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第01話「召喚士、召喚される。」

 指先に銀のナイフを突き刺すと、鉄の匂いが鼻先をくすぐった。

 ピリリと電流のような痛みが走り、真っ赤な血が流れ出す。


「大丈夫、だよね」


 不安が胸をよぎるけれど、きっと大丈夫だと言い聞かせる。

 ぎゅっと胸元のエンブレムを握りしめる。

 学院アカデミーの召喚魔法科を卒業した証。私にはそれを認められるだけの力があるという、確かな証明。


「――よし」


 床に描いた召喚陣を見下ろす。

 白いチョークで描かれた二重の円の中には五芒星。その頂点には聖杯代わりの銀のコップ、ナイフ、星屑の石、教会で祝福を受けた銀の鎖。

 空いていた最後の頂点に、自分の血を垂らす。

 これで準備はできた。

 学院を卒業してから初めての、最初から最後まで一人で行う召喚だ。

 気を引き締めて、私は床に置いていた魔導書を開き、腰のベルトに下げていた鍵束から一本を掴む。


「世界を穿つ表裏反転の門」


 薄く瞼を閉じて、精神を統一させる。

 大切なのは凪のように穏やかな心。

 意識を保ち、淀みなく体中の魔力を巡らせる。

 詠唱に応じて、召喚陣が活性化する。外側の円がぼんやりとした燐光を放ち始める。


「我を護りし厚壁の盾」


 体内の魔力回路が召喚陣と結合される。

 世界が回転するような奇妙な感覚。

 詠唱が進み、内側の円も光り始める。

 次元の壁が薄らぐ。空気が揺らぎ、全ての境界が曖昧になる。


「邪悪なる者、呪われし牙を折り、赤玉の眼を潰し、顕現せしめ頭を垂れよ」


 人間界の裏に存在する魔界、そこへ通ずる“門”を開き、その先から強力な悪魔を召喚して契約を結ぶのが召喚術だ。

 悪魔は人間よりも遙かに強い存在だから、召喚陣の護りが無ければ術者は危機的な状況に陥ってしまう。


「血の盟約、星の宣誓、魔銀の鎖――」


 五芒星がじんわりと光を帯びる。


「黄金の杯に剣を掛けよ」


 場の魔力が励起する。

 順調だ。

 知らず知らず、口元が緩む。

 けれど油断してはいけない。これから呼び出すのは、召喚陣の障壁がなければすぐにでも私を殺せる存在なのだ。

 けれど、だからこそ。それを支配できる召喚士は絶大な力を持つことができる。

 詠唱はあと一言だけ。

 目を見開き、高らかに宣言する。


「忠誠により我が意に従え。――悪魔の鍵、ゴエティア!」


 召喚陣の真上に光の門が現れる。

 その鍵穴に、手に持った鍵を差し込み――

 突如として光が爆発する。

 バキバキと床が砕ける。

 力強い魔力の奔流に、私は思わず顔を腕で覆う。


「こんな、強かったっけ!?」


 学園の実習でやったときは、こんな衝撃波は感じなかった。

 何かがおかしい。

 ぐらぐらと柱が揺れる。

 お腹の底を揺らすような地鳴りに、私は思わず膝をつく。


「あ、あれ?」


 開きかけた門が崩れ、部屋の壁に亀裂が走る。

 ごうごうと暴風が吹き荒れる。

 おかしいおかしい。これは絶対に何かがおかしい。

 失敗した? どこを? 完璧だったはずなのに。

 召喚陣を見る。

 光は眩しく、直視しすぎれば目が焼けそうだ。

 円は二重。門を表すものと、盾を表すもの。五芒星も正確だし、触媒も五つ揃っている。

 あとは……。


「楔! 忘れてた!」


 円と円の間にあるはずの十字の図形が見当たらない。

 楔を表すそれは、不安定になる次元の狭間を固定して安定させるためには必要不可欠なもの。

 召喚術を学ぶ時、まず最初に教わるマークだ。


「や、やっちゃった!」


 初歩的なミス。

 初心者でもやらないような、絶望的なミス。

 後悔の念と共に、16年の思い出が脳裏を駆け巡る。

 けれどそんなことをしている場合じゃない。これを止める方法は、何か何か何か……。


「そうだ、陣を消せば!」


 門を表す外側の円を消せば、少しだけでも繋がらないように消してしまえば“門”は閉じる。

 そうしたらきっと召喚陣も効力を失うはず。


「ぐっ……くっ――」


 吹きすさぶ風の中、ぎゅっと魔導書を抱えて進む。

 四つん這いで、ゆっくり。

 あと少しで指先が届く。

 その時だった。


『ォァァ』


 微かな声が風に混じって耳に届く。

 地の底から響くような、怨嗟と憤怒に塗れた声。

 それと同時に、召喚陣の中央が開く。

 次元にぽっかりと穴が開いた。

 こちら側とむこう側が重なった。


「やばっ」


 手を伸ばす。

 早く消さないと。

 出てきてしまう。

 手を伸ばす。手を伸ばす。手を伸ばし――


「ひっ」


 大きな手が私の腕を掴んだ。

 灰色の、太い丸太のような腕だ。

 腕がねじ切れそうな激痛が走る。


「あっはっ、ああああっ!!!」

『ォァァアアアアアアッ!!!』


 獣のような咆哮が空気を揺らす。

 ずぶり、と床を溶かしてそれが現れた。

 出てきたのは上半身だけだ。

 山羊のような金色の眼がこちらを見ている。

 太い巻き角と、分厚い筋肉に覆われた灰褐色の体。悪魔。それも、きっと、上級悪魔。私なんて、絶対に敵わない存在。

 それは、こちらを見て笑みを浮かべた。


「いや、いや、嫌ぁっ!」


 羞恥心などなかった。

 私は子供のように泣き叫ぶ。

 後ろへ下がろうと足をばたつかせるけど、手をがっちりと掴まれて動けない。

 それどころか、じりじりと私は床を滑り、開いた“門”へと近づいていた。


「行きたくない。許して。私、死にたくない!」


 腕の力は強く、私は抵抗も許されない。

 着実に近づく終焉に、涙が止めどなく溢れる。

 いくら泣き叫んでも、その悪魔は聞かなかった。

 それどころか、私の悲鳴を楽しみたいのか、ゆっくりとゆっくりと、壊れないように。


「たす、け……」


 ずぼりと腕の先が何かに突っ込まれる。

 ずぼずぼと中へ入っていく。

 光り輝く“門”の先へと、私は引きずり込まれた。

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