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桃郷百鬼夜行  作者: 龍宮群青
三 今昔下北沢の大天狗の怪
14/15

④「最終決戦! 今昔下北沢の大天狗の怪!」

 午前二時。丑三つ時。


 猿田と犬塚は下北沢で一番大きな劇場の入口の前に並んで立っていた。


 犬猿の二人。

 青と赤の燐光。

 頭に乗せるは犬と天狗の面。


 電子端末とヘッドセットも付けて、臨戦態勢を整えていた。


「さて、ここからは妖怪の時間ね」

「お前それさっきも言ってたよな。何それ、決めセリフ?」

「う、うるさいわねっ! 光太郎さんがいつも言ってたのっ! ここからは妖怪の時間だな、って。い、いいでしょ、もう」

「親父も良い歳して厨二くさいところあったからなぁ」


 周囲には居酒屋が多いので、遅い時間にも関わらず酔っ払いがまばらに歩いているが、すでに妖怪化している二人に気づく者はいない。


 現実の劇場の入口にはシャッターが下りていたが、妖怪レイヤーの方では大きな穴が空けられていた。妖怪レイヤーに現実との差異があるということは、そこにすでに妖怪がいるという証拠である。

 二人が着くとすぐに、その穴の中から足音が近寄ってくる。こつんこつんこつん。唾を飲み込み、猿田は足音の主が姿を現すのを待つ。


 シャッターに開いた穴の中から出てきたのは、見慣れた友人の姿だった。


「……遠藤?」


 猿田は目を疑う。

 犬塚は絶句する。


 遠藤翔太。


 そこには猿田がいつも、行動を共にしていた友人がいた。ジャージ姿で、上着のポケットに両手を突っ込み、全身に赤黒い妖気を纏っている。『細胞を操る異能』。黒谷紅駿くろたにこうしゅんが『百の密室事件』でそうしたように、眠っていたところを操られているようだった。

 さながら夢遊病のように。


 遠藤が現れると、たちまち空が赤く染まった。

 その場に逢魔時空おうまじくうが形成されたのだ。


「こんばんは。猿田正太郎。逃げずに来てくれて嬉しいよ」


 聞きなれた遠藤の声。

 しかし黒谷紅音くろたにあかねが操っているのは明らかだった。

 背後に幽霊のようにして立つ、彼女の姿が見えるようだった。


「おいてめぇ。ふざけんなよ。人質のつもりか? そいつを守るために戦うってのは気が乗らないから、せめて可愛い女の子にチェンジしてくれ」


 猿田は軽口を叩いてみるものの、それは精一杯の虚勢だった。

 ひどく焦る。


 ――ドクンドクンドクンドクン。


 呪いが騒ぐ。


 黒谷紅音がその気になれば、自分の友人を容易く殺せてしまうのだ。


 日常に穴が空くような感覚。

 遠藤は薄氷の上に立っていたのだ。


「ぷふ。大丈夫。危害は加えないよ。ま、もしも君がこの場に来てくれないようなことがあったら、脅しに使おうかなとは考えていたけどさ」

「早く解放しろって言ってんだよっ!」

「あは。怒らないでくれよ。ただ僕は、知っていて欲しかったんだ。この少年の五感と僕の五感を同期させて、これまで君のことをずっと見ていたんだってことをね。眠っていないと脳細胞に電波を送ることはできないけれど、受け取ることだけならいつでもできるんだよ。言っただろう? ずっと君のことを見ていたって。だからこれはまぁ、僕から君へのラブレターみたいなものさ。あは」


 瓜園の【読心術】の異能のように、直接現実に干渉しない異能であれば、妖怪化しなくても使える。だから黒谷は、眷属にした人間を通じて、世界を見て音を聞くことができた。


 無限に広がるシナプス。枝分かれする樹状細胞。

 いつでもどこでも、黒谷は猿田のことを観察していたのだ。


 ぞっとした。


「僕は僕でありながら同時に他の誰かであることもできる」


 黒谷紅駿も動画で全く同じことを言っていた。

 それが本来の『細胞を操る』異能の使い道なのだ。


 黒谷紅音。


 死霊使い(ネクロマンサー)で、ヴァンパイア。


「……ストーカーめ」

「僕はドラキュラだからね。あは。愛しているよ。猿田正太郎」

「遠藤の顔できもちわりぃこと言ってんじゃねぇよ。もういい。この期に及んで、お前と喋ることなんてない――」


 猿田は懐から取り出した六節棍を念動力で棒状に組み立てた。


「――さっさとやろうぜ」


 切っ先を突き付ける。


「あはぁ」


 遠藤は顔を傾けて口角を吊り上げた。恍惚。ぶるぶると歓喜に震えているようだった。


「さいっこうの返事だよ。猿田正太郎。嬉ションしそうだ」

「やめてやれよ」


 それは遠藤の体なのだ。


「君の顔を見てると、もしかしたら、父と戦うなんて茶番は、もう必要ないのかもしれないと思えてくるね」

「こっちとしては、人質解放してくれて、親父の遺骨を返してくれりゃあ、それで用事は済むんだが?」

「いやいや、だけどここで終わるのは、これが物語である以上許されないよ。なんたって、僕たちは劇団『百鬼夜行』で、これは旗揚げ公演の千秋楽なんだ。あは。最高のクライマックスにしようじゃないか!」


