過去の誘惑
ラスティナ、マリスが魔術を展開する。
マリスが同調するのは夜の空に輝く星々。雨の様に隕石を降らせ、魔人を圧倒していく。
泣き叫ぶ事すらできずに吹き飛んでいく魔人達。まさか思うまい、これを十歳の少女が行っている所業だとは。
対してラスティナは口から守護霊の刻印を吐きだし、地面へと沈ませた。
彼女の守護霊は心臓に宿っている。地面へと沈んだ守護霊は徐々に大地で実体を構成していく。
それは巨大な地響きと共に。
「魔人を殺せ……」
それがラスティナの願い。
守護霊は術者の願いを受けて顕現する存在。
そのままスコルア全体が揺さぶられる程の地響きと共に、地面から這い出て来る巨大な影。
天へも届きそうな大地で構成された巨人が顕現する。
巨人は前進し、直接魔人とオズマ率いる騎士団を踏みつぶしていく。
さも当然のように淡々と歩く魔人。一歩一歩、確実に命を摘み取っていく。
その時、ラスティナは跪き祈るように手を組んだ。
首を垂れ、目を瞑り許しを請う。他でも無い、自分達の両親へ。
「お父様……お母様、お許しください……。ラスティナは魔人を殺します。魔人とはいえ、この星の一部……命を摘み取る行為をお許しください……」
先程までマリスと話していた人物とは思えない程の丁寧な口調。
ラスティナは知っているのだ。既に仇は取られている事を。
三年前、両親とマリスと共にローレンスへと赴いた。
その道中、魔人に襲われたのだ。護衛の騎士も全滅し、ラスティナとマリスは目の前で両親が食い殺される場面を目撃する。必死に二人へ逃げるよう叫びながら両親は殺された。
そんな地獄が、二人の魔術師としての才能を開花させたのだ。
二人は暴走し魔人ごと辺り一面を火の海に変えた。
両親を殺した魔人は二人が殺したのだ。
マリスは覚えていないが、ラスティナは鮮明に覚えている。
自分の魔術で跡形も無く消し飛ばされる魔人の姿を。
ラスティナはその事をマリスに話す事が出来なかった。
出来る筈が無い、魔人というワードを聞くだけで暴走してしまうのだから。
今も二人は半分暴走状態。
ラスティナは辛うじて自我を保っているが、マリスは普段とは別人のように魔人を殺し続けている。
「マリス……終わったら、また夢の中で遊ぼうね……」
ラスティナは自ら自我を捨て、暴走状態へと移行する。
レインセルの、スコルアの敵を滅ぼすために。
自分はレインセルの魔術師、役目を果たせと言い聞かせながら。
たった十歳の復讐者は笑う。ただひたすら殺し続ける為に。
魔人の軍勢が攻めている東門、その光景を高台から眺める人間が居た。
リュネリアだ。まるで信じられない物を見るかのように呆然と立ち尽くしていた。
『凄まじいな、リュネリア。我は確かに魔人を数十万と召喚した筈だが……既に元いた数より半分までに減らされている。しかも相手は……たった二人の子供とは……』
魔人は今日何度目の驚愕だろうと呟いた。
所詮囮に使うつもりだったが、ここまで圧倒されるとは思ってもみなかった。
『とは言え……あの子供もそうそう持つまい。あれだけ大規模に魔術を展開しているのだ。いくら器が大きかろうと所詮子供だ。だが急ぐに越した事は無いか』
リュネリアは小さく頷きながら、自分の胸へと手を当てる。
「姫様を救う……過去に戻って……」
『そうだな。皆殺しにすると言っておいて何だが……少々戦力を見誤ったからな。姫を救う方法があるとすれば……一年前に戻るのが一番確実だ』
グロリスの森で魔人グラスパから持ちかけられた姫を救う手段。
それは過去へと戻り、シェルスをバラス島へ行かせないという物だった。
あの島へ行かなければ拉致される事も無い。
だがそんな事が可能なのか、とリュネリアは疑心暗鬼だった。
『信じる事が出来んのは分かるがな。数千年前に時と同調する魔人が居た。そいつから授かった貴重な魔術だ。発動にはかなりの魔力を消費する。だが問題は無い。発動と同時にお前は命を落とすだろうが、その時には既に一年前だ。そうすれば何の問題も無くお前も姫の傍に居る』
リュネリアはスコルアを眺め、恐らく自分は間違った事をしようとしているのだろうと思案する。
だがシェルスの一年間にも及ぶ拷問が無かった事に出来る。
そんな物が有っていい筈が無いのだ。
「私は……姫様を救う……」
『そうだ。では参ろうか、姫の元へ』
