To the Earth
暗号MONA小説賞の第2回応募作品です。
ハードSFをベースとした二人の年末の小話、稚拙な文ではありますが、宜しければぜひ、読んでいただけると幸いです。
ここは天体観測室。しかし、その部屋には窓はなく、代わりにあるのはいくつもの電子画面に多重処理されたOSだけである。
煌々と照る画面に囲まれた机に、年端もいかない不健康な風貌の少年が、じっとして突っ伏している。眠っているわけではない。ただ黙々と調査資料に意味をつけているのだ。
その部屋の扉が勢いよく開く。部屋の壁に貼られた数々の星の写真が煽られてはためく。
「お邪魔しまーす、フラー、いるー? って、また目の下こんな真っ黒にして! ちゃんと休憩挟みなっていつも言ってるのに!」
勢いよく、一人の少女が飛び込んできた。小脇には布を被せた籠を抱えている。
彼女の外見は、フラーと呼ばれた少年よりも大人びているが、その声の溌剌さはフラーと対照的に若々しい。
「ケネスか。いつになく……いや、いつも通り騒々しいな。好きでやってるんだからしょうがないじゃないか」
そう呟くとフラーは手を止めて、作業椅子をくるりと半回転させ、部屋の入口のケネスの方へ向き直った。
「星の見えない天体観測室務めなんてよく飽きないね。あーあ、ちょっと前までは赤色になったり、青色になったり、キラキラして綺麗だったのになー」
そう言ってケネスはプリントアウトされた星の写真束を無造作につまみあげる。紙媒体の、ましてや昔の星の写真など、今や数ある資料の中でもフラーの部屋にしか存在しないだろう。
「仕方ないよ。今じゃここから見える星の光なんて、肉眼の可視光域の外なんだし」
写真は年代別によく整理されている。この部屋で観測された赤方・青方偏移の写真はともかく、それ以前の放射状、あるいは、円弧状の天体写真はフラーの個人的な趣味によるものだった。
「この部屋の観測機器越しの向こう側には、ほんとに星の光はあるんだよね、見に行けないのかな?」
ケネスは電子画面を見ながら呟く。
「もう恒星の光なんてガンマ線くらい来てないからな、見に行くのもいいが、昔の太陽みたく紫外線ケアじゃ対処できないぞ」
フラーは目を伏せ、散らかった部屋を片付けながら――といって周辺機器を部屋の端に寄せ、ようやく二人分の机を確保しただけだが――ケネスの独り言に返答した。
二人のやりとりに特に意味はない。フラーの片付けが終わるまでの、取り留めのない暇潰しである。
「いつもの軽口はこのくらいにしておいて……、ケネスは何か用があって来たんだろ。仕事も休憩にするから、用件を聞こうじゃないか」
しかし、フラーは既に要件を知っている。だからこそ、ケネスの抱えている籠に視線を投げているのだ。今時、編み籠なんて映画か小説の小道具だろうに、よく用意できるなと感心していた。
「よくぞ聞いてくれました! さあこれ、クリスマスプレゼントです!」
ケネスは自信満々に笑みを浮かべつつ、フラーに籠を突き出した。静かに受け取ったフラーは「開けてみても?」と尋ね、了承を得る。
この少年は普段こそ、つんけんとしているが、その実は科学者の類にもれず、知らないものや未知なものへの好奇心は人一倍であった。内心、今年のプレゼントはなんだろうかと期待していた。
布の合間からは焼けた小麦粉の香りが微かに漂う。多分、いつも通りの何かの食べ物だろう。
フラーは籠の布を取っ払う。
その瞬間、彼は魚と目が合った。
ケネスは地球環境保存区域に務めている。保全と聞くと保存と逐一訂正を求める細かい拘りがある。
水草を主として生育させる水槽でも、同時に少量の魚を飼育する方が安定する場合がある。その方が土壌が安定し、より自然な環境を作れるからだ。
同様に、その区域は動物界の保存を目的としていないが、地球環境をより容易に保存することを目的とした最低限数の動物は放してあるのだ。
ケネスは定期調査用に捕獲した動物の余りを貰っては、昔ながらの調理法を調べて、フラーの元に差し入れに来るのだった。
固形完全栄養食が主流の今や、 生き物の形を想像させる食事すら忌避される風潮がある中、珍しい趣味である。
ニシンのパイ包み焼き。フラーはこれを20世紀末の極東アジアのアニメ映画で見た覚えがある。もっとも、今の彼の目の前にあるのは、昔のアジアの西の果ての島国の伝統的な形をしている。映画のものよりオリジナルに近いと言えば聞こえはいいが、正直、名前の通り星を見上げるようにして突き刺されたニシンの外見は、昨今では一種のグロテスクさえ感じられる。
それに、映画の中でも、宅配便は届け先から受け取り拒否されてはいなかったか。
「もったいない料理の仕方するよな。魚なんてめったに手に入らない高価なもの、もっと美味しい料理法があるんじゃないか」
だが、調理素材や十分な設備は揃わない事は承知の上である。むしろ、珍しいものや古いものを好むこの二人にとって、今の限られた設備においては最良の相応しい料理である。
