②「猿田さんとイチャコラするぞ大作戦」
翌日。金曜日。学校の昼休みの時間である。
猿田は遠藤と雑談をしながら、手製の弁当を食べていた。
近くに陣取る女子高生グループの一人が、迫真の表情で言う。
「ねぇちょっと聞いて! 昨日私、トンカラトン2・0に襲われたんだけど!」
猿田はそれを聞いた瞬間、ぶふっと飲んでいたジュースを噴き出した。
「おまっ、汚ねぇなぁ!」
遠藤が後ずさる。すまんと一つ謝ってから、身近に昨日の被害者がいたことに驚きつつ、猿田は女子高生グループの話に耳をそばだてた。
「えー、嘘w」
「なんで生きてるしw」
「それがなんか、ひょっとこのお面被ったお姉さんに助けられて」
「まじー? HIB?」
「そうそう。HIB。ひょっとこ・イン・ブラック。マジでお面被ってスーツ着てた」
「嘘だぁー」
「マジだって! 超怖かったんだから」
「信じらんねーw」
「じゃあじゃあ、トンカラトンどうだったん? 2・0って感じだった?」
「んー。なんか思った以上にロボっぽかった。3・0って感じ」
「勝手にアップデートすんなしw」
「プログラムみたいなの書かれてたし」
「ロボじゃんw」
「そうなの! ロボなの! 私も殺されたらロボにされてたのかも。こわ」
「セグウェイ乗ってた?」
「乗ってた!」
「ま? ウケるー」
「ウケないよ! ほんとに怖かったんだって! 日本刀で切りかかられたし!」
「まじ? やばくね?」
「でも犬のお面被った女の子が木刀でこう、キィンって受け止めてくれて!」
「やばw かっこよw」
「その子、なんかうちの高校の制服着てた気がすんだよね」
「いやいや、それは嘘でしょw」
「盛ったっしょw」
「ほんとだって! てか信じてる!? 本当に怖かったんだから!」
「えーでも、なんかいまいちリアリティないっつーか」
「ねー。セグウェイは乗らんでしょみたいな」
「写メとかないん?」
「ないよ! そんなん撮ってる余裕ないって!」
「じゃあやっぱ信じらんねーw」
それは普段ならイヤホンで聞かないようにしていた話題だった。
猿田は世界に穴が空いたような感覚に襲われる。
もしも昨日、犬塚が助けなければ、あの少女は死んでいたのだろうか。
自分の日常が脅かされているようだった。
――ドクン。
胸が痛んだ。
「お前、耳塞がなくていいのか?」
対面に座る遠藤が目だけで女子高生グループを見た。
「……今日はイヤホン忘れちまってな」
猿田は卵焼きを頬張りつつ嘘をついた。
その後、女子高生は嘘だ嘘じゃないだで一通り盛り上がった後、違う都市伝説の話に移った。
「それより時代はやっぱり『タピオカおじさん』じゃね?」
「それな」
「え、何それ?」
「知らないん?」
「あー。これは殺されるな」
「なむー」
「ちょ、教えてよw」
「あんね、タピオカ持って一人で歩いてると、電柱の下でおじさんが肩を掴んできて、お前、タピオカ、好きか? って聞くんだって」
「ただの声掛け事案じゃんw それの何がヤバいん?」
「嫌いって言うと、巨大なタピオカで潰されて死ぬんだって」
「じゃあ好きって言ったら?」
「どこの店が好きか聞かれて、『タピチャ』が好きって言うと助かるんだって」
「えー違うよ。そこは『タピステーション』っしょ」
「どっちだよw」
「私は『タピチャ』のが好きー。もっちりしてて」
「お前の好みは聞いてねぇしw」
「でも、逃げたらよくない!?」
「答えずに逃げようとしても、やっぱり巨大なタピオカで潰されて死ぬんだって」
「こえぇw」
「だから聞かれたら『タピチャ』が好きって答えればいいんだよ」
「いや、そこは『タピステーション』でしょ!」
それから女子高生たちの話題は、都市伝説というよりも、どちらのタピオカが美味いかという話にシフトしていった。
猿田と同じく、その話題に耳を澄ませていた遠藤は、ぼそりと小さく言う。
「俺は『タピステーション』が好きだ。良いタピオカ使ってるよ、あそこは」
「聞いてねぇ」
〇
