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《寄らば大樹》

作者: 中仙堂

善福丸は驚いた。

孤児だった自分の幽かな記憶の中では、父親の顔は覚えていないが、

家紋の一部に菊の花が咲いていたような、定かでは無い記憶がある。

今、目の前に翻る白い旗印は、正に菊紋をあしらった美しい印であった。

幼心にもまぎれも無い菊水の旗印に、何の確証も無い侭に善福丸の心は騒いだ。

思いつめた善福丸は「そうだ、きっと父に違い無い。」と思うと、

涙は溢れて頭の中は、かっと火照り、胸は高鳴った。

戦乱の世に善福丸と同じく、家庭の愛情に恵まれず、

只管、父を、母を探し求める薄幸の幼き魂は多かったであろう。

「父上〜。」言葉にならない声が突然の奇声となって、周囲を驚かした。

只夢中になって駆けた。


陣中に屯していた雑兵共は驚いた。

突然陣中に〝ましら〟(野猿)の様に飛び込んで来る童が居た。

「不味い。」

「お館様を守れ。」

突然の事に陣中は緊張した。

直に善福丸は荒武者共に捕われの身となった。

「どうしたんじゃ。」

楠一族の古参が周りの動揺を叱った。

「何じゃ、童子かよ。」

「大崎。大崎は居るか。」

「はっ。此処に。」

「何の騒ぎじゃ。」

「お館様も驚いて居られる。」

「はっ。何やら、〝ましら〟の様なものが、陣中に飛び込んで参り、

〝乱波〟(乱暴者、無頼漢。忍の者)の類いかと存じ…。」

「何じゃ、小童子じゃないか。」

古参の武士は

「どうしたお前は。」

「……。」

「はっはっはっはっはっはっはっ。」

「〝ましら〟でもなく、〝乱波〟でも無い。」

「大崎。お前に任す。後で知らせよ。」

「はっ。」大崎と呼ばわれた侍は、仕方が無く善福丸を引き立て、

陣の外れの雑兵の溜まり場に行った。

其処では皆々焚き火など囲んで

「やいの、やいの!」

と戦談義に花が咲いて居た。



寄らば大樹.その2


元冦の役以後、大和の國は國力を失い、波乱の時代を迎えた。元弘元年後醍醐天皇は隠岐島に、お流されになられ、苦難の日々をお送りになられた。季節は春、京都相楽郡笠置の里も陽は西に傾き、宵の明星が霞んで見えた。丘の中腹にある大隆寺の厨から、合図の鐘が聞こえた。「お〜い。飯だぞ〜。」一日汗を出して畑を耕す子供。物乞いをして歩く子供。長い戦乱の巷で、各々が逞しく育った多くの子らが、蜜を求めて群れる蟻や蜂の様に集まって来た。此の寺は地域に巣食う孤児達の、安らぎの胎内の様なものであった。寺の厨も本堂も、すっかり子供や女、老人の姿で一杯であった。部屋の中は人いきれと、何かを焼べた煙りで咽せ返る様だった。中には大人でも子供達に混じって、ひもじさに、食にありつこうと云う者もあったが、其れを殊更に批難する者も居なかった。此処、み佛の里は大人も子供も同じであった。


寄らば大樹.その3


大騒ぎの夕餉が済んだ後、本堂には沢山の子供が大人に混じって、つかの間を和やかに寛いで居た。軈て此の寺の主人がやって来ると、子供達をしり目に般若心経を、如来像の前で誦し始めた。暫くして読経が終わると、僧は徐に後ろを向くと軽く右手を上げた。ざわざわ気侭にしていた子供達も当たり前の様に、何かが始まるのを待った。「ほっほう。皆喰ったかや。」すると子供達は戯れに「うん、うん。喰うた。」「ほっほっほっ。」甲高い僧の満足そうな笑いであった。つられて、どっと笑いが広がった。時は元弘、笑いが一番の救いであった乱世である。「皆、今日頂いた夕餉の膳は、お前達の知らない百姓の、汗して育てた食い物じゃ。」子供と云っても食の有難さは身に沁みている。真剣な眼差しであった。


