意地
大国レインセル。
巨大な大陸の半分以上を領地とし、多くの騎士と魔術師を有する国。
この国の姫君がバラス島から助け出されて一週間が経った。レインセルの幹部達は事態の収拾に追われ、騎士達はバラス島へ警戒を強めていた。一人の騎士がバラス島の貴族を皆殺しにし、あまつさえブラグを殺害し姫を助けた。当然オズマによる報復が予想されたが、今の所そんな気配は無い。
そしてその姫を助けた騎士、イリーナ・アルベインはマシルと呼ばれる組織の幹部に捕まっていた。レインセルの首都、スコルアに帰ってくるなり大人しくしていろと放り込まれた部屋で、魔術師の自慢話を延々と聞かされるという拷問を受けていた。
マシルというのはレインセルを二分する勢力の一つ。主に魔術師が所属する組織である。イリーナの目の前で自慢話を延々と繰り返している女性は、何を隠そうマシルの最高権力者だった。
「お、いかん、会議だ。さて……今日くらいには決まるかもしれんぞ。お前の処遇」
赤い髪、赤い瞳をし白いローブに身を包む二十代半ばの女性は自慢話を切り上げ立ち上がる。イリーナの処遇を決める会議は連日行われていた。イリーナは単独で行動し姫を助けに行ったのだ。幹部の命令を無視し戦争になりかねない状況を作り出したとして罰せられようとしている。イリーナは立ち上がり部屋から出て行こうとする最高権力者に一言だけ謝った。
「謝るのはお前じゃない、安心しろ、なんとかしてやる」
部屋を出て行くマシルの最高権力者。イリーナは俯きながら助けた姫の事を想っていた。助け出した姫は痩せ細り、まともに喋れないほど衰弱していた。一年間という拷問に耐え奴隷以下の生活を強いられてきたのだ、イリーナは想像する。もし自分が捕まり拷問されて一年間も耐える事など出来るかと。
薄暗い魔術師の部屋でイリーナは一人震える。姫君の一年間を思うだけで震えが止まらず涙が止めどなく流れた。
会議は王宮の一室で行われている。遅れて入室した最高権力へと、すでに席に着いていた幹部達は立ち上がり頭を下げつつ会議を開始する。
「さて……今日も始めるかの……」
ため息交じりに会議を仕切るのはマシルの幹部の一人、ゼシル・サウス。白い髭を蓄える一見優しそうな老人だが、周りからは意地悪爺さんと呼ばれていた。
「ナハト、イリーナの様子はどうじゃ……落ち付いとるか?」
「あぁ……そっちは心配無い……」
ナハトと呼ばれた女性、先程までイリーナに自慢話を聞かせていた魔術師だ。もちろんナハトというのは本名では無い。マシルの最高権力者に与えられる階級のような物だった。
円卓の両端に二つの組織のトップが対面し座っている。ナハトの正面に座るのはジュールと呼ばれる組織のトップ、騎士団長ウォーレン・カルシウス。腕を組み目を伏せ、連日行われる会議に嫌気がさしたように顔を顰めていた。
「さて……今日くらいには決めんとな。イリーナの処遇じゃが……マシルとしてはイリーナから騎士の位を剥奪し、行動を制限する必要があると考えておる。そちらはどうかの、サリス殿」
ゼシルに指名された騎士、サリス・ハートは慌てて資料を手にしながら立ち上がる。メガネを直しつつ、怯えるような態度でゼシルへとジュール側の総意を訴える。
「ジュ、ジュールとしては……イリーナ・アルベインに対して得に処罰を下しません……以上です……」
マシル側の幹部達は顔を顰める。得に処罰しないとはどういう事かと。
「ウォーレン、それはお前の意見かの?」
ゼシルはジュールのトップへと尋ねる。ウォーレンは伏せていた目を開けゼシルへと鋭い眼光を向ける。
「今サリスが言っただろう、ジュールの総意だ」
それだけ言ってウォーレンは再び目を伏せる。隣に座るサリスは落ち着かない様子でゼシルとウォーレンの様子を伺っていた。なにせこの一週間、この二人の睨みあいで会議が終わってしまっていたのだ。そして今日やっと具体的な処遇が両組織から提案された。だが当たり前のように意見は食い違う。
ゼシルはウォーレンは話にならんと見切りを付けるように、隣りのサリスへと視線をずらし会議を続ける。
「サリス殿、処罰無しの理由を伺っても良いかの」
「え?! ぁ、は、はい……」
再びオドオドした態度で立ち上がるサリス。資料を探し息を飲みこみながらジュール側の意見をゼシルへと言い放つ。
「イリーナ・アルベインは……命令を無視しバラス島へ姫の救出へ向かいました……が、え、えーっと……その……」
サリスは資料に書いてある文字を口に出していいのだろうかと迷っている。この資料自体はウォーレンと幹部達が話し合った結果をまとめた物だが、実質ウォーレンが喋った内容をそのまま写したような物だった。
「えー……イリーナを罰する事は……騎士としてありえない……以上です……」