 遠藤はポケットに突っ込んでいた両手を天に掲げた。

 いちいち芝居がかった奴である。


「それじゃあ猿田、君だけ僕の後ろについて来てくれ。これは『今昔下北沢の大天狗の怪』と銘打った、父と息子の最終決戦なんだ。余計な邪魔者はいらない」


 指で犬塚を差す。


「おい、犬。君はそこでお座りでもしてろ。僕は君が嫌いなんだ。ポッと現れて、僕の猿田正太郎といちゃいちゃしやがって。ほら、おすわりだって言ってるだろ? 聞こえないのか? 躾けのなって無い犬め」


 挑発を受け、犬塚は両目を大きく見開いた。ポンプで汲み上げたみたいに、一瞬で頭に血が上る。すぐにでも飛び掛かりたかったが、目の前にあるのは猿田の友人の肉体だ。殴るわけにはいかない。


 代わりに木刀を突き付けて吠える。


「ふざけんじゃないわよっ! こいつは私のパートナーなのっ! 一緒に戦う! それにだいたい、あんたムカつくのよ! よくも言ってくれたわね! ぶっ飛ばしてやるんだからっ!」

「ぷふ。ま、そう言うよね。だからちゃあんと、用意はしてある」


 パチン。指を鳴らす。

 すると入口のシャッターからぞろぞろと、包帯男たちが出てきた。全員が青白い燐光を纏っている。


「おいおい、お前、妖力に底はないのかよ? いったい一人で、何匹操れるんだ?」


 操作系統の異能は、何かを操る為に妖力を消費するものである。この後、光太郎の身体を操って、しかも異能まで行使しようというのであれば、明らかに一人の妖怪にできるキャパを超えているように思えた。こんなものはチートである。


 全部で十体の包帯男が出てきて階段の上に整列すると、最後に山田が姿を現した。


 喪服を着たノッポなおじさん。その身には、包帯男と同じ青白い燐光を纏っている。

 山田は、よお、と気の抜けた挨拶をしてから、何でもないことのように言う。


「俺は『死体を元通りに修復して、書かれた条件文に従って死体を操る』異能の持ち主なんだ。そうだな――『死体遊戯』とでも、呼んでくれたまえ。ぬはは」

「なっ、あんた、じゃあ嘘ついてたわけ!?」

「敵の言うことを簡単に信じるな。あれは俺が書いたソースだ。意味もなくあんなプログラムを書いたりするか、阿呆め」


(あるいはそもそも、操作するだけじゃなくて、死体を修復することもできる能力なのかも)


 猿田は瓜園の言葉を思い出す。


(そして仮定というのはだいたい、覆されるのがお約束ってものですよ)


