②「地獄変」
タウンホールのトイレから花子さんの部屋に戻った猿田と犬塚は、予め出前を取っておいてくれたらしいピザをバーカウンターで並んで食べながら、三〇分ほどかけて、一連の出来事を瓜園と花山に報告した。
犬塚は戻ってからずっと、思いつめたような顔をして無言を貫いていたので、全て猿田が語って聞かせた。犬塚は随分と気落ちしている様子だった。
山田という『死体を元通りに修復する』異能を持つおじさんのこと。
死体遊戯という名称がダサいと一蹴されたこと(瓜園は顔を赤らめていた)。
タピオカおじさんと戦って勝ったこと。
そして、黒谷紅音と劇団『百鬼夜行』のこと。
瓜園はマスターのような位置に立ってロックのウイスキーをチビチビやりながら話を聞こうとしていたが、妖怪の死体まで操れるという話を聞くと、みるみるうちに顔を青ざめさせた。
話が終わるころには、手に持ったウイスキーは随分と薄まっていた。
「なるほど……。だいたい話はわかりました。まずはすみません、猿田さん。どうやら私たちは敵の思惑通りに動いて、あなたを巻き込んでしまったようですね」
「いえ、瓜園さんが謝るようなことでは……」
そうしなければならなかったということは、猿田にも理解できた。
むやみに殺すつもりはないと黒谷は言っていたが、少なくとも猿田が助けに行かなければ、目の前にいる瓜園が死んでいたかもしれないのだ。だから助けを求めたことは正しかったし、自分がそれに応じたこともまた正しいと思う。
ただ、それが向こうの思惑――脚本通りだったというだけだ。
「にしても……黒谷紅駿に娘がいたとは驚きです。彼は記録上は独身で、子供もいないことになっていましたから」
「隠し子ってことかいな?」
重たい空気が漂っていたが、花山はこんな時でも能天気な声音だった。話の途中で瓜園に指示を受け、ノートPCを弄っている。
「娘というのが事実ならそうですね。ま、いずれにせよ、妖怪の死体まで操れるというのは非常に厄介です。普通『細胞を操る』と言っても、体に宿った妖力で抵抗できるので、操作する系統の異能は妖怪には効かないものなんですが、死んでたらそうはいきませんからね。『死体を元通りに修復する』異能の持ち主と組まれると、まさにヴァンパイアというよりネクロマンサーですね。考えうる限り最悪の組合わせでは……。問題は、どこから死体を入手したかですが……」
瓜園は机の上に置かれたタピオカおじさんの白骨を見やった。
猿田たちは、包帯男の残した通常の人骨はいくらでも代わりが効くだろうということで捨て置いたが、タピオカおじさんの人骨だけはしっかりと回収してきた。再利用されてはたまらない。瓜園は後で、原形を留めぬよう粉骨にして供養すると言っていた。
「お、あったで!」
その時、ノートPCを何やらカタカタとやっていた花山が、くるっと裏返して一堂に画面を見せた。そこにはタピオカおじさんの顔写真と、本名や異能、妖力のランク等の情報が記載されていた。
岩釣晴丸。四二歳 【妖力】中級 【呪い】加圧願望 【異能】身体の球体変化
【備考】テロ組織『百鬼夜行』に所属。『桃郷大学決戦』で行方不明。
「これは?」
「専用のPCでだけアクセスできるオロチのデータベースや。オロチで存在を確認した妖怪や魔術師なんかは、みんなここに記載されとる。これ見るんと、タピオカおじさんちゅーのは、『桃郷大学決戦』で『百鬼夜行』側について戦った妖怪てことやな」
「行方不明ということは、決戦のあの日に、死体を拝借したということですかね」
瓜園は薄くなったウイスキーをちびりとやった。
花山が【加圧願望】の項目にカーソルを合わせると、「定期的に人にのしかかりたくなる」という注釈が表示された。
「難儀な呪いやなぁ……」
花山は顔をしかめて、そんな感想を漏らした。
衝動であり、渇望であり、祈りであり、行動原理であり、存在意義。
猿田は黒谷の言葉を思い出す。
もしも人に迷惑をかけたくなる呪いというものを自分が宿していたら、世界はどのように映るのだろう。猿田はそんなことを考えてしまった。
「ま、難儀じゃない呪いなんて無いですよ。多かれ少なかれ、妖怪は呪いに突き動かされて行動を起こすものです。黒谷紅音もそうだったみたいですし」
