほど。恋愛劇も始まるとのことで楽しみね」
一体どこから漏れたのか。アーシェラ様の皇太子妃を辞する話も、皇太子殿下の一途な想いも、気づけば噂となって貴族の間だけではなく国中へと広がっていた。
誰もが恋愛小説のような結末を歓迎し、アーシェラ様を悲恋へと向かわせた悪辣な令嬢だと口にする。
王都では今回の件を題材にした歌劇も催されるらしい。
あまりにも都合の良い話の流れに、一部の貴族、特にアーシェラ様の生家であるグラインディ公爵家の派閥の方々は、私の生家が悪意を持って噂を流したのだと思われているのかもしれない。
不安から視線を周囲へと向ければ咲き誇る薔薇が目に入った。
「素敵なお庭ですね」
「本当に。前王妃が皇太子妃時代に愛したとされる薔薇なのよ。
陛下のご希望で、この辺りは昔の面影が残るように整えるだけにしているだけ。
でも陛下も思い出をここに残すのを止められるそうだから、庭師と相談してジャスティーナ様のお好きな花を植えられるとよいと仰っていたわ」
「まあ、ありがたい話です」
陛下がそのように言ってくれたなんて。
義父となった国王陛下とは数度顔を合わせても、儀礼的な挨拶をした程度だけ。
早くにご成婚されたことから、成人された皇太子殿下がいらっしゃるのに若々しい方だった。
これから公務などでお会いすることができると思うけれど、皇太子殿下がお叱りを受けたと聞いているだけに、気に入られていないのではと心配していたのは杞憂だったよう。
アーシェラ様には薔薇が似合うが、私はもっと静かな花がいい。
皇太子殿下も野花を愛おしむ私が良いのだと褒めてくださったのだから、好きな花を選ばせてもらいましょう。
そうね、皇太子殿下との出会いとなった小さな青い花がいいわ。
後で花の名前を確認できるといいのだけど。
「私の荷物は既に撤去させたし、ジャスティーナ様が使われる家具は皇太子殿下がお決めになりました。
気に入らなければ予算内で自由に変更されて構わないでしょうから、後で皇太子殿下と一緒に相談されるといいわ」
「そんな、そこまでして頂けるなんて畏れ多いことです」
「何を言っているの。貴女は皇太子妃になるのですよ。
畏れ多いだなんて言っては駄目よ」
アーシェラ様は笑みを絶やさぬまま、器用に眉だけを少し下げて私を見る。
「私に臆さず、しっかりなさって。今日から離宮の主は貴女なのだから」
そう言われて自然と居住まいを正した。
私はアーシェラ様のようにはなれないけれど、それでも皇太子妃として皇太子殿下の横に立つのだ。
しっかりしないといけない。
「これからアーシェラ様はどうされるのですか?」
「ジャスティーナ様が気にされることはありませんが、そうね、王家の内情を多く知る私を手放すのは難しいでしょう?
お年が随分と離れていらっしゃる方ですが、ご縁を頂いて嫁ぐことになりましたの」
「そんな……」
自分が何かを言う権利があるとは思ってなどいません。
それでもアーシェラ様が道具のように次へと宛てがわれるのは、同じ女の身として心が痛みます。
「皇太子妃として嫁いだ時から、私の身は国に捧げると決めていましたから。
ジャスティーナ様に同情されるものではないのですよ」
悲しみに暮れることもなく、変わらぬ笑顔でアーシェラ様が笑う。
このように強い心を私は持てるのかしら。
ああ、でもきっと、皇太子殿下とならば支え合って生きていけるはず。
ずっと私に誠実でいてくださった皇太子殿下のために、伯爵令嬢であった私から変わらないといけないのでしょうね。
皇太子妃として礼儀を学び直して、それからドレスも相応しいものに替えないと。
できればアーシェラ様からアドバイスを頂けるといいのだけど。
アーシェラ様がどなたに嫁ぐとしても、恥ずかしくて暫く社交場にはお顔を出すことなんてできないと思う。
ならば、塞ぎ込んだりなさらないようにお呼びできないか、日を改めて皇太子殿下に相談してみましょう。
きっと良い考えだと褒めて頂けるに違いないわ。
「ジャスティーナ様」
不意な言葉に目を瞬かせ、目前のアーシェラ様へと視線を向けた。
すぐに曖昧だった輪郭が形となって、美しい白薔薇の妖精のようなアーシェラ様が私の前に現れる。
「ここのところ忙しかったでしょうから、お疲れだったかしら」
どうやら思いのほか考え事に耽ってしまっていたみたい。
