①「鍋パーティー」
逢魔時空から帰った一行は、帰り道にあったスーパーで食材を買い、猿田の家で鍋パーティを執り行わんとしていた。
先ほどの戦いで瓜園などは随分と深手を負っていたが、それはあくまで妖怪レイヤーでのことである。死なない限り、妖怪としての身体は、現実の身体には影響を与えない。しばらく時間が経過すれば、妖怪としての身体の傷は癒える。時間で回復するゲームのアバターのようなものだ。
なので、みな現実の身体の方は無傷で、あっけらかんとしたものであった。
鍋の調理は猿田が担当した。瓜園がやると言ったが、仮にも客人を働かせるのは忍びないので固辞した。ちなみに犬塚は手伝う素振りすら見せず、居間で横になってスマホゲームに興じていた。我が物顔でくつろぎ、パタパタと足を動かしながら、何やらシャンシャンやっている。部屋にテレビがないことの苦情まで頂いた。
猿田が煮立った鍋をIHヒーターの上に乗せると、犬塚は腹をすかせた犬のようにちゃぶ台の前に着席した。
「やらせちゃってすみません。猿田さんはなかなか家庭的ですねぇ」
「いえいえ。こんなもん切って入れるだけですし」
「それに引き換え犬塚さんは……」
「な、なによっ! 別にいいじゃない」
「お前ってあれだよな、漫画とかによくいる、塩と砂糖を間違えて入れるタイプの人間だよな、絶対」
「そんなわけないでしょーっ! どうやって間違えるのよ! 人を何だと思ってるの!?」
「ダークマターみたいなクッキー作るタイプ」
「なにおう!」
犬塚はちゃぶ台から身を乗り出した。
「ちょっとちょっと、初対面の時もそうでしたが、なんであなたたちはすぐ喧嘩になるんですか」
呆れた顔を浮かべて瓜園が仲裁に入る。
「それよりほら、早く乾杯しましょう、乾杯! 私もう待ちきれなくて」
瓜園は缶ビールを片手にうずうずとしていた。その無邪気な様子に犬塚も毒気を抜かれたらしく、大人しく引き下がって麦茶の入ったコップを持った。
「では、初陣の勝利を祝して、かんぱーいっ!」
瓜園の陽気な掛け声に合せて、三人は手にした飲み物をこつんとぶつけた。瓜園は即座に喉を鳴らして一気飲みし、ぷはーっと大きく息を吐いた。
「くぅー。生きてるって感じしますねー」
「何おっさん臭いこと言ってるんですか」
猿田は肉をつまみながら、早くも二本目の缶ビールを開けた瓜園を見やる。
「しょうがないじゃないですか、本当に死にそうだったんですから! こう何と言うんですか? 生きてる実感? みたいなやつを噛みしめているんですよ。いやー、にしても猿田さん、さっきはなかなかに格好よかったですよ」
「やめてくださいってば。それを言うなら、瓜園さんも格好良かったですよ。さようなら、私の大好きなお嬢様。でしたっけ?」
猿田が口調を真似て、キリ、とした感じで言うと、瓜園はぶふっとビールを噴き出した。
「ちょ、聞いてたんですか?」
「だってインカムつけてましたし。途中の二人で盛り上がってるあたりから、全部聞いてましたよ」
「ちょっと! だったら何か言いなさいよ! あんたが来てるってわかってたら、もうちょっとやりようもあったじゃない!」
「言っとくけど! 俺だって何度も呼びかけたから! なのに何にも返事返ってこなかったんだよ! 瓜園さん。これ、壊れてるんじゃないですか?」
猿田は肉を頬張りながら、床に置いていたインカムをずいと差し出した。
「あー。これ、マイクの電源オフになってますね」
瓜園はバツが悪そうにビールをずずと啜った。
「そんくらい気づきなさいよ! あとあんた肉ばっか取りすぎ!」
「けち臭いこと言うな! しょうがないだろ! インカムなんて使ったことないんだし!」
「猿田さん、失礼しました。今度からは渡す時に気を付けないといけませんね」
「でもほんと、声だけ聞こえてましたけど、状況意味不明でしたよ。犬塚はばかばか喚いてるし、一緒に戦うって言ってたのに、こっちに向かって逃げてくるし」
実際、犬塚の呪いのことを知らない猿田にとっては、理解困難なシチュエーションだった。犬塚の気でも触れたのかと思っていた。
「あぁ、それはですね――」
「咲芽! それは教えない約束っ!」
犬塚は信用できる人間にしか、呪いのことを明かさないと決めていた。
仮に無意識に相手のことを認めてしまっていたとしても、本当に教えても良いと思った相手にだけ伝えようと、固く決心していた。何を命令されるかわかったものではない。
それに呪いのことを少し恥ずかしいとも思っていた。
相手の命令に逆らえないという犬のような呪いそれ自体もそうだが、それ以上に――
命じられることが不快であるどころか、むしろ楽であると思ってしまう自分の性分が恥ずかしかった。
彼女のことを端的に表するならば、『自分で何かを選択することが苦手な女』であった。
誰かに何かを命じられ、それに忠実に従うというのが、彼女の生き方だった。
「えぇでも……」
「良いからっ! 猿田! あんたもそんなこといちいち気にしてるんじゃないわよ!」
だからつい、必死になって声を荒げた。
「へいへい。……で、今日のあいつらは何だったんです?」
猿田は肉を持ち上げながら話題を変えた。
聞かざる。この男もまた自分の生き方に従ったのだ。
しかし話題を変えようとして、つい、違うことを聞いてしまった。
失策である。
