第一話『死神「兄さんの四十六年と二時二十六分と十六秒の寿命、うちにくれん?」』
唐突でありますが、自分、東雲青空は、人生の分岐点とらやに立っています。
「なぁなぁ? 日本の人間は、極上の玉露と甘美な茶菓子で、客人を表無しするって聞くんやけど、まだかいな? うち、十分も待っていたから、喉がからからや。せめて、美味な水ぐらい出してくれても、バチは当たらんと思うでぇ?」
原因は自分の目の前にいる十代半ばぐらいの、自らを『死神』と名乗った銀髪青眼の外国人、もとい、服装と頭が残念な不法侵入者がいるからである。しかし、死神と自称する割には、真っ黒なローブとか、禍々しい鎌とか持っているわけではなく、だからと言って、某週刊漫画雑誌で連載していた死神みたいな格好をしているわけでもなく、何故か西洋の甲冑を着ていた。それもゲームやらアニメやらに登場しそうな――具体的に述べれば、自分のような男性を意識した――鎧ではなく、ちゃんと戦闘用に作られた鎧を着ていた。そんな格好もそうだが、街中で見かければ、誰もが一度や二度は振り返ってしまうだろう美少女が、どう言う訳か、神聖にして不可侵な四畳半な我が家にいるからである。
いる。
何故か、いる。
いてしまっている。
いてしまっているんだよなぁ……。
言っておくが、お持ち帰りしたわけではない。自分は紳士だ。彼女の後ろにある本棚に、そういう本は……あっちゃったりするが、決して、断じてしていない。それは信じて欲しい。自分は「イエス、 ロリータ。ノー、タッチ」を心情とする立派な――その言葉の前に変態が付く――紳士だ。紳士道に反するお持ち帰りなど絶対にしない。
「……トイレで頑張りすぎたのかな。幻覚と幻聴が見えてしまっている」
「ちゃうちゃう。といれ? で、ナニをがんばとったか聞かんけど、うちはモノホンの死神様や」
銀髪蒼眼の美少女は、何故か、どこぞかの地方の訛りでコロコロと笑う。
自分は瞼を閉じて考えた。今、自分は、かなりガチなコスプレイヤーの幻覚を見ているのだと。それだと説明がつく。さっきまで――その、死神ではないが――銀髪青眼でボインな姫騎士を想像していたからな。
「あー、信じておらんなぁ? せっかくのちゃんす? を持ってきたのに」
しかし、悲しいかな。その鎧から、ガチャリガチャリ、と。聞こえる。
ただの幻聴とは思えない重量感がある金属音が聞こえてしまうのだ。
取り合えず、この一言だけは勇気を出して言わせて頂きたい。
何なんだ。こいつは。
本当に何なんだ。こいつは。
「少女の癖に生意気だ。襲われても文句は言えないぞ」
「天下の死神様を襲うとか、兄さん、怖いもの知らずやな」
だから、少しドスを効かして言ってみる。幾度の女性を遠ざけた、誇るに誇れないブサイク面での一言だ。少女も、その幾度の女性の内の一人になるだろうと思っていたが、彼女は何一つ態度を変えず答えるだけである。
……少し、ほんの少しだけ、嬉しかったのは、内緒だ。
「でも、その方がウチとしたら、ええわ。体格はひょろそうやけど、度胸はええそうやし、思った以上の悪人面。うちの眼に狂いはなさそうや」
この少女、ただの中二病患者の癖に、気にしていることを中々酷いことを言っていやがる。いや、無垢な少女だからこそ、それとも怖いもの知らずだからこそ、或いは本当の死神だからこそ、なのかもしれない。取り合えず、
「兄さんの四十六年と二時二十六分と十六秒の寿命、うちにくれん?」
重度の中二病患者であることは間違いない。
自分の眼に狂いはなさそうだ。
「やだ」
「そこを何とかしてほしいんや!」