授業が終わり、遠藤と並んで校門から出ようとすると、犬塚が腕を組んで待ち伏せていた。肩に提げていた竹刀袋を、ビシと猿田に突き付けて言う。
「遅いっ!」
猿田と遠藤はピタと足を止める。
「誰これ?」
遠藤は犬塚をちらと見て、それから猿田に驚愕の眼差しを向ける。
「まさか……彼女? おま、児ポ法に引っかかるんじゃ?」
「失礼な奴ねっ!」
犬塚はほとんど反射的に遠藤のすねを蹴った。
哀れ遠藤は、すねを抑えてうずくまり、無言で悶絶する。
「あー、こいつは親戚の……従妹だ。春から同じ高校に入学しててな」
猿田は咄嗟に嘘を吐いた。
彼女と勘違いされるのは癪だったし、何だか照れ臭かった。そして何より、ロリコンの汚名を被るわけにはいかぬ。
「まぁ、そんなところよ。ちょっとこの男、借りてくわよ」
犬塚は遠藤に告げて、猿田の学ランを引っ掴んでツカツカと歩いていく。
「ちゃんと返せよ」
遠藤はうずくまったまま二人を見送った。
犬塚は無言でしばらく歩き、通学路から外れたところまで来ると、腰に手を当てて猿田に向き直った。
「きょ、今日は特別に、私が一緒に遊んであげるわ!」
犬塚の表情は喧嘩を売っているようであった。
「……はぁ?」
猿田は怪訝な顔をした。そんなことは頼んでいないので当然である。
「家帰ってネトゲしたいんだけど」
「ふざけんじゃないわよ! こんな美少女が相手してあげようって言ってんだから、拝んで感謝しなさいよ!」
犬塚は地団駄を踏んだ。
「自分で美少女とか言うなよ……何なんだよ急に」
「あんた、どうせ女の子と遊んだことなんてないでしょう!? だからこの私が、試しに体験させてあげようって言ってるの!」
「うるせぇな! 放っておけ! 余計なお世話だよ!」
「いいから黙ってついてきなさいよっ!」
犬塚は猿田に背を向けて歩き出した。
「なんなんだよもう」
猿田は渋々といった体で、一歩後ろからついていく。
この一連の不可解なやり取りは、昨晩、瓜園から犬塚が授けられた『猿田さんとイチャコラするぞ大作戦』の導入部であった。
作戦の立案者である瓜園は、電柱の影からそんな二人のやり取りを盗み見し、そして額に手を当てていた。
(そんな誘い方がありますか……)
立案者の名誉の為にも補足しておくが、瓜園は決して喧嘩を売って来いと言ったわけではない。むしろ逆で、まずは甘い言葉でデートに誘えと言ったのである。
しかしやはり犬塚という女は、どうやら砂糖と塩を取り違えるタイプのようで、彼女なりに甘い言葉で誘おうとした結果、出てきた台詞があれだったのだ。
(しかしデートはまだこれからというもの……!)
瓜園は気を取り直して尾行を再開する。
犬塚と猿田は並んで下北沢の商店街を歩く。
(瓜園がデートなんて言うから、変に緊張するじゃない……)
頬を染め、犬塚は無言でじっと俯いて歩いていた。
一方、猿田の方は困惑の表情を浮かべている。
無理もない。
犬塚は一人で勝手にデートであると意識して身を固くしていたが、猿田からすれば帰り道でかつあげにあったようなものである。
両者の認識には埋められない溝があった。
「なぁ、本当、どうしたんだよ急に。金なら持ってないぞ?」
「う、うるさいわね。私にはプランがあるのよ」
そう。プランである。
繰り返すが、犬塚は瓜園から授けられた、『猿田さんとイチャコラするぞ大作戦』を決行しているのである。
瓜園の言葉を犬塚は思い出す。
(いいですか。犬塚さん。下北沢の街で高校生の男女がデートとなれば、することは一つ。タピオカです。タピオカ屋に並ぶのです。それもできるだけ長い行列を作るタピオカ屋に並ぶのです。行列に並ぶというのは一見すると時間の無駄のようですが、多用なメニューの中から何にしようだとか、やっぱりこちらが良いであるとか、こっちも美味しそうであるとか、そんな他愛のないことを話していると案外間が持ち、自然と会話も弾もうというものです。まだ仲の深まっていない二人だからこそ、あえて! タピオカ屋の行列に並ぶのです! そう。タピオカ屋は万人に開かれています! ぎこちないカップルにも!)