寄らば大樹.その4


「これぞ、仁なるぞ。お館様の温かいお心じゃ。」「今、世間はのう、仁政。…うん、温かいお心、み仏のお慈悲の心が足りん。童どもも辛いだろうが、希望を持ってのう。」僧は、はたと思い出した。「おう、そうじゃ。竹丸は居るか。」「あいや、此処に居るぞ。」僧は嬉しそうに。「おう。居たか。御苦労じゃが、お前の弟分が増えたぞ。仲良うのう。」又か、珍しくも無いと言いたげな顔で竹丸はこくりと、頷いた。「皆、お仲間じゃ。善福丸を弟のように優しくのう。」僧は隣に居た善福丸を皆に紹介した。善福丸と呼ばれた子は、落ちつかない様子で、周囲を見渡して居た。


寄らば大樹.その5


或日の赤坂城の武者溜りに若い郷士や、城勤めの者など、六、七名が、問わず語りに語らって居ると、其処に城主が割って入った。「おう。此れはお館さま。如何致しました。」「いや、皆が揃って、何やら話に熱が入って居る。」「はっはっはっはっは。」と、一人年長の者が、辺りをそろっと見回してから、「若いものが連れ立って居るので、日頃の想いを気侭に語って居るのでござります。」「ほう。と云うと。」「お館さまの前ですが。我ら田舎武士でござるが、武人として最もの大事とは、何でござるかと談義中の事。」城主はにこやかに見回し、「ほう。其れは面白い。」「或者は腕っ節の強さ、剣術の凄さを云い。」「在る者は、兵法の修得と心得て居りまする。」「で、武人として、我らの頭領お館さまのお心はと…。」周囲の反応は様々で在った。「そうさな。我ら武人の最も大事、ならば…。」「変わらぬ忠義と申したら良いか。」城主はじっと目を閉じて何やら物想いに耽る様子で在った。其の時いつから来て居たのか、城主の子正行「父上。忠義とは如何。」と鋭い視線を送った。「…。」周囲の者達は一様に主の顔を見つめるのであった。


寄らば大樹.その6


「正行。」 「はい。」 「そなたはどう考える。」 「はい。忠義にも色々あるやと存じます。」 「うむ。色々あるとのう。」 何と答えるか父親として興味深い処であったろう。城主は我が子を見つめ、微笑みかけた。「彼の頼朝公が武士の都を開かれ、己が領地安堵の為注がれた忠誠も有れば、見返りを些かも求めぬ。そうよのう、大君への赤誠の想いも有る。」 「正行。どうじゃ。」 「…。」 「正行は其の辺りが判り申さん。」 「はっはっはっはっは。よい。」 「武士もなあ。」 「はい。」 「生きて行く者なれば、子もあり、妻もあろう。見返りを求める奥には、人としての歩むべき道がある。」 「はっ。しかし…。」 「うむ。しかしじゃ。それは他人がとやかく口を出すべき事ではない。」 「そもそも、忠義なるものには上段も有れば、中段、下段もある。其れで良いのじゃ。」 「はい。」 「武士なるものの大事として方や、身内を顧みぬ様では片手落ちと言うもの。」 「武士は人なり、武士も人なり。」「また、肝要な事は、其の全てを捨てる覚悟の生きざまも有る。」「…。」軈て赤坂城も陽がとっぷりと暮れかかって来た。「お館様。支度が…。」「そうか。皆、飯の支度が出来た様じゃ。」「ありがとうござります。」「忝ない。」


寄らば大樹.その7


或日、一人の武士が、草原の木の下で微睡んで居た。何か良き夢を見ている様子だった。爽やかな風が薫る、温かい午後の一時であった。と、二匹の白い蝶がひらり、ひらりと舞って居たが、軈て武士の頭の上にそっと羽を休めた。武士がふと気が付くと、二人の白い着物を纏った童子が自分に手招きをして居る。