すると、少女は涙目で、自分の下半身にしがみつくように抱きつく。これがラノベの展開であれば――もっと言えば、某漫画みたいな展開であれば――ズボンと共にパンツが脱げ、野郎にとってムフフな展開なるが、残念ながら此処は現実だ。阿鼻叫喚になるわ、変態紳士から唯の変態になるわで、良いことなんてちっとも無い。現に――少しずつだが――ズボンが下がってきている。
「のるま? なんや! このままやと、妹達からも見放されてしもうわ!」
「取り合えず、理由を言え! 理由を! あと抱きつくな! 重い!」
「いやや! そうやって、うちから逃げるんや!」
自分はそう言いながら、この中二病患者を引き外そうとした。
そう、重い。精神的に重たいと感じるのではなく、女性にとって失礼な言い方だが、物理的に重たいのである。下半身を力強く掴んでいるからもそうかもしれないが、鎧が思っていた以上に重たい。
そのせいもあって、少女から引き外すことができなかった。
「他の人たちは分からんが、少なくとも自分は逃げない」
そこで無理やり外すのではなく、彼女から外してくれることに期待した。
もう色々とヤバイのである。ナニがどうヤバイのかは――自分の沽券に関わるため省略させてもらうが――彼女の顔が埋めている場所と言い、漂ってくる香りと言い、このシュチュエーションと言い、兎にも角にも、ヤバイ。沸々と湧いてくるやる気を、紳士力もって抑えているのである。
愚息よ。もう暫く、もう暫くだけ、疲れたままになっておくれ。
「……ホンマに?」
それが功を成したのか。上目遣いで自分を見る。
その仕草にドキリとしたが、自分はコクリコクリと何度も頷いた。
「ホンマに? ホンマ?」
「ホンマ、ホンマだから」
いや、だから、本当に離してほしい。すると、その思いが通じたのか、手からするりするりと力が抜けて行き、最後には、おんにゃのこ座りで、ペタリと座ったまま見上げるのであった。何と言うか、その、うん、罪悪感が凄い。
……いやいやいや! それは可笑しい。自分は被害者である。
「うちら、死神とゆーてもな。直接、殺していないんや」
そんな自分の心境を他所に、少女はぽつりぽつりと答え始めた。
「キッカケを作っているんや。対象者の死因になる対象物に剣とか鎌とかで斬り付けて、その結果、対象者の魂を回収しているんや。んで、兄さんには、そのキッカケになって欲しいんや」
「待て。その話を聞くと、自分は殺人鬼になれって聞こえるんだが」
「ちゃう。異世界で魔王になってほしいんや」
「……つまり、異世界転生させてあげるから、魔王になって手伝えと?」
「簡単に言えば、そーゆーことやな。あと、転生ちゃう。転移や」
「……」
これはやばい。
本当の話だとしたら、少女の頭がやばい。
嘘の話だとしても、少女の頭がやばい。
どちらの話にしても、兎に角、重症すぎてやばい。
あまりにも、ぶっ飛んだ内容に、言葉を失ってしまう。いや、だって、異世界転生もそうだが、魔王になって、その対象者のキッカケを作るとか、どう考えても、やばい話だ。彼女の存在が死神だとしても、それを通り越して、悪魔だと思わざるおえない提案である。
うん、他の人たちも断るわけだ。
「そんな提案、呑むわけ無いだろう!」
「やから、ゆーとるやろう! そこを何とかしてほしいんや!」
少女は再び涙目になって訴えた。
「もう、嫌やなんや! ノルマノルマって主神様に言われるのは! 姉様達からも、妹達からも、言われるのは! もう嫌なんよ……」
少女はそう言い終わると同時に、俯いてシクシクと泣いてしまう。
ここで、ふと、疑問に思った。彼女の事情は――はっきり言って、あまり把握していないが――そこまで切羽詰っているにも関わらず、自分に選択肢を与えていることに。何だかんだ言って、異世界転移さえ済ませてしまえば、その主神や姉達や妹達に相当言われているであろうノルマとやらを、簡単に果たせるのではないか、と。そう思った。
