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桃郷百鬼夜行  作者: 龍宮群青
一 トンカラトン2・0の怪
6/15

④「犬猿、並び立つ」

 包帯男はもはや仕留めるだけと言わんばかりに、ゆっくりと犬塚に近づいていた。

 そんな両者の間に、立ちはだかる人影が一つ。瓜園うりそのだった。


「ふぅ。ようやく追いつけましたね。なんとか間に合って良かったです」


 彼女は拳銃を構えて包帯男の群れに対峙した。


咲芽さくめ……なんのつもり。そんな玩具じゃ、あいつらには通用しないわ」


 犬塚の声は震えていた。


「まぁそうでしょうね。なんなら試してみますか?」


 ――銃声。

 撃ち出した銃弾はしかし、包帯男の纏う妖力の前に空しくそれていく。


「あはは。やっぱりダメですね。妖力をこめないと」


 そう言って、瓜園は体に妖力を纏った。しかしその白い燐光は、犬塚のものと比べるとひどく淡い。通常弾を全て捨て去り、代わりに妖力を込めた弾を拳銃に装填した。


「ふざけてる場合じゃないでしょ! どきなさいって言ってんの! あんた【下級】の妖怪なのよ?! 勝てるわけないでしょ!?」

「ふざけてませんよっ! 【下級】だからこそですっ! 死ぬなら私の方なんです! 犬塚さん、いいですか?」


 瓜園はすっと瞳を閉じた。

 暫時瞑目ざんじめいもく。彼女が覚悟を固めるのに要した時間は二秒であった。


 ふうと一つ、息を吐く。


「私を囮にして〈逃げなさい〉。あなたは〈生きなさい〉」

「咲芽! 怒るわよ! 私も一緒に戦うってば!」


 言葉とは裏腹に。

 犬塚は脱兎のごとくその場から逃げ出した。


「ばか! ほんとバカ! かっこつけてんじゃないわよっ!」


 目には涙があふれている。顔がぐしゃぐしゃに歪んでいる。しかしそれでも、振り返ることすらせず、犬塚は一目散に走って逃げた。


 犬塚生駒がその身に宿す呪い――【忠犬伝ちゅうけんでん】。

 認めた人間の命令には逆らえないという呪い。

 それを瓜園は、この土壇場の局面で悪用して見せたのである。


 逃げた犬塚を追いかけようと包帯男たちが動き出す。すかさず瓜園は、先頭の一体に体当たりをかました。すると後ろに連なる包帯男を一体、巻き込んで倒れてくれた。

 玉突き事故を逃れた二体が通り抜けて犬塚を追う。


「させません!」


 ――パンパン。


 瓜園は素早く起き上がり、背後から頭部に向けて立て続けに発砲。二発とも見事に命中し、包帯男はバランスを崩してべしゃりと倒れた。瓜園の妖力ではヘッドショットとは行かなかったが、時間を稼げただけ良しとする。