「そうですね。あいつは――呪いに忠実に生きていない妖怪を放っておけない呪いだと言ってました。俺が呪いに忠実に生きていないのが気に入らないと」
猿田が困っている人間を放っておけないように。
黒谷は困っている妖怪を放っておけない、ということなのだろう。
無数の声が常に聞こえると言っていた。
呪いに忠実に生きていない妖怪の叫びが、世界のどこにいても聞こえると。
放っておいてくれ。猿田はそう思った。
「呪いを同じくする律と書いて、【呪同律】ですか。確かにそれは、黒谷紅駿が宿していたのと同じ呪いですね。それが彼の犯行動機だったようですから」
「『百の密室事件』の、ですか?」
「えぇ。そうです。秘密結社オロチが二〇〇〇年に誕生してからは、呪いに従って人にちょっかいを出す妖怪を、厳しく取り締まるようになりました。それまで鎮守の家系の人間ができる範囲でやってきた、悪い妖怪から人間を守るという役割を、組織だって行うようになったわけですから、呪いを満たせない妖怪も増えようというものです。他者の宿した呪いの声が聞こえるという紅駿には、それが耐えられなかったのでしょうね。それで現状を変えようとした、と。結果的に、彼は死に、『百鬼夜行』は敗れましたが、企みは成功したことになるのでしょう。我々オロチの戦力は大幅に減退し、再び都市伝説が盛り上がりを見せることで、妖怪が呪いを満たしやすい土壌ができあがった」
「……なるほど」
「しかし娘である黒谷紅音は、そんな父とは違うやり方で、自らの呪いを満たそうとしているようですね。マクロに対してミクロなやり方とでも言いますか。全体を一気に改善しようとした父に対して、娘は一人一人の妖怪を相手にして、呪いを満たすように促そうということですかね」
【救迫観念】。猿田が宿したヒーローという呪い。
使命で、宿命。
それに従うように、猿田に促したというわけだ。
「全ては俺を舞台に上げる為、ですか」
「そうですね。私たちは、彼女の脚本通りの役割を演じてしまったということになるんでしょう。嫌がるあなたの手を取って、文字通り、舞台に立たせてしまった。まったく、劇団とはなかなかに皮肉が効いてますよね。小ばかにされてるみたいで悔しいですよ。しかも、まだ公演とやらは終わっていないときたものです」
瓜園は机の上に置かれていた案内状をぴらりと持ち上げた。
『劇団☆百鬼夜行 下北沢公演千秋楽 今昔下北沢の大天狗の怪』。
でかでかと踊る文字と、下手くそで抽象的な絵。その絵は見ようによっては、二人の人間が棒を持って戦っているように見えた。
「猿田さん。どうします、これ?」
――ドクン。
呪いがざわめいた。
「こっちは人質が取られてるんです。行かないわけに行かないでしょう。腹立たしいですけど、舞台とやらに上がって、演じなければいけないんじゃないですか? ヒーローの役割とかいうやつを」
「ふふ。上手いこと言いますね」
瓜園は悪戯っぽく笑った。
それから案内状を眺めつつ、ウイスキーをズズとすする。
「でも、今昔下北沢の大天狗って、どういう意味なんですかね? 今は正太郎さんだとして、昔というのは光太郎さん……? ん。え、って、まさか? でもいや……そんな。さすがに……」
瓜園はウイスキーの入ったコップを机にことりと置いて、顎に手を当てて何やら難しい顔をして考え始めた。
その時である。
プロジェクターに投影されていた地図上に、『未確認妖力感知』の文字が現れ、腕の電子端末から警報が鳴り響いた。
「な、なんやっ!? またかいな!?」
現在の時刻は一八時を過ぎた頃。まだ逢魔が時は終わっていなかった。
「立て続けにですか、油断してましたね」
瓜園は苦虫を噛み潰したような顔である。
エリア内での妖怪の出現。感知した地点に赤い点が表示される。
「え、ここって、俺んちじゃあ……?」
猿田の呟きに、一同は顔を青ざめさせた。
赤い点は猿田の家――天狗寺がある場所を指し示していた。
「花山さんっ! 猿田さんの家のトイレに直接繋いでください」
「ほいさっさ!」
花山はドアに駆けて行き、コンコンコンと三回叩いた。
しかし首を傾げる。
「ん、あれ? 繋がらへん。おかしいな。個室トイレの気配を感じへん。え、正太郎君ち、トイレないん?」