「ジャスティーナ様のためにと、美味しいお菓子を用意してもらったの。
よろしかったら食べてみてちょうだい」
毒なんて入っていないわ、と手近な焼き菓子を手にして、私にウィンクをしてから口に運ぶ。
「皇太子殿下がジャスティーナ様を見初めたのは、確か学園に通って3年目でしたわね」
アーシェラ様がたおやかな仕草でカップを手にした。
「そう聞いています」
長く皇太子妃教育を受けていたのだとわかる完璧なマナーに、私も同じように手を伸ばしてカップを手にしたがアーシェラ様の所作に比べると明らかに粗雑な印象を与えるだろうと落胆する。
皇太子殿下に嫁いでからとなったが、明日から皇太子妃教育を始めることになっている。
暫くは皇太子殿下と侍従の方が公務の一切を引き受けてくださるが、ある程度したら私も公務に関わることになる。
皇太子殿下のことを諦めてお嫁にいくだけだと思っていたから、領地経営の簡単な知識や自領の特産物ぐらいしか知らない。
これが国という規模になったら、どれだけの知識を修めないといけないのだろう。
そうだ、アーシェラ様をお呼び出来るのならば、公務についても教えてもらうのはどうかしら。
皇太子妃教育もアーシェラ様から教われば、きっと学ぶ辛さを知っているから親身になってくれるでしょう。
それにアーシェラ様を行儀の先生にしたら、公爵家の後ろ盾が変わらないままと思われるかもしれない。
自分の思い付きに顔が綻びそうになる。
「ジャスティーナ様?」
「あ、すみません。聞いています」
「私が学園に通っていた頃には皇太子妃としての教育があったので皇太子殿下とあまり会うこともなかったのですが、よほど学園が楽しかったのでしょう。
あの頃の皇太子殿下は少しばかりの自由を楽しみたいと、公務を侍従に押し付けていたのだけは困りましたけれど」
今はそういうことは無くなりましたが、とアーシェラ様の眉が僅かに下げられて困ったといったように笑う。
「互いになかなかに多忙だからとお会いできませんでしたが、それでも公務だからと参加を決められていた留学生の方々とのお茶会をお忘れになっていたのはどうしようかと思ったものだわ」
「そうだったのですか。
きっと大切な用事があったのではないでしょうか」
学園にいた頃、そういった風には見えなかったわ。どんなことでも私との約束はお忘れにならなかったし、スケジュールの管理もきちんとされていたのに。
「約束していたお茶会の日というのが、ジャスティーナ様の16歳のお誕生日でしたのですけどね」
思わず息を呑んだ。
目の前の佳人は変わらず困ったと言わんばかりに笑っている。
笑っている、はず。
アーシェラ様はずっと笑ってくれている。
あの柔らかな弧を描く唇に、少しばかり細められた眦の縁に、一体どんな感情を隠していたのだろうか。
「私が何も知らないと思ったの?」
謳うように囁く声。
後ろの侍女たちは主の言葉に反応せず、粛々と控えていて、逆にそれが彼女達も知っているのだと理解した。
「誕生日の贈り物はサファイアのネックレスとイヤリングでしょう?」
「どうして」
彼女の白い指がカップの縁をなぞる。
「貴女への贈り物は皇太子殿下の予算が使われています。
その目録がきちんと正しく記されるとわかっているならば、婚約者への贈り物とするのが一番誤魔化しやすいでしょう」
「曖昧な理由で公務を欠席されたのですから、王家としても裏は取ります。
購入された日と公務の予定日、それから贈り物の中身を確認すればわかる話ですのに」
困った方ねと微笑みを浮かべたままのアーシェラ様が、得体の知れない何か別の物に感じてしまう。
私の顔に出ていたのだろうか、少しだけ真顔で見つめた後に小さな笑い声をあげる。
「本当に気にしていないのよ。
ただ、もう少し注意深くなったほうがいいと思うわ」
「アーシェラ」
不意にかけられた声に王宮の侍女達は素早く頭を下げる。
ゆるりと後ろへと振り返ったアーシェラ様が立ち上がり、最高礼で出迎えた方。
「陛下」
国王陛下がいらっしゃった。
私も急いで立ち上がり、アーシェラ様と同じように礼をする。
陛下はゆっくりと歩み寄ると、アーシェラ様の名前だけを今一度呼ぶ。
横で微かな衣擦れの音がして、アーシェラ様が顔を上げたのだとわかったが、私はまだ顔を上げることが許されない。
「そろそろお茶会が終わると聞いてな。手続きも完了したと報告もあった。
