1章
僕は恋をした。
顔も名前も知らない。
ただ声だけの彼女に。
私は恋をした。
性格も、住んでる場所すら知らない彼に。
『僕(私)達は恋をした。』
ケータイのアラーム。
この音が嫌いだ。
静かだった世界はこの音と一緒に終わる。
朝日はカーテンの隙間をぬって僕の顔に降り注ぎ、望まなくても無理矢理にその始まりを押し付ける。
『うるさ…』
朝が嫌いだ。
誰しもが自分のするべき事に向かって活動を始める。
耳を塞いでても聞こえてくる日常の喧騒。
黙っていても勝手に回る世界。
この全の中の1になる感覚が、僕は嫌いだ。
『だからって何にも出来ないし、やろうとしないんですけどね』
自虐めいた独り言も、朝の騒がしさに溶けて消える。
『あ、そだそだ。昨日のアレ、コメント帰って来てるかな』
布団から出ることも無く、枕元の携帯を取る。指が場所を覚えているように、迷い無くそのアプリを開く。
『来てる来てる!』
今若者の間で密かなブームとなりつつあるカラオケアプリ
『Sing』
他人の歌った音源に自分の歌を重ねて曲を完成させたり、台本に沿って声劇を作ったり。
中には音源自体をBGMにしてラジオを作ったり。
遊び方は様々。
僕はそんなアプリで『謎のシンガー』として巷を騒がせている。
(は!?声高っ!!メッチャ上手いです✨)
(歌い方ご本人さんそっくりですね!!)
(え、声優さんか何かですか?)
来てる来てる。
はぁ…このチヤホヤされる感覚!
たまらんよなぁ、うん!
このアプリにはフォロー機能がある。
まぁ昨今どんなSNSでもフォロワー数が物を言う時代だ。
金持ちじゃなくても、アイドルじゃなくてもとにかくフォロワーの数こそが現代社会のヒエラルキーを確立してると言っても過言じゃない。
現に、このアプリで人気を博したシンガーは大手のレコード会社にスカウトされたり、人気YouTuberとコラボして新たな道を開いたりしている。
僕もそうなりたい、訳じゃない…
ただ…僕は……
『うわやばっ!時間!!』
見ると時計は8時半にさしかかろうとしていた。
『行ってきます!』
返事が返ってくる事はなく、玄関の扉が閉まる音と一緒に、僕の声は誰もいない部屋に吸い込まれていった。