十五話 付きまとう影
「お願いします。N君と付き合えますように」
A子はそう言って神社の鈴を鳴らした。
お賽銭は奮発して一万円入れた。絵馬にも書いて祈願した。
A子は手を合わせ祈る、五分、十分。その間微動だにしない。
その姿は鬼気迫るものがあり、後ろに並んでいた者は、迷惑に思いながらも注意するのはおろか、近づく事すら躊躇うほどだった。
やがて彼女は顔を上げると、社務所で小さい鈴を二つ買い、神社を後にした。
――――――
Nは困っていた。手には手紙。
私と付き合って下さいとの内容なのだが、このような手紙を貰うのは一度や二度では無かった。
差出人はA子。
最初は直接告白されたのだが、断った。
にも関わらず何度も告白された。いい加減嫌になり、こういった事は辞めて欲しいと言った。
すると手紙が送られてくるようになった。それも何度も。
正直怖い。
A子は一見、おっとりしており顔も可愛らしい。
しかし目が怖いのだ。何かを信じて疑わないような強い眼差し。告白された時、彼女は瞬き一つしていなかった。
今回手紙の他に鈴が一つ入っていた。
これも怖い。何の説明もないのだ。
ただ封筒の中に、手紙と一緒にコロンと入っていた。
今すぐ捨てたい。だが同時に捨ててはいけないという漠然とした考えが頭を過った。
そろそろ仕事に行かなければならない。Nは腕時計に目を落とすと、手紙と鈴をカバンに入れ駅に向かって歩いていった。
時刻は十一時、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
Nは仕事を終え、駅から自宅のマンションに向かう。駅の周辺は街灯もあり人通りも多いのだが、自宅付近になると、歩く人の姿も殆ど見かけなくなり、明かりも少なく見通しも悪い。
Nは極度の怖がりといった訳ではなかったが、ビクビクしながら道を歩いていた。
何か視線を感じるのだ。電柱の影、先程通った道の曲がり角。誰かが見ている様な気がするのだ。
やがて公園の横を通る。
「キイキイ」
ブランコが揺れる音が聞こえ、体がこわばった。
公園の中は街灯が無く、ブランコは見えない。誰かが乗っているのか? この暗闇の中で?
目を凝らし暗闇を見詰める、白いワンピースを着た女が見えた気がした。
思わず足を止める。
「キイ、キィ……」
それっきり音は聞こえなくなった。白いワンピースを着た女の姿もない。
N はホッと息をつくと、気のせいだと自分に言い聞かせるように、足早にマンションに向かって歩いていった。
マンションのロビーを抜けエレベーターに入る。
Nの住むマンションは築三十年の古い建物だ。人口の減少に伴い空き室も多く見られる。
住人の減少により管理費も集まらないのであろうか、共用部分の通路の電灯も切れたままの物も多い。
さらに、このような深夜にもなると、見通しも悪く、より一層寂れた印象をもたらす。
八階のボタンを押すと、エレベーターの扉は閉まりゆっくりと上昇しだした。
「チン」と音がしてエレベーターは二階で止まる。
中から見える、真っ直ぐ続く通路には誰もいない。
おや? と思い顔を出し、左右を確認しても誰もいなかった。
やがて扉は閉まり始め、首を引っ込めると、再びエレベーターは上昇していった。
「チン」
三階で止まった。誰もいない。
何だ、いたずらか?