「ぷふ。そちらが二人で来るなら、こちらも二人で力を合わせないとね」

「おい、犬塚とかいう女。そういうわけで、ここを通りたければ、俺の開発したトンカラトン2・0軍団を倒してから行くんだな。ぬはははは」


 山田はひどく低いテンションで、少年漫画のような台詞を吐いた。


「イーッ」「イーッ」「イーッ」「イーッ」「イーッ」


 山田の笑い声に呼応するかのように、包帯男たちの首から下げられたブルートゥースのスピーカーが、甲高い機械音声を次々と再生する。


「何がオイディプスだ。やっぱりヒーローショーじゃねぇかよ」


 どこまでもふざけた奴である。

 いまいちシリアスになりきれない。


「ぷふ。僕たちは劇団。嘘を吐くのが性分なんだ。それじゃあ猿田、君一人で僕について来てくれ。今すぐ来ないと、人質の命は保証できないよ?」


 遠藤の身体はくるりと背後を向いて、シャッターに空いた穴の奥へと消えていった。


「……犬塚」


 猿田は隣に立つ犬塚に向き直った。


「なによ?」


 ――ドクン。

 呪いが胸を叩く。


 どうにも締まらないが、それでも一応、人質の命がかかっているのだ。相手の掌の上で踊っているようでムカつくが、それでも最後まで付き合わなければならないだろう。


 それに、この世を彷徨う親父の亡霊を、きちんとこの手で送り返してやらないと。

 もうすぐ四十九日なのだ。


 猿田は犬塚の瞳を正面から見て、胸の鼓動を聞いて、はっきりと言う。


「これで終わりだ。頑張ろうぜ。まぁその、待ってるからさ。早く来いよ。そもそもお前が巻き込んだんだ。頼りにしてるぞ」

「……ふん。あたりまえでしょ。速攻で倒して駆けつけるわよ。だから、それまでは一人で頑張りなさいよね」


 犬塚は顔を背けながら、拳を握って突き出す。


「うん」


 こつんと合わせて、猿田は一人で階段を上っていった。


 〇


 黒谷操る遠藤の背について、猿田は劇場の建物の中に入る。


 中は照明が点いておらず、二人が纏う妖気の燐光だけがぼんやりと周囲を照らしていた。

 やがて観音開きの扉の前で立ち止まると、遠藤は両手で開け放った。


 扉の向こうには真っ黒な深淵が広がっていた。星の無い宇宙のようだった。


 猿田は意を決して、六節棍ろくせつこんを握り締めて中へと入る。

 背後でギイと音を立てて扉が閉まった。


 ブー。鳴り響くブザー音。


「これより、『今昔下北沢の大天狗の怪』の上演を開始いたします。携帯電話、スマートフォン等お持ちの方は、電源をお切りになるかマナーモードにするなど、音が出ないようご配慮をお願いいたします」


 黒谷紅音の声だった。

 相変わらず、どこまでもふざけたやつだ。

 バンっと弾けるような音がして、舞台の上にスポットライトの光が降り注ぐ。


 猿田光太郎がそこに立っていた。

 見間違いようがない。それは長年見てきた父の姿だった。


 山伏のような衣装をまとって、天狗のお面を頭にのっけている。手にするは六節棍。猿田の一族に伝わる、天狗道の得物だ。


「俺たちはさ、まったくもって、呪われた一族だよな」


 記憶の中にある父の声と、全く同じ響きで言う。


「困ってる人を放っておけない、正義のヒーローという呪いを宿した妖怪。もうちょっとマシな言い方をすると、使命とか宿命ってところか」

「おい、止めろ」

「あれはな、三つの猿と書いて三猿っていうんだ。お前も聞いたことあるだろう? 見ざる・聞かざる・言わざるってやつだ」


 舞台上にもう一つ、スポットライトの光が降り注いだ。シンバルを持った三匹の猿の玩具が照らされる。どういう原理か、光に照らされた瞬間から、三匹の猿はシャンシャンとシンバルを叩き始めた。


「おい。聞こえねえのか? 止めろ!」


 舞台の上の光太郎は、すっと腕を水平に伸ばして三匹の猿の玩具を指差す。


「お前はあの三匹の猿のように生きるんだ。あらゆることから目をそらせ。あらゆることから耳を――」


 ふざけやがって。

 猿田は腰に巻いた荒縄を放り上げ、天井の照明の一つに巻き付け、地を蹴った。


「止めろっつってんだろうがぁ! 黒谷ぃぃぃ!」


”猿田天狗道第一九手 夜鷹彗星よだかすいせい


 舞い上がり、そして落下する。超高速で彗星のように飛んでいった。上空から落下する力を利用した技。舞台上の光太郎――いや、黒谷に六節棍を叩きつける。


 キィン。

 金属と金属のぶつかる音。


 猿田の六節棍による奇襲を、黒谷もまた六節棍で受け止めた。力と力がぶつかり合い、衝撃で舞台がボゴンと凹む。


 その瞬間、劇場全体がまばゆい光で照らされた。

『今昔下北沢の大天狗の怪』の開演である。


 舞台の上で、二つの赤い燐光、二人の天狗が睨み合う。


「あは。なかなかの演技力だっただろう?」

「親父の顔で気持ちわりぃ笑い方してんじゃねぇよ」


 拮抗する力。

 棒状の六節棍を挟んで二人の視線が交錯する。


 猿田は意図的に力点をずらして均衡を解除し、余力で自分に向かってくる六節棍をかいくぐって懐に入ると、自身の六節棍をクルクルと回しながら振り上げる。黒谷は胸を反らしてそれを回避。後ろに倒れ込むが、片手だけのバク転で体制を立て直し、すかさず六節棍を薙ぐ。