その直後、リュネリアの意識は無くなり完全に魔人グラスパに掌握される。
だが全ては姫の為だ。
グラスパに他の目的など無い。それ以外にする事など無いのだから。
彼にとって、一連のこの出来事は暇つぶし以外の何物でも無かった。
レコスの看病に付くイリーナとシェルス。
外からは幾度となく凄まじい爆発音が響いてくる。
恐らくマシルが魔人を撃退しているのだ、とイリーナは高く拳を握りしめた。
今も尚、幼馴染であるシンシアは戦っているのだと。
そんなイリーナの様子を伺いながら、そっと口を開くシェルス。
「イリーナ様……いえ、お、おかあさ……」
「私は母親じゃない……」
イリーナの言葉で黙ってしまうシェルス。
悲しそうに口を噤んだ。
「私は産んだだけだ、お前の母親はリュネリアだろ……」
確かにその通りだった。
実際リュネリアは母親代わりだったのだ。
様々な事を教わり、時に叱られ、時に笑い合った。
だがシェルスは目の前にいるイリーナも、かけがえのない存在だと感じていた。
何故ならば、自分を守る為に今まで戦い続けてきたのだから。
そして救ってくれた。あのバラス島から、あの地獄から。
シェルスはイリーナの手を握りなおし、向かい合うようにして座り直した。
「貴方は……私の母親です……。誰が何と言おうと……」
「違う……私は産むだけ産んで……あとは周りに丸投げしただけだ……」
頭を振って否定するシェルス。
丸投げなどされて居ない。
「貴方は私を守ってくれてたじゃないですか……こんなに手をボロボロにして、あんな必死に鍛錬をして……」
サリス隊の訓練を思い出すシェルス。
本当に丸投げするならば騎士になどならない。
もっと普通の暮らしをすればいいだけなのだ。
「私は……貴方のようになりたい……誰かを守れるような……そんな存在に……」
思わずイリーナはまた泣いてしまう。
自分はここまで涙もろかったのか、と思いつつ涙を拭う。
「ありがとう……シェルス……」
そのままシェルスを抱きしめるイリーナ。
ずっとこうしたかったと思いながら。
いつも遠い場所にいたのだ。自分の娘が。
『取り込み中すまんな。姫君に母親よ。少し話がある』
突然頭に響く声に警戒するイリーナ。
咄嗟に剣を抜き、シェルスとレコスを庇うようにして立つ。
「どこだ……」
周りを見渡すが誰も居ない。
暗い部屋の中には、確かに三人しか存在しない。
『そう警戒するな。話があると言っただろう。どうだ、我の魔術でお前達を一年前へ戻してやろう』
「ふざけるな……そんな事して何の意味が……」
何処かにリュネリアが居る、そう判断したイリーナは窓の外や廊下を確認する。
だが気配が全く掴めない。
『意味など議論するつもりは無い。それが姫を救う唯一の方法だからだ。リュネリアは承諾したぞ。一年前へと戻る事を』
「なっ……嘘だ! 彼女はそんな弱い人間じゃ……」
『弱い? はは、弱いか。それは違うぞイリーナ。強すぎるのだ、ある一点の感情がな。何かは言うまでも無いだろう。さて、姫はどうだ? 一年前に戻り、このスコルアにさえ居れば安全だ。我が保障しよう。なにせ魔人の軍勢をたった二人の魔術師が相手にしているのだからな。恐れ入る』
魔人の言葉に驚きを隠せないシェルス。
二人の魔術師。最初に思い浮かんだのはナハトだった。
『あの娘では無い。姫も知らぬ隠し玉のようだな、あの二人は……。さて、時間が惜しい。リュネリアが待っている。姫よ、答えてやるがいい』
突如として現れる闇の中に取り込まれるシェルス。
咄嗟にイリーナも剣を捨てて飛び込んだ。
闇の中でシェルスを必死に捕まえ、抱き寄せる。
だが何かに引かれ、シェルスと離れてしまう。
「シェルス……!」
再び捕まえようとするイリーナ。
だが自分が地面に立っている事に気が付くと、周りを見渡した。
その光景に驚愕する。
「ここは……バラス島の……」
イリーナが立っているのはバラス島のコロシアム。
自分が盗賊に命じ、貴族達を皆殺しにした場所。
そして背後に人の気配を感じ、振り返るイリーナ。
「イリーナ・アルベイン……」
そこに立っていたのは、かつてバラス島の全連隊騎士纏めていた男。
オズマ・ガウル
「我が主を殺した女騎士……」
背中から大剣を抜き、切先をイリーナへと向ける。
その眼は赤く充血し、まるで幽霊のように朧げな姿。
大戦の英雄として名を馳せた男が、イリーナへと襲い掛かった。




