①「劇団☆百鬼夜行」
猿田達が拍手の方向に首を向けると、下北沢に古くからある小劇場の屋根の上に、短めの金髪の少女が立っていた。派手な柄の黒いぶかぶかのパーカーを、ワンピースのようにして着て、ポケットに両手を突っ込んでいる。
異様な威圧感を放つ妖精のように美しい少女だった。十代後半のようにも見えるし、二十代後半と言われても納得できる。背は高くも低くもない。胸は大きくも小さくもない。髪は長くも短くもない。
ただただ特徴的なのは、その威圧感。そこにいるという存在感。
「お見事だね。僕の負けだ。なかなか楽しかったよ」
「誰よあんた! あんたが操ってたわけっ!? 名乗りなさいっ!」
犬塚は猿田の腕から自分の足で立ち上がって、金髪の少女に木刀を突き付けた。
「僕は黒谷紅音。黒谷紅駿の娘で、ヴァンパイア――というよりは、死霊使いかな。あは」
ひどくあっさりと。
こともなげに。
惜しげもなく。
黒谷紅音はそう言った。
猿田の全身の毛が逆立つ。
日本史上最悪のテロリストであり、『幻想器官』の著者、黒谷紅駿。妖怪の妖怪による妖怪の為のテロ組織『百鬼夜行』のリーダーを務めていた男。オカルトブームを再燃させ、世界のアップデートに成功し、そして、猿田の父親と相打ちになった男。
目の前にいるのは、その娘だと言う。
とんでもない大物である。
黒谷紅駿の娘ということは、彼女はあえてネクロマンサー等と自分のことを評したが、父と同様に『細胞を操る』異能の持ち主である可能性が高い。その能力で死体を操っていた、ということなのだろう。黒谷紅駿が大学の卒業生を百人殺してみせたように。
猿田はごくりと唾を一つ飲み込んだ。感覚的には、初めてのダンジョンでボスを倒したら、次に魔王が現れたようなものだ。めちゃくちゃなゲームバランス。
犬塚は木刀を構えて、残り僅かな妖力を身に纏って、臨戦態勢を取ろうとする。
「やめておきなよ」
黒谷は右手で犬塚を制する。
「今の所は、これ以上君たちに危害を加えるつもりはない。挨拶に来ただけなんだ。僕も疲れたしね。どうしてもと言うのであれば、ここで殺してあげてもいいけど?」
「犬塚、落ち着け」
猿田も犬塚を制する。疲れたとは言っていたが、相手にはまだ余裕がありそうだ。
分が悪いと判断した。
「桃郷の各地で起きてる『連続多発都市伝説事件』ってのは、お前がやってるのか?」
猿田は警戒しつつ黒谷紅音を見た。
「イエス。その通りだよ。僕だけじゃなくて、みんなで手分けして、だけどね」
「何が目的なんだよ?」
「テロリズムと言ったら?」
黒谷はおどけたように言った。
「百鬼夜行の残党か?」
「ぷふ! 半分正解で、半分不正解」
「どういうことだ?」
「僕たちの仲間には、元『百鬼夜行』の人間が何人かいる。だから構成員的にはまぁ、残党とは言える。だけど志が大きく違う。安心してくれていい、僕たちの目的は、テロリズムなんて物騒なものじゃあないからね。さっきのは冗談だ。僕たちはテロ組織ではないよ」
「テロ組織じゃないなら、なんなのよ?! はっきり言いなさいよ!」
苛立たし気に犬塚が問う。
「ぷふ。僕たちは劇団だよ。妖怪の妖怪による妖怪の為の組織、劇団『百鬼夜行』だ。僕はそこで主宰を務めている。パパのおかげで世界は確かにアップデートされ、妖怪の存在は白日の下にさらされた。僕たちはそんな世界で、何か面白いことをしようって集まりなんだ。あは。サークルとかでも良いけど、ちょっと締まりがない。悪の秘密結社ってほど行動に一貫性があるわけでもない。だから劇団。それに劇団の方が、なんだか意味ありげで格好いいだろ? 下北沢はちょうど、演劇の聖地だし」
へらへらと、そんなことを宣った。
「ふざけんじゃないわよっ! あんたたち、無関係な人間を殺したりしといて、何が面白いことよっ!」
犬塚は声を荒げた。
