三話 マンション
玄関を出たらそこは玄関だった。
言ってる意味が分からないと思う、私だって分からない。とにかく玄関なのだ。
待ってくれ、からかってるわけではないんだ。ひとまず話を聞いて欲しい。
私はマンションの五階に住んでいる。ある日、外に出かけようと玄関のドアを開け、マンションの共用廊下に出たはずだった。しかし出た先は私の家の玄関だったのだ。
「行ってきます、ただいま」
これがシームレス(継ぎ目なく)で行われたのだ。
最初は疲れて思い違いでもしたのかと思った。しかし何度玄関から出てきても玄関に戻ってきてしまうのだ。
私は焦った、だがこの時はまだ余裕があった。深呼吸して色々試してみようと思ったのだ。
まず靴を投げてみた。靴は外の壁に当たり廊下に落ちる。つまり玄関には戻って来なかった。
それならば私も出れるのではと思い、外に飛び出してみたがやはり玄関に帰って来た。
意味が分からない。ドアの外に靴は見えている。靴は出れるが私はでれないのだ。
次に棒を使って靴を手繰り寄せてみる。普通に取れた。
今度はどの時点で玄関に戻るのか確かめてみようと思い、まず手、足といった風にじわじわと外に出ていく。問題ない、確かに手足は外に出ている。
そして顔、恐らく目が外に出た瞬間景色が玄関になっていた。
私はドアを境に頭を行ったり来たりさせてみる、どちらに行っても常に玄関だった。
困った、玄関からは出られないようだ。ならばとベランダへと出てみる……同じだ、出た瞬間にリビングに戻っている。
こうなったら仕方ない、警察に電話するしかあるまい。いたずらだと思われなければよいが。
「もしもし、あの、家から……」
「……もしもし、あの、家から……」
それ以上声は出なかった。電話から聞こえるのは自分の声、ワンテンポ遅れてオウム返しされる私の声だ。
この頃にはかなり焦りが出始める。
だれかいないかと大声で叫ぶも、山彦のようにどこからか遅れて声が聞こえてくる。
もちろん返ってきたのは自分の声。
ドンと壁を叩く、ドンと返ってくる。天井をドンと叩く、ドンと返ってくる。
何だどうなっているんだ。この部屋はループしているのか。
あれから五時間たった。大声で叫んでみた、電話もかけまくった、狂ったように窓やベランダから物を投げた。
だが未だに部屋からでる事が出来ていない。
嘘だと思いますか? コイツ頭がおかしいと思うかも知れません。でも本当なんです。
助けて下さい。これが最後のチャンスかもしれないんです。
私は必至で頭を下げ、お願いする。
そう、偶然にも開けた玄関の前を男が通ったのだ。慌てて呼び止めて、今こうして事情を話しているのだ。
「わかりました。私が出来る事であれば、お手伝いしましょう」
どうやら彼は手助けしてくれるようだ。こんな訳の分からない話を信じてくれたのだろうか。
いや、信じてくれたか分からないが、彼の気持ちが変わらない内にとにかく助けてもらおう。
私の考えはこうだ。自分から出ようとするから出れないのだ。向こうから引っ張ってもらえば出れるのではないか。
もしかしたら逆に彼をこちらに引き込んでしまうかも知れないが、わざわざ言う必要もないだろう。
彼が去ってしまえば、私は永遠にここに閉じ込められたままかも知れないのだ。
彼の手を握る。彼の力強い手が私を玄関の外へと引き寄せる。
手が通る、足が通る、体が通る、そして頭が……通る。そこに見える景色は……マンションの共用廊下だ。やった、外に出られたのだ。
思わず目の前の男と抱き合ってしまう。彼は少し困ったような顔をしていたが嫌がったりはしていなかった。なんていい人なのだろう。
少し罪悪感が出て来た。必至だったとはいえ、彼を私の部屋に閉じ込めてしまう可能性もあったのだ。
冷静になってきた私はこの事を彼に話し、謝罪の言葉を述べた。
彼は苦笑いをしながら、私にこう言った。
「いやね、私もマンションのエントランスから出れなくて困っていたのですよ」