四話 僕はここにいる
「あの、すいません」
僕が呼びかけたにも関わらず、目の前の女性は素通りしていく。
他にもスーツを着たサラリーマン、犬の散歩をしているお爺さん、井戸端会議を繰り広げる奥様達。
全てに声を掛けてみても、こちらの呼びかけに返事をしてくれる者などいなっかった。
「苦労されている様ですね」
後ろから僕に話し掛けてきたのは、黒いシルクハットを被り、黒の上下のスーツを着こなす老紳士。
僕は目を彷徨わせながら「いえ、あの、その」などとハッキリしない返事を返す。
「もうあまり時間がないですよ、消えてしまってもいいんですか?」
自分の体を見る。昔と比べて体が透けてきている。
僕は幽霊なのだ。そして目の前の老紳士は死神らしい。
彼が言うには幽霊は人を驚かせなければ、その存在を保つ事が出来ないらしい。
だから毎日こうやって人に声を掛けているのだ。
でもね、皆んな僕の事が見えてないんだ。声だって聞こえていない。
死神の話によると、昔の人は幽霊が見えていたそうだ。でも科学の発達によって幽霊の存在を信じなくなり、次第に見える人は減ってきたそうだ。
僕も死ぬまではそう思っていた、幽霊なんかいやしないって。
「頑張って下さいね、エレベーターなんかお勧めですよ。閉鎖空間では人の心理は不安定になりますし」
そんな問題じゃない、そもそも見えていないのだ。驚かす以前の問題だ。
僕は叫びたくなる気持ちをグッとこらえて死神を見詰める。
言っても無駄なのだ。大声をだしても「そうそう、その調子ですよ、大声にきっと驚きますよ」などと、どこかズレた答えが返ってくる。
言葉は通じているのだが、意思の疎通が上手くいかないのだ。そして感情があまり感じられない。
まるで機械と話しているかのような印象すら受けるのだ。
次に会う時はお迎えの時かもしれませんね、などど言い残し老紳士は去っていった。
何とも腹立たしいのだが、どうする事も出来ない。なにせ相手は死神なのだ。
仕方がないので街を彷徨い、適当なマンションを見つけるとエレベーターに乗り込んだ。
そして隅の方にひっそりと佇む。
「チン」と音がして扉が開くと、若い男性二人が乗り込んできた。二人とも頭は丸刈りで大きな鞄を一方の肩にかけ、長い棒が入っているのであろう筒形の鞄を反対の肩にかけている。
野球少年なのだろうか、お互い大声で話し、笑い合う。
僕は黙ったまま彼らをじっと見詰める。
こんな大きな声なら僕の出すか細い声など、たとえ聞く事が出来ても、かき消されてしまうであろう。
二人はエレベーターから出ていくまで終始大声で話し、僕に気付く事などなかった。
次に乗ってきたのは若い女性、しかも一人だ。彼女は入ってきた瞬間「ん?」といった表情を見せた。
これはかなり期待が持てるのではなかろうか。
「痛い、痛い。悔しい、恨めしい」
女性は行き先ボタンを押すと手元の機械をいじっている。
「お前の目をえぐり出してやろうか」
女性は何の反応も示さない。やはり聞こえない人なのだろうか、ふと相手の耳を見る。
何か挟まっている。イヤホンだ、何か音楽を聴いているのだろう。これでは声など聞こえるはずもない。
僕は肩を落としガックリうなだれてしまった。
幽霊は相手に触れる事ができない。イヤホンを外すなんて到底不可能なのだ。
俺達はただ、姿を見せ、声をかけ、脅かすことしか出来ないのだ。
女性は降りていった。
僕はその場にうずくまる。膝を抱えて悲しみに暮れるのだ。涙は出て来ない、幽霊なのだ泣く事すら許されないのだ。
「チン」と音を立て扉が開く
誰かが乗ってきたのだろう。上を見上げる。
サングラスをしてサンダルを履いた厳ついオッサンが乗り込んできた。
「おおぅ? どうしたんだ坊主、泣いてるのか? どっか痛いのか?」
「え? 僕の事が見えるの?」
「見えるぞ、もしかして皆に見えないふりでもされてたのか、ひどい事をするな。おじさんが文句を言ってやる」
「おじさん……」
おじさんの言葉に出て来ないはずの涙が出た来た。人との会話に飢えていたのであろう、肩を震わせて泣く僕におじさんの暖かい言葉が染みわたる。
僕は一杯喋った、ほんの僅かな時間だったけど沢山喋った。
おじさんはエレベーターが行き先に着いても、開くボタンを押したまま暫く、じっと話を聞いてくれた。見た目は怖いけどなんて優しいひとなのだろう。
僕がお礼を言うと、おじさんは「元気だせよ」と言い去っていった。
なんてカッコイイ人なのだろう、僕は感動して、感動して感動……ああ!
何てこった! 脅かさなきゃいけないのに感動してどうするんだ。千載一遇のチャンスを僕はフイにしてしまった。
悲観に暮れる僕の前に黒づくめの老紳士が現れる。
「どうやら駄目だったみたいですね、それでは行きましょうか。何、悲しむ事はありません、本来行くべき所へ行くだけです」
気付いた時には僕の体は殆ど透けて見えなくなっており、意識も朦朧としてきた。
天に召されるのか、地獄へ行くのか、それとも消滅するだけなのか……
幽霊は消え去り、残ったのは死神と呼ばれる老紳士だけであった。
――――――
老紳士は家に帰る。行き先はとある企業の工場の一角。メンテナンスの為に帰ってきたのだ。
科学の発達に伴い幽霊のメカニズムも解明された。幽霊は姿を維持するため誰かを脅かす必要がある。
そして問題となったのが幽霊の数だ。人口の増加に伴い幽霊の数も増加していく、減らさねばいずれ地上が幽霊で溢れかえってしまう。
世界規模で幽霊を減らす取り組みが議論された。
しかし幽霊を見る事の出来る人の減少に伴い、見える人も見えないふりをすれば自然と減っていくのでは? との見解がだされ、見える人は無視するようにとの方針で一致した。
だがここで異を唱える人達がいた。人権保護団体だ。
彼らは幽霊にも人権が存在すると言い出し、無視するのは非人道的だと主張したのだ。
これらの声に配慮し、幽霊の道先案内人として老紳士の姿をしたロボットが開発された。
今では幽霊を見かける事は殆ど無くなった。老紳士型ロボットもいずれその役割を終える事であろう。
願わくばその時、搭載されたAIに人権を主張する者が現れないでいて欲しいものだ。
ホラー?