破:喪失と論理/Loss&Logic
◆
右脚の機能を喪失していた。
右の眼球とは違い、目に見える異常はない。靴下と靴を脱いでみても、不健康な白い肌が覗くだけ。
瞳が黒く染まるような異様はなく、右脚が動くこともまた、ない。
まるで本当に、足が棒になったかのようだ。
後輩はかなり取り乱したが、なんとか落ち着かせた。平静を失っている余裕はない。
ここまでの階層では探索中断の発想がなかったから見逃していたけれど、降りてきたばかりの階段は闇に消えていた。
撤退の選択は許されていない。
多少の非常食を準備してはいたが、洞窟の中で生きていけるほどの量があるはずもない。
脱出の可能性に賭け速やかに下層を目指すほかないが、しかし機動性は最悪だ。
後輩の肩を借りることで、移動はできる。
できる、だけだ。
彼女の俊敏性は完全に失われた。一応私も魔術を行使することは可能だが、前衛なしで役立つかどうか。
「……ごめんね」
ものの見事に、いまの私は足手まといだった。
「いえ、悪いのはわたしのほうで──」
「わかってる。水掛け論は時間の無駄。両成敗にしておいて、いまは進もう」
「……はい」
右腕を後輩の肩に回し、右足を引きずるように左足を進めていく。空いた左手は魔術の起動準備にあて、敵に備えた。
第三層は屋外のようだ。学園の裏手から学生寮へと続く並木道が主で、見たところ目立つ岐路はない。
ほとんど一本道の途上にときどき雑魚敵が出没する程度で、探索は易しい。
極めて妙だった。
迷宮としての難易度には、あまり違和感はない。雑多な町並みに気をとられていたが、学生街の領域も道自体は一筋だった。
学園内が混沌としていたのは、おそらく例外なのだろう。
そしてその混沌は、『試練の洞窟』の構成に由来するはず。
後輩や私の記憶を元にしているため、曖昧な部分は適度に補われるのだと思う。
その補正は、重複する。
つまり、同じ場所に複数の景色や建物が混在する場合があるのだ。
屋内では階段や窓が不自然だったように、並木道にも異様が現れている。
さまざまな季節の植物が混成して描きだす光景は、壮絶に美しい。
桜と夏葉と紅葉が同時に咲き誇る並木。桜吹雪と陽光と落葉が降り注ぐ情景。街路は桃と紅の色に染まり、紫陽花との対照が鮮やかだ。
異なる季節の象徴が乱れ咲く、この世に存在する光景で構成された、この世のものとは思えない景色。
それゆえに、極めて極めて不自然だった。
なぜ、雪が降っていないのか。
「このあたりでは雪が降るんですか?」
肩を借りている後輩に問われ、頷きを返す。
冬場に積もる雪景色は学園の風物詩とすらいわれている。自然の観察にあまり関心のない私すら、感心させられたことを覚えていた。
去年見たあの雪の光景が並木道に含まれていないことには、かなりの違和感がある。
……とはいえ、それが何を意味するのかは不明だった。
終点は学生寮の手前で、待ち受けるのは、やはりそこそこの雑魚。
不利が大きいとはいえ、それほど難なく倒せる相手だ。
次の階層へと続くのは、依然として階段で。いまの私には、こちらのほうが手ごわいかもしれない。
肩を貸してくれる後輩の負担が大きくなることが申し訳なかった。
「でも、わたしは楽しい……というか、懐かしいです」
慰めでもない、本心と思われる様子で彼女は微笑む。
「先輩と出逢ってから半年近く──毎日この道を一緒に歩いて登校して、そして一緒に帰ってきたんです。そのことを改めて意識させられるようで、なんというか……感慨深い、というのかな」
「…………」
嘘偽りなく喜ばしそうな後輩に、返す言葉がなかった。
一歩ずつ踏み締めるように階段を降りつつ、私も思いだす。
新入生と顔を合わせたあの日。一緒に鍛錬に励み始めた頃。
年季の違いゆえ、その時点では私のほうが強かった。けれどすぐに追い抜かされそうな、後輩の迸る才気に怯えていた。
私の先輩の背中は、あんなにも頼もしかったのに。
私は先輩として、あまりにも頼りない気がした。
予想のとおりに、後輩の成長はめざましい。半年足らずで、体術も剣術も上回られた。
けれど予想外に、彼女はどこまでも私を慕ってくれる。
十本勝負でひとつも取れなくなった、弱くて無様な私なんかを。
頼れる先輩で、在りたかったのだ。