「なぁ? ええっと、名前は?」
「ラズリィや……」
死神なのに和名じゃないのか。いや、外国人だから、西洋の死神なのかもしれないけど。兎に角、ラズリィに尋ねてみた。
「何で、ラズリィは自分に提案したんだ? 適当にキッカケを作ったり、適当に言って、異世界転移するように誘導してしまえば、その、ノルマ? とか達成できるんじゃないのか?」
「……そんなん、かわいそうやん」
「はい?」
思わず聞き直してしまう。
「うちの我が侭で、兄さんの残りの人生を、異なる世界で賭けるんよ。オマケに魔王という役割や。楽しいことより、嫌なことや、命が狙われることや、怨まれることの方が多いはずや。そんなんに無理やり転移させても、成功するとは絶対に思わへん。寧ろ、かわいそうやん。だから、聞いているんよ」
それを重症中二病外国人患者改め、死神のラズリィは顔を上げて答えた。
理由は兎も角として、涙目ながらも真剣に語る彼女は根が優しい死神なのかもしれない。もし、自分が彼女の立場であれば、こちらにとって都合の良いことしか言わないと思う。逆に、これまでが嘘で、ここまで話を持っていくことが計算通りだったとしたら、役者顔負けの演技力である。それこそ、もう、女性の言葉を信じることが出来ないと思うほどだ。
あ、だからって、男に走る世界線は存在しない。
絶対に存在しない。
決して存在しない。
存在しないから。
「取り合えず、異世界に行くと、大変なことが待っているというのは分かったんだが、その異世界は、どんな世界なんだ?」
「しょ、承諾してくれるんか?!」
「い、いや、まだしないから。聞くだけだから」
ラズリィは慌てて尋ね返す。先程まで地獄をみているかのような表情だったのに、まるで花が咲いたかのようにぱぁぁと笑顔になった。あまりの表情の表情の変化に自分は言葉を詰まらせてしまう。
何と言うか、喜怒哀楽が激しい死神である。
でも、嘘とか演技とか計算とか。
そんな嫌なことを考えていた自分が馬鹿馬鹿しく感じるほど。
可愛らしい笑顔だった。
「異世界と言っても、普通のふぁんたじぃ? な、世界や」
「普通のファンタジー?」
「そそ。あの剣と魔法の世界やで。よくある設定のふぁんたじぃ? ってわかるかいな? だんじょん? とか、大きなきゃっする? があったり、中世よぉろっぱ? みたいな街や村があったり、この世界的で有名な某あぁるぴぃじぃ? みたいな世界やで」
ラズリィは待ってましたと言わんばかりに話を進めようとする。
「そこまで言わなくても意味は分かるが、ほら、ライトとかダークとか」
「らいと? や。後発的になるんやけど、ちぃと? とか、結構付けられるで」
「魔王になるのに、チートなんてもの使って良いのか?」
「さくさくぷれい? が、できて、ええやん?」
「そりゃ……そうなるんだったら嬉しいけど」
話にも花が咲き開いていく。のだが――
「なんや? 自分がちぃと? とか使ったら、自分を倒しに来る勇者もちぃと? 使うのか心配しとるん?」
「だってね。ほら、行く先は普通のファンタジー……それもゲームとか漫画とかのありがちの。だったら、そう考えるのが普通だろう? 魔王は勇者に倒されるってのがファンタジーの王道だし、鉄則だし」
「確かに、それが、ふぁんたじぃ? の王道で鉄則やけど、ちぃと? 持ちの勇者が現れるなんて、滅多なことしない限りは現れへん。精々、自分は女神に愛されていると勘違いしている変人か、本当に女神に愛されている狂人のどちらかやで」
「いやいやいやいや! 無理! 無理! 無理! 絶対に無理! 前者は兎も角として、後者は女神の祝福を受けているじゃん! それって、つまり、チートだよね? それも明らかに主人公ポジの! 絶対に勝てねぇよ!」
おい。サクサクプレイは何処いった?