 キィン。

 再度鳴り響く金属音。猿田は左手に持つ鉄扇で受け止め、右手の六節棍で反撃。すると黒谷も同様に、懐に隠し持っていた鉄扇で受けとめた。


 攻撃をかわしかわされ、受け止め受け止められる。

 繰り広げられる剣戟けんげきの応酬。打ち合う音。

 さながら猿田天狗道の演武である。

 鏡と鏡が戦っているようだった。

 互いが互いの六節棍を振り回し、二人で舞うように、舞台を所狭しと動き回る。


「なんでお前が、猿田天狗道を操れるっ!?」

「あは。記憶は脳の細胞に宿るのさ。言っただろう? 僕は僕でありながら他の誰かでもある。本物の父親と戦っていると思った方が――いいよっ!」


 六節棍で打ち合っていたところ、黒谷は猿田の死角から六節棍を思い切り蹴り上げた。

 スポットライトの光を反射しながら、クルクルと回って宙を舞う金属製の六節棍。


「しまっ――」


 万一に備えて、六節棍にはワイヤーが仕込んであり、猿田の手首と繋がっている。念動力で即座に宙の六節棍をその手に引き寄せるが、しかし決定的な隙が生じていた。


 黒谷はそれを見逃さない。


”猿田天狗道第三一手 六棒・犀角穿(さいかくせん)


 黒谷は深く腰を落とし、棒状の六節棍の先端に赤黒い妖力を結集し、猿田の鳩尾に強烈な突き技を放つ。猿田の体は犀の突進を受けたように吹っ飛んだ。


 客席と客席の間の階段を勢いよく転げまわり、猿田の体は壁を突き破って、劇場の外の道路に投げ出された。目の前には雑貨を売る本屋がある。


「猿田っ!?」


 インカムから犬塚の心配そうな叫び声。


「げほ。心配すんな。かすり傷だ。そっちはどうだ?」

「……余裕よ。でも急がないとあんたが死にそうね。今から本気出すわ」

「頼むぞ、犬塚……。お前が頼りだ」

「〈阿吽の法〉っ!」


 腕に着けた電子端末で阿吽の法のカウントダウンが始まった。


 咄嗟に妖力でガードはしたが、それでも腹部には深刻な痛みがあった。かすり傷というのは当然、強がりである。軽い吐き気まであった。


「三分以内に必ず行くわ。それまで頑張りなさいっ」


 劇場の壁に開いた穴から黒谷が飛び出してくる。


 黒谷は六節棍を二つの短い棒状に組み立て、二刀流のような形で猿田に襲い掛かった。


”猿田天狗道第二九手 双三棒そうさんぼう鍬形挟くわがたばさみ“


 クワガタ虫のように、黒谷は両の手に持った短い棒で猿田を挟み込まんとする。

 咄嗟に猿田は荒縄を放り上げ、街灯に巻いて自身の体を引き上げる。ギリギリでの回避。猿田が倒れていたアスファルトが、まるで豆腐のようにスパッと切れた。


 空中で身を翻しながら、猿田は懐の鉄扇を黒谷に向けて手裏剣のように投じた。指から伸びるワイヤーで鉄扇を自在に操る。


”猿田天狗道第六手 扇術(せんじゅつ)胡蝶舞(こちょうまい)


 ひらひらと漂う蝶のように不規則に揺れながら、妖力の込められた鋭利な鉄扇――殺人蝶が襲いかかる。黒谷もまた天に荒縄を放り上げてそれを回避し、猿田の投じた鉄扇とすれ違いざまに、自身の鉄扇でワイヤーを切った。

 猿田との接続を失った鉄扇は力尽きた蝶のように地面に落ちる。


「ちっ」


 猿田は思わず舌打ち。鉄扇は天狗道の攻守を支える補助武器であり、それは失うのは痛手だった。

 宙に飛び上がった黒谷はそのまま猿田の方へと向かってくる。


”猿田天狗道第二五手 三棍三棒さんこんさんぼう鎌切落かまきりおとし“


「――っ」


 攻撃に転じていた為、回避が間に合わない。


 猿田に向かって、カマキリの鎌のような形態をとったバラされた根が飛来し、首に巻きつく。黒谷は猿田を支点にして大きく弧を描いて劇場の屋根に着地し、そして猿田を頭から叩きつける。