あのひとのように、強く、優しい。
いつだって、後輩を安心させられる先輩に。
その理想と、自己認識は遠い。
私は無力で弱かった。いまもこうして、後輩に迷惑ばかり掛けて、心配させてばかりいる。
なのにどうしてか、彼女は私に好意を向ける。
経過を伴わずに成果だけ与えられているような、現状がとても怖かった。
まるで、理屈が通らない。
道理に適っていないのに。
先輩を慕う後輩という、張りぼてだけがそこにあった。
いつだったか、弱音を洩らした──零してしまった、ことがある。その日から彼女は、ときどき理由を話してくれる。
『訓練するわたしの姿を優しく見守っていてくれる』
『褒めてください、とせがむたびそっと撫でてくれる』
『わたしが傷つきかけるとすぐに慌てて駆け寄ってきてくれる』
だから好きとか、そんなことを。
けれど、足りない。
その好意に納得できるだけの論理が足りない。
愛を受け入れられるほどの前提が足りない。
信頼を導くための推論規則が足りない。
なぜならそれは、絶対ではないからだ。必要十分性が欠けている。
彼女が口にする条件を、常に私が満たすとは限らない。私だけがそれを満たすとも限らない。二重の意味で、その理屈には欠落がある。
だって、いまがそうだろう。
いまの私は右眼が見えない。彼女の姿を見守っていられるとは限らない。
いまの私は右脚が動かない。彼女が傷ついても駆け寄ることはできない。
ひとつ、またひとつ、喪われてゆく。
彼女が私を好く理由。
後輩が先輩を信頼する理由。
そのすべてを喪った先で、きっと見限られるのだろう。
階段を降りきって、次の階に辿り着く。
その瞬間、右手に力が入らなくなった。
肩を借りられず、自然の摂理に従って。
落ちていく。私は。落としていく。またひとつ。
相対的に離れていく彼女の瞳の端の滴に、思う。
きっともう、後輩の頭を撫でることはできない。
◇
先輩は論理を好いている。
そう聞いた、ある日のことを思いだす。
論理は揺るがないのだ、と先輩は言っていた。絶対的に揺らぐことのない普遍的な正当性が、論理が持つ最大の強みだと。
前提が同じならば、必ず同じ結論が従う。仮定が真ならば、必ず真なる主張が従う。
『時や場合で変わることのない論理は、何よりも信頼できる』
正義より。善より。
規範より。法より。
道徳より。愛より。
曖昧で不確かな人間の感情より、無機質な論理のほうが信じられる。
そう言って彼女は、いつものように冷たく笑んでいた。
どうしてそのことを思いだしたのか。理由は目標だった。
論理学が志向している、学問としての方向性のひとつ。
先輩の解釈によれば、それは公理の最小性だという。
ある命題の証明を、より数少ない公理で行うこと。
複数の公理を別の一で置換できないか試すこと。
その繰り返しを繰り返した果てに見えるもの。
過不足ない簡潔な公理がすべてを導出する。
極限まで整理された最小性の秘める美学。
論理学徒が焦がれている、極北の絶景。
それ自体に否を唱えるつもりはない。
もの好きの嗜好の否定はできない。
わたしだって虚構の物語が好き。
かといって、だからといって。
いくらなんでもこれは酷い。
論理の公理を絞るように。
人の機能を削ぎ落とす。
そんなことをなんで。
どうして、ここは。
こんなところへ。
なんのために。
連れてきた。
わたしは。
先輩を。
試練。
愛。
。
「…………………」
先輩を抱いて抱えるように、わたしは通路を急ぐ。
『試練の洞窟』第四層。再現されているのは学生寮。
魔物は出現してこない。目立つ分岐路もまたない。
探索の目的地はさておき、わたしの目的は唯一だ。
右の瞳と右脚に続き、先輩は右腕を喪った。
だらりと下がるその肢体に、生気はない。
まるで何かが折れたみたいに、先輩は気力を失っていた。
わたしに、掛ける言葉はない。泣いてばかりはいられない。先輩が傷ついているのなら、代わりに立ちあがらなければ後輩の資格がない、というものだ。
……そうとでも思わなければ、やっていられなかった。
『……これじゃ私、とんだお荷物だよね』
ぽつりと唯一零れ落ちた、あの一言が脳裏をよぎる。
上等、だった。
先輩をお荷物扱いなんて、してたまるものか。