「何であろう」軈て武士は招かれる侭、暫く歩くと、其処に待ち受けて居たのは、一頭の龍であった。「汝、南の木より参りしか。」其処で武士は目を醒ました。

今日も赤坂城は穏やかな陽に照らされて居た。「あ、お目覚めでございますか。」「うむ。…夢を見た様じゃ。」「まあ。」其の時、小姓の葵丸が「殿、お客人でござります。」「何と、客とな。」


寄らば大樹.その8


赤坂城の南面に陽当たりの良い、質素な座敷きがあった。遥々と高貴な御方よりの使いであった。小半時であろうか、賓客を迎えるに当たり、城主は粗末ながら香を炊き込んだ衣に替え、客間に向かった。「これは、これは。殿上よりのお使い。我が楠家にとり、何と晴れがましい事でござりましょう。赤坂城主、楠正成にござります。」「御噂は度々耳に居たし居りまする。河内の金剛山の麓には人物が居ると。」「はて、そんな話は何処ぞより…。」「はっはっはっはっはっは。此れは面白い。」使いは笑ったあと、居住まいを正され、「万乗の君は、恐れ多くも、近頃こんな夢を見たと仰せられ…。」正成は突然の話に只聞き入るのであった。


寄らば大樹.その8 -2



夢の中で帝はふと気付かれた。一面白金の眩い光の中、彼方より龍が立ち居で、「天と地の間に、暫くお上の御身をお隠しすべき所は有りませぬ。しかし…」と云いながら、じっと指し示した。帝の南側方面に大いなる樹が聳えていた。大いなる楠は風にそよそよと緑の葉をそよがせて輝いて居た。乱世の真只中にあり、?#92;て経験のない不遇のなか、帝に頼もしい御見方の有るを、夢はお示しになり、大御心は、久しぶりに安らかならん。と帝は感激なされたそうである。今起ちて助成を願うお上に、さすがの正成も戸惑いは隠せなかった。「万乗の君の切なる御願い、正成感涙に咽ぶ念いに、些かも偽りはござりませぬ。が、お使いに?#92;し上げたい。今暫くのお待ちを。」其れは無理からぬ事と、一旦帝の元へ帰られる事となった。



寄らば大樹.その8 -1



文永・弘安の二度、蒙古が我が國へ襲来する。幕府はその國難から存続を賭けて威信を保った。日本の祭事は未だ朝廷と幕府が対立した侭であり、更に朝廷は院政の侭であられた。当時心有る者の間に御親政を待ち望む声が有った。元亨元年愈々後醍醐帝のご親政に移られた。元弘元年八月権中納言源具行愈々起つ。「さてさて、我と共に憎き六波羅を討たん者は居るか。」すると居並ぶ男達は其れに応えるや、我も我もと起ち上がった。処が突然乱入する者が居た。「何者じゃ、控えい。」「手前はお仲間じゃ、北畠様の家来山口の某と云う者。只今、六波羅より、軍勢が…。」「なにっ。何奴じゃ、語りたる憎き奴は。」「無念。」突然、六波羅の捕り物に必死の抵抗をするも、俄仕立ての討幕の同志等は脆くも解体してしまった。「お上をこれへ、」突然の事態に帝をお守りする者達は、帝を輿にお乗せし、大急ぎで叡山へと目指した。鬱蒼とした巨大な杉樹立の中、叡山へと向かう輿を探して、六波羅の荒武者達は必死に取り縋った。真っ暗やみの中、「お上は何処。」「帝は何処。」ぼうぼうと無数の松明が無気味な山道を赤く染めた。急な坂道を六波羅の武士共は必死で追い掛けた。軈て帝の輿と見るや、実は大納言の偽りだったと見るや、六波羅の荒武士達は怒った「してやられた。」囮となったのは大納言。「何の。大君の御為なれば、我身は如何になれども、我が家の誉れぞ。」苦悶の中、にこりと微笑むや、あっと云う間に事切れてしまったと云う。


