③「トイレの花子さん」
事を終えた二人は、先ほどのベンチに並んで座っていた。両者とも顔が赤い。
公園にいた人々は、戻ってきた犬塚が「見せもんじゃないのよっ!」と一喝すると、蜘蛛の子を散らしたように去っていった。
おっかない女である。
「……で、なんであんなことしたんだ?」
ぽつりと猿田は、前を向いたまま問いかけた。
彼は放心していた。
大切なものを散らされたような顔である。
「だからそれは――」
犬塚が説明しようとすると、二人の背後の茂みから、がさと音がした。
「私が説明しましょう! 犬塚さんは口下手ですから」
振り返ると瓜園が立っていた。
「な、咲芽!? なんであんたがここにいるのよっ?」
「ふふふー。犬塚さんと猿田さんのチュー、ばっちり見させてもらいましたよ。いやー、眼福でしたね」
「だから見せもんじゃないって言ってるでしょーっ!」
犬塚は瓜園の胸倉を掴んでゆすった。
「にしてもまったく、犬塚さんは相変わらず説明が下手くそすぎでしたね。まぁそんなところも可愛くって、ニヤニヤが止まりませんでしたが……でゅふふ」
瓜園は恍惚とした表情を浮かべて、なすがままに揺さぶられていた。
「で、いったいなんだったんですか? 犬塚はパートナーとか言ってましたけど」
問うと、瓜園は犬塚の手を掴んでやめさせ、猿田に向き直った。
「パートナーというのは、猿田さんを犬塚さんの異能の対象にするということです。彼女がその身に宿した異能は『阿吽の法・吽形』と言います。犬塚さんは狛犬の妖怪、と言ったところですかね」
「『阿吽の法・吽形』……? 名前からじゃ、全然どんな異能かわかりませんね」
「異能の分類でいうと、強化系統になりますかね。少し変則的ではありますが」
「強化系統……妖力の強化、ですか?」
「そうです。まぁ有名どころだと鬼の妖怪とかがそうですね。でも犬塚さんの場合は少し特殊で、パートナーの妖力に比例して、三分間だけ、妖力の出力と総量が大幅に強化されます。ま、三分だけなので、使いどころが肝心な能力ですね」
「なるほど……シンプルに強力ですね」
妖力には出力と総量という概念が存在する。
猿田が好きなゲームに例えるならば、出力は攻撃力と防御力を兼ねるステータス、総量はHPとMPを兼ねるステータス、といったところである。
「だから猿田さんをスカウトしたんです。あなたは【上級】の妖怪。大きな妖力を秘めてますから。私みたいなへっぽこだと、そもそもパートナーにすらなれないんですよ。犬塚さんの素の妖力より高い妖力の持ち主であることが、パートナーの絶対条件ですから」
「で、そのパートナーとやらになる為に、キスしたってわけですか」
「そういうことです。これを『阿吽の契り』を結ぶと言います」
瓜園は悪戯っぽく指を立てて言った。
「それなら、最初からそうやって説明してくれれば良かったじゃないですか……。順序立てて言ってくれれば、俺だってもうちょっと素直に応じましたよ」
猿田は抗議の視線を送った。
「それも……そうね」
犬塚もハッとしたような顔をしていた。
しかし瓜園はゆっくりと首を振った。
「ダメですよ。そんな業務的なものがキスと言えますか」
瓜園はかつてないほど大人っぽい表情をして、眩しいものを見るように目を細めた。
それから口元に意地悪な笑みを浮かべる。
「それに、犬塚さんの狼狽えるさまも見たかったですし」
「私は咲芽の玩具じゃないのよーっ!」
犬塚は瓜園に噛みついた。比喩ではなく。
がぶがぶとやられながら、瓜園はパンと一つ手を叩いた。
「さて、それじゃあ無事に『阿吽の契り』を結んだということで、逢魔が時まで残り三〇分くらいですし、我々『大天狗組』の作戦本部に移動しますか!」
「大天狗組? ……作戦本部??」
猿田は首を傾げた。
〇
「天・身っ!」
猿田は公衆便所の個室トイレにこもって、踏ん張るようにして『妖化の言霊』を叫んだ。赤い燐光を身に纏い、人の身から妖へと変化する。
作戦本部に移動とやらをするには、妖怪になる必要があるとのことだったので、男女で別れてトイレに入り、人の目を忍んで変化することになったのである。
猿田、犬塚、瓜園はそれぞれ妖怪への変化を終えて、公衆便所の前で合流した。
「それでは猿田さん、私たちについて来てください」