むしろ先輩を抱いているほうが興ふ、……心が奮い立つのを感じる。わたしは冷静です。
揺らさないように気を配って、かつ早足で道を往く。
前髪と包帯に隠れた金色の瞳は、ただぼんやりとこちらを見ている。それを意識するたびに、力がみなぎっていく。
特に妨害がなかったためか、目的地まではすぐだった。
ここが学生寮ならば、あって当然の場所。
きっと先輩が一番落ち着くであろう、彼女の部屋。
ここならしばらく安全だろうし、安心できる。
ひとまず先輩を休ませて、それから打開策を考えよう。
そんなふうに作戦を練りながら、扉を開いて、中に入る。
その途端、先輩の瞳は色を喪った。
残されたのは、深々と昏い──黒。
◆
気がつくと、何も見えなかった。
左手も足も、感触がない。
残りの半分を、一息に奪ったのだろうか。なんとも強欲な話だ。
笑う気にもなれない。
とはいえ、それら以外が失われたわけではなかった。胴や頭部の感触はあるし、視覚以外も感じられる。
耳を澄ませば、近くの気配が聞き取れた。若干は汗くさく、けれど甘やかな香りが漂ってくる。触覚から察するに、ここは柔らかな……布団だろうか。
だからどう、ということもないが。
少なくとも、意思の疎通はできる。
「先輩、聞こえますか……?」
「……聞こえているよ」
「よ、よかったぁ……わたし、どうしようかと……」
放っておくといつまでも騒ぎ立てそうな後輩を、言葉だけで鎮めるには苦労した。
というか、抵抗できないのをいいことにしがみついてくるのはやめてほしい。痛いってば。
ともあれ、彼女から状況は聞きだした。
五層は私の部屋で、四層の学生寮内に通じる扉は残っている代わり、出口は見当たらない。寮のほうに戻っても、左半身の状況は変わらなかったという。
ひとまず私は、自分の寝台に寝かされているらしい。
「……ふむ」
現時点で脱出方法は不明。私は目と腕と脚を喪っている。
「なら、私を見捨てて他の出口を探したほうがいい」
「どうしてそうなるんですか!?」
悲鳴に近い困惑に、首を傾げる。
自明の判断のつもりだったが。
「あてのない出口を探して回るのに、私を抱えたままでは負担が大きすぎるでしょう。せっかく放置できる場所が見つかったのに」
「……だとしても! わたしは絶対に、先輩を見捨てないですから!」
負担を減らすにはとか、敷布を使ってとか、右往左往で試行錯誤する声がする。
そこにあるのは、純然たる心配の気配。
敬愛と尊敬と、私を必ず連れていく決意と。
……そういった、何一つとて混じり気のない、好意。
その暖かさに胸が痛む。
嬉しいからこそ心が軋む。
「……どうして君は、そんなに私を好いてくれるの」
微かに、息を呑む音。仄かに伝わる悲しみの気配。
「……もしかして、信じてもらえなかったんですか? 想いも理由も、あんなに何度も伝えたのに」
「聞いたよ。伝わっている」
けれど納得はできなくて、だからこそ──怖いのだ。
私がそう想うに足る人間だとは、どうしても思えない。
私の行動がそれほどの理由になりうるとは、信じられなくて。
思ったのだ。
訓練する彼女の姿は見守らなければならないと思った。
褒めてくださいとせがまれたら撫でなければならないと思った。
彼女が傷つきかけていたなら駆け寄らなければならないと思った。
彼女の想いに応えられる先輩でなければならないと思った。
そう想うに足るような、誇らしい先輩でなければならないと。
「好き」を言葉にされるたび、理由を口にされるたび、呪われているような気分だった。
そうして積み重なった呪いが、いま牙を剥く。
好かれる理由を喪って、何もかもを取り零し、とうとう私は見限られる。
──そのはず、だったのに。
「君はあんなに理由を伝えてくれたけど──その理由を満たしていなくても、結局私が好きなんだろう」
我ながら、傲慢な断定だった。
けれど、わかる。
満面に笑う彼女の表情を幻視する。
「当たり前じゃないですか!」
そう、なのだ。
理解させられる。
こんな状況になってまで。
こんなに足手まといなのに。
それでもこの後輩は、私という先輩のことを、きらってくれないのだ。
でも、だとしても、わからない。
そんな後輩に、私は──どうすれば、報いることができる?