寄らば大樹.その9


元弘元年五月幕府は日野俊基を鎌倉の地に護送する事とした。其れは後醍醐帝をお守りし、日の本の政治を本来の帝ご親政に還したいと云う、勤王を志す人々の中心人物のお一人を、其の座より引き離す事により、一気に反幕府勢力を壊滅させようと云う、考えに他ならなかったであろう。鎌倉に向かう街道は俊基を慕う人々で、粛然として居た。「日野さま。お達者で。」「お恙無く…。」「お舘さま。」「必ずお戻り出来まするぞ。」近親の者や、俊基に恩の有る者達が竹矢来の前で、俊基を励まそうとする最後の送る言葉を聞いた。軈て合図の鐘と共に牛の引く屋根付の車に乗せられ、俊基はニ度と帰られぬであろう東国鎌倉へと旅立った。多くを語らず、その目には長らく慣れ親しんだ京の都に別離の涙が光って居た。時折啼く牛の声が次第に遠ざかり、人々の悲しみを誘った。帝は我が心根を解る者が去る事を、非常に嘆かれた事でしょう。



寄らば大樹.その10


洛内を離れると、良く整った道も狭まり、荒れ果てて道端に残る家並みも途絶えつつあった。鎌倉迄は気が遠くなる程な道程であった。「おい。何やら追いて来るぞ。」俊基の乗る牛車と知ってか、数人の男女が、付かず離れず追いて来る。軈て大きな栃木が立って居る塚があると、車は一休みする事になった。後ろの男女が怖ず怖ずと近付いて来た。牛車に付いた役人の頭と思しき男が「何の用じゃ。」と聞いた。すると其の中の十五、六の娘が「私は俊基さまの姪でございます。」「其れでどうされたと云うのか。」すると娘は「俊基さまには日頃大変お世話になり通しで、別れ難く名残り惜しうござります。」懐から何かを取り出すと役人は興味を覚えたらしく「其れは…」「形見にございます。母の」「お名残り惜しゅう故、一曲俊基さまのお耳に届けたいと。」切ない眼差しに役人も「良かろう。」「有難うございます。」話は俊基に伝えられる事なく、笛の音を奏でる事のみ許された。思わぬ場所での笛の音に牛車の戸の小窓は開かれた。俊基の驚いた目は娘の姿を探しあてた。束の間の宴が終わりしなに、娘は形見の笛を役人に預けた。役人は何も云わずこくりと頷いた。


寄らば大樹.その11


元弘元年四月吉田定房の密告から端が始まり、反幕討幕の動きを封じられ、反幕勢力の中心、日野俊基を始めとし、多くの勤王の士の志しが打ち砕かれた。「むむっ。無念である。お上もお悲しみでござろう。」「お察し致します。」此処吉野の僧房にも彼方此方からの機密情報が入って来た。其れもその筈であった。広間の一隅には若い僧の中に混じって、一際気品と、叡智を覗かせた人物が居た。旅装の者、また、修験者の身なりの者等、様々な者達に囲まれて、周囲に指示を与えて居た。「殿下、そろそろ夕餉に…。」ちらと振り向き、直ぐまた何ごとかお考えの様子に夜も忽ち更けて行った。「おうっ。腹が減ったのう。」「はっはっは。」「殿下もお空きでござりますか。」「うむ。体勢が総崩れでどうにもならん。しかし、俊基は不憫じゃ。」また塞ぎ込んだ顔に、「お上をお慕いし、諸國の荒武者共が直に駆け付けます。」「そうであろう。」其の御眼差しに幽かに希望の明かりが射されたであろうか。