そう言って、瓜園と犬塚は女子トイレに入っていった。
「ちょっとちょっと!」
猿田は慌てて呼び止める。
「む、なんですか?」
「人を犯罪者にしたいんですか!? 妖怪に化けて女子トイレに入るとか! そりゃあ俺だって、妖怪に化けて女風呂とか女子トイレに行けば、気づかれずに覗きたい放題なのでは? って考えたことはありますけど、さすがに実行はしなかったですよ?」
「さいってー」
犬塚、ドン引きである。
「大丈夫ですよ。中には誰もいませんから。ささ、早く早く」
急かされ、猿田は渋々と女子トイレに足を踏み入れた。瓜園は右から三番目の扉の前に立って、携帯電話を懐から取り出して発信する。
「花子さん。それでは現在の地点に繋いでください」
「ほいさっさー」
携帯からは妙に陽気な女性の声が漏れ聞こえてきた。
短いやり取りだけで通話を終えると、瓜園は目の前の扉をコンコンコンと三回ノックしてから開けた。とは言っても、それはあくまでも妖怪のレイヤーに存在する扉なので、現実世界の半透明の扉は、依然閉まった状態でその場にうっすら見えている。
瓜園と犬塚は何食わぬ顔をして、連れ立って個室の中に入っていった。
猿田の立っている位置からでは、個室の中は死角になっている。
なぜあんな狭いところに二人で入っていったのかと訝しんでいると、瓜園がひょこと首だけ出して呼びかけた。
「おーい。何ぼさっと突っ立ってるんですか? 猿田さんも早く来てくださいよ!」
「早く来てくれって――」
女子トイレの奥に歩を進めた猿田は、個室トイレの先に見えた風景に思わず言葉を失った。
トイレの中にはコンクリート打ちっぱなしの部屋が広がっていたのである。
猿田は狐につままれたような顔で個室トイレの中へと足を踏み入れた。
「ここは……?」
「南麻布にあるデザイナーズマンションで、花子さんのお家兼、我々の作戦本部ですよ」
瓜園は扉を閉めながら答えた。
そこは洗練された空間であった。二〇畳はあろうかという広い部屋で、ソファーや本棚、ベッドなどの家具全てが、モノクロで統一されている。壁の一面には巨大なスクリーンが提げられており、プロジェクターで桃郷の世田谷区付近の地図が投影されていた。
部屋の真ん中には猿田と同い年くらいの少女が、ワインレッドの学校ジャージを着て立っていた。サイズが合っておらず、胸の大きさがやたらと強調されている。
実にけしからん。猿田は率直にそう思った。
つい胸に目が行ったが、容姿も麗しい。くりくりと大きな瞳が活発そうな印象を与えている。
「ようこそ大天狗組作戦本部へ。あんたが光太郎さんの息子っちゅー話の正太郎君やな? うちは花山奈子、一六歳や! 同い年やし、ため口でええで! 大天狗組のテレポーターを務めとる。気軽に花子さんとでも呼んでくれたらええわ。よろしゅうな」
花山が差し出した手を取りながら、猿田は問う。
「テレポーター?」
「せや。鎮守官の人間を、現場の近くへ迅速に送り届けるんが、うちらテレポーターの役目や。各組に一人ずつおる裏方さんやな。うちの異能は【便所網】。聞いて驚くなかれ、トイレの個室と個室を自在に繋ぐ能力や!」
花山はえっへんと胸をそらす。大きめの胸がたゆんと揺れた。
「驚いた……本当にトイレの花子さんみたいな異能なんだな」
「ま、せやな。それが元ネタやから。うちは後天的に妖怪になった人間なんや。だから異能が先にあって怪談ができたんやなくて、怪談が先にあってそれが原因で異能に目覚めたっちゅーか、まぁ、そんな感じや」
花山は誤魔化す様に笑った。
この世には先天的に妖怪としての力を宿して産まれるものと、後天的に妖怪としての力に覚醒するものの二種類が存在する。後天的に妖怪として覚醒する条件は未だ正確に明らかになっていないが、黒谷紅駿の『幻想器官』においては、強烈な感情の昂りがトリガーとなるのではないか、という推論が展開されていた。
どういう経緯で妖怪として覚醒したのか多少気にはなったが、猿田は聞かなかった。
聞かざる。それが猿田の習性である。
「でも、トイレの個室と個室を繋ぐって言ったけど、ここってトイレじゃないんじゃ?」
猿田は周囲を見渡す。
どう見てもオシャレなデザイナーズマンションの一室である。