記憶の中の瓜園は熱弁を振るっていた。
そんなわけで、犬塚は事前に予習していた行列を作るタピオカ屋の前で立ち止まり、高々と宣言する。
「タピオカ屋に並ぶわよ!」
「えぇ。昨日あれ、飲んだんだけど……」
「……そう」
犬塚は捨てられた子犬のように、しゅんとうなだれた。
沈黙が二人を包む。
(犬塚さん……っ! 気を! 気を確かに!)
瓜園は飛び出してアドバイスを授けたい心境であった。犬塚のアドリブ力の無さは重々承知している。予定が一つ狂えば、その後のプランも台無しになろうというものであった。ならばいっそ、通り魔のように走っていってメモでも授けようかと思案していると、猿田は頭をぽりぽりとやりながら別の方向を指差した。
「あー。あれだ、あっちの方にクレープ屋があるから、そっちにしようぜ」
「……うん」
犬塚は素直に頷いて、歩き出した猿田の後ろについていく。
瓜園はグッと小さく拳を握った。猿田が主導権を握りエスコートするというのは、彼女の想定していた展開ではCプランに該当する。悪くない展開であると言えた。タピオカとクレープの違いは無視できる些細なものであるはずだ。
猿田はT字路にあるやたらとファンシーな雰囲気の小さなクレープ屋の前で立ち止まった。ぼんやりと光るピンクの蛍光灯が目を引く。ごてごてと写真やらぬいぐるみが飾り付けられており、ぱっと見ではクレープ屋とはわからぬ風貌をしていた。
「ここ、老舗らしいんだけどさ、いっぺん食べてみたかったんだ」
「そ、そう。ずいぶん変わった見た目ね」
「どれにすっかなー。犬塚は何にするんだ?」
猿田と並んで遠目にメニュー表を見上げ、犬塚はぐるぐると目を回した。
メニュー表には写真がなく、長たらしい文字だけがビッシリと書かれており、どれを選べば良いのかとんと検討がつかなかったのだ。『なっとう』や『キムチ』といった奇怪な単語も並んでおり、それが犬塚の混乱を加速させた。
彼女のことを端的に表するならば、『自分で何かを選択することが苦手な女』であった。
それはクレープであっても同じである。
「たくさんありすぎて、よくわかんない。猿田は何にするのよ?」
「あん? 俺はまぁ無難に、いちごバナナチョコ生クリームかな」
「じゃあ私もそれで」
「……おう」
それだけ言って、二人はすごすごと列の最後尾に並んだ。
(犬塚さん……っ! 違います! そこはもっとこう! あれでもないとか、これでもないとか、何でもいいから会話をするところなのです!)
どうやら犬塚の頭はクレープ屋に並んだ時点でショートしていたようである。瓜園はおろおろと気が気でない様子だった。
猿田も沈黙が気まずかったのか、隣にいる犬塚にだけ聞こえる程度の声でぽつりと言う。
「犬塚のことさ、今日、クラスで噂になってたよ」
「なんて?」
「犬のお面被った女の子が助けてくれたって」
「世間は狭いわね。私だってバレないように気を付けないと」
「そうだな。まぁでも、なんかさ、不思議な感じだったよ。自分の周りの人間が巻き込まれるなんて、想像してなかったから」
「その人とは仲良いの?」
「全然。ほとんど喋ったことない。クラス委員決める時に一言二言くらいだ。でも、嫌でも目に入ってくる距離にいた。もしも死んでたらって思うと、ぞっとするよ」
「そう……良かったわね」
「だからまぁ、なんだ? その、あれだ……」
「何よ?」
猿田はぽりぽりと頬をかいた。
「助けてくれて、ありがとな」
「……別に。仕事よ」
犬塚はプイと顔を背けた。
「お礼にクレープ奢ってやるよ」
「い、良いわよ。そんなの! 猿田に貸しなんて作らないわ……」
「貸しって……大袈裟なやつだな。てかお前さ、俺のこと呼び捨てにすんのはどうなんだよ。一応先輩なんだぞ。いっぺんくらい先輩って呼んでみ?」
「ふん。あんたなんて猿田で十分よ。光太郎さんみたいに立派になったら、先輩って呼んであげるわ」
「なにおう!」
そこからまた、ぎゃいぎゃいと言い合いになる。
結局、犬塚は頑として聞かず、自腹でクレープを買った。