「いやいや、そんな家あるわけないだろ」
それを聞いた瓜園は顔面蒼白。
「花山さん。先ほどの公園の公衆トイレで良いので、繋いでくださいっ! 早く!」
慌てて花山は再度扉を叩く。
「繋がったで!」
瓜園はお面を被りながら、扉に向けて速足で近寄った。犬塚と猿田もお面を被り、それに続く。
〇
公園の公衆便所に出ると、遠くで鳴り響く消防車のサイレンの音が聞こえた。
「嫌な予感がします、急ぎましょう」
瓜園は音のする方角――猿田の家の方角へと駆け出した。
すでにその身を妖怪化している三人は、半透明の人が行きかう夜道を、一直線に駆けていく。
三人が進む先、天狗寺のあるあたりの空が、逢魔時空のように赤く染まっていた。
瓜園の嫌な予感が加速する。
天狗寺に近づくにつれて、人混みが増えた。
「火事だってよ」
「マジ? こわー」
人々の話す声が耳に飛び込んでくる。
到着する前には、三人ともすでに事態を確信していた。
天狗寺に着くと、入口になっている石段の下に消防車が止まり、人だかりができていた。
石段の上で――火の手が上がっている。
それを見て猿田は頭が真っ白になった。
炎の記憶。
それは彼のトラウマだった。
そう。あの日以来、彼は炎を極端に恐れていた。家にある調理器具を、全てIHヒーターに変えるくらいに。炎を見るだけで体が動かなくなるのだ。
全身が痙攣した。臓腑の奥から吐き気がこみあげてくる。
立ち止まりそうになるが、なんとか歯を食いしばり、瓜園と犬塚の後ろについて石段を駆け上がる。
登りきると、煌々と燃え盛る炎が、天狗寺の境内を包み込んでいた。何もかもが燃えている。猿田の暮らしていた小さな家も、大きな天狗の面が祀られた本堂も。
それはさながら地獄のような光景だった。
炎。炎に次ぐ炎。怒り狂ったように暴れる炎。轟々と燃え盛る音。
猿田は鳥居の下で膝をついた。立っていられなかった。
怖い。恐怖。吐き気。震え。動悸。
炎が自分の体を縛り上げているようだった。
消防隊員たちが消火活動に勤しんでいる中、境内の中央にひどく場違いな金髪の少女が立っていた。
黒いパーカーに身を包んだ少女。
赤黒い妖気を纏った妖怪。
黒谷紅音。
彼女は何かを抱えてそこに立っていた。
その身を妖怪化しているのだろう。周囲の人間は誰一人、その存在に気づいていない。
犬塚は木刀を構え、瓜園は素早く妖力のこもった弾を銃に込め、お面をずらして黒谷と対峙するように立つ。
すると空が真っ赤に染まり、周囲から消防隊員の姿が消えた。
逢魔時空が形成されたのである。
妖怪と妖怪が対峙した時、どちらかにその意思さえあれば、そこに逢魔時空は形成される。逢魔時空とは人と妖が重なり遭う場所であり、同時に、妖と妖がぶつかり合う場所でもあるのだ。
今回は、犬塚が敵意を向けたことで、逢魔時空が形成されたというわけである。
現実レイヤーで起こっていることは、そのまま逢魔時空でも再現される。炎は変わらず音を立てて燃えていた。
猿田は膝をついて、お面を持ち上げ、何とか目だけで見上げる。
「あは。さっきぶり。逢魔が時に間に合ってよかったよ。君たちに来てもらわないと意味ないからね」
瓜園が銃を構えながら問う。
「あなたが火をつけたんですか?」
「ぷふ。そうだよ。僕が火をつけたんだ。人間としてね」
火事は現実レイヤーで起きていることだった。妖怪の異能によらない、人間黒谷紅音としての犯行。火をつけた後、人に見られる前に妖怪化したのだろう。
その気になれば、無人の寺に気づかれずに火を放つなど容易いことだ。
「あんた……何してんのよっ!」
犬塚は木刀を構えて飛び掛かる。しかしまだ先ほどの戦いから十分な時間が経過しておらず、込められた妖力は弱々しい。
黒谷はポケットに突っ込んでいた手を抜いて、人差し指と中指で刀身を挟み、簡単そうに受け止めた。それからブンと腕を振るって、木刀ごと犬塚を投げ飛ばす。
犬塚は石畳の上を転がり、受け身を取って瓜園の隣に片膝をついた。
「――このっ」
黒谷は再度飛び掛かろうとする犬塚を手で制する。
「待ちなよ、今はまだ戦うつもりはない。ほら、後ろを見てみなよ? 一人でやる気?」