「またそんな心にもない小言なんか言っちゃってさー、縁起物なのに。昔はクリスマスの頃になるとみんなこれを食べてたらしいよ? それに、夢想家の天文学者さんにはぴったりでしょ」
確かに、星を見るひとであるフラーには合致点がある。夢想家という形容が引っかかったので、フラーはケネスに隠れて小型電子辞書で〈stargazer〉と引くと、古英語で〈占星術士〉に並び〈夢想家〉という意味合いがあることを発見した。
「……ケネスもよくよく考えてくるよね」
ケネスはそれほどものを考える性格ではない。その彼女がフラーと話を合わせるために密かにしていたであろう下準備を思うと、彼は毎度、少し胸が疼く気持ちになるのだった。
残念ながらこの部屋にパイの付け合せになるようなものは置いてないが、保存の効く紅茶くらいは常備してある。
「ノンカフェインじゃない紅茶があるけど、ケネスは何が飲みたい?」
「うーん、味の濃そうな料理だし、English breakfastにしようかな」
「じゃあ僕はAfternoon teaにしよう」
朝も夕方もなく、時間の観念を気にとめない二人だった。
「フラーがクリスマスの夜に一人で寂しい思いしてるんじゃないかと思ってさー」
「夜って概念も昔のものだし、異性と共に過ごさない寂しさなんて感傷はさらに一昔前だ」
そう言いつつも、フラーはまんざら嫌じゃない心持ちだった。それはお互いに理解していた。必要が無いから口にしないだけ。
二人には前時代的な、アンティークな趣味があるのだ。それは何も、食べ物や写真に限ったものではない。お互いの本音をわざと偲ぶような付き合い方も、彼らの趣味の一環なのだった。
「あと何年間、あと何回、この部屋でクリスマスを過ごすんだろうね」
「さあ……、航路計算は僕よりもっと上級の研究職の方々の仕事だから、正確な計算はできないな」
「私たちの地球に着くのは、この船の時間で何年後なんだろうね」
* * *
地球は齢46億にして、その表層は完全に汚染された。
人類の際限のない成長は、自然環境の自浄能力を遥かに超えていた。人類の乗ったカルネアデスの板は、ふと気がついた時には取り返しのつかないほどに腐朽してしまっていた。
太陽が赤色巨星になり地球を飲み込むまではまだ70億年ほどあったが、地球の水の寿命は10億年。生命居住可能領域、地球が私たちの知る地球の姿でいられる時間はさらに短かった。
そして、 悲劇 の寿命は我々の地球の寿命より長かった。
人類は悲劇を食い尽くす生命の誕生を待つことにした。自分たちの持てる能力や残りの時間では汚染をなくすことはできないと結論づけ、他人任せにすることにしたのだ。
自然発生に自身らの命運を託したわけではない。遺伝子工学の粋を凝らし、彼らは悲劇を討ち滅ぼすためだけに進化する遺伝子を持った、生命の種を原初の海に撒いた。
人工新生代 生物 群、通称Alice。
古生代、カンブリア紀、原初の生命は5億年をかけて地球環境に適応し、過去の新生代の生物はより自分たちの住み良い環境へと改良していった。同じことをAliceたちに行わせればよいのだ。あとは5億年後、Aliceと共生、捕獲、駆除、好きなように現人類が選択すればよい。
当初の問題は待ち時間だった。地球の汚染環境から離脱する大型宇宙船は建造したものの、人類は5億年の航行には耐えられない。
だが、それもすぐに解決した。
なにも、この時空間では相対性理論に拠れば、時間の流れは一定ではないのだ。空間の不可視の穴も6000光年離れたすぐ近くに存在する。ウラシマ効果ならば光速≒299,792〔km/s〕の99〔%〕、296,794〔km/s〕でも時間の進む速さは1/7にまで減少することが解っている。ならば、地球より時間の進みが遅くなるよう航行すればいいだけだった。
光速で動く物体の時間は時間の経過の影響を受けないが、そんな物体は現代の理論上存在しない。
けれども、亜光速であれば理論上は不可能ではなくなる。不可能ではないのならば、どんな空想でも成しうるのが科学という奇跡である。
残る大きな問題は、現存する僅かな清浄な地球環境をどう保管するかであった。
そこで台頭したのが、ガイア理論を踏襲した――地球を一つの生命と捉えた場合の、その遺体の小分け保存計画――カノプスの壺計画だ。古代エジプトの宗教観に拠れば、ミイラの臓腑はカノプスの壺に収められ、全て揃わなければ復活しないという。
これは地球環境再生の手段を分散させることにより、未来での他船の出し抜きを防ぐための、成文の講和条約に留まらない妥協案であった。
方舟――生物全般の保存。
亀の背中――詳しい方法は明らかにされてないが、現人類をAliceに適応させる玉手箱を載せた船。
寝太郎――有事の際の対策を講じる首脳。
冷凍船――極限まで加速し、時の進みすら凍らせた人類の冷凍保存。
etcetc……
そして、この船は地球環境保存船、To the Earth。