――ドクン。
猿田の身に宿した呪いが心臓を叩く。
――ドクン。
犬塚の言うとおりだ。放っておけば、こいつは人を殺す。
――ドクン。
怒れ。呪いがそう囁く。あわやクラスメイトが殺されそうになったのだ。
黒谷はそんな猿田の様子を、嬉しそうに見ていた。
「ぷふ。そんなに怒らないでくれよ。あと、勘違いもしないでほしい。僕たちが言う面白いことと言うのは、あくまで、妖怪にとっての面白いことなんだ。もう一度言うけど、僕たちは妖怪の妖怪による妖怪の為の組織だ」
「じゃあ、お前の言う、妖怪にとって面白いことってのは、何なんだよ?」
「己の身に宿した【呪い】に忠実であること」
黒谷はきっぱりとそう言った。
その言葉には、確固たる信念があるようだった。
「僕たち妖怪にとって、呪いは衝動であり、渇望であり、祈りであり、行動原理であり、存在意義だ。猿田正太郎。君にも覚えがあるんじゃないかな?」
黒谷は猿田に、試す様な視線を送った。
猿田がその身に宿した呪い――【救迫観念】。
困った人を放っておけないという呪い。
正義の衝動。安寧の渇望。平穏への祈り。
猿田正太郎という男の、行動原理であり、存在意義。
「名前を名乗った記憶は、ないんだが?」
今まさに、呪いにその身を焦がされていた猿田は、図星を突かれたような気になって、ついそんな風に話を反らした。
「ぷふ。おいおい猿田正太郎。僕が君のことを知らないわけがないだろう? なんたって君は、『桃郷大学決戦』で僕のパパと相打ちを果たした、英雄猿田光太郎の息子なんだから。僕は君に興味があるんだよ。すごく。ずっと、君のことを見ていたくらいだ。はっきり言おう。『連続多発都市伝説事件』を僕たちが催したのは、君を舞台に上げるためなんだ」
「何を……言ってるんだ?」
猿田の背筋に嫌な汗が流れた。
「オロチに人手が足りていないのはわかっていたからね。桃郷の街のあちこちで事件を起こせば、藁にも縋る思いで、戦えそうな人間をスカウトすると思ったんだよ。人を助けずにはいられないなんて呪いを宿した、鎮守の家系の人間がいれば特にね。あは。ビンゴだっただろう? そこにいる少女は君に助けを求め、そしてその身に宿した呪いに従って、君は戦いの舞台に立った。すべては僕の書いた脚本通りってわけさ」
「お前……ふざけんなよっ!」
猿田は声を荒げた。彼が怒りの感情を露にするのは珍しいことだった。
それから、ふぅと息を吐いて自分を落ち着け、努めて冷静に問う。
「じゃあなんだ? 俺のせいで無関係な人間が殺されたってことか? 俺が、俺が戦わないでいたから、殺された人間がいるっていうのか?」
それでも猿田の声は怒りで震えていた。
――ドクン。
黒谷は肩をすくめた。
「……まぁ、そんなにかっかとするなよ。それに――まだ殺していない」
「なに?」
「『連続多発都市伝説事件』の被害者は、まだ殺していないと言ってるんだ。ちゃあんと生きているよ。少しその身を預かっているだけだ。二八人全員ね。さっきも言っただろう? 僕たちはテロ組織じゃないんだ。あは。むやみやたらと人を殺したいわけじゃないんだよ。呪いによって人を殺したい衝動に駆られたというのなら別だけど、意味もなく人を殺したりはしない。理不尽な暴力は嫌いなんだ。殺すのが目的なら、パパがそうしたように、密室で首でも吊らせるさ。だから『連続多発都市伝説事件』は手段であって、目的じゃない。目的は、猿田正太郎、君なのさ。全ては君を、舞台に上げる為にしたことなんだ」
「なんでだよ? なんで俺に、そこまでこだわる必要がある?」
「見ざる・聞かざる・言わざる。三猿の叡智」
黒谷は全てを見通したような顔で言った。
「なんでお前――それを知ってる?」
猿田の問いを無視して続ける。