「あれを見てみぃ!」
花山は自慢げに部屋の角を指差した。
するとそこには、ユニットバスと洋式トイレが、何の仕切りもなく剥き出しで置かれていた。ピカピカに磨かれた便器は、照明を反射して白く美しい輝きを放っており、まるでインテリアか現代美術のように堂々とした佇まいでそこにいた。
「あ、トイレだ」
あまりに威風堂々としているため、猿田はそこに便器があるということにすぐには気づけなかった。言われて初めて、部屋に便器が立ち現れたような感覚だった。
「世の中には頭のおかしい部屋っちゅーもんがあるんやな。この部屋はなんと、トイレや風呂に仕切りがないんや。それってもう、この部屋全体が、おっきな個室トイレってことになるやんか?」
「そ、そうかぁ……?」
猿田の中にあるトイレの概念が揺らいだ。
「まぁ、うちが本能的にどう感じるかっちゅーんが一番大事なんや。うちがここはトイレやな、って思えさえすれば何でもええねん。うちの呪いは【便所暮らし】っちゅーて、トイレじゃないと心からくつろげないっていう、まぁしょうもない呪いなんやけどな、この部屋のおかげで、快適な生活がおくれとるんよ」
花子はベッドにバサッと仰向けに倒れ込んだ。
「この部屋が、うちにとっては世界で一番、心安らぐ家なんや。多分」
「私たちはそこにお邪魔して、作戦本部として利用させてもらってるというわけです。彼女の異能を使えば、現場のすぐ近くのトイレに瞬間移動できますから」
瓜園が補足説明をいれる。
「花子先輩にはプライベートがないですよね。なんか、いつも悪い気がします」
犬塚は花子が横たわるベッドに腰かけながら言った。
「ここの部屋代、オロチに払ってもらっとるからな。それはしゃあないよ」
「なぁおい、犬塚、なんで花子さんには敬語なんだよ」
猿田は犬塚が敬語を使うのを初めて聞いた。この女、敬語を話すことができたのかと、驚愕していた。
「ふん。先輩だからに決まってるでしょ」
「俺も先輩だが!」
「さっきも言ったでしょ!? あんたなんか先輩と呼ぶに値しないのよ!」
「なにおう!」
「瓜園さんに聞いとったけど、この二人ホンマにすぐ喧嘩になるんやな、おもろー」
花山はへらへらと笑った。
「なぁあんたら、たった今チューしてきたんやろ? 仲よくしたらええやんか!」
ベッドから起き上がって、犬塚の肩をぼんぼんと豪快に叩く。
その言葉に犬塚の顔は瞬間的に沸騰した。
「ちょっと、先輩! あ、あれは契りを結ぶ為に、仕方なくしたことでっ! ノーカ――」
「ノーカンですよあんなのっ!」
猿田は声を大にして主張した。
「なんであんたが言うのよーっ! それは乙女である私の台詞でしょーがっ!」
犬塚は猿田に飛び掛かった。
「自分で乙女とか言うんじゃねぇよ! 言っとくけど! 俺が奪われた側だからな! そこを間違えるなよ!?」
「なーなー、正太郎君。ちょっとうちに、どんなふうにキスしたか教えてくれへん?」
「まず公衆便所の裏で犬塚に押し倒されて、それから――」
「わーわーわー! 何普通に教えてるのよっ! この男……っ! その口縫い付けてやるんだからっ!」
犬塚は猿田にタックルをかまして押し倒し、手で押さえて無理やりに口を塞ぐ。
「ほんへふはほひひはっへ」
「喋るの諦めなさいよっ!」
「ぶはは、おもろいなぁホンマに」
花山は二人を指差して笑った。それから取っ組み合いになった二人に巻き込まれぬように立ち上がって、額に手を当てて嘆息する瓜園の隣に移動した。
「はぁ……ほんとすぐ喧嘩するんだから」
「瓜園さんも大変そうですね」
「えぇ、本当ですよ。これから騒々しくしてしまうかもしれません、ご容赦を」
「ええんです、そんなの。久しぶりにこの部屋が明るくなった気がします。猿田君来てくれて良かったなぁって、ホンマに思いますよ。『百の密室事件』で、大天狗組のみーんな死んでまって、寂しかったんです。鎮守官のみんながおらんと、うち、ただのニートみたいなもんやし」
花山は小さな声で瓜園に言った。
「きっと忙しくなりますよ? 覚悟してください」
「まかしといてください」
花山は二ッと笑ってみせた。
〇
部屋の壁一面に広がる巨大なスクリーンに、ビッシリと英字の書かれた包帯、日本刀、それから白骨、合計で三枚の写真が表示されていた。