寄らば大樹.その12


御仏の山は時の移り変わりに、震撼、鳴動し始めた。此処吉野では後醍醐天皇の皇子、護良親王が挙兵する事となった。彼方此方で武装した荒僧侶が行き来し、早馬が駆けた。諸國の街道、裏街道を急を知らせる馬が走り、隠密が走った。「鎮まれっ。鎮まれっ。」「おおっつ。」「如何なるかな。」「むむっ」「許せん。」幕府の支配する武士社会と云っても。多くの心有る者達は、事の善悪を己の利より重視したのである。関東の御家人で知られた新田義貞は直ぐさま、鎌倉へ反旗を翻した。「おう。兄者。鎌倉から何と云って来れれた。」「ふん。知るか。儂等の目指すは、万乗の君の旗の基じゃ。」足利さえも、何を為すべきか、決して忘れるものでは無かった。「愈々、足利も動きましたぞ。」ご表情は戸惑い乍らも、多いに満足気なご様子の大塔の宮であった。


寄らば大樹.その13


「殿下」大きな声にふと、振り返ると、「やって参りましたぞ。この慶運に、お任せあれや。」「おう、おう。こうれは、これは。頼もしいぞ。良う参った。」「はっはっはっはっはっ。殿下。遠うござった。」「うむ。伯耆の國より、良う参った。」「おい。抜け駆けは成らぬ。今、殿下に二年振りのご挨拶の処じゃ。」「何。この…。」「いやぁ、まてまて。殿下もお困りじゃ。」「慶運も仁ノ妨、良く参った。」相変わらずの威勢の良さだ。「ふん。薙刀じゃ、慶運なんぞ、ひとたまりも無いわい。」「何を。殿下の御前で恥を掻かせる気か。やるか。」何と血の気の多い連中であろうか。二人のやり取りを見て、さも、可笑し気に笑う護良親王であった。「仲間割れの時では無い。」「ははっ。此れとは挨拶代わりでして。」「わっはっつはっはっはっは。」周囲の笑いを誘った。


寄らば大樹.その14


元弘元年八月。其の日は生憎の曇り空であった。風は樹々の小枝を震わして、旅人の心を暗く惨めなものとした。小じんまりとした館は貴人の寓居としても粗末なものであった。「お上。」「恙無く暮せよ。」砂埃よけの上衣に身を包み、輿に乗込むと流石にお気の強い後醍醐天皇も侘びし気なお顔を見せられた。其の時「ごうっ。」と強い風が、輿を揺らした。「では。」「うむ。参るか。」「はっ。」季節外れの嵐の中を一行は見送る人も少なく、旅立つのであった。



寄らば大樹.その15


「父上。」宮は思わず自分の声で目覚めた。今は明け方で有ろうか。「どう為されましたか。」「うむ。」「佐々木から聞いた。」父君後醍醐帝の消息をお聞き為され、御父上の夢でもご覧に成られたのでござろう。独りじっと俯いて居られた。


寄らば大樹.その16


「おお〜い、おお〜いっ」「どうしたんじゃ。」陸奥の街道と云えば都からは遥かに離れた僻地であり、又此処らは蝦夷の民の領域でもある。荒れ果てた街道らしい道には道標とて、ろくに目にする事は無い。しかし辺鄙な地域にも稀に都の風が流れ着く事はある。土地の郷士らしい男が数人の家来を従えて、歩いて居ると、たまさか出会った旅の男に、はたと思い当るものが有った。「杉浦殿でござったな。」「葛西殿。暫くでござったな。此れは良かった。実はのう。葛西殿に会いとうて、参ったのじゃ。」「こんな処で何じゃが。」「良し。其処の祠の前が良い。」「陽陰がござる。」「良くお聞きなされ。」「又改まって何であろう。」「一大事じゃ。お上が。」「お上が何となされた。」「鎌倉に、お流されになられた。」「えっ。そんな馬鹿な…。」「…ほんに勿体無い。」「うぅ〜。何が御家人だ。」「其れと…。」「未だ何か。大塔の宮殿下が…。」「山を追われになられ。」「で、何処へ」「判らん。」男は顔を真っ赤にして「其れは無かろう。」「いや、大丈夫でござろう。」「消息が無いのは。却って御無事なのかも。」「…そうか。」都は余りにも遠かった。「其れは。」「おうっ。そう云う訳じゃが、突然の事で、殿下からの御預かり物。令旨をじゃ。」「おうっ。此れは忝ない。」「行くか。」「おうっとも。」「んはっはっは。」「男じゃ。」「そうじゃ。儂等は男じゃ。今、手下を集めて参る。」「おいっ。先は長いぞ。」「知っての事よ。」