「ゆーても、そぉど? で刺せば、血は流れるし、はんまぁ? で叩けば、骨が砕ける相手やで? 死なない相手ではないよ。気合と根性と……おりじなる? いんじゅにゅぁてぃ? ……創意工夫? うん、創意工夫や。それを持ってすれば倒せる相手や。楽な相手やん」
さっきから横文字のイントネーションがおかしい。外見は外国人なのに。
そのせいもあって、怪しげな外国人のキャッチセールを聞いているような気分だった。それも、何か、こう、カタコト……と言うより、覚えたての日本語を喋る外国人の。だから、熱意は感じるのだけど、みょ~に胡散臭さを感じた。
妙に、ではない。
みょ~に、だ。
間違いではない。
「つまり、頑張れば倒せる程度の強さってことか……」
そんな、ささやかな疑問を心の奥底に仕舞いながら呟く。
「せや。ただ、相手が頑張ってしもうたら、倒されるかもしれんけどな」
「ちょっと待て。こっちはチート持ちになるのに、負けることもあるのか」
「そんなん、当たり前やん? ちぃと? 持ちの魔王でも、女神の恩恵を受けている人間でも、受けていない人間でも、死は平等や。せやから、舐めぷしとると、痛い目にあうで」
ラズリィはおかしなものを見るかのような表情で答える。それも「何を言っているんや?」と言わんばかりの口調で、だ。……おい。さっきまでの泣き顔はどこに行った? それと、サクサクプレイはどこに行った? と言うか、何故か、自分が異世界に行くような話の流れになっている。
勘違いしちゃあ困るが、「了承」の「りょ」の字すら、思っていない。
どう考えても、今の生活が良いのだ。目先の魔王ライフより、目前の人間ライフ。中世ヨーロッパのファンタジー世界でサクサクプレイより、文明の利器がある四畳半の部屋でゴロゴロプレイ。ほら、今の方が素晴らしい生活だ。
「……取り合えず、どんな世界なのかは分かった」
「やったら――」
「けどさ。言葉だけ言われても、いまいちピンとこないんだよねぇ……」
自分は興奮するラズリィを抑えるように言う。その異世界は、どんな世界であるのか。そして、どんな敵が現れて、何をすべきなのか。それは分かったのだが、自分はそんなのとは無縁の世界の住民――この場合は世界人? ――である。これは自分が頭が悪いからかもしれないけど、つまり、概要は理解したが、肝心な要点を理解していない――ほら、アレだ。長苦しい契約内容を飛ばして、「同意する」のボタンを押そうとしているアレ――状態であることをアピールする“ふり”をする。
何故、ふりをするのか? 答えは簡単。
出来なかったら難癖付けて断るつもりだから。
出来たら出来たで難癖付けて断るつもりだから。
チートマシマシ、ハーレムマシマシ、辛さナシ?
そんなもんより四六時中部屋でゴロゴロ出来る金と時間が欲しい。
えっ? 酷いって? ご冗談を。
話を聞いてから――決まっているけど――断るのだから、優しいじゃないか。
優しいじゃないか。
じゃないか?
……。
……?
まぁどっちでもいいか。
結局、断るのだから。
出来るだけ穏便に。
「だから、何かないの? パンフとか、先輩からのインタビューとか?」
「ぱんふ? は有ることは有るんやけど、日本語でも英語でもない、現地の言語で書いたやつしかないんよ。先輩からのいんたびゅぅ? も、同じ言語で書いてあるんよ。それでもええんやったら見る?」
ラズリィはそう言いながら、何処からか二冊の冊子を取り出す。
一つは遺跡とか街並みとかの様々な風景が写っている表紙で。
もう一つは若い男性が複数の女性を抱いている姿が写っている表紙だ。
「……」
いや、その、大変興味が湧く絵だが、もうちょっと表現を、だな。
自分が思春期の青年だったら、ガン見しちまうぞ。もうちょっとマシな絵はなかったのか。
「ここの世界の人間が読めない言語のパンフを用意しても意味無いだろう?」
「それはそうなんやけど、うち、ここの世界の言葉がようわからんねん。やから、うちが一番使いやすい言語を使わせてもらったわ」
「その割には、日本語が上手? なんですけど」
ってか、そのパンフ、自作かよ。
つーか、死神は死神でも、異世界の死神かよ。
「それはちきん? 下さい状態だからな」
「ちきん? 下さい?」
「あれや。直接、兄さんの脳内に語りかけている状態やで」
死神ラズリィ改め、異世界の死神ラズリィは空いている手の人差し指で、トントンと頭を叩きながら答えた。
「兎に角、そんなのは置いといて、や。そんなもん使わなくても、手っ取り早い方法を使わせてもらうで」
「……なんか凄く嫌な予感がするんですけど」
「そんな身構えんくてもええよ。ちと体験するだけやから」
ラズリィはそう答えると、手に持っていた二冊のパンフを放り捨て、自分から離れる。
何を始めようとしているのか。そう思った矢先、異変は起きた。
ラズリィの体が仄かに白く光りだす。それもただの光ではなく、――彼女が持っているとは思えない――神々しさを感じる光。それが強くなる度に風が流れ始めた。力強く、けど、静かに――埃やゴミやその辺の雑誌を巻き込んで――彼女を包み込み、
「常世から現世に具現せよ! れぇ……れぇ……れぇなんちゃらなんとか!」
ラズリィが叫ぶと同時に、光と風――と、あらゆるゴミ――が飛び散る。
全てが収まると、ラズリィの手には、一つの剣が握られていた。彼女の身長よりゆうに超え、ひょっとしたら、男性である自分と同じ身長の長さはあるかもしれない、大き過ぎる剣。刀身を見れば、先程の光の残滓が、呼吸するかのように点滅していた。素人目でも、その剣は魔剣の類であるというのことが分かる。
……のだが、
……のはずだが、
ちゃんと剣の名前を言ってあげないのはどうなのよ? ラズリィさん?