◇
先輩は黙りこくってしまって、わたしは思考を巡らせる。
どうすれば、この気持ちを先輩に受け止めてもらえるのか。
『わたしは先輩のことが好き』という命題が真であることを、どうすれば先輩に証明できるだろうか。
考えれば考えるほど、わからなくなる。
心の裡を見返すほどに、気づかされる。
どこにもそんな方法なんてないことに。
わたしには、先輩のことを好きになったきっかけがない。
そこに、言語化できる明確な原因なんて存在しなかった。
先輩に伝えたのはすべて、わたしは先輩のことが好きという前提の下、後づけに見いだした理由でしかない。
そのことを、改めて自覚する。
だから、なのだ。先輩との間にある認識の齟齬は。
瞳や脚や腕がなくても、先輩を好きでなくなるはずがない。
だってそんなの、後から無理やり捻りだした言い訳に過ぎないのだから。
見守られなくても、駆け寄られなくても、撫でられなくても──それより前から先輩が好きだ。
理由があって、もっと好きになるけれど。
理由がなくても、好きなことに変わりはない。
そして、──そこでいつも、思考が停止する。
こんなことでは先輩を納得させられない。
だってこれは理屈じゃない。
言葉にできるものじゃない。
ただ、溺れてしまいそうなくらいに大きな巨きな気持ちだけがある。
先輩のことが好きだ。
なんでこんなに、好きなんだろう。
明確な理由がないと、この想いは伝わらないのに。
ただ先輩を不安にさせて、何一つとして届かない。
理由がなくても好きだなんて、わかってもらえるはずがない。
どこにも行けるあてのない心ばかりが胸に詰まって、苦しい。
先輩は理論家だ。
人間の感情を解しはするし、必要であれば配慮もできる。
けれど必要性がなければ、必要以上に深入りはしない。
あくまで理屈を旨とするのが、先輩というひとだ。
何度も何度も、叱られた。
叱るというか、注意された。
感情だけで先走らない。
冷静たることを忘れない。
独りよがりで突き進まない。
時には痛い、指導の言葉。
けれど、わたしは堪えられた。先輩のことが、好きだから。
痛い指摘でも、愛の鞭と思えば耐えられないことはなかったし──それに、興味があった。
わたしは物語が好きだ。
神話が好きで、伝承が好きで、過去が好きで、──人間が好きだ。
だから気になった。
どうして先輩は、そんなに理屈を重んじるのか。
『たとえば、誰かを助けたいとしよう。その感情は尊いものだ。でも、ただ感情だけで動いても実を結ぶとは限らない。本当の意味で、相手のことを助けるために──』
感情を大切にするために、冷静な理屈が大切なのだ、とか。
そんなふうに、先輩は話してくれた。
訊けばいろいろ答えてくれて、そのたびわたしは、先輩のことがもっと好きになった。
現実の問題に応用できる、経験則的な理論のこと。思考実験の果てに生じる不思議な逆説のこと。あるいは、現実を記号的に扱おうとして生まれた論理の体系。
論理学が目標としていることも、そういう流れで聞いたことを覚えている。
ひとつひとつ、削ぎ落としていく。不要な余分を切り捨てていく。
数多の主張を分解していった果ての、それ以上遡ることができない命題のことを、学者は────?