「猿田正太郎。君は呪いに忠実に生きていない。父親とは違ってね。それが僕には我慢ならない。僕が宿した呪いは【呪同律】。呪いに忠実に生きていない妖怪を放っておけないという、厄介な呪いなのさ。君はまだ見ざる・聞かざる・言わざるという言葉に囚われている。違うかい?」
「そんなことは――」
「僕には隠し事は無理だ。いいかい、僕には聞こえるんだ。世界中の妖怪が宿した『幻想器官』の叫びが聞こえるんだ。あは。つまり、僕には呪いに忠実に生きていない妖怪の悲痛な叫びが、世界のどこにいても聞こえてしまうんだ。他者の宿した呪いの訴えとでも言うべきものが、いつも頭の中で聞こえるんだ。まるで耳元で亡霊が囁くように。そしてそれがこの身を焦がす。全く頭がおかしくなりそうだ。猿田正太郎。君はまだ、心の底から呪いに従って生きていない。それは間違いない」
黒谷は断言した。
猿田には何も言えなかった。
確かにそれは、そうなのだ。
見ざる・聞かざる・言わざる。それが猿田の生き方だった。
「自分の使命から逃げるんじゃない。君は鎮守の家系に生まれたんだ。見ざる・聞かざる・言わざるなんて、ふぬけたこと言ってちゃだめだよ。父を見習え。それでも猿田光太郎の息子なのかい?」
冷徹に、さげすむように、黒谷は猿田を見下ろした。
またそれか。
そう思った。猿田の頭に血が上る。
「ふざけんな! 俺は猿田光太郎の息子って名前じゃないんだ! どいつもこいつもいい加減にしろよ! 俺は俺だ! 猿田正太郎だ! 親父と比較されたいわけじゃねぇ!」
猿田は激怒した。
その叫びを隣で聞いた犬塚は、ビクッと体を震わせた。
それは罪悪感からくる震えだった。
鏡を見ているようだと思う。
昨日今日の自分の言動を思い返してみれば、自分も猿田に対して、黒谷と同じように、繰り返し繰り返し光太郎と比べるようなことを言ったのだ。
猿田の言う『どいつもこいつも』の『どいつ』とは、即ち自分のことなのだ。
そのことに気付いた途端、泣きそうになった。ギュッと唇を引き結んで下を見た。
黒谷はそれまでポケットに突っ込んでいた両手を広げた。
「そう。君は君だ、猿田正太郎。残念なことに。僕が僕であるようにね。煽るようなことを言って悪かったよ。どうか嫌いにならないでほしい。これでも僕は、君のことを好きなんだ。愛しているとさえ言える。ただ、僕は、君に君らしくあってほしいというだけなのさ。だから耳を塞ぐな。猿田正太郎。刮目しろ。声を上げろ。知らないことを知ろうとするんだ」
大袈裟で、芝居がかった口調だった。
言い終えると、黒谷は胸から一枚のビラのようなものを取り出して、猿田に向けて放る。桜の花びらが散るように、ひらひらと宙を漂って猿田へと落ちていった。
黒谷は腕に巻いた時計を見ながら言う。
「さて、今の所は、ひとまずこれで退散するよ。そろそろ時間だ。この後ちょっと予定があってね。君にそれを渡しておく。劇団『百鬼夜行』の、記念すべき旗揚げ公演、千秋楽の案内状だ。逃げずに来たら、行方不明者二八人は解放してあげよう。他の鎮守官に援軍を頼んだりするなよ? 君たちだけで来い」
――ドクン。
その身に宿した【救迫観念】の呪いが胸を叩いた。
猿田が受け取った紙には、『劇団☆百鬼夜行 下北沢公演千秋楽 今昔下北沢の大天狗の怪』と書かれていた。日時と場所も指定されている。下北沢にある一番大きな劇場に、今夜の午前二時――丑三つ時に来い、ということだった。
――ドクンドクンドクンドクン。
早鐘が打ち鳴らされる。
二八人の人間はまだ生きていて、その命が掛かっている。
助けろと呪いが叫ぶ。
逃げるという選択肢はあり得なかった。
猿田は黒谷を睨みつける。
「首を洗って待っとけ」
黒谷は口角を上げた。
「良い返事だ。ぞくぞくするね。それじゃあ、また後でね」
黒谷は背中に蝙蝠のような黒い翼を生やすと、赤く染まった空に飛び去って行った。