 あの二体だけが相手ならば、犬塚の能力をもってすれば逃げ切ることも可能だろう。


 遠ざかる犬塚の背中を見送った。


「さようなら、私の大好きなお嬢様」


 最後にそれだけ言って、覚悟が揺らがぬよう瓜園はインカムをオフにした。

 それから振り返り、二体の包帯男に相対する。


「さて、私とて矜持きょうじがあります。そう簡単にはやられませんよ?」


 瓜園は自らを奮い立たせるように、銃を構えて不敵に笑った。


 〇


 犬塚はぐしゃぐしゃに泣きながら、住宅街の路地を走っていた。


「ばかばかばかばかっ! あんのバカ! ほんとバカ!」


 思考がまとまらず、他に言葉が見当たらなかった。瓜園はインカムを切ったらしく、何を言っても返事がないし、向こうからも何も聞こえてこない。


 気が気ではなかった。気が狂いそうだった。


 背後からは追ってくる包帯男の足音が響いている。しかし今はそんなもの、何にも怖くなかった。むしろ怖いのは、咲芽を失ってしまうこと。

 もう二度と会えなくなること。


 角を曲がる。


 今すぐに立ち止まって、包帯男どもを蹴散らして、咲芽を助けに行きたかった。

 なのにこの身に宿した呪いが、咲芽の命令を守れと叫ぶのだ。逃げろと命じるのだ。

【忠犬伝】――認めた相手の命令には絶対服従。

 自分の間抜けな呪いのことを、かつてここまで呪ったことはなかった。


 誰でも良い。助けて欲しかった。手を差し伸べて欲しかった。

 猿田光太郎の姿が脳裏によぎる。

 彼は彼女にとって、師匠であり、憧れであり、光であり――ヒーローだった。


 そう。犬塚はヒーローを求めていた。

 そのことに気づいて自嘲する。なんて浅はかで都合が良い妄想なのだと。


 角を曲がる。


 すると――その道の先には、西日の逆光を浴びて、誰かが立っていた。

 犬塚は混乱する。こんなところに――一体だれが?


 まだ逢魔時空おうまじくうは抜けていないはずだった。

 人影との距離が近づく。おぼろげなシルエットが像を結んだ。


 それは渇望した猿田光太郎の姿だった。

 天狗の面を被った男が、悠然と立っている。


 しかしなぜ光太郎さんが学ランを着ているのか? 疑問が浮かぶ。

 あまりに混乱して頭がおかしくなったのだと思った。


 自分は幻覚を見ているのだと。

 光太郎の幻覚はすれ違いざま、犬塚に向かって言う。


「おい。お前、ちょっと〈待て〉よ」


 その一言に、犬塚は急ブレーキを踏んだ。止まり切れずに、前のめりにこける。


 喋った。幻覚が。犬塚は驚いてばっと高速で振り返る。

 光太郎の幻覚は被っていたお面を持ち上げた。


「なんでお前逃げてるんだ? 俺にはお茶ぶっかけて、使命から逃げるなって言ったくせによ」


 目を疑った。


「なんで……あんたが、ここに?」


 幻覚は光太郎ではなく、猿田正太郎だった。


 信じられなかった。

 なぜ助けに来てくれたのか。

 あんなに情けなくて、うじうじとしていて、どうしようもない男なのに。

 麦茶を頭にぶっかけるなんて酷いことをしたというのに。


「仕方ないだろ。そういう性分なんだ」


 そう言って困ったように笑った。

 猿田は懐から六節棍ろくせつこんを取り出すと、念動力で一本の棒状に組み立て、こちらに走ってくる包帯男に向けて構えた。


 その姿が光太郎の姿に重なった。


「おい。立てるか? できれば一緒に戦ってほしいんだけど。こういうの久しぶりなんだよ、こっちは。怖くて足震えてるんですけど!」


 一瞬で光太郎の面影が霧散する。

 隣にいるのはやはり、自分がお茶をぶっかけた情けない男だ。

 しかし、今はそれでも頼もしかった。


「なっさけないわね! あたりまえでしょ! 速攻で倒すわよ!」


 犬塚は涙を見られるのが急に恥ずかしくなって、ゴシゴシと目元をぬぐって立ち上がる。


「猿田、行くわよ!」

「いきなり呼び捨てかよ」


 犬塚と猿田はそれぞれの得物を構えて、間合いに入ってくる二体の包帯男に対峙した。


 犬猿の二人。

 青と赤の燐光が並び立つ。


(全力をぶつけて最短で駆けつける!)

(なにあれ超怖い。さっさとお家に帰りたい)


 考えていることはてんでバラバラだが、不思議と呼吸はピタリとあった。

 犬塚と猿田は同時に駆けだし、そして同時に技を放つ。


変幻連撃へんげんれんげき酔時雨よいしぐれ


 犬塚は迫りくる包帯男に向けて、不規則かつ超神速で繰り出される怒涛どとうの連続斬撃を見舞った。一、二三、四、五六七、八九連撃。緩急自在に、変幻自在に、犬塚は敵の全身を酔ったように不規則なリズムで次々と打つ。どう防げば良いか見定めることが困難なその連撃は、さながら降ったり止んだりと気ままに降る時雨のようであった。斬撃の雨に打たれて包帯男もまた酔ったように踊る。そして最後のとどめとばかりに、犬塚が渾身の妖力を込めた一〇連撃目を打ち下ろすと、包帯男は頭から地に伏せた。