(あぁ……一瞬良い感じだったのに)
瓜園が頭を抱えたのは言うまでもなかった。
〇
二人は下北沢の北の外れにある公園にやってきてベンチに腰掛けた。
「犬塚、変なところにこだわるよな。座ってじゃないと食べたくないなんて」
猿田はさっさと食べてしまおうとしたのだが、犬塚が頑なに座って食べると言うので、渋々口を付けずにいた。猿田は早速パクと口に含んで咀嚼する。
「違う。座ってじゃないと食べられないの。〈食べ歩きなんて下品な真似はするな〉って、前に親に言われたから」
日常の思わぬところで、【忠犬伝】の呪いは、犬塚の行動に制約を加えていた。
しかし猿田はそのことを知らない。
「んん? 変な奴だな。クレープなんて食べ歩き前提だろ?」
「知らないわよそんなの、食べたことないし」
「まじか……」
「なによっ! クレープ食べたことないと、悪いわけっ?」
犬塚は隙あらば噛みつかんとした。
「んなこと言ってねぇだろ。いちいち噛みつくなよ。ったく。ほら、美味いから〈お前も食べろよ〉」
「うん」
犬塚は小さな口を大きく開いて、パクと思い切り頬張った。むぐむぐとやって、こくりと飲み込む。
「……美味しい」
犬塚はパァと顔を輝かせて笑った。
餌にありつく犬のように、勢いよくクレープを胃に収めていく。
猿田も負けじと頬張った。
(いつもそうやってニコニコとしていればいいものを……)
照れ臭いので言葉にはしないが、ほっぺたに生クリームを付けてクレープを頬張る犬塚の様子に、猿田はひっそりと胸を打たれた。
恋愛対象としてというより、どちらかと言うと、アニマルビデオを見ているような心境になった。小動物のようで可愛い。
庇護欲を掻き立てられるような。
――ドクン。
その時、彼の呪いがさざめいた。
猿田は困惑した。
自分はこの少女のことを守ってあげたいと思っているということなのかと。昨日会ったばかりだと言うのに、いくらなんでもちょろすぎるのではないかと。
自分の呪いが恨めしい。
隣を見る。
嬉しそうにクレープを頬張る少女。小さくて細い体。さらさらと流れる清流のように綺麗な長い髪の毛。近くに座っているせいか、心なしか良い匂いがした。
――ドクン。
彼女は自分と違って、鎮守の家系としての使命を全うしようと生きてきたのだ。
昨日だって、一人で戦いに赴いて、危ない目に合っていた。
――ドクン。
またあんな目に合われたら困る。猿田はそう思った。
「……でもまぁ、クレープ食べたことないって、不思議には思うかな。悪いって言ってんじゃないぞ? でもほら、友達と下校中にクレープ買い食いするシチュエーションとか、普通に生きてたらありそうなもんじゃないか?」
「普通じゃないのよ、私は。〈遊ぶ暇があったら訓練に励め〉って、そう言われて生きてきたの。友達と遊んでる時間なんてないのよ。クレープ買い食いしてる暇があるなら、剣を振るってきたわ」
「ちょっと息抜きするくらい良いじゃないか。真面目な奴だな」
「うるさいわね。そういう性分なのよ。私は……」
犬塚は食べ終えたクレープの包み紙をくしゃと丸めて、ぼんやりと一点を見つめた。
老人が飼い犬の散歩をしていた。
毛並みのいいラブラドールレトリバーだ。
「……そうか。まぁでも、一生懸命なのは良いことだよな」
「そうよ。良いことなの。猿田も私を見習って、もっと励みなさいよ。あんた、念動力なんて強力な異能を光太郎さんから受け継いだんだから、その力を世のため人の為に生かさないとダメよ。それがあんたの使命で、宿命なの」
「使命と宿命、ねぇ……」
「そう。私たちは鎮守の家系に生まれてきたんだもの。見ざる・聞かざる・言わざるとかふざけたこと言って、目をそらしてんじゃないわよ。もっと光太郎さんを見習いなさい」
見ざるという生き方をするように勧めたのが、その光太郎なのであると言ったら、犬塚はどのように思うだろうか。がっかりするだろうか。
猿田はそんなことを考えた。
その後、しばしの静寂。
猿田はクレープの最後の一切れを口に放り込んだ。