その閃きは、突然だった。
まるで天啓のように、わたしは言葉を口にする。
◆
「物語、だったんです」
不意に、後輩の言葉が響いた。
「わたしが先輩に語った理由は、すべてが後づけで。『好き』という気持ちに説得力を持たせるための、それらしい空言で。先輩が納得するにはまるで足りない、空疎な虚構の──物語、だったんです」
……そう、だったのかもしれない。語られる動機が腑に落ちなかった一因は、そこかもしれない。
その物語を紡ぐ彼女に、真に迫るものはなかった──ようにも思う。
好意を口にする自分に、夢中だったかのような。
「でも」
けれど、と後輩は言う。
「全部が嘘だったわけでもありません。わたしが語ったのは、先輩を好きな理由ではなく、先輩をもっと好きになった理由ですから。その意味で、あの物語は──命題は、真でした。
だから、分解できるんです」
「…………、」
「わたしが物語った理由。理由を言葉にした理由。その前提はたったひとつ、なんです。だって先輩、わたしは──」
好きを言葉にしたかった。
「その気持ちは曖昧で、不確かなのに溢れそうで。わたしが溺れてしまう前に、言葉にしたくて堪らなかった」
そこまで言われて──流石の私も、わかってしまった。
「結果的に、吐いた言葉が嘘だったとしても。それより先にあったものは、本当なんです」
理解する、しかない。納得しない、わけにはいかない。
だってそれは。そういうことにする、という取決めで。
「きみは──公理にするつもりなのか、それを」
後輩は、笑って泣いて、頷いた。
見えないけれど、そんな気がした。
「『わたしは先輩のことが好き』。この命題は、絶対的に真となる、揺るがない公理です」
だから納得しろ、と彼女は言うのだ。
その感情は、分解できない。
遡ることのできない前提、なのだと。
「……なんて、ことを」
理由がないのも当然、だったことになる。
説明できないのも必然、だったということになる。
なぜなら公理は解体できない。他の命題を導くものではあっても、それ自身の正当性は示し得ない。
だから議論のために、真だと仮定して──、
「……信じるしか、ないじゃないか」
反論の余地があるはずもない。
それはある意味で議論の放棄だ。
いまはそういうことにしておこう、それが正しいとして話を進めよう、という。
──後輩と先輩の間で結ばれた、信頼の証。
「認めよう。……きみは私のことが、好きなんだな」
「はい」
「たとえ私が、どんなに駄目な先輩でも」
「それでも好きです」
「体術も、剣術も、後輩に負けていても」
「好きですよ。魔術で追いつける気はしませんけど」
「目が見えなくても──きみを見守れなくても」
「やっぱり好きです」
「腕が動かなくても──きみを撫でられずとも」
「好きです。ちょっと寂しい、ですけどね」
「脚が動かなくても──危地に駆け寄れずとも」
「もちろん好きです」
「そう、なんだろうね……。だったら、」
そこでふと、悪寒が走った気がした。
「腕や脚が動かないんじゃなく、切り落とされたとしても」
「好きです。だから絶対お世話します」
なぜだろう。答えは嬉しいはずのに、どうして。
「視覚だけではなく、五感覚のすべてが失われたとしても」
「反応がなくたって先輩が好きですよ」
好意には納得したのに。未知の恐怖は、ないのに。
「洞窟を出ても私が戻らなくて、一生このままだとしても」
「好きなことに、変わりはありません」
後輩がいまどんな表情をしているか、知りたくて仕方ない。
「ならば、だとしたら、これはどうだろう」
どうしてこんなに、彼女のことが怖いのだろう。
「もし、私が死んだとしても。きみは私のことが好きなの?」
「当たり前じゃないですか!」
一瞬の迷いすらもなかった。躊躇いのかけらもなかった。
「……それなら」
満面にわらう彼女の幻影が、脳裏を離れない。
「生きても死んでも、どんな私でも変わらないのなら」
それが、何より恐ろしい。
「私が生きていることの意味は、どこにあるのだろう」