 ズドォンと重たい響きと共に、猿田は屋根に穴を開けて脳天から突き刺さった。


 脳が揺れる。ダメージが大きい。

 危うく意識を手放しそうになる。


「ちょっと猿田っ!? 生きてる!?」

「死にそう」


 猿田は弱々しく呟いた。


「もう。しっかりしなさいよーっ! 今行くから待ってなさいっ!」


 〇


 時を少し遡る。


 犬塚は劇場の中へと消えていく猿田の背を見送って、トンカラトン2・0軍団と対峙していた。


「それじゃあ、俺はこれで。自分で戦うのは不得手でな。あとはまぁ、そいつらと楽しんでくれたまえ。ぬはは」


 山田はそれだけ言って、その場から立ち去ろうとした。


 犬塚はすかさず木刀に妖力を込めて飛び掛かるが、一〇体の包帯男が「イーッ」と電子音声の掛け声を上げながら次々と襲い掛かって、それを阻む。

 連なって迫りくる日本刀の太刀を、犬塚は躱して躱して躱して躱す。


 そんなことをしていては当然、山田の追跡なんぞままならない。犬塚は包帯男の太刀を浴びないようにダンスを踊るので精いっぱいだった。


「ちっ」


 思わず舌打ちが出てしまう。


 キィンキィンという硬質な剣戟音けんげきおんを響かせながら、犬塚は劇場のすぐ前の道路を駆けまわり、包帯男たちを相手取り踊る。

 舞踏会のような光景。姫は犬塚生駒いぬづかいこま。王子様は一〇体のトンカラトン。


 最悪である。


 ジェノサイド・モードとやらになっていないのが救いだった。おそらくあれは黒谷紅音の異能によるものだったのだろう。今の黒谷には、包帯男の強化に回すほどの妖力のリソースがないと推測した。


 舞うように戦いながら、犬塚はさらに思考する。


 まず第一に考えるのは、やはり阿吽あうんの法の発動タイミング。

 三分という時間は短いようで長く、長いようでやはり短い。一刻も早く猿田の元に辿り着くことだけを目標におけば、直ちに発動するべきだろう。


 しかし自分には一つ、猿田から承った重要な役割がある。


 それを滞りなく果たす為には、阿吽の法の有効時間中に猿田の元に駆けつけたい。だから発動タイミングは、できるだけ後ろに回すべきであると結論付ける。もっと包帯男を減らすか、最悪、自分か猿田のどちらかが、本当に窮地に追い込まれた時だ。


 包帯男の太刀を受け止め弾き、返す刀で背後を切りつけ、側転して太刀を避ける。

 回避行動に虚を突かれて隙が生じた一体に、犬塚はすかさず技を放つ。


”連続突技・篠突く雨(しのつくあめ)


 細い竹で突くように強く降る雨を表する言葉である。まさに雨を降らすような高速の連続突きを見舞うと、包帯男一体が吹き飛んで白骨化する。


 よし。まずは一体。踊りながら思考を続ける。


「止めろっつってんだろうがぁ! 黒谷ぃぃぃ!」


 猿田の叫びがインカムから聞こえた。どうやら向こうでも戦闘が始まったようだ。


 もう一つ考えるべきは、こいつらをどうするか、である。

 全滅を狙うか、それとも包帯男を引き連れて猿田の元へ向かうか。


 これに関しては前者しかないと犬塚は直ちに判断する。


 猿田の足を引っ張るわけにいかないし、それに何と言っても、しゃくである。

 この癪であるという感情は、彼女にとって大きな行動原理になる。パートナーとして、しっかりと自分の役割を果たしてから猿田の元へ向かいたかった。じゃないと偉そうな口を聞けない。今後二度と、猿田に対してマウントを取れなくなる。癪だ。


 やると言ったらやる。それが私だ。犬塚生駒という女だ。

 犬塚は木刀を握る手に力を込める。

 全滅だ。こいつらを全滅させる。

 決定。犬塚は周囲を取り囲む包帯を巻いた王子様たちを見渡す。


 二体が同時に切りかかってくる。横なぎの太刀をしゃがんで躱し、かかとを軸にしてフィギュアスケーターのようにして回りながら木刀を振り回す。


回転旋技かいてんせんぎ小台風しょうたいふう


 さながら犬塚は台風の目である。彼女を中心とした剣技の旋風が起こり、二体の包帯男が吹き飛んで白骨と化す。これで三体。


 しかし技を放ち終わって隙が生じたところに、背後からの斬撃をもろに食らう。背中に切り傷を作りつつ吹き飛び、吹き飛んだ先にいた包帯男に切り上げられ、そこを跳躍した包帯男に打ち落される。地面ではまた別の包帯男が待ち構えている。


(調子に……乗るなっ!)