あと、「やってやったぜ!」と言わんばかりのドヤ顔で、こちらを見ないで。
「れぇ……なんだって?」
ちゃんと言えるのかどうかの確認のため聞いてみる。
「なんちゃらなんとか、や!」
「いや、そこはボカすところじゃないでしょう。見せ場なんだから」
「別にええやん。無事に愛剣を取り出すことが出来たんやから」
愛剣なのに名前を言えないのか。そう考えると、あの光の残滓は、名前を呼んで貰えないから泣いているだけかもしれない。その大剣に意思が宿っているかどうかは不明だが。自分はそう思った。
「そんじゃあ、異世界を体験しに行こっか」
ラズリィは自分の手を掴み、強引に立ち上がらせては、何処かに連れて行こうとする。
「ちょっと待て! こっちは何も準備が出来ていないぞ!」
「準備なんていらへん! いらへん! 体験やからスグに終わるわ!」
「身支度とかの準備とかじゃなくてだな。これから講義があって――」
嘘だけど。
しかし、悲しいかな?
「ちぇすとー!」
ラズリィは可愛らしい掛け声と共に玄関扉を斬り壊したのであった。
無残にも壊された玄関扉と遠慮なく壊したラズリィを見て自分は思う。こんな――いい加減な――性格だから、今まで――いや、自分は了承していないから、今も、か――魔王候補が見つからなかったではないか、と。扉の弁償代を気にしつつ、自分は彼女と共に扉があった場所を通り抜ける。
ちなみに、だが。
チェストとは、一説では「知恵を捨てよ」の掛け声が変化した言葉らしい。
そう考えると、だ。見た目以上に――いや、見た目以上も何も、十分に異常なのだけど――怖い少女なのかもしれない。だって、頭を空っぽにして、扉を壊したのだからな。
「ようこそ! よくある剣と魔法の異世界! そして、ここが、例の間や!」
そんな破壊された扉を通り抜けると、そこは既に異世界であった。
……そこは、トンネルで、雪国ではないか。文学作品的に考えて。文章力がない自分が妬ましい。
さて、自分が眼にした最初の光景は王座の間らしい部屋だった。
らしいとあやふやな表現をしたのには理由がある。何十人、いや、違う、何百人の家臣を並べても物足りないと感じる奥行きがある通路、そこに一つだけポツンとある玉座らしい椅子。それだけなら玉座の間と断言してもいい。しかし、天井にあるアレがそう言った部屋ではないと否定している。
その天井にあるアレと言うのが、馬鹿でかいクリスタルであった。
クリスタルからは神々しく暖かな、けど、禍々しく冷たい光を放っている。
今は照明として機能しているけど、本来の使用用途は絶対に違うはずだ。そう思うほど、創作物なら絶対に重要なアイテムとして登場しそうなほどの大きく、先程は馬鹿でかいと表現したけど、それでも過小表現だと感じてしまうほどの大きさなのである。あれほど大きいと綺麗と感じるより気味悪いと感じてしまう。また、それに加えて、あれから放っている光も、だ。その、あれから感じる光がワザとらしく感じるのである。それが、それこそが魔法であると言うのであれば、それまでなのだが、あまりにも露骨だから、そう――禍々しく冷たく――感じた。
自分達が現れたのは、そんな王座の間の後ろ、王様が登場しそうな場所からであった。
「もし……もし、自分が、その、魔王になったら、ここにあるもの全てが自分のものになるのか? ここで臣下とかに命令出したり、その、勇者とか戦ったりするのか?」
「なるなる。けど、臣下を手に入れるのは、兄さん次第や」
戸惑う自分にラズリィはそう言いながら、その玉座に座らせた。ジャージ姿の自分を、だ。魔王になるつもりはないけど、これほど絵にならない君主はいないかもしれない。けれども、ラズリィは別に気にしない様子で、ニコニコと喜びながら話を続けた。
「まぁ、安心してって! さぽぉと? するのが、うちの仕事や! 家臣のふぉろぉ? は勿論、家臣の気配り、配置、その他物物うちに任せて、兄さんはどーんと座っててや」
「その説明だと、それだと自分が居ても居なくても変わらないんじゃあ……」