寄らば大樹.その.17


寺院の山門から、鎧に身を包んだ武士が二百名程ばらばらっと駆け込んだ。「何ごとじゃ、無礼者め。此処は御仏の…。」飛び出した法師は、荒武者共に弾き飛ばされた。「ぎゃっ。」「どうした。」すると一団を束ねる者であろう。「六波羅と云えば何とする。」「うぬっ。六波羅が何とした。」すかざず。「雑魚は放っとけ。」大勢の六波羅一団が雪崩を打って僧房内へ駆け込んだ。其の物音を遥か奥で聞いて一言。「来たか。」覚悟は出来て居た。「殿下。六波羅でござります。」「うむ。」さっと立ち上がると、「表はもう、駄目です。こちらへ。」心利いたる小者が護良親王の手を曵くと。ましらの様に走った。曲がりくねった廊下の奥まった先は、無人の書庫であった。小者は機転を働かし、山と有る経櫃の蓋を空けると、一杯になった教典をひっくり返し、中の経典をどうっとぶち撒いた。そして親王をきっと見上げると。親王は「ようし。」と空櫃の中に潜り込んだ。「怪しまれるので私は外で。」と云いながら、親王の身体の上に残りの経典を掻き乗せた。「忝ない。…」あっと云う間の出来事であった。入れ違いに引き戸がこじ開けられると、どかどかっと十二名程の武士達が書庫に押し入って来た。一見して、人ッ子一人居ないので「くそっ。逃げられた。」「どう、申し開きするのじゃ。」中の一人、大柄な男が腹立ち紛れに護良親王の隠れて居た経櫃を思いっきり、蹴り上げた。「ぐっ。」思わず出そうになる声を押し殺すと、軈て六波羅役人共も諦めてしまった様だ。半時もしたであろうか。具足や鎧の音が遥かに遠ざかって行った。「やれやれ。」親王も漸く経櫃から這い出すと、



寄らば大樹.その.18



其の時、親王は引き戸の外に切り伏せられた骸に躓いた。誰有ろう、それは親王を危急の御立場から救い出した、先程の小者ではないか。「……。」護良親王は言葉を失った。其の御眼から流れ落ちるものは、忠烈の者を失った無念か、悲しみか、後悔か。其れは誰にも分からない涙であった。「殿下。」「護良さま。」「御無事で。」暫くは何ものの声も届かなかった。




寄らば大樹.その.19


「楠木殿。」「はっ。」帝のお住まいとしては、余りにも質素過ぎ、正成には切ない想いで胸が一杯であった。「楠木か。」直にお声が掛かり、恐縮極まり無い正成は、「ははーっ。」とのみ答えた。もじもじする正成公に、帝の側近は「構わぬ。お申し述べよ。」とあった。「は。楠木正成にござります。」「……。」側近より、「お上は、どうすれば天下万民と共に泰平を分かち会えるか。と仰せじゃ。」「ははーっ。」正成はじっと眼を閉じ、「……。」「陛下。天下万民と共に泰平を分かち会う御為。申し述べまする。」伏せた面の先に、帝の視線を感じつつ、「某。武略と知謀をもって臨みまする。もし、武力のみで戦いますならば、鎌倉勢相手に勝利は得難く存じまする。しかし、武略と知謀で相対し、陛下をお助け申すならば、板東の田舎武士など恐るるに足りませぬ。」過信の欠片も面に見せず、堂々たるお答えに流石の帝も、久々に心の安堵を覚えられたご様子であったと云う。「ささをもて…。」小物達が正成に朱の杯を手渡した。「有難き幸せ。正成、幸せ者にござりまする。」愈々風は吹き始めた。