”猿田天狗道第二五手 三棍三棒さんこんさんぼう鎌切落かまきりおとし“


 猿田の主な得物は独特の特注武器、六節棍である。一つ三〇センチほどの棍が鎖によって連なっており、全てばらせば鞭のように、全て繋げば長刀なぎなたのようになる多目的道具マルチツールだ。その真価は彼の念動力の異能と合わさった時に発揮される。


 全部で六つある棍を、三つの棍と一つの短い棒の形に変え、棍の方を迫りくる敵に向けて念動力で飛ばす。鎖で連なる三つの棍は、空中でカマキリの鎌のような形を取り、相手の首元を刈り取るようにして巻き付いた。それから猿田はそこを支点として、念動力で鎖を操って自分の体を持ち上げ、弧を描いて敵の真上を飛び越えた。着地と共に再度念じて、魚を一本釣りするようにして持ち上げると、今度は敵の体の方が弧を描いて猿田の頭上を越えていく。そして轟音と共に、包帯男は脳天から地面に突き刺さった。


 まさに瞬殺。

 猿田と犬塚はほとんど同時に敵を討った。


 犬塚は今の攻撃でほとんど余力を使い果たし、立っているのもしんどいほどであったが、あくまでも気丈に胸をそらす。


「ふん。まぁまぁやるじゃない」

「お褒めに預かり光栄です」


 猿田は仏頂面で言った。


「急ぐわよ! 咲芽が危ないわ!」

「ちょっと〈待てよ〉!」


 駆けだした犬塚を制止すると、ピタリと足を止めた。


「何よ!」

「急ぐんなら空飛んでくぞ」

「は?」


 猿田は犬塚をひょいと持ち上げ小脇に抱えた。随分細く、軽いと思った。


「ちょっと! 何すんのよ!」


 犬塚はじたばたと暴れた。


「いいから。暴れると舌噛むぞ?」


 そう言って、猿田は荒縄を天に放って巻き付け飛翔。二人は高々と上空に舞い上がる。


「ぎゃー!」


 高所恐怖症のきらいがある犬塚は思わず絶叫。


「どこだ!?」

「あ、あっちよ!」

「……あれか。って、おいおいヤバそうだぞ?」


 犬塚が指差した方角に目を凝らすと、今まさに包帯男の攻撃によって、瓜園が吹き飛ばされるのが見えた。


「咲芽っ!?」


 たまらず犬塚は叫ぶ。


「猿田! 急ぎなさいよ!」

「わかっとるわい!」


 猿田はそちらの方角にある雑居ビルの手すりに荒縄を飛ばして巻き付ける。


”猿田天狗道第一九手 夜鷹彗星よだかすいせい


 そしてそれを渾身の力を込めた念動力で巻き取って、自分の体をバリスタのように一直線に撃ち出した。

 さながら急降下する鷹の如く、はたまた夜を駆る彗星の如く、超高速で飛んでいく。


 〇


 瓜園はぶつかった衝撃で抉れた住宅の壁に背中を預けて、真っ赤に染まった空を見上げていた。右手を空にかざすと、血がべったりとついている。


「ふふ……。なんじゃこりゃあ、ってやつですね」


 最初から攻撃を捨て、少ない妖力のリソースを全て回避と防御に注ぎ、何とか今まで時間を稼いできたが、今の一撃を受けたことで万策尽きた。

 妖力の防壁を貫通して腹部に創傷。これ自体は致命傷ではないが、もう妖力はすっからかんである。次の攻撃でおしまいだろう。


 よくやった方であると自分で評価を下す。

 ベストではないが、ベターな結果であると。


 正面からは二体の包帯男が最後の一太刀を浴びせようと迫っていた。

 その姿が鎌を持った死神に見える。


「うん。ここまで……ですね」


 死の覚悟を固め、瓜園は懐から煙草を取り出して咥え、火をつけた。

 最期の一服である。


 目を閉じ、煙を吸い込み、思い浮かべたのは、犬塚生駒いぬづかいこまの顔だった。

 仏頂面をしている。ふうっと紫煙しえんを吐き出した。


「お嬢様、なかなか笑ってくれませんからねぇ」


 最期に声が聞きたいと思ってしまった。

 そっとインカムの電源を入れる。

 すると――。


「ぎゃあああああああああああああーっ!」