この椅子、見た目通り、結構硬い。痔になりそうだ。そう思いながら尋ねる。
「うちの仕事は飽く迄もさぽぉと? や。決定するのは兄さんの仕事。それにさぽぉと? 役が、勝手にあれこれ決めていたら、どっちが魔王なのか示しがつかないやん」
「だったら、ラズリィが魔王になれば良い」
「うちは死神やで? よっぽどのことの無い限り、それは無理な話やよ」
ラズリィは残念そうな――もし、演技だったとしたら、擁護できないぐらい下手な――口調で答えた。その態度に内心ムッとなったけど、相手は――見た目は――少女で、こっちは大人。自分は出来るだけ態度と表情を変えないで話を聞き続けることにした。
ああ。それを指摘したら、話が長くなりそうとか、そう思った訳ではないぞ。
ただ、話を手短に終わらせたいと思っただけだ。決して、そう思った訳じゃないぞ。
これが大人である自分の“正しい”対応である……と思う。
「で、この馬鹿でっかい、く、くり……くりすたる? で呼びだすんや」
「呼び出すったって、どうやってさ? まさか宝石とかで呼び出すのかい?」
呼び出す。その言葉を聞いて、自分は有象無象にある課金ゲームを思い出した。
よくある――ゲームに限った話だけど――ことだ。仲間やアイテムを増やすには宝石が必要で、その宝石を手に入れるには敵のドロップしてくれることを期待するか、お金を投資して手に入れるのかのどちらか。
要するに、あのクリスタルは底なし沼かもしれないと、自分は言いたい。
「ぶっぶー! 宝石じゃないで! 必要なのは兄さんの宝や!」
もしかしなくても、底なし沼であった。それも電子マネーやら紙幣やらの代わりに、形ある物になっただけの沼である。おい、死神。この異世界、ライトでよくあるファンタジーの世界じゃなくて、よくある課金ゲーの世界だぞ。
「……色々とツッコミたいけど、ツッコミたいけど! 自分、そんな物なんてないぞ。もしかして、あれか? これから来るであろう敵を倒して、その宝を手に入れて、そんでから呼び出すとか?」
「兄さん、兄さん。残念やけど、兄さんが思っとる宝じゃないで。うちが言っとる宝はってのはコレや」
ラズリィはそう言いながら、鎧の隙間から一冊の本を取り出す。
どこかで見たことがある本であった。表紙には地上波で映そうと思えば、モザイク修正が掛かるであろう絵が描かれており、誰がどう見ても成人向け本であることは分かる。……はっきりと言ってしまえば、自分の家の本棚で見たことがある本で、ちょっと前まで読んでいた本であった。
おい。
「……まさか、宝と言っても、そういう類の宝? てか、それ自分の――」
「これを捧げて家臣が来るんや。うんじゃ、いっちょ、やってみるで」
自分が言い終わらない内に、ラズリィは早口でそう言いながら行動を起こす。
ラズリィは宝――ただのエ○本なのだが――をクリスタルに向けて放り投げた。それ、自分の本だからな。しれっと我が物のように扱われた自分の所有物は、パラパラ漫画のように卑猥な絵を捲りながら綺麗に放物線を描き、当たるか当たっていないかの距離で異変が起きた。
止まった。
受け止めたと言うべきか。
クリスタルの前で、ただ、浮いた。
いったい何が始まろうとしているのだろうか。そう思った矢先だった。
自分のエ○本が――性癖の塊が――一枚一枚丁寧に破られて行く。何度も言うけど、それ、自分の物だからな。もう使い物にならないから返せとは言わないけど、こうなることぐらいは先に言って欲しい。兎に角、ページの一枚一枚がクリスタルの周囲に漂い始める。
こういうの辞めてほしいな、本当に……。
「体験版だからスグに帰って貰うけど、記念すべき家臣一号の登場や」
ラズリィの言葉と共に、クリスタルとページが高速に回転し始め、光り出す。
そして、それが十秒、二十秒ぐらい続いた頃だろうか。ページがクリスタルに吸収すると一滴の雫が地面に落ち、魔法陣らしい紋章を描く。その魔方陣は青空のように青く、水のように綺麗で、とてもエ○本を触媒としたとは思えないと思うほどに。これが、本当の宝とか宝石だったら神秘的とかファンタジー感を感じるのだろうけど、触媒がアレなので、悲しいことにちっとも感じることが出来なかった。