寄らば大樹.その.20



赤坂城の改修等、大忙しの正成の許に全身汗まみれの伝令が駆け寄って来た。「多聞丸どうした。」伝令は肩で息をしながらも、「…殿。」「…。」「泣いて居ても判らん。」側の者が喝を入れた。「笠置が落ちました。」「な、何と…。」「判った。子細は田安に云え。」「よう、此処まで伝えに参った。休めよ。」「はっ。」伝令は崩折れるようにひざまづいた。早速城主の周りに重鎮が集まって来た。「ははっ。」仕様が無さそうに「聞いての通り、笠置が落ちた。」「お館さま。」「おうっ。何だ、次の便りか。」続く第二報の早さに、一同緊張を隠せなかった。「敵方、今朝方、壱の砦にまで迫って居ります。」「おうっ。杉田の。手筈は良いの。」「おおうっ。某にお任せくだされっ。」頼もしい応えに満足そうな城主であった。「此れから直ぐ、発ち申す。」「やれよ、杉田の。」「うおおっ。」「六波羅、関東の田舎武者など、恐れるものか。」「おいっ、お主小便がちびりそうだぞ。」すると、鬚だらけの鍾馗様が、真っ赤になって 「何を、腰抜けめが。」すかざず正成公は「しかし、仲が良いのう。」「はっはっはっはっはっはっ。」戦の前には些細ないがみ合いも禁物。「さあっ行くぞ。」「おうっ。」




寄らば大樹.その.21



金剛山の西側に最早陽が傾き、次第に夕闇が広がって行く。その裾野には、夥しい数の兵馬が糾合されて居た。しいんとした闇に時折、嘶きや兵士たちのどよめきが轟いて、それだけでも辺りを圧するものがあった。と、突然金剛山の頂き当たりに篝火が点り始めた。続く右手に更に左手にと、あちらこちらに点々と篝火が増え始め、見るものの心を奪った。「此れは異なり。」「何ごとじゃ。」「あんなものに誑かされるな。」「おうっ。」勇ましい声も上がった。しかし、何時迄経っても動きは無かった。突然背後で法螺貝のぼうぼうと鳴り出し、鬨の声が挙がった。「そりゃ、来た。」気もそぞろの処で、左の奥で鐘や太鼓、はたまた、あちらこちらで鬨の声を聞くや、何かのはずみに、巨大な兵馬の集団は、あらぬ方角へと動き始めた。指揮者は慌てて「もどせっ、やよ。かえせ。」動き始めた流れは止まらない。「ふん。臆病者めらが。」気丈な大将は非常に口惜しがった。




寄らば大樹.その.22


信州の山深い沢道を雪解け水が、音を立てて流れていた。「岩ばしる垂水の上のさ蕨のもえいずる春になりけるかも…。」「…。」「志貴皇子さまでしたでしょうか。」「ほう。中々である。」「中々でござりますか。」「中々、はっはっはっはっは。」「こんな山の中で春を迎え、ふと、思い出されましてござる。」「うむ。雅びな。」八名の修験者が居た。中でも一際、精悍な面ざしの若者が居た。「みちのくは遠い…。」「正に路の奥じゃ。」軈て澤伝いに名も知れぬ滝を見つけた。天地を轟かす、轟音に思わず神霊の息吹きを感じたか、一同足を止めて、観音経であろうか。後、「南無八幡…。」「…。」思い思いに、旅の無事と悲願の成就を祈った。