それにしては妙だ、エレベーターの中のボタンは八階しか点灯しておらず、止めるには外のボタンを押すしかない。
Nは背筋に嫌な汗が流れるのを感じると、閉じるのボタンを押した。
「チン」
まただ、四階で止まる。
誰もいない。
クソ、何なんだ。悪態をつくNの目に何か白い物が映った。
人? それは通路の奥にぼんやりみえる、白い服を着た女性らしき姿。
髪は長く伸ばしているのであろうか、暗闇に溶け込んで顔は見えない。
こちらを見ているのか、背中を向けているのかすら判別できなかった。
やがて扉は閉まりエレベーターは上へと向かう。
「チン」
やはり五階で止まった。
ここでNは自分の身に危険が迫っている事にようやく気付いた。
先ほど見えた白い人影。今度は長い髪の毛を前に垂らしているのが判別出来るぐらい、こちらに近づいていたのだ。
近づいているという表現で正しいのであろうか、先ほどは四階、今は五階だ。
階が違うのだ、そもそもあり得ない事なのだ。
Nは食い入るように女を見詰めた。女もNも微動だにせず立ち尽くしている。
『チリリン』
遠くで鈴の音が聞こえた気がした。
そこでハッと我に返り閉じるボタンを押す。
何だあの女? 何がどうなってるんだ。 人ではない、生き物ですらない。
幽霊か? このマンションで出るなんて話は聞いた事がない。
目まぐるしく回転する思考を中断させるように、エレベーターは次の階でも止まった。
「チン」
ああ、何て事だ。女の姿はほんのすぐ近く。五歩も歩けば手が届く距離にいる。
Nは閉じるボタンを連打する。
その時、うつむき加減の女が顔を上げた。長い髪の間から顔が見えた。
白く濁った眼は何も映しておらず、青白い顔はまるで体温を感じさせない。
早く閉まれ! Nは更にボタンを叩く。
ニヤッと女が笑った。
扉はゆっくり閉まっていく。
エレベーターは再び上の階へと進む。
七階の景色がガラス越しに見えた時、Nは絶望した。
扉のすぐ前から、こちらを覗く白いワンピースの女。
笑みを浮かべて扉が開くのを待っている。
必死で閉じるボタンを押す。
しかし無常にも、ゆっくりと開く扉。
完全に扉が開いた時、Nはエレベーターの一番後ろにいた。
これ以上下がれないほど、背中を壁に密着させ、少しでも距離をとろうとする。
スーッと滑る様にエレベーターに乗り込んで来る女。
その手がNの首に伸びる。
「助けて!!」
Nの恐怖でかすれた声が、マンションに小さく響いた。
その時、チリンと鈴が鳴った。そして聞こえる大声。
「N君!!」
バタバタと走る音。
「私のN君に何するのよ」
気付いた時には、二人の女が取っ組み合いをしていた。
一人は首を絞めようとしていた幽霊の女。もう一人は……A子?
狂ったように幽霊の女を壁に叩きつけるA子。
その度にチリン、チリンと鈴が鳴った。
扉は閉まり、三人を乗せたエレベータは八階へ向かう。
八階の扉が開くまで、幽霊の女はぬいぐるみの様に、A子振り回され壁に叩きつけられる。
「N君、こっち」
扉が開くとA子は、幽霊を放り投げてNの手を握り、走り出した。
グイグイと引っ張るA子。Nが振り返ってエレベータを見ると、床に横たわった幽霊は空気に溶ける様に消えていった。
A子に手を引かれ、着いた先はNの部屋の前。
「早く入って!!」
鍵を掛けたはずの扉を開けて、中に入るように促すA子。
混乱した頭で部屋の中へと入り、何が何だかよくわからない内に裸にひん剥かれた。
A子も裸になった。
その姿を見ると何故かムクムクと淫らな感情が込み上げて来た。
恐怖で子孫を残すため本能が呼び覚まされたのか、Nも沸き起こる欲望を抑えるられない。
気付けばNとA子は朝までお互いの体を求めあっていた。
――――――
「イタタ、全く乱暴な女じゃわい」
白いワンピースを着た女は腰をさすりながら言った。
その手には絵馬が握られている。
「ワシは安産の神じゃと言うのに。乱暴な上、そそっかしいと来たもんじゃ。
縁結びの神は隣の神社じゃ。お門違いじゃが、あんなに熱心に頼まれてはのお」
安産の神様は社に向かって歩いていく。
「身ごもったら、もう一度ここに来るんじゃぞ」
そう呟くと彼女の体は社の中へ消えていった。
半年後、A子は妊娠した。
だが、もう一度お参りに来ることは無かった。
安産の神様は悲しんだ。
一方、縁結びの神様は困っていた。
手に持つ絵馬にはこう書かれてある。
『無事に子供が産まれますように。A子&N』
迷走いたしております。
ホラー部分に力を入れ過ぎました。
全く笑えない。
次からはもっとシンプルに行きたいと思います。