言われて目線だけで後ろを見ると、猿田が胸に手を当てて苦しそうしていた。
「あんた、何したのよっ!」
「僕は何もしてないよ。まぁ、火はつけたんだけどさ。ぷふ。実は彼、炎が大の苦手らしいんだよ。炎を見たらまともに動けなくなるとパパから聞いてたんだ。あは。どうやら本当だったみたいだね。可愛いじゃないか。ますます好きになっちゃうなぁ」
黒谷はうっとりとした表情を浮かべる。
猿田は何とか片目だけを開けて、黒谷を見据えた。
彼女の背後で踊る炎が視界に入ると、胸の動悸が加速する。
「なんでお前の親父が……そのことを?」
猿田は絞り出すようにして震える声を上げた。
「僕のパパと君のパパは古くからの友人同士だったんだよ。腐れ縁だとか言ってたなぁ。君のことはパパからよく聞かされてたんだ。それ以来、僕はね、ずっと君のことが気になっていたんだよ。君みたいに、呪いから目を背ける妖怪というのを、僕は知らなかった。だからずっと君のことを見ていた」
(紅駿を筆頭に、オロチを裏切って『百鬼夜行』側についた妖怪もたくさんいましたしね)
瓜園から受けた説明。
(この前お前のこと、俺の同僚の友達に相談してさ。頭の良いやつなんだ、そいつ)
記憶の中の父の言葉。
黒谷紅駿はもともとオロチに所属していて、父親と同僚だったというわけか。
猿田は合点がいった。
黒谷紅駿。ヴァンパイアで、桃郷大学の教授。
なるほど確かに、頭の良いやつである。
見ざる・聞かざる・言わざるは、そもそも友人である黒谷紅駿のアイデアだったというわけだ。だから娘である黒谷紅音は知っていたのだ。猿田の生き方を。
しかし、解せないこともある。
「てめぇ、人の家燃やして、何が目的だよ……?」
「ぷふ。この身に宿す呪いの為なら手段を選ばないという、僕の決意の表明と、あとは渡し忘れた台本を届けに来たってところかな?」
「台本……?」
「君たちがこれから演じる劇がどういうものかを、予め明確にしておきたいなと思ってさ。アドリブじゃあダメなんだ。君にはちゃんと、覚悟を持って劇に臨んでもらいたくてね。これ、見覚えあるだろう?」
そう言って、黒谷は抱えていた何かを掲げて見せた。
炎に照らされるそれは――。
仏壇の前に置かれていた、父の遺骨が入った骨壺だった。
「あんた……まさかっ!」
犬塚はきっと黒谷を睨みつける。
死体を復元する異能。
三人は同時に背筋を凍らせた。
「私たちを光太郎さんと戦わせるつもりっ!?」
最悪だ。邪道にして外道。
人道にもとる。人の道を逸脱した行為。
「ぷふ。だから、僕は死霊使いだって言っただろう? 猿田光太郎が息子に授けた【呪い】の言葉――見ざる・聞かざる・言わざるから解き放たれて、その身に宿した【呪い】に忠実に生きる為には、やっぱり自分の手で倒すのが一番かなと思ってさ。あは。君に演じてもらうのはヒーローショーなんかじゃあない。ベタベタなオイディプス神話の戯曲だよ。少年は地獄から蘇った偉大なる父を倒し、英雄になるという寸法さ」
犬塚は黒谷に食ってかかる。
獰猛に噛みつく。
「あんたっ! 最低よ! それに光太郎さんが授けた呪いってどういうことよ! 光太郎さんが見ざる・聞かざる・言わざるとか、そんな情けないこと言うわけないじゃないの! 光太郎さんは立派な人だったもの! 息子にそんなこと言うわけないじゃないっ!」
黒谷は貧乏ゆすりをした。
「言ったんだよ。それが。いいか? 犬塚。よく聞けよ? そこにいる猿田正太郎は、幼い頃に抱えたトラウマのせいで、自分が戦わなければならない運命にあることを恐れ、ふさぎ込んだことがあるんだ。それを見かねた彼の父が、見ざる・聞かざる・言わざるという逃げ道を用意してあげたことで、何とか立ち直れたんだよ。そんな親心を、情けないことって言葉で片付けるのは、あんまりじゃないか?」
「う、うそ。うそよ。そんな……」
犬塚は泣きそうだった。
だって、そんなこと、知らなかったんだもん。
そう叫んで泣きわめきたい心境だった。
黒谷が言うことが本当であるならば――。
(見ざる・聞かざる・言わざるとかふざけたこと言って、目をそらしてんじゃないわよ。もっと光太郎さんを見習いなさい)
自分はなんて間抜けで酷いことを言ったのだ?