肩を落とすジュール側の幹部達。それに対しマシル側の幹部は立ち上がり抗議する。騎士としてありえないなど、そんな理由があるかと。ゼシルとナハトは座ったままため息を吐き肩を落としている。今日もこのまま終わりそうだと思いながら会議の熱が冷めるのを待つつもりだった。
だがそこに新たに会議へ参加する人間が入室する。ジュールの幹部達はその人物を見て驚き、抗議していたマシルの幹部達も絶句した。扉を開け放ちそこに立っていたのは拉致された当人、シェルス・ロイスハートその人だった。
「ひ、姫様?! な、なんで……ま、まだ動かれては……」
サリスは席を立ち姫へと駆け寄る。シェルスは王族の護衛兼、世話係の聖女に支えられながら立っていた。その痩せ細った体で微笑みつつ、サリスへと大丈夫と声を掛け上座へと着席する。その肩には治癒魔術をかけ続ける聖女の手が置かれていた。
意外な人物の参加に言葉を失った幹部達はシェルスの様子を伺っていた。少年のように短く切られた髪、枯れ木のように痩せ細った体。そして無数に刻まれた傷跡を見て、改めて姫がどんな目に合っていたのかを再確認する。
「ゼシル様……」
まだ本調子ではないシェルスは擦れた声でゼシルへと声を掛けた。ゼシルは頷きながら姫の言葉を待つ。
「私は……助けて頂いた……騎士様を罰しようとは……思いません……」
時折苦しそうな嗚咽を混ぜながら姫は訴える。その言葉に先程まで抗議していたマシルの幹部達は反論しようにも出来なかった。悲痛な叫びに似た姫の訴えに勝る弁など持ち合わせては居なかった。
だがゼシルは淡々とイリーナの処遇についてマシルの総意を再び言い放った。
「姫様、イリーナのした事は明らかな命令違反、これを放置すれば他の騎士達も勝手な行動を取り始めるでしょう。そもそも戦争になりかねない状況を作り出した。今現在スコルアは臨戦態勢に入っている。貴方を……」
「あー、ちょっと待て、ゼシル。落ちつけ」
ゼシルの言葉を遮り立ち上がるナハト。そのまま姫の後ろへと立ち、聖女の手へと触れる。
「そろそろキツイだろ、代わってやるから休め……」
聖女は顔面蒼白でフラフラの状態だった。それほど全力で治癒魔術をかけ続けなければならない程、姫は衰弱しきっていた。
「すみませ……」
そのまま膝から崩れ落ち息を乱す聖女。交代したハナトは治癒魔術を掛けつつ姫にしか聞こえない声で話しかける。
『姫様、何故ここに……イリーナの事なら私に任せて貰えれば……』
ナハトは通信魔術の一種、「心声」と呼ばれる魔術で脳内へと直接話しかける。姫も心の中で会話をするようにナハトへ自分の思いを一言でぶつけた。
『私の……意地です……』
それを聞いて思わずナハトは納得してしまう。流石あいつの娘だと。
姫の様子を伺いながら、騎士団長ウォーレンはゼシルに目配せしつつ会議を纏めた。
「我々が話し合った所で結論など中々出ん。こうして姫様まで出てこられたのだ。姫様の意見に反論があるのは意地悪爺だけか? 無ければ会議はこれで終わりだ。イリーナは無罪放免、騎士も続けさせる。説教くらいは私がしてやる」
ウォーレンの言葉に反論できないマシルの幹部達。それは当たり前だった。拉致された当人を目の前にして「見捨てると決めたのだからイリーナのした事は命令違反だ」などと言えるわけも無い。意地悪爺さんは言ったが。
ゼシルはため息を吐きつつ立ち上がる。説教で終わるくらいなら、こんな会議は無意味だと言い捨てながら。他の幹部達もゼシルに続き退室していく。
姫に治癒魔術をかけ続けているナハトは、姫のその痩せ細った体を抱きかかえた。驚く程軽い。ナハトは顔を顰めつつ、サリスへと声を掛け聖女を抱えさせた。
「ウォーレン、サリスは借りてくぞ。あと……イリーナは私の部屋に居る。説教するならさっさと連れていけ」
ウォーレンは座ったまま振り向かず頷く。
「あぁ……ガウェインとかいう魔術師は……そっちに任せたぞ」
ガウェインとはイリーナと共に姫の救出に向かった者だった。ナハトも頷きつつ退室する。それに続き聖女を抱えるサリスもナハトと共に姫の私室へと向かった。
シェルスの私室へとナハトは姫を抱きかかえながら入室する。他の聖女達が驚きながら騒いでいるが無視する。
「姫様、気持ちは分かりますが……あまり無茶されては困ります」
ナハトはベットへと姫を降ろし布団をかけつつ姫を注意した。聖女達にも立場がある。姫に何かあれば責任を取らされるのは彼女達なのだ。
「すみません……でした……。でも……私は……お飾りだし……誰も……助けに……なんて……」
そのまま姫は眠りに付いた。ナハトは姫の言葉を聞き歯を食いしばる。行き場の無い怒りがナハトを支配した。そのまましばらく姫の横で椅子に座り治癒魔術をかけ続ける。もはや魔術では消えない体の傷と心の傷をなぞるように。