依頼
夜の空へと輝く月へ、スコルア王宮から聖女達は祈りを捧げている。聖女が一人魔物に襲われ命を落とした。しかも聖女達の中で一番若い娘が。
聖女達は祈る。どうか彼女が迷わず天へと召される様に。無事に地脈へと帰れるようにと。
シェルスは一人私室で涙を流し続けていた。自分勝手な行動で一人の聖女を殺してしまった事を悔やんでも悔やみきれない。あの森で起こった事を何度も思いだしていた。
突然馬車へと襲い掛かって来た蜘蛛の魔物。聖女アイルはシェルスに逃げるよう叫び続けながら魔物に抱き付いた。シェルスの後を追わせぬよう自分が餌になったのだ。
何度も同じ場面を思いだす。それと同時に魔物を殲滅させた騎士の姿も思いだしていた。
自分と同じ女性、下手をすれば身長は自分の方が高い。にも関わらず勇猛果敢に魔物に立ち向かい、あまつさえ全滅させたあの女騎士。
(強くなりたい……)
シェルスはレコスの事を想いだす度に胸に熱い物が込み上げてくる。単純に悔しかったのだ。あんな魔物一匹に聖女を殺された事が。
(私も……あの人みたいに……)
シェルスは自分の手を見つめる。イリーナに助けられてから一カ月。まだ満足に体は動かせない筈だった。だが胸に熱い物が込み上げてくる、もう寝たまま過ごす事など出来ない。
シェルスは心の中に一人の騎士の姿を刻み込んだ。そして願う、ただ強くなりたいと。
あくる日の朝から鍛錬に励む騎士達が居る。現在スコルアに駐在しているガリス隊約三十名の連隊騎士達。その中にはシェルスが憧れるレコスの姿もある。木剣を構え体中に痣を作りながら息を切らしていた。
「レコス、お前は動きがハンパすぎる。素早さで敵を翻弄したいなら……もっと……」
レコスと向き合っているのは同じ隊のモールス・グアノス。同じく木剣を片手に持ち肩に担ぐように構えながらレコスに指導していた。モールスは普段大剣を扱い、山のような魔物を仕留めた事もある猛勇。
モールスの言葉を最後まで聞く事なくレコスは駆けだす。狙いは足。
「おい、人の話は最後まで……」
溜息を吐きながらモールスはレコスを迎え撃った。明らかに低姿勢で目線は足を向いている。モールスはレコスの狙いが足だと見破っている。
レコスが木剣を振りかぶるのと同時にモールスは数歩退く。それだけでレコスは空振りし、バランスを崩した。
「ぁ……」
そのままレコスの顎を容赦なく蹴りあげるモールス。レコスはそのまま地面に転がり動かなくなった。
「そんなバレバレの動きで……って、聞いてないか……」
失神するレコスを隅まで担いで運び、そのまま次の相手を探す。
「おい、モールス。相手になれ」
そんなモールスの前に立ったのはイリーナだった。既に何人かと試合をしている筈だが、その体に痣は一つも無い。
「次はイリーナか……他の奴の指導は終わったのか?」
モールスとイリーナはガリス隊の中でも精鋭だ。レコスを始めとするまだ「未熟」な連隊騎士へと指導する役目も担っている。イリーナは軽く頷くとモールスと間合いを取り木剣を構えた。
「なんか不機嫌だな……何かあったのか?」
「あぁ……」
そのままモールスへと突っ込むイリーナ。レコスと同じく姿勢は低く、目線は足。
(こいつもか……最近流行ってるのか……?)
モールスはイリーナの剣を避けようと後に下がるが、イリーナはそのまま剣を振る事なくモールスにタックルする。
「んなっ! お前……っ」
モールスはイリーナのタックルをバックステップでなんとか躱しつつ自分を戒めた。イリーナがレコスと同じ訳が無い。戦闘スタイルは似ているが、いかんせんイリーナはレコスのように正面から向かってくる訳では無い。
イリーナはあいも変わらずモールスへと突っ込んでくる。軽い木剣はモールスにとっては不利だった。普段大剣を扱っているだけあって軽すぎる。こんな軽い剣では狙いが定まらない。
それを知ってかイリーナは容赦なくモールスへと打ち込む。剣戟は軽いが早い。それでもモールスは互角に打ち合い、互いに痣を作っていった。
モールスに顎を蹴りあげられ目を覚ますレコス。
「いった……っ……手加減なしだなぁ……あの人……」
そこにガリス隊長がレコスへと水を渡しながら隣りに座った。
「よぉ、お前モールスの足狙ってたんだろ。まあ間違っちゃいねえけど……ほら、モールス相手には……ああやって戦うんだ」
受け取った水を飲みながらガリスの指す方向を見る。そこには互いに痣を作り息を切らしているモールスとイリーナが居た。
「よく見てろ。お前イリーナと似てるしな」
「まあ……姉弟ですから……」
それはレコスが勝手に言っている事だが、ガリス隊の中では当然のように通っていた。中には本当に姉弟だと思っている人間すら居る。そんなレコスの姉であるイリーナは勝負を掛けようとモールスへと疾走する。
「ぁっ……あー……イリーナさん……っ、蹴りが来ますよ……!」
「落ちつけ……黙ってみてろ……」
レコスがヒヤヒヤしながら見守る中、イリーナはモールスの足へと剣を振り上げる。モールスも撃墜してやるとレコスへとしたように蹴りを繰り出すが軽く躱されてしまう。そのままイリーナは低い姿勢からモールスの顔面目掛け木剣を突き出しながら飛び上がった。
モールスはスレスレで躱し、イリーナの胴体へと打ち込もうとするが
(近づぎる……っ!)
