初恋は思い出に変えて
アエロに乗ったまま、少しの間ユベールと見つめ合った。
心が激しくユベールのそばに行きたいと叫んだ気がした。
(でも私は……)
リアナは下唇を強く噛んでその瞳から視線をそらした。
(あなたとは、住む世界が違い過ぎる……。
このきらびやかな世界は、もう私の戻る場所じゃない)
一刻も早くその場から去りたかった。
逃げるように飛び去ると、庭園におりて座り込んだ。
明るすぎる月が早く雲に隠れてくれないかとリアナは望んだ。
心が強く揺れ動く瞬間がある。
長い時間ではなく、ほんの一瞬。
熱くせつない衝動で、走り出してしまいそうだった自分を今夜はなんとか止めることが出来た。
でも次はわからない。
(早くガタルンドへ帰ろう。あの人がいない国へ)
衣裳部屋へ忍び込み服を取り戻すと、ぶら下がっているドレスの裏で着替えをした。
そこへ部屋に入ってくる数名の足音がして、まだ脱いでいる途中だったがその場に身をかがめた。
(ドレスを動かされたら気づかれる。
悪いことをしている訳じゃないけど……恥ずかしくて出て行けない)
「もうじきユベール様の婚約者選びね」
「ええ、楽しみ!。ユベール様がもう20歳か、あっという間」
「忙しくなるのに楽しみだなんて。
大きな集まりの時には必ず衣裳部屋がてんてこ舞いになるのよね。
破れた衣装を繕ったり、きついからすぐ手直ししてくれとか、本当にいろいろな問題が起こるわ」
「確かにそうだけど。たくさんのドレスを見られるのは毎回胸が躍るわ」
「まあ、私たちは見るだけで着ることはないけどねぇ」
「アハハハハ」
(ユベール様の……婚約者選び。
20歳を迎えられるなら妃を選ぶのは自然なこと……。
わかっているけど……胸が……痛い。
知らない間に他のどなたかと幸せになっていてくれればそれで良かった。
いつかそのことを知ったとき、未練がましい私の心を簡単につぶすことができるから。
でも今は聞きたくなかった)
涙が一筋ながれて、話をしていた人たちが去ったあとも、着替えるはずの服を抱えたまましばらく動くことができなかった。
(バカみたい……私。 しっかりしなくちゃ)
小さくうなずいたリアナは、急いで着替えると借りた衣装を畳んでその場に置いて部屋を出た。
(マルベスの丘に行きたい。あの方に出会ったのも再会したのもあの場所……)
アエロに乗り、夜のマルベスの丘を低空で飛んだ。
星空が美しいはずなのに、風が心地良いはずなのに、乾いた心には何も響かなかった。
見守りの木のそばで、この国からもあの人からも離れる決心をした。
(将来デイビッドがここに戻る時が来たら、私は他の国で暮らそう。
私たち家族の場所はデイビッドが守ってくれればいい。
私は時折この地を訪れて、新しい空想じゃなくて思い出を探そう。
ユベール様への気持ちはきっと……初恋と呼ばれるもの。
この気持ちを今、思い出に変える)
リアナは、デイビッドがエリトバ領主として独り立ちできるまで、一緒にガタルンドで暮らすつもりだ。
身分が回復した今故郷に脅威はないが、自分の近くにおいてできることをしてあげたかった。
デイビッドもまた、自分からは離れたくないはずだとリアナは思っていた。
それまではクーバスの好意に甘えさせてもらい、領主としての務めや管理をお願いするつもりだった。
ホメロスのライリから伝達があり、捕まえた者の詳細は帰国してから話すとのことだった。
驚いたのはホメロスのライリに羽が生えていること。
(噂は聞いていたけど、本物を見るのは始めてね。レアなライリ……ちょっとうらやましい。
そういえば私のライリは戻ってこないけど。私が動き過ぎてしまったせいかしら?)
珍しいライリを見たおかげで、深く沈んでしまった心が少しだけ元気を取り戻した気がした。
ライリは魔力を食べ念を推し量ると言われている。
人間と共生できる数少ない魔獣だが、1つ命令をきくたびに魔力を吸い取る。
伝言を伝えるには、相手がライリを持っていることが大前提だ。
伝言の相手を間違えないのは言葉を理解しているのではなく飼い主の念を推し量り相手を見定める。
距離が離れすぎていたり相手の生存が確認できない場合は走り出さない。
以前モニカが言ったように伝達係としてはとても優秀な魔獣だった。
クーバスの別荘に戻ると。
リアナのライリが木の実をほおばっていた。
「ライリ……あなたはなぜ主人のもとに戻らない!」
くるっとこちらを見たが、まだ口をもぐもぐと動かしていた。
(この子はレアにはなれないわね……)
「ちょっと自我が強いライリのようだね。
珍しいが、私の知り合いもそんなライリで困っていた人がいたよ。
まあ、子育てと同じようなものかね」
(子育てか……そういえばクーバス様のお子さんって)
「あの、ここは別荘ですが、邸宅にお帰りにならなくて大丈夫なのですか?」
「ああ、あちらには息子夫婦とその子供たちがいるから何の問題もないよ」
「そうでしたか、私たちのためにありがとうございます」
「そんなことは言わないでくれ。
ここにいたくてそうしているんだ。
君たちといると楽しいし、若返った気がするよ。
それはそうと、デイビッド、話してごらん」
クーバスがデイビッドに向かってそう促した。
「はい、クーバス様。
姉さま……僕はここに住みたいです。
父様と母様のそばにいたいんだ」
突然のデイビッドの申し出に力が抜けたリアナはそばの椅子に座りこみ返す言葉がみつからなかった。
デイビッドがリアナから離れる選択をしたことがショックだった。
「リアナ、私は構わないよ。むしろありがたいくらいだ。
正直言うと息子夫婦のところで平和すぎる毎日を送るよりも、ダスカルのかわりにデイビッドにいろいろなことを教えて、その成長を見届けたいんだ。
久しぶりにやる気と元気がわいてね。
君が許してくれるならここで2人で暮らしていきたいが……どうだろうか?」
わがままや自分の気持ちを言わないデイビッドが今までふびんでならなかった。
そのデイビッドの希望を、今かなえてやるべきなのだろうとリアナは思った。
(今までのように私には会えないけれど、それよりもここにいることをデイビッドは望んだ。
生きていく方向を探しながら自分の足で進んで行こうとしている。
離れる決心ができずにいたのは私の方だった。
もう、手を放してあげなきゃいけない)
「わかったわ、デイビッド。クーバス様、弟をよろしくお願いします」
「こちらこそ、認めてくれてありがとう。ホッホ、楽しくなるねー」
「ありがとう姉さま……。そしてごめんなさい」
「いいのよ」
リアナはデイビッドの手を両手で包むように握った。
(この手は当分握れなくなってしまう……)
その日の深夜、寝ているデイビッドにキスをしてクーバスにはお礼の手紙を残し、リアナはエンリッツを出国した。
手放したものが2つあった。
そしてどちらのことでも心に隙間ができた。
その隙間を埋めるために、早く次の仕事がしたかった。