寧ろ、それをオカズにして……いや、辞めておこう。
これ以上言ってしまえば、よくあるファンタジーを壊しかねない。
課金要素が出てきた時点で、既にぶっ壊れていると思うけど。
などと思っている内に、魔方陣から発していた青い光が部屋全体を包み込んだ。
光が収まり、魔方陣があった場所の中心に立っていたのは人間であった。
その人間はラズリィが着ている西洋甲冑と良く似た甲冑を着ている。頭部全体をしっかりと守るプレートアーマーを装着しており、至る箇所にはつると花が細かく、けど、強調するかのように彫られている。それと、彼女が着ている甲冑は斬撃耐性しかないのに対して、あの人間は魔法――と言うものがどんなもので、それ自体あるかどうか不明だが――耐性、或いはそれも含めた耐性があるかもしれない。そう感じられる神秘的な甲冑を着ている。
「あれ、これって、当たり?」
「あ、当たりとゆーより、大当たりなんやけど……」
自然と口から零れた問いに、ラズリィは何故か困惑した様子で答えた。神秘的な甲冑を着た人間は、そんな自分達を気にしない様子で辺りを、見定めるように見回す。そして、見終えたのか、自分達の方を見る。
「漸く魔王を見つけたか、ラズリィ」
女性の声であった。
それも死神のラズリィを知る人物でもあった。
「お、お、おお、お、お姉様! ど、どう、どし、どうして此処に!?」
姉であった。
つまり、死神の姉と言うことだから、自分が呼び出したのは死神ようだ。
「なに。三百年ぶりに見知った魔力を感じたのでな、もしかしてと思い来ただけだ。それとも、私が来てまずいことでもあるのか?」
「いえ! いえいえいえいえ! まずい事なんて、何一つ! これっぽっちもございません!」
「そうか」
変な言葉遣いを忘れるほどに慌てるラズリィに対し、その姉は冷静であった。
しかし、その声音から、表情が分からないも含めて、冷静と言うより冷徹と自分は感じる。感じてしまう。
「そ、それより、見てください! うち……じゃなくて、私が見つけた魔王候補! どうですか? 如何にもと言わんばかりの悪人面! これほどぴったりな人材はいないと思います!」
「おい、誰が魔王になると言った」
勝手に魔王にされそうな雰囲気に自分は、一応、ツッコミを入れておく。
「ふむ。確かに、魔王に相応しい面構えだ」
「で、ですよね! 姉様!」
流石、「知恵を捨てよ」と言った人の姉である。人の話を聞かない。
そんなラズリィの姉は顎に手を当てて、考えているような仕草をしながら自分に近付く。
「しかし、肉体と精神は平均点以下、いや、及第点以下だな。剣を振るえるだけの肉体はあるが、それだけしかない。魔法を出せるだけの精神はあるが、それもそれだけしかない。だが、その二つは鍛えればどうにでもなる。ラズリィの腕の見せ所ではあるがな」
「いや、人の話を聞けよ。何、無視しているんだよ」
「あと、死神と分かっていてのこの態度、ますます魔王に相応しい」
「そうでしょう! そうでしょう! お姉様もそう思いますよね! 思いますよね」
「ああ……」
当事者であるはずを自分をほって置いて、話が進んでいく姉妹。
そうしている内に自分とラズリィの姉との距離が縮んでいく。
ラズリィの件もあって、何も起こらないとは思っていないかったけど、
「だが、その分、惜しい。あと三年早ければ、彼は魔王であった」
「「えっ?」」
ラズリィの姉が呟いた一言に、自分と彼女の声が合わさった時である。
剣のようなものが、自分の腹部に突き刺さっていた。
それは霞がかかった白い剣であった。なんだこれは。今の状況に頭が追いついていない自分は、取り合えず、引き抜こうとした瞬間、何も無かったかのように消えた、そんな剣であった。
では、自分は、そのような、ありえもしない幻影を見たのか?