 犬塚は痛みを堪え、眼光鋭く睨みつける。


”局所集中・雨車軸“


 落下しながら体を折り畳んで高速回転させ、包帯男に木刀による集中豪雨を降らす。受け止めようとした日本刀ごとへし折って、包帯男の脳天を砕いた。


 これで四体。くるっと一つ回って着地するが、足がふらつく。全身には切り傷。少々技を連続で打ちすぎた。割と満身創痍であることに気付く。

 そう。背後からの太刀に気付かないくらいに。


「――つぅ」


 直撃を受けて犬塚は商店街のストリートをゴロゴロと転がった。


 なんとか起き上がるが、今の攻撃を受けて妖力はほとんど底をつきそうだった。

 手をついて起き上がる。かなりの距離を飛ばされていた。そもそも、夢中でダンスを踊っている間に、いつの間にか劇場のある場所から随分と離れていたようだった。


 猿田のいる場所に戻るのに多少時間を見積もる必要があるだろう。

 その時インカムから轟音が響いた。何かを突き破る音。


「猿田っ!?」


 思わず叫んだ。弱々しい声が返ってくる。


「げほ。心配すんな。かすり傷だ。そっちはどうだ?」


 かすり傷というのは嘘だ。そんなことは声音ですぐにわかった。


「……余裕よ。でも急がないとあんたが死にそうね。今から本気出すわ」


 自分が余裕というのも嘘だった。まったくお互い素直じゃない。


「頼むぞ、犬塚……。お前が頼りだ」


 この言葉は本心から言っている。それがわかって、犬塚の瞳に炎が灯る。

 直感する。今が発動のタイミングだ。


「〈阿吽の法〉っ!」


 紫の燐光を纏う。妖力が全身にみなぎっていく。ここからの三分が勝負の鍵を握る。

 腕に着けた電子端末で阿吽の法のカウントダウンが始まった。


「三分以内に必ず行くわ。それまで頑張りなさいっ」


 犬塚はぶるんと大きく木刀を振って、自分に喝を入れた。


 この能力の有効時間が切れる前に、自分に課せられた使命を果たさなければならない。

 向上した身体能力で包帯男の攻撃を軽やかに避け、反撃の太刀を浴びせながら、猿田とのやり取りを思い返す。


 自分に課せられた使命、それは――。

 黒谷に隙を作ること。


 猿田は言った。自分には必殺技があると。それは当たれば必ず殺す技であると。

 情けない猿田にしては、大した自信だと犬塚は思った。


 猿田によると、自分よりも格上の相手に勝つためには、何とかしてこの必殺技を当てるしかないだろうとのことだった。しかし必殺技は放つまでに隙だらけになってしまい、しかも妖力の消費も大きい。つまり簡単には当てられないし、仮に当たらなければ必殺どころか必敗なのである。必殺技とは、当たれば必ず殺す技であり、同時に、放つからには必ず殺さなけれいけない技なのだと猿田は言った。ヒーローが最後の最後でしか怪獣に向かって光線を打たないのは、何ももったいぶっているわけではなく、絶対に外すわけにはいかないからなのであると。