その隣に立つ瓜園は、教鞭を持ち、何故か伊達眼鏡を掛けていた。猿田と犬塚は長いソファーに腰かけてそれを見ている。
「昨日の一件で、逢魔時空が解除された後に、妖怪レイヤーに残っていた物品はこれらが全てです。セグウェイやブルートゥースのスピーカーは、現実レイヤーの複製品を用いていた為、逢魔時空解除後に消滅しました。妖怪の異能は自ら持ち込んだものにしか作用しないケースが多いので、おそらくこれらが異能の発動に関係していると思われます」
「あの、瓜園さん、何言ってるか全然わかんねぇっす」
猿田が挙手して堂々と言った。
「あー、猿田さんはほとんど妖怪化せずに生きてましたもんねぇ。説明がめんどくさいんで、簡潔にいきますね。逢魔時空とか妖怪レイヤーでは、基本的には全てのことがなかったことになるというのはいいですよね?」
「はい。だから建物とかぶっ壊しても元に戻ると」
「そうです。逢魔時空や妖怪レイヤーで起きたことは、現実レイヤーには影響を与えません。例えば妖怪レイヤーや逢魔時空で万引きをしたとしても、現実の商品はそこにあり続けます。私たちが妖怪化を解いた時、万引きしたものも消滅します。これが現実レイヤーの複製品ということですね」
「なるほど」
「ただし、妖怪自らが意図して持ち込んだものに関しては、現実レイヤーからその存在が消滅します。私たちの体がそうであるように、現実とは異なるレイヤーに、その物が存在するようになるんです。これを物の持ち込みと言います。持ち込まれた物は、私たちが妖怪化を解いても妖怪レイヤーに残り続けます。持ち込んだ時と同じように、妖怪によって持ち帰られなければ、現実のレイヤーに存在できません」
「なんとなくわかりましたけど、でも例えば、家とか持ち込んだらどうするんですか? 消滅したらおかしいと思われませんか?」
「そういうものは持ち込めません。だいたい、人間としての自分が持てるくらいのものじゃなければダメと言われています。それがそこになくなることがあり得ないものは持ち込めないと言いますか」
「あー、なんとなくわかった気がします」
「で! そうやって持ち込んだものにしか、異能や妖力を作用させられないことが多いんです。あなたの六節棍や犬塚さんの木刀とかの武器もそうですね。装備品というわけです。以上を踏まえてもう一度言いますと、今映ってる写真三枚のアイテムが持ち込まれた物であり、すなわち異能に使われていた可能性が高いということです」
「なるほど!」
猿田は半分くらいわかっていなかったが、ひとまず良い返事をすることにした。
「ふぅ、理解が早くて助かります。それじゃあ花子さん。包帯を拡大してください」
「ほいさっさ」
バーカウンターに座った花山が、プロジェクターに繋いだノートパソコンを操作して、包帯の写真を拡大する。
白地の包帯にはびっしりと英単語が印刷されていた。
「本部の人間に解析を依頼したところ、昨晩のトンカラトン2・0はやはり、包帯に印刷されたプログラムに沿って行動を取っていたと思われます。まるでゲームのプログラムのようだと、専門家は言っていました。よって一連のトンカラトン2・0による襲撃事件の犯人を、『書かれた条件文に従って死体を操る』、操作系統の異能の持ち主と仮定。以後、『死体遊戯』と呼称することになりました。どうです? かっこよくないですか? 私が考えたんですよ!」
「質問です」
猿田は挙手した。
「はい。猿田君」
「倒した後に白骨化したのはなんだったんですか?」
「そこに関しては不明ですが、白骨から肉体を修復できる能力者と組んでいるのかもしれませんね。あるいはそもそも、操作するだけじゃなくて、死体を修復することもできる能力なのかも。まぁ……考えていてもしょうがないです。相手の異能なんて所詮は推測でしかありませんしね。さっきのも、あくまで仮定の話です。そして仮定というのはだいたい、覆されるのがお約束ってものですよ。とにかく今の我々にできることは、『連続都市伝説多発事件』の被害者を、一人でも減らすことだけです」
瓜園の言葉で、猿田は今日のクラスでの一幕を思い出した。
同じクラスにいる生徒が襲われたと言っていた。もしも犬塚が駆けつけなければ彼女は死んでいたかもしれない。