それを否定するかのように、貫かれた箇所から血が零れた。
訳が分からなかった。
さっきのは何だったのか?
何で血が流れているのか?
一体どうして?
視界と疑問が頭の中でぐるんぐるんと回る回る。
「魔王は既にいる」
自分の疑問を答えるようにラズリィの姉が答える。
それが当然であるかのように言った。
「これ以上、魔王は不要だ」
何故か声が頭上から聞こえる。
見上げて、彼女の姿を見て、そこで自分は倒れていることに気付いた。
「つまり、君は不要だ」
何一つ感情を感じられない声音でそう答える。
そして、自分は彼女に殺されそうになっているのだと漸く気付いた。
「不本意とは言え、異世界の存在を知ってしまったのだ。それが理由だ」
逃げよう。どこでもいい。少しでも早く、この場から早く。
慌てて起き上がろうとしたけど何も出来なかった。痛くて動けないわけではない。ただ単純に力が入らない。どこか脱力感に似た全身から水分が抜き取られていく感覚に、自由に動くことが出来なかった。
「ちょ、ちょっと、お姉様! 魔王は既にいるってどう言うことですか?!」
ラズリィは慌てて自分に寄り添っては傷口を抑える。
「なに、言葉通りの意味だ。愚妹が手間取っている間に、他の妹達が魔王を用意した」
「そ、それでしたら、既に私にも話が伝わって――」
「いるわけがない。何故ならば、百年の間、何も出来なかった愚妹に我が主神が業を煮やし、見つけ次第、処罰せよと命じられているのだからな」
ラズリィの姉は自分達を見下ろして言う。二人揃って死ね、と。そんな現実に、彼女自身は、まさか自分も対象になるとは思わなかったのか、驚愕に満ちた表情で姉を見る。
でも、それだけだった。
自分なら反論ぐらいする。
どんな相手だろうが、それぐらいはする。
けど、彼女はしなかった。
出来なかった。
喉から噴水のように血を流して倒れたのだから。
「キッカケ、が、ないと、殺せないんじゃ……」
「ほう。そんなことも知っているのか」
この状態でも関わらず、声が出せた自分に驚く。
それに対して、ラズリィの姉も少し驚いた様子で答えた。
「だが、その心配は無用だ。ここはよくあるファンタジーの世界。死神に殺されるという常識は、この世界では常識内である。私は詳しく知らんが、私達がモンスターとして登場するゲームがあるらしいではないか。それと同じだ」
ラズリィの姉は立ち止まっては左手を振り上げた。
「しかし、君は私達の都合に巻き込まれたようなものだ。私達がもっと早く愚妹を見つけていれば、このような目に合わなかった。そこで、普段ならありえないのだが、もう一度、生をチャンスを与えようと思う」
そして、静かに振り下ろすと、
「この世界の序盤のボスとしてだがな」
自分の視界が真っ暗になった。つまり、残り四十六年と二時二十六分と十六秒の――"人間”としての――寿命は、予定よりかなり早く、訪れてしまったのであった。
書き終わり次第、更新予定。
つまり、ストックがないのじゃよ。