 だから、自分に隙を作るように猿田は頼んだ。


 売り言葉に買い言葉。朝飯前だと返答した。

 やれると言ったのだ。やらなければならない。

 その為には、残り六体をさっさと片づけることだ。


 犬塚は木刀で日本刀を受け止め、振るい、包帯男を弾き飛ばす。

 弾き飛ばされた包帯男は背後の一体にドンとぶつかった。二体が連なって、しかも体制を崩している。好機である。


雷光一閃らいこういっせん瞬神立しゅんかんだち


 神立とは雷鳴を伴って激しく降る雨のことを言う。犬塚はまさに一筋の稲光いなびかりのような速度で、二体の包帯男をまとめて串刺しにした。これであとは四体。


 すかさず振るわれる太刀をしゃがんで躱し、スライディングで包帯男の股下を潜り抜けて背後に立ち、隙だらけの背中に木刀を振る。あと三体。


「これでしまいよっ!」


 さらに犬塚は、立て続けに、自分に向かって駆け寄ってくる三体に連撃を放つ。


変幻連撃へんげんれんげき酔時雨よいしぐれ


 一、二三、四、五六七、八九連撃。不規則な斬撃の連続で二体をたちまち切り倒し、十撃目を最後の一体に浴びせる。これで終わりだ。全ての包帯男が白骨化する。


 腕の端末を見れば残り時間は二分弱、まだ余裕はある。

 しかし犬塚は劇場へ急いで駆けだそうとして、絶句した。


「な……!」


 そこには新たな包帯男が十体、こちらに向けて走ってきたのである。

 絶望的な光景だった。


「ぬははははー! また騙されたな女!」


 見上げると居酒屋の屋上に山田が立っていた。


「十体しか操れないとは誰も言っておらんだろう! ぬはは」


 時間がないので無視を決め込む。今は相手にしていられない。


 その時、インカムからまたも轟音。ズドォンという重たい響き。

 これはヤバそうだ。


「ちょっと猿田っ!? 生きてる!?」

「死にそう」


 弱々しい猿田の呟き。

 情けない。


 そして不安で仕方なくなる。

 死なれたら困る。死んでほしくない。

 まだパートナーになったばかりなのだ。


 これから、もっとずっと一緒に戦っていきたいのだ。

 癪だけど。


「もう。しっかりしなさいよーっ! 今行くから待ってなさいっ!」


 そう叫ぶと、犬塚はきっと面を上げて、決意のこもった顔で走り出した。

 十体の包帯男が立ちふさがる、劇場へと続く道を。


 〇


 劇場の屋根の上の戦いに戻る。


 黒谷の一撃を食らった猿田は頭から屋根に突っ込んで大ピンチだった。耳元で大音量で響く犬塚の叫び声で、何とか意識だけを繋ぎとめたような状態だ。


 まったく、キャンキャンとうるさい女である。

 しかし今は、その甲高い声が頼もしく聞こえた。


 黒谷は屋根に突き刺さった猿田に歩み寄って、右手で足首を掴み野菜のように引っこ抜いた。


「正太郎。しばらく見ないうちに弱くなったな。父さん、悲しいぞ」


 逆さまで見上げると、黒谷はバカにするような笑みを浮かべていた。

 血が上る。親父は決して、そんな下卑げびた笑い方はしなかった。


「黙れよっ!」


 猿田は何とか手放さずに持っていた六節棍を振るう。

 黒谷はパッと足首から手を離して飛び退いた。猿田は前転して受け身を取りつつ、六節棍を杖にして立ち上がる。


 黒谷はお互いの間合いの外に着地して、再び二人は睨み合う。


「あは。でもさぁ。そんな弱っちくて、ヒーローなんて務まるのかな?」

「そりゃあ、親父のようにはいかないさ。俺は俺だからな。俺は俺なりに、呪いと付き合って、何とかやっていくしかないだろうよ」


 腹部に激痛。頭が揺れて足元がふらつく。

 わかってはいたが、父親のように上手くは行かない。


 そりゃあそうだと猿田は思う。


 幼いころ、稽古を付けられていて、父親に勝てたことなど一度たりともないのである。歴戦の鎮守官であった父親の経験というものが、仮に脳の細胞に宿っているというのであれば、一介の新人である猿田では、勝ち目がないというものだ。


「そうやって自分の呪いを受け入れる態度というのは気に入ったんだけどさ、でも、弱いんじゃあ意味ないよね? ぷふ。そんなことで、困っている人を守れるの? 助けを呼ぶ声を聞いて駆けつけて、その結果負けましたっていうんじゃ、結局呪いが満たされることはないよね? あは。むしろ呪いの声は、より深刻になるんじゃない? 目の前で誰かが死んだりしたら、君の呪いはさらに渇き、飢え、悲鳴を上げることだろう」

「何が言いたい? 簡潔に言え簡潔に。お前の悪い癖だぞ」


 黒谷はムッとして、六節棍の切っ先を猿田に向けた。




「弱いんだったらここで殺す。そして僕も死ぬ」




 これ以上ないくらいに、結論を簡潔にまとめた。

 なんでそうなる。猿田はうんざりした。


「君が呪いに忠実に生きても、呪いが満たされないようであれば、結局僕の耳元では不協和音が鳴り続ける。それじゃ意味ないんだよ。我慢ならないんだ。【呪同律じゅどうりつ】の不快ってやつさ。あは。しかもそれが、愛する君の宿した呪いの悲鳴となったら、なおさらだ。だから僕に勝てないくらいなら殺す。そして僕は、愛する君を殺した罪悪感から、きっと死を選ぶ」

「安心しろよ、少なくとも、お前みたいなメンヘラごときに負けたりしねぇから」


 猿田はできるだけ不敵に笑ってみせた。


「ぷふ。そんななりで、よく言えたものだね」

「勝算ならあるさ」


 目線を落として腕の端末を見やる。阿吽の法の残り時間は残り一〇秒と少し。もうほとんど時間がない。


 しかしそれでも、猿田は信じていた。犬塚のことを。


 そもそも自分をこうして舞台に立たせたのはあいつなのだし、多分あいつはやると言ったらやる女なのだ。三分で行くと言ったら、守ってくれるはずなのだ。


 短い付き合いだが、それでも不思議と信用できた。

 夢の中であいつは言ったのだ。


(――あんた、私と共に戦いなさい!)