寄らば大樹.その.23



と、其の時、一人が気付いた。

「静まれ。」思わず皆は警戒の色を現した。何者かが、薮を切り開いて、近づいて来るのであった。

「止まれ。」

屈強そうな一人が威嚇的な鋭い声を発した。「お待ちを…」

薮の先で、狼狽えて居る様子が見て取れた。「何奴。」

護良親王であろうか。

甲高く物怖じしない声が云った。

「はっ。私共は此の地に棲むお見方でございまする。」

「姓名を名のれ。」

「ははっ。豪族に身をやつす、洲本某と?#92;しまする。」

「何用じゃ。」

「貴方様方は、都の尊い御方ではござりませぬか。」

「用事を申せ。」

男達は声と成りを改め、

「はっ。」

「昨秋、護良親王殿下より、我がお館様へ令旨を賜り。即挙兵致しましたが、殿下が行方知れず、何でも奥深い信州、みちのく方面に殿下のお姿が有りと聞き居りまする中、乱波より、此の地には稀な高貴な御方がお見えと聞き、此れはもしかして…と、飛んで参りましたる処でござりまする。」

鬚面の大男が、殿下を振り返り、

「殿下。斯様に申して居りまするが…。」「道案内をせよ。」

洲本某と申す男らは、わっと歓声を上げ、「良かった。」

「有難き幸せ。」

「護良親王様じゃ。」

「奇遇じゃ」

口々に歓び会ったそうな。




寄らば大樹.その.24


天険の上に造られた孤城は、八方を敵に囲まれ、一つとして援軍の話は無く静寂の中に居た。しかし此の城に関しては四面楚歌の憂いは些かも無かった。「おいっ。貴様ら、あの城の中で、大胡座の悪党を、此の侭にしておいて情けなく無いのか。」六波羅の指揮官の一人、津川某は顔を真っ赤にして怒り立った。「水断ち、兵糧攻めは駄目よのう。」其の時見張りの一人がやって来た。「申しあげます。」「何じゃ。云って見よ。」「千早の城壁の上に敵兵が…。」「如何程か。」「五百名位かと。」「愈々出たな。」小屋から出て見ると、外は煌々と輝く月光に千早の城が、木立に隠れて見隠れする中、紛れも無い城兵が、彼方此方に篝火を焚いて、攻め手を威喝して居る様だ。「射よ。」指揮官の号令で、寄せて側から五、六百本の火矢が嵐の様に射掛けられた。「こっ、此れは又、激しいのう。」「何の此れ敷き。」散々矢を射込んだ後で、腕に自信のある兵共が、断崖を一人、五人、三十人と、恐れを知らぬ関東の荒武者が先を争ってよじ登って行った。




寄らば大樹.その.25


「それっ。後僅かじゃ。」「かかれっ。」蝗の大軍が火を求めて群がる様な壮絶な戦いが始まった。一番先頭の四、五人が城壁内へ飛び込む機を見計らい、断崖の内から驚くなかれ、大岩が迫り出して来た。「あれは何じゃ。」数百はあろう兵どもが、崖にへばり着いて居る中、恐ろしい事に何十個という巨大な岩が突然に落下し始めた。「うおぉ〜っ。」沢山の兵士が岩と共に逆落しになった。身の毛もよだつ、計略に一瞬何事が起きたか、理解の限界を越えて居た。仕掛けた楠勢も、余りの惨さに暫し呆然として居た。攻め手の幕府連合軍の見た、五百有余人の兵は何と、四百体余りの藁人形であった。「小癪な…。」しかし、後は言葉にならなかった。




「いづおんつぁん」


私の田舎石巻では夏祭りが盛んです。幾つも有る祭りの中で、《いづおんつぁん》と云うお祭りが有りました。幼児期の記憶に印象的でしたが、どう云う謂れのどんな神様のお祭りか此の歳迄、不明でした。全く勉強不足でした。「いづおんつぁん」とは一皇子宮いちおうじぐうのことで、後醍醐天皇の皇子の護良親王(1308〜1335)が殺害されそうになった時、足利直義の計らいで、石巻に逃げ延びてきたと言う伝説が残って居るそうで、(地元のサイトより)此の祭りでは矢張り神輿は出るのですが、行列全員白装束でマスクをします。(口は不浄との事)鐘太古のみで少々怖い気も致すようです。 しかし、伝説や歴史の名残りは意外な身近に有るものと今更ながら驚いています。



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