すると犬塚はそれを待っていたようにベンチから立ち上がり、猿田の真正面に立った。
思いつめたような顔をして、猿田をきっと睨む。
「……でもまぁ、昨日のあんたは、良い線行ってたわ。実力は認めてあげる」
「……そりゃどうも」
「だっだだ、だから、その、だから、あのっ!」
犬塚はしどろもどろで、かみかみで、その後も言葉を続けようとしていた。
猿田は首を傾げる。
「なんだよ?」
「あ、あんたを、私のパートナーにしてあげるわっ!」
犬塚は顔を真っ赤にしていた。
それが猿田には怒っているように映った。
「はぁ? なんだよパートナーって?」
「パ、パートナーは、パートナーよっ!」
犬塚は下を向いて、小刻みに足を震わせている。
「なんで怒ってるんだよ」
「違う! 怒ってるんじゃない!」
「じゃあなんだよ。わけのわからんやつだな」
「そ、そそ、それは……そのっ!」
犬塚は制服のスカートを握った。
「あぁもう、なんなんだよ、〈はっきり言えよ〉」
言うや否や。
犬塚は猿田を指差し、そこら中に響く大声で叫ぶ。
「あんた! 私とキスしなさいっ!」
ひゅう。
一陣の風が吹き、木枯らしが舞った。
飼い犬の散歩をしていた老人が、雑談に興じていた主婦が、学校帰りの高校生カップルが、本を読んでいた金髪の少女が、目を点にして二人を見た。
当事者である猿田もまた、目を点にする。
犬塚は顔面から炎を噴き出していた。
「ちょ、おま……! はぁ?」
猿田は時間差で困惑する。周囲の視線が痛かった。猿田がきょろきょろと見渡すと、目が合った人間は慌てて目をそらした。
「あ、ぁ、あんたが、はっきり言えって言うから、言ったんでしょーっ!」
犬塚は猿田の胸倉を掴んでゆさゆさと揺すった。
「はっきり言い過ぎだろうが! 声大きいし! なんなのお前!? 俺のこと好きなの?」
「ちちち、違うわよバカ猿っ! 勘違いしないでよねっ!」
「ツンデレの定型句みたいなこと言ってんじゃねぇよ!」
「うるさいうるさいっ! あんたのことなんかイチミリも好きじゃないわよーっ!」
「じゃあなんで急にキスしろとか言うんだよ!?」
公園にいた人々は、ちらちらと気になる素振りで二人を見ていた。
「だからパートナーになれって言ってんでしょ!」
「それってだから、好きです、付き合ってくださいってこと?」
「んなわけないでしょ! 私が用があるのは、あくまであんたの体だけよっ!」
犬塚の一言に、園内の人々はすわ昼ドラか爛れた関係かと色めき立った。
「考えうる限り最悪の言葉のチョイス!」
「いいからっ! あんたちょっとこっちに来なさい!」
犬塚は周囲の奇異の視線に、グルグルと目を回した。
混乱のステータス異常である。
猿田の学ランをむんずと掴んで立たせると、人の目の届かない公衆便所の裏へと連れて行った。そしてドサッと猿田を地面に押し倒す。
「え? なに? 襲われるの俺っ!?」
「えぇいもう、こうなりゃ自棄よ!」
犬塚は猿田の上に馬乗りになって、震えながら顔を近づける。
近くで見ると、やはり犬塚は可愛い。途端に一人の女の子であることを強烈に意識してしまい、猿田の心臓は跳ねた。
「あんた、目、つぶりなさいよ」
目と鼻の先に犬塚の顔があった。
長いまつげ。澄んだ瞳。小ぶりな唇。
可愛い、女の子。
――ドクン。
「……はじめてだから、やさしくしてください」
「気持ち悪いこと言ってんじゃないわよっ!」
犬塚は猿田の頬をビンタした。乾いた音が響く。
猿田は打たれた頬を抑えた。
「ひどくね?」
「いいからさっさと、目を閉じる! また引っ叩かれたいのっ!?」
犬塚は猿田の胸倉を掴んだ。
まるでかつあげである。
猿田は観念してそっと目を閉じる。
――ドクンドクンドクン。
心臓の音がうるさかった。
これは呪いか、はたまた――。
しばらく待っていると、唇に暖かく柔らかいものが触れた。
それから間を置かずに歯と歯がぶつかった。
それはあまりにもぎこちないキスだった。
猿田にとっての初めてのキスは、いちごバナナチョコ生クリームの味がした。