 件のお嬢様の激烈な叫び声が耳に飛び込んできたではないか。

 何事かと思って目を見開くと、自分のすぐ目の前に迫った二体の死神に、真横から隕石が突っ込んできた。


 ――否。

 それは人であった。


 ――否。

 それは天狗であった。


 ――すなわち。

 猿田正太郎であった。


 瓜園に太刀を浴びせようとする二体の包帯男を、飛来した猿田は手にした長い棒で、横からまとめて串刺しにする。


 そのまま勢い止まらず、瓜園の前を音より速く横切っていった。


 ヒュゥゥウン。

 風を切る音。


 瓜園の短い髪が風圧で揺れ、咥えた煙草がポロリと落ちた。

 さながら地表に軟着陸したジェット機のように、地面を抉り、住宅街の家々の壁を突き破りながら、猿田は五〇メートルほど進んだところで静止した。


 崩落する家の瓦礫の中。

 巻き上がる砂ぼこりが晴れると、完全に伸びた包帯男と、犬塚を抱えた猿田の姿が現れた。



 これにて、完全決着である。



 猿田は棒状の六節棍を杖にして、ゆっくりと立ち上がって叫ぶ。


「こわぁーーーーっ!」

「私の方が怖かったっていうのよ! このバカ猿! 事前に説明しなさいよ!」


 犬塚に至っては恐怖で危うく漏らしそうだった。乙女としての尊厳が著しく損なわれるところだったのである。彼女はジェットコースターが苦手であった。


「仕方ないだろうが! 瓜園さんピンチだったんだから!」

「はっ! そうよ! 咲芽はっ!」


 犬塚は猿田を捨て置いて駆けだした。

 猿田もゆっくりと歩いて後を追う。


 元の場所に戻ると、犬塚が瓜園の胸に飛び込んで泣いていた。

 その様子を見て、猿田はほっと胸を撫でおろした。

 来た甲斐があったというものである。


「犬塚さん。痛いです。離してくださいよ」

「ばか! このばか咲芽! ばかばかばか!」


 瓜園は苦笑いである。


「語彙力がなさすぎませんか? ほら、猿田さんが見てますよ?」


 言われて、犬塚は振り返り、猿田と目が合うと、頬を染めて瓜園からそっと手を離した。瓜園は犬塚の頭をぽんぽんと叩きながら、猿田の目を見て言う。


「猿田さん、ありがとうございます。格好良かったですよ、すごく」

「面と向かって言われると――なんかくすぐったいものですね」


 猿田は照れ隠しに、ぽりぽりと頬をかいた。


「でも、注文を付けるなら、ちょーっと遅かったですかね? 危うく死ぬとこでしたよ。ヒーローは遅れてやってくるってやつですか?」

「いえいえ、俺はただの臆病者ですよ。遅れてきたのはただの怠慢です」


 謙遜などではなく、猿田はそう思う。

 自分が本当にそんな立派な存在ならば、こんなピンチを招いたりすらしなかったのだ。


「ま、そういうことにしておきますか」


 瓜園は腰に手を当てて言った。それから、すぐ隣で無言を貫いて横を向いていた犬塚を、子犬を抱えるようにわきに手を入れて持ち上げ、猿田の方に向かせた。


「ほら。犬塚さんも、助けてもらったんだから、ちゃんと〈素直になりなさい〉」


 沸騰したやかんみたいに顔を真っ赤にして、犬塚は猿田の目を見つめた。


「……助けてくれて、ありがとう」


 それからすぐに、ぷいと顔を背ける。


「……おう」


 猿田は髪をいじいじとやりながら、目をそらしてそれだけ言った。


 〇


 マンションの屋上に、金髪の少女と、おじさんが立っていた。


 少女は派手な柄の黒いぶかぶかのパーカーを、ワンピースのようにして着ている。

 おじさんはノッポで、喪服に身を包み、顔に無精ひげを生やしていた。


 金髪の少女は双眼鏡で猿田の顔を眺め、口元に笑みを浮かべた。


「猿田正太郎。ようやく舞台に上がってくれたね。僕は嬉しいよ」

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