そう感じた瞬間、モールスの顎へと突き刺さる膝。
「レコスの……仇だ!」
イリーナの膝はモールスの顎を打ち抜く。モールスはそのままレコスのように動かなくなった。
「おぉぅ……イリーナさん強い……」
「まあ……お前ならあと一年もすりゃイリーナも敵じゃ無くなるだろ。精進したまえ……」
はい、と素直に頷くレコス。ガリス隊の中で最年少で連隊騎士となったレコスは期待の星だった。ゆくゆくは騎士団そのものを支える重要な役目に付くだろうと、実力者は全員レコスを認めている。だがレコスはたった一人に認めて貰えればそれで満足だった。
モールスとの模擬戦を終え、早くも次の相手を探し出すイリーナ。だがそこに一人の聖女が現れた。
「イリーナ様……今よろしいでしょうか……?」
その聖女は姫君の信頼をもっとも寄せる聖女、リュネリアだった。イリーナを心配するように、その体に作られた痣を見つめている。
「あぁ……リュネリア様、どうしました。こんな汗臭い所に……」
リュネリアは辺りを見回している。誰かを探すように一人一人を確認するように。
「あの……一昨日、イリーナ様と一緒に姫様を助けた女騎士という方はどちらに……? その方を探しているのですが……」
「あー……えっと……あそこにいる小さい方です……」
先程までイリーナとモールスの模擬戦を見ていたレコスとガリスがリュネリアの姿を見て驚いていた。こんな場所に聖女の中の聖女であるリュネリアが何の用かと。
リュネリアはレコスの姿を見て首を傾げる。レコスは今上半身裸で自慢の筋肉を露にしていた。何処をどう見ても漢である。
「あの……女騎士の方を……」
「あぁ、あいつ普段は女の格好してるんで……というか姫がレコスに何の用で?」
リュネリアはそのままイリーナをの手をいきなり取り、そのままレコスの前へと歩み寄る。突然なんだとガリスもレコスも、そしてイリーナも首を傾げていた。
レコスの顔を見つめるリュネリア。確かに綺麗な顔立ちをしていると思いながら、その場に膝を付きレコスと目線を合わせた。突然の行為に慌てる騎士達。
「ちょっ……! リュネリア様?! な、なにして……服が汚れますよ?!」
レコスは立ち上がり、アタフタしながら目の前の聖女を立たせようとする。だが直接触る事など出来ない。自分の手も泥で汚れているし、そうで無くともリュネリアは聖女の中でも最も姫君の信頼を寄せる女性。まさに聖女そのものなのだ、触れる筈が無い。
リュネリアはそっと目を伏せ、手を祈る様に組みつつレコスへと頭を下げた。
「どうか……女騎士として……姫君へ剣の鍛錬を……」
イリーナ、レコス、ガリスは一瞬思考が停止する。リュネリアが何を言っているのか理解できなかったからだ。頭の中でリュネリアの言葉を再生し続ける事数秒。ようやく頭が追い付き
「「「はい?」」」
三人とも間抜けな声で聞き返していた。
日没後、鍛錬を終えたガリス隊は揃って酒場を訪れていた。その中でレコスは一人イリーナの隣りで頭を抱え悶えている。
「レコス、いい加減観念しろ……仕方ないだろ、姫君自らの……ご指名なんだから……」
イリーナは頭を抱えるレコスの口へとツマミを咥えさせながら説得していた。あれから駄々をこねるレコスを説得してくれとリュネリアに頼まれたからだ。
「そんな事言ったって……第一……な、なんで僕なんですか?! 普通そういうの幹部クラスの騎士がやるもんでしょ?! しかも女騎士としてって……」
レコスとイリーナの向いに座るモールスも酒を飲みながら話を聞いていた。ため息を吐きながら、豪快にジョッキに注がれた酒を一気飲みする。
「まあ……身に余る光栄だろ……王家のご指名なんてそうそうあるもんじゃない。お前が普段女の格好をしている事が身を結んだという事だ。恐らくは……同じ女性のほうが姫も気を使わなくて済むという事だろ」
「そうそう、私も姉として鼻が高いぞ……」
イリーナとモールスはなんとなくリュネリアの考えている事が分かっていた。姫は女騎士としてのレコスに惹かれたのだろうと。そんなレコスが実は男だと知ったら恋に落ちるかもしれない。恐らくリュネリアはそれを恐れているのだろう。
レコスはチビチビ酒を飲みつつ溜息を連発する。そんなレコスを見て、モールスとイリーナは鍛錬する時はどんな格好でするのかと相談し始めた。
「んー……普段着だと失礼だし……鎧もなんか違うしな……だからって礼服で行く訳にも……」
「騎士団長や幹部クラスの騎士なら鎧もアリだろうがな……俺達は普段から魔物の血浴びてるからな……鎧なら儀礼用っていうのもあるが……」
「いやぁ……折角女としてのレコスをご指名なんだ……鎧以外で……」
可愛くない、とイリーナは鎧は無いと思っていた。それに関してはモールスも頷く。
「よし、分かった……レコス。俺の家に来い。妻に見立てて貰おう。そうと決まれば善は急げだ」
レコスは全力で断ったが無駄だった。