「だけど、そろそろそんな呪縛からは解き放たれるべきだ。その点に関しては君と同意見だよ。あは。三猿の彫刻には続きのストーリーがあってね。見ざる・聞かざる・言わざるで幼少期を過ごした猿は、やがて独り立ちを始めるんだよ。だから僕が、呪縛を授けた父親との直接対決という舞台を用意してあげることで、それを後押ししてあげようと思ってね」
「ふ、ふざけるんじゃないわよっ! 猿田はそんなこと――」
望んでない。
そう言おうとしたが、黒谷に遮られる。
「キャンキャンうるさいなぁ犬っころっ!」
黒谷は犬塚を一喝した。
「君にそれを言う資格があるのか? 自分だけ被害者面して正太郎の味方を気取るなよ。猿田正太郎にヒーローの役割を演じさせようというのは、君が望んだことでもあるだろう? 彼の手を引いて舞台に立たせたのは君じゃないのか? 違うか? 僕のことだけ加害者だと指差し糾弾するのは、ちょっと勝手が良くないかい?」
「それはっ……」
犬塚は返す言葉を失った。
背後にいる猿田を見やる。
胸を押さえてうずくまり、苦悶の表情を浮かべていた。
何かを言おうとしているのか、口を動かしていたが、言葉にならない様子だった。
あんな風に猿田を苦しめているのは、確かに、自分が巻き込んだからでもあるのだ。
黒谷に指摘される前から、犬塚はそのことに気づいてしまっていた。
自分は猿田に対して、父と比べるようなことばかりを言ってきた。
その身に宿した呪いに従えと言ってきた。
(さいてーよ! あんた、それでも光太郎さんの子供なわけ!?)
猿田の頭に麦茶をぶっかけた。最低なのはどっちだ。
(ふん。あんたなんて猿田で十分よ。光太郎さんみたいに立派になったら、先輩って呼んであげるわ)
クレープを奢ろうとしてくれた猿田を拒絶した。我ながら素直じゃない。
(あんた、念動力なんて強力な異能を光太郎さんから受け継いだんだから、その力を世のため人の為に生かさないとダメよ。それがあんたの使命で、宿命なの)
自分は何を偉そうにしたり顔で説教をしているのだ。生意気な。
猿田と出会ってからの記憶が廻る。
知らなかったとはいえ、酷いありさまだ。
黒谷は嗜虐的な笑みを浮かべる。
「なぁおい、犬。なんとか言ってみろよ。鳴けよ。ほら。躾けてやろうか?」
「わたしはっ、わたしはぁ……」
犬塚は泣いた。泣いてしまった。
涙腺が一旦決壊すると、目から涙が止まらなかった。
黒谷はニヤニヤと笑みを浮かべる。
「ぷふ。あーあー泣いちゃった。まったく煽り耐性の無い犬だなぁ。ま、これ以上この場で言葉を交わすのは野暮ってものかな。それじゃあ君たち、劇場で待ってるよ。開演時間に遅刻しないでくれよ」
黒谷は背中に黒い翼を生やすと、猿田光太郎の遺骨が入った骨壺を抱えて、空へと飛び立っていった。
後には三人と、境内で燃え盛る炎だけが取り残される。
地獄のような光景だった。揺れる炎が猿田のトラウマを炙る。
黒谷を見送った猿田は、緊張から解けたこともあり、ふっと意識を手放していく。
「猿田っ!」
閉じていく視界に、心配そうな犬塚の顔が映った。
そして猿田は――夢を見る。
その夢は、身に宿す呪いの産物、あるいは、父親との過去の記憶であった。