「それを聞くということは、見ざる聞かざるは止めて、私たちに手を貸してくれるということで、よろしいんです?」
瓜園は少し悪戯っぽく笑った。
「うーん。悩ましいところですね。でもまぁ……ここまで関わって死なれたりしたら、多分呪いで苦しむことになるんで、ひとまずは手伝いますよ。誰かさんが、早速死にかけてましたし」
見ざる聞かざるを徹底できなかったのは失策だった。二人を家にあげて話を聞いてしまったのが、全ての間違いだったのだ。
「あはは、面目無いです。それで、先ほどの敵ですが、私たちにもまだわかりません。しかし包帯に刻まれたプログラムや、倒した後に白骨化したことから推測するに、死体を操るタイプの能力者だとは推測できますね。現在、妖怪レイヤーに残っていたものを鑑識に回してます。明日には多少わかることもあるかと」
「なるほど。自分は直接戦わないってわけですか……。質が悪いですね。それだと倒しても倒してもキリがないんじゃあ?」
「えぇ。実際そうなんです。『連続多発都市伝説事件』は、どこもそんな感じでして」
「なんです、それ?」
「あれ、資料読まれてないんです?」
肉を頬張る猿田は、置きっぱなしにしていた資料をちらと見やる。
「すみません……」
「もう。せっかく作ったんだから読んでくださいよ。まぁ簡単に説明すると、この一週間くらいの間、桃郷の各地で、都市伝説に見立てた無差別の襲撃事件が立て続けに起こっているんです。まだ死体は見つかっていませんが、これまでに二八名が行方不明になっています。特に被害の多発する逢魔が時に絞って、オロチの鎮守官で各地を分担して警備に当たっているのですが、どこの事件も何かを操る能力者の手によって起こされており、未だに首謀者が捕まっていないんですよね。ま、同時多発的に広範囲で発生するので、こうして私たちにも出番が回ってきたというわけです。オロチに協力してくれる魔術師や妖怪はまだまだ少ないですからね」
言い終え、瓜園は三本目のビールを開けた。
「なるほど……」
猿田がうなずきつつ、肉に手を伸ばそうとしたその時である。
犬塚の箸がそれを遮った。二人の鋭い視線が交錯する。
「あんた、さっきから肉ばっかり! もう少ないじゃない! 野菜も食べなさいよ!」
「なんだよ! 早い者勝ちだろうが! お前がさっさと食わないのが悪いんだろ!」
それをきっかけに、途端にぎゃーぎゃーと言い合いになる二人を見て、瓜園ははぁと一つため息を吐いた。しかし久しぶりに無邪気にはしゃいでいる犬塚の姿を見て、救われたような気持ちにもなった。
その後三人は、猿田光太郎の思い出話に花を咲かせた。
犬塚は嬉しそうに、光太郎に剣の修行に付き合ってもらったことや、事件の現場に帯同して戦う姿を間近で見てきたことを語った。
猿田は家にいる時の光太郎の姿しか見ていなかったので、不思議な気分だった。家にいる父はいつも寝転がってテレビを見るか、はたまたパチンコにでも出かけるかといった具合で、年中だらしない生活をしているおじさんにしか見えなかったのだ。
猿田がそう言うと、犬塚は信じられないというような顔をして、やはり光太郎の偉大さについて語った。困っている人を放っておけなくて、窮地に颯爽と駆けつけて人々を救う、まさにヒーローのような人だったと。
「だから、あんたも早く、光太郎さんみたいに立派になりなさいよね」
犬塚はそんなことを言った。
ムカついたので猿田が「うるせえよ、ガキ」と言い返すと、また二人は喧嘩になった。
最後に全員で、携帯の連絡先を交換して解散した。
〇
二人で一緒に暮らすマンションへの帰路を、瓜園と犬塚は並んで歩いていた。
「まったく、犬塚さんはなんですぐ、猿田さんと喧嘩になるんですか?」
「だって……。なんか見てると腹立つのよ。顔とかは光太郎さんに似てるところもあるのに、情けないことばっかり言うし」
「でも今日の猿田さん、なかなか格好よかったんじゃないです?」
犬塚の脳裏には、窮地に現れ、天狗の面を脱ぎ去った瞬間の猿田の顔が浮かんだ。
「……ふん。まだまだよ」
「それに、あんまり光太郎さんと比べるようなこと言っちゃあダメですよ? 正太郎さんに失礼ってもんです」
「……あいつがもっと、シャンとすればいいんじゃない」
犬塚はぷいっとする。
瓜園はそんな犬塚の頭をぽんと叩いた。
「全く。そんな調子で、明日中に『阿吽の契り』を結ぶことなんて、できるんですか?」
「や、やるわよ……! だって、それが私の使命なんだし!」
犬塚は真っ赤な顔をして、ギュッと制服のスカートを握った。
「本当にできます? 猿田さんとチューするんですよ?」
「み、みなまで言うんじゃないわよ! わかってるわっ! これまで父さまとか兄さまとしたことあるんだし、キ、キキ、キスなんて、平気へっちゃらよ」
「家族とのキスと、猿田さんとのキスを同列に考えるのはちょっと……。それに赤ちゃんの頃のことだから、記憶なんてないでしょう?」
「う、うるさいわねっ。別にどうってことないって言ってるの!」
「本当に頼みますよ? 犬塚さんには強くなって頂かないと。今日みたいな危ない目に合うのは、もうこりごりですから」
「……うん」
犬塚は決意のこもった頷きを返す。
「よろしい。では、私の方から、円満に猿田さんとチューする為の作戦を授けましょう! 題して『猿田さんとイチャコラするぞ大作戦』です!」
「……はぁ?」
犬塚は眉根を寄せて瓜園を見た。