 だから猿田も心の中で念じる。


 だったら、お前も俺と共に戦えよ。

 二人じゃないと敵わないだろうが。


 そう。一人では勝ち目がないが、二人ならば話は別なのだ。

 だから猿田は犬塚のことを盲目的に信じた。

 あるいは、祈った。

 そうするしか勝ち目はないのだ。


 猿田は静かに妖気を右腕に集める。赤い燐光が猿田の右腕で渦を巻く。


 必殺技を打つならここしかない。どうせ今この時しか勝算はないのだ。このまま戦っていてもジリ貧だろう。ここが勝負所なのである。


「もう一度言うぞ。勝算ならある――」


 猿田は射貫くように黒谷を見据えた。


「――そうだろ、犬塚?」

「あたりまえでしょーっ!」


 猿田の問いかけに応えるようにして、黒谷の背後から、紫の妖気を帯びた犬塚が飛び上がって現れた。


「なっ!?」


 黒谷の表情に初めて焦りの色が浮かんだ。

 完全に予想外。


 犬塚は追い求めた光太郎の姿が目に映り、一瞬、攻撃を躊躇してしまいそうになる。

 しかし即座に思い直す。自分を叱咤しったする。


 あれはまやかしなのだと。

 光太郎さんは死んだのであると。

 今の自分のパートナーは、盲目的に自分のことを信じてくれていた、あそこに立っている情けない顔をした男なのだ。


 それに黒谷は、散々自分のことを犬だと言って馬鹿にしてくれた。

 死者を冒涜さえした。

 腸が煮えるというものだ。


 怒髪天を衝く思いである。怒りの全てを妖力に変換して木刀に込める。小柄な体躯を車輪のように回転させて、犬塚は黒谷に向けて猛然と木刀を打ち下ろす。


”局所集中・雨車軸“


「光太郎さんを、返しなさいよーっ!」


 キィン。


 黒谷はありったけの妖力を込めた六節棍で犬塚の一撃を受け止める。屋根が陥没する。

 それとほぼ同時に犬塚の纏っていた紫の燐光が青に変わった。

 時間切れである。


「犬めっ!」


 黒谷は六節棍を振るって犬塚の体を弾き飛ばす。

 転がる犬塚。

 今の一撃で妖力は尽きた。犬塚にはもう戦うことはできない。


 しかし――。

 黒谷には決定的な隙が生まれていた。

 猿田はそれを見逃さない。


 勝機である。


 六節棍を放り投げた。猿田の必殺技に武器はいらない。

 必要なのは、全妖力を込めた己の右腕一つである。


 弓を引き絞るように、ぐぐぐと体を後ろに傾け力を込める。


「猿田っ! やっちゃいなさいよーっ!」


 片膝で立ち上がって、犬塚は叫んだ。


 猿田の心の奥に炎が灯る。怖くない炎。暖かな熱源。

 不思議と、猿田は自身の妖力が上昇したような気がした。

 猿田は腰の回転を利かせて、右腕を捻りながら思い切り突き出す。


 必殺技。


 放つからには必ず殺さなければいけない技。

 失敗は許されない。この一撃に、全てを賭す。


 彼がその身に宿すは念動力。

 触れているものを念じたように動かす力。

 何も持たない現在の彼が触れているのは、その場にある大気のみである。


 猿田はあらん限りに念じる。



 大気よ渦巻き竜巻となれ。



”猿田天狗道第四八手 奥義・螺旋龍咆掌らせんりゅうほうしょう



 猿田がドリルのように捻りながら突き出した右腕。それが纏う赤い妖気は、周囲の空気に作用して、さながら螺旋を描きながら大空を舞う、赤い龍のような竜巻を形成する。


 ヒーローの必殺技はビームと相場が決まっているのだ。


「うおおおおおおおおおおおおお!」


 猿田は咆哮ほうこうした。

 龍が吠えるように、あるいは、子供のころは大好きだった、特撮ヒーローが良くそうするように。そう。彼はもともとヒーローが好きなのだ。「天身」という『妖化の言霊』も、子供の頃に大好きだった、変身ヒーローの掛け声だった。


 下北沢の空に龍が舞う。


 龍は大きくうねり、中空をせ、大口を開けて、黒谷を飲み込まんとする。

 立ち尽くし、自身に接近する深紅の龍を正面から見て、最後に黒谷は笑った。


「あはっ」


 喜色満面。至上の幸福。

 ヒーローの覚醒を喜ぶ子供のような、息子の成長を喜ぶような、無邪気な笑顔。

 あるいはこの一瞬だけは、彷徨う父の霊魂が、身体に乗り移ったのかもしれぬ。


 龍は猿田光太郎の身体を飲み込み、劇場の屋根を抉り、背後に建つマンションに大穴を開けた。倒壊する建物。まるで災害のような暴威。


 必殺技。


 放つからには必ず殺さなければいけない技。

 されど、当たれば必ず殺す技。


 猿田光太郎の身体は踊り狂う龍の腹の中で、白骨へと返っていった。



 これにて、完全決着である。

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