亜光速の宇宙船地球号。
人類の存続より、元の地球環境の再現に重点を置いた船である。
* * *
地球環境をより容易に保存することを目的とした最低限数の動物は放してある――その動物とは、人類とて例外ではない。
ケネスとフラーが食べた魚がそうであるように、二人もまた、この船の環境維持のために乗せられた最低限数の人類なのだった。
船内の役職は自動化と分業化が進み、二人も、その役割の重要さにしては、普段は少人数で仕事をしている。職務上の数少ないやり取りも画面越しで済ますことが多く、始終ひとりで誰とも会わずに活動する日が続くのはケネスもフラーと変わらないのだ。
だからこそ、彼女はしばらく部屋に留まっていた。自分の持ち場にはまだ帰りたくない、けれど、彼が構ってくれないのでは、この天体観測室はちょっとつまらない。手空きな彼女は頬杖をつきながら、少し気だるそうに、フラーのまとめた地球から観測された星の資料をぱらぱらと眺めていた。
そんな彼女を後ろ目に、フラーはすっかり自身の仕事に戻っている。
フラーのまとめた星の記録は、製本の工程を経てはいないので、あくまで単なる調査資料の体裁に留まっている。しかし、各写真には彼の載せた注釈が付いており、星に関する神話や歴史、当時の人々の様相やその思想まで詳細に記載されていた。私情や
修辞技法を混じえないモノクロの論文調ながら、その興味の幅の広さから紡がれる注釈は、彼の普段の表情より豊かとさえ思わせた。
普段は見ることのできない彼の一面に触れるようで、ケネスはそれが好きだった。
その資料の中に、神社と、その境内にごった返す人集り、そして昇るさなかの太陽を一枚におさめた写真を見つけた。注釈には「初詣。東アジア地域の日本において、江戸時代、あるいは、明治頃から流行ったとされる年明けの慣習。恵方参りとの関連性は......」と書き続いている。
「そうだ、来週は年越し祝いに初詣しようよ」
「越す年も、初詣する太陽も、もう何光年も彼方だぞ」
「そんなの、何をいまさら。船の時間の固有時間で1年区切りってだけで十分だよ」
「そんな杜撰な。当時の年越しだって暦がなければ成立しなかったし、その暦は星の動きを元にして作られるものなんだよ。似たような職種柄、疎かにはしたくないさ」
「ふーん、昔のことって星に関係するのばかりだよね。たとえば、地図や羅針盤もなくて地球の平たい頃は、知らない海の上を星だけを頼りに航海してたんでしょ?」
「それこそ、この船の座標を調べてる僕と、やっていることは変わりないさ。他に日本に限って言うのなら、暦だって遡れば陰陽寮、その年の吉方や、果てには政治にさえ介入していたんだ」
「うん、もう知ってるよ、そこまで書いてあるもの」
「そう」
「でも、いいよう、そんなの。私は君と一緒に何かを、なんでもいいから祝いたいんだ」
「......もしかすると、それが人の行事の真理なのかもね」
「どこかの偉人や暦の節目とか、小難しい話にかこつけるけど、本音はただ誰かと一緒に、特別な思いを分かち合いたいだけなのかも」
「そんな風に一般論みたいにいうけどさ、フラー自身はどうなのさ?」
他愛のない雑談の中に、そっと、それでいてぎくりとするような質問を混ぜる。それは二人の間の不文律を犯すものではなかったか。フラーはぴくりと作業の手を止めると、ケネスの方を伏し目がちにしつつ、軽く指で自身の唇を隠しながら、静かに呟いた。
「......独りきりで寂しいって感覚はよく解らないけれど、ケネスと二人きりでいるのは......その、悪い気はしないよ」
面を食らったのはケネスの方だ。はっきりと言わずとも、こうも全身の身振り手振りで、こうもしおらしく応えられるとは思わなかった。彼は不器用なのではなかったのか、それとも、先ほどの仕草の全てが素なのか。何れにせよ自分が上気した頬をしていないかと疑った彼女は、くるりと椅子を回して反対を向いた。
「人は二人以上いてはじめて、間が生まれて人間になるんだよ」
「今度は日本語の言葉遊びかい」
ケネスは誤魔化す。フラーは茶化す。
「その方が自然ってこと。いいね、自然! 好きだよ私」
ケネスはわざとらしく声を張ってみせる。フラーが普段の仕事上では聞き慣れない、ケネスの感情や形容の先走るような物言いは、不思議と耳心地よく感じるのだった。
亜光速の宇宙船地球号。
未来の地球に向かって、厳寒の銀河系を宙船は巡り続ける。
願わくば、その旅路が平和と喜びに満ちていることを願う。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
どこか心に残るところが少しでもあれば幸いです。
また、作中の用語について、私言を多く混じえながら解説したものを、このアカウントから別作品として投稿しています。
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