そなたを送ろうと寄ったのだが、まだであったか」
「いえ、ちょうど終わるところでございました。
陛下のお気遣い、感謝いたします」
視界の端でアーシェラ様の金糸で刺繍されたスカートが、波が引くように姿を消し始めている。
私はまだ顔を上げられない。
離宮の主は私なのに。今日から私なのに。
屈辱に皇太子殿下の色をしたスカートを強く握りしめたけれど、視線すら感じなかった。
「ジャスティーナ様、最後に一つ教えて差し上げましょう」
アーシェラ様からお声が掛かる。
それでも言葉を返すことは許されない。
「私が子を生せるのか、検査したことがあるのよ。
……結果は問題なかったわ」
どうしてアーシェラ様は検査をしたのでしょう。
白い結婚だから、そんなことをする必要ないのに。
いえ、自身の体に問題が無く、運が悪かったと言うためでしょうか。
けれど、やはり必要ないはず。
だって皇太子殿下とアーシェラ様は夜に通われぬ、真実「白い結婚」なのだから。
「これから進む貴女の生活は花々に囲まれた美しい離宮の主らしい、華やかな生活かしら」
どうか、と続けるアーシェラ様の声色は変わることが無く、初めて私はこの方を恐ろしいと感じた。
「茨の道を歩かぬよう、精進して頂戴。
退去の時間ですので私は失礼します。またお会いしましょう」
アーシェラ様は先程と変わらない笑みを浮かべているでしょう。
「これだけ対外的に美談を流したもの。もう皇太子殿下は貴女と離縁などできないし、側室を持てば反感を持たれるでしょう。
ジャスティーナ様と早く子を成さないと大変だわ」
アーシェラ様が皇太子妃を追われた理由は『子供ができなかったこと』。
大丈夫、皇太子殿下に愛されている私ならば大丈夫。
「ああ、でも無理はさせないでくださいね。
皇太子殿下は幼少の頃によく熱を出されていたから。今でも無理をされると体調を崩しがち。
気をつけて差し上げて」
検査、子ども、熱。
何かわからない不安が足元で種を撒き、芽吹いた蔓が足元に絡みつく。
皇太子殿下は白い結婚だった。
アーシェラ様は検査をしていて問題なかった。
そして私は少しでも早く子を産まなければならない。
──できるのならば。
陛下とアーシェラ様が立ち去っても、離宮でただただ立ち尽くした。
*******************
「陛下、よろしいのですか」
「構わん。お前の献身を蔑ろにしたのだ。
派閥や後ろ盾の云々はさておき、あれは人にも国にも不誠実であり続けたのだから許されることではない」
アーシェラが離宮を離れて向かうのは、王宮の中だ。
最も尊き身が住まう傍、そこにアーシェラの為の新しい居が調えられている。
「私がお前に求めるのは、立場を理解し国に尽くす、王族としての役割を全うすることだ。
王妃として臣民をよく導き、私を支えること」
皇太子妃の交代劇という華々しいスキャンダルに眩む人々が気づかないうちに、既に皇太子との離縁、そして新しい婚姻は王と為されている。
「手続きが終わった後で泣き言を聞く気はないが、お前はやれるな?」
開けられた扉を前に掛けられた言葉には、アーシェラへの労りなどない。
「もちろんでございます。
この身をもって証明いたしましょう」
既に立場は王妃である。
先程とは違い、王に最高礼が必要なのは儀礼的な理由でのみとなった。
臆することなく対峙するアーシェラを見、満足そうに王は笑う。
王妃を亡くしてから長らくお一人でいた陛下を誰より支えたのはアーシェラの父であったし、それを知っていたアーシェラも幼い頃から王を支える臣民であることを強く意識して学んでいた。
ゆえに熱に侵されやすく生殖機能の弱いと思われる皇太子にアーシェラを嫁がすのは、その才能ゆえに勿体無いとしていたが、ここにきての役割交代だ。
きっと王妃として存分に才を振るい、そして新しい世継ぎも生まれるに違いない。
既にアーシェラは王のために側室の準備だってしている。
そこらの泣いて待ち続けている小娘とは覚悟が違うのだ。
アーシェラの立場が発表されるのは噂話が落ち着いた頃としている。
人の噂も七十五日、新たな発表に人々は皇太子の純愛など忘れてしまうことだろう。
差し出された手を取り、王とアーシェラの姿は扉の奥へと消えていった。
2023/7/27 誤字報告ありがとうございます。チェックしてくれる方のおかげで誤字が減っています。