これまで猿田が目と耳を塞いできただけで、世界にはそういう可能性が溢れているのだ。何の前触れもなく、日常にぽっかりと穴が空くという事態が起きうる。黒谷紅駿の言を借りれば、人々は薄氷の上に立っているというわけだ。ふとした時に足元の氷は割れ、深い水底へと落ちていく。
誰かがそういった人々を助けなければならず、そして、その誰かには自分も含まれているということを、猿田は朧げに意識してしまった。
使命と宿命。
――ドクン。
救迫観念の呪いが胸を締め付けた。微かな痛みが走る。
「……まぁ、それもそうですね」
猿田はぼんやりと同意の言葉を口にした。
瓜園は腕にはめた電子端末に目をやった。時刻は五時を回ったころだった。
「さて、間もなく逢魔が時になりますね。花子さん。地図を表示してください」
「ほいさっさ」
花山が操作すると、スクリーンには世田谷区周辺の地図が表示された。下北沢の駅を中心に、半径2キロ程度が、半透明の赤色で塗られていた。
画面上ではコンマ秒単位でのカウントダウンが行われている。ロボットアニメのようであると、猿田は密かに心を躍らせた。
「猿田さん。これが今回の事件における我々の担当エリアです。瞬間移動の異能は事前準備が必要で、ある程度範囲を限定しないと使えないので、こうして組ごとに分かれて各地域の警戒に当たっています。また、オロチに所属する妖怪によって、被害の多発する逢魔が時の間に限って、エリア内に妖力を検知する異能を使っています。つまり逢魔が時の間だけは、我々はこのエリア内の妖力の発生を、リアルタイムで感知できます」
「そこにできるだけ急いで駆けつけて、被害者を妖怪から守ればいいって寸法ですね?」
「そういうことです。現場には被害者救出役として私が、そして妖怪に対処する鎮守官として、猿田さんと犬塚さんの両名が向かいます。現場での連絡はこのインカムで行います。今日はちゃんとマイクが入っていることを確認してあるので、ご安心ください」
猿田と犬塚は手渡されたヘッドセットを頭に装着した。
「あとこれ、一応銀製の手錠と鍵を渡しておきます。倒したらこれで確保してください。触れると異能が使えなくなるから気を付けてくださいね」
「銀に退魔の効果があるって、西洋の信仰じゃなかったでしたっけ?」
「今は妖怪の世界もグローバル化が進んでるんですよ。オロチも『国際幻想機関リヴァイアサン』の下部組織ですし」
そんなもんかと思いつつ、猿田は渡された手錠をベルトに引っ掛けた。
「あと、今日から私は、被害者を連れ出したらさっさと離脱します。下手に逢魔時空に残って、足を引っ張ったらダメですからね。二人だけで何とかしてください」
「逢魔が時まで残り三〇秒です」
その時、花山が報告を入れた。
「心の準備は大丈夫ですか?」
瓜園は伊達眼鏡を外しつつ、猿田に問いかけた。
「ぶっちゃけあんまり大丈夫じゃないですよ。怖いです。帰って家でネトゲしたいです」
「相変わらず、情けないわね。パートナーなんだからしっかりしなさいよ」
犬塚は竹刀袋から木刀を抜き出しながら言った。
「犬塚さんは厳しいですねぇ」
「まぁ情けないのは本当ですからね。でも――昨日は、怖くても、ビビっていても、不思議と体が動きました。戦うことができました。やっぱり、俺はそういう性分なんですかね。だからまぁ今回も、自分にできることを、自分にできるようにやりますよ」
「良い心構えです」
瓜園は優しく笑った。
「……三、二、一、〇、逢魔が時、入りました!」
花山がそう言い終えた瞬間のことだった。
地図上に『未確認妖力感知』の文字が現れ、電子端末から警報が鳴り響いた。下北沢の東側のエリアに赤い点が表示される。
「まったくせっかちですね。花子さん。妖力検出地点の最寄りの、タウンホールのトイレに繋いでください」
瓜園が言うと、地図上に青い点が表示される。
「ここやな? ほいさっさ!」
花山は部屋の入口に駆けて行って、扉をコンコンコンと三回叩いた。
「よし。オーケーや! 繋がったで!」
「急ぎましょう!」
「猿田、行くわよっ!」
「お、おう!」
猿田、犬塚、瓜園の三人は、それぞれ天狗、犬、ひょっとこのお面を被ると、花山の開けた扉の向こうへと消えていった。