最後の晩餐
聖女リュネリア。レインセルの姫君であるシェルスの信頼を最も寄せる女性。
彼女は今困惑していた。中庭で鍛錬するシェルスを見て。
(姫様は……何故……)
何故鍛錬などするのか。
リュネリアは全く理由が思い浮かばなかった。
「姫様……姫様は……私達の事を信じれなくなったのですか……?」
シェルスは一人で生きる決断をしてしまったのかもしれない。
あのバラス島で一年間放置されたのだ。そうなってしまっても仕方無い。
「イリーナ……貴方の娘だから……?」
中庭で鍛錬するシェルスを見て、リュネリアは思いだしていた。
よくイリーナも、あの中庭でシェバと共にグリスから剣の鍛錬を受けていた。
まだ幼い二人が木剣を振るう様子を、今でも鮮明に思いだす事が出来る。
リュネリアは一度だけ、まだ赤子だったシェルスを抱いてイリーナと会った事がある。
それはイリーナが鍛錬を終え、中庭から立ち去ろとした時。
『こんにちは』
リュネリアは一度だけでもイリーナにシェルスを抱かせてやりたい、と当時思っていた。
その時は自分の事しか考えていなかった。
このまま自分だけ、この子を愛でる事など出来ないと。
『イリーナちゃん……あのね、この子を……』
抱かせようとしゃがむリュネリア。
だがイリーナは膝を着き、首を垂らし言い放った。
『シェルス姫、リュネリア様……私などにお声を掛けて頂き……ありがとうございます……』
その言葉に呆然とするリュネリア。
思わず黙ってしまった。
何故そんな事を言うのか理解できなかった。
『リュネリア様……? 如何なされましたか?』
叫びたかった。
心の底から叫びたかった。
お前の子供だ、抱いてやれと。
だがその時気が付いた。気が付いてしまった。
自分がどれだけ残酷な事をしているのかを。
『申し訳ありません、グリス隊長に叱られてしまうので……私はこれで……』
『待って……』
去ろうとするイリーナを、思わず呼び止めるリュネリア。
どうしても聞きたい事があった。
『イリーナちゃん……どうして騎士に……?』
数秒、思案したイリーナは震えるリュネリアへと淡々とした口調で言い放った。
『その子を守る為です。私と貴方は二人の母親です。共に……その子を守っていきましょう』
そのまま去るイリーナの後ろ姿をみながら、リュネリアは膝を着いてシェルスを抱きしめる。
まさか十歳の少女の口から出る言葉とは思えなかった。
『二人の……母親……』
その時から、リュネリアはシュルスの母親になった。
イリーナに応えるように。
ただひたすらに、愛情を注ぎ続けた。
心の奥に罪悪感を抱えながら。
王宮の中庭にてシェルスとレコスが訓練している。
そして中庭のベンチには一人の魔術師の姿。レインセルで最高の魔術師と言われるナハトである。彼女は今、目の前で訓練する姫君を不安そうに見つめていた。
実戦経験の豊富な連隊騎士に剣を教わるシェルス。彼女を見守り続けている内、どうしようもなく心配になってきてしまう。
(最初は単なる好奇心だと思っていたが……)
だがそうでは無かった。シェルスは本気で願っている。強くなりたいと。
(グロリスの森で聖女を殺してしまった事が負い目になっているのは分かるが……)
それでも姫自身が強くなる必要は無い。姫を守る為に騎士、魔術師が居るのだから。
だが姫は自らの力を欲した。それ自体は大した問題では無い。
問題はイリーナとシェバの娘だと言う事だ。
(あの二人の子供だ。剣の才能が無い訳が無い。このまま鍛錬を続ければ……)
一国の姫君が騎士として生きる道を選ぶかもしれない。
それはそれで仕方ないとも思うナハトだったが、それではイリーナがあまりにも報われない。
(我が子を王族に奪われて……それでも騎士として守ってきたんだ。ここに来てその娘が騎士になりたいなんて言いだしたら……)
子が自ら危険な事に首を突っ込むのを、黙って見守るのも愛かもしれない。
だがイリーナの場合はあまりにも不憫だ。これでは何の為に騎士として生きてきたのか分からなくなってくる。
「はぁっ……はぁっ……」
剣の素振りを止めて休憩するシェルスとレコス。
ナハトは用意していたティーカップに冷たいお茶を注ぎ、二人へと歩み寄り手渡した。
「お疲れ様です。レコス殿、姫様はどうですか? 素質はありそうですか?」
レコスへと確認するように尋ねるナハト。
その問いに、レコスはお茶を一気に飲み干しつつ答えた。
「ええ、姫様は素質あると思いますよ。素振りにしたって、僕の言った事をすぐに意識して振ってくれますし……なにより姫様は強くなりたいと本気で思っているみたいですから……」
「そうですか……」
何処か心配そうにシェルスを見つめるナハト。
親の心子知らずとはこういう事を言うのか、と心の中で大きく溜息を吐く。
そもそも親であるイリーナがどう思っているのか分からないが。
(そうだ、イリーナはどう考えているんだ? 自分が守ってきた子が騎士を志す事に……。一度……確かめてみてもバチは当たらんだろ……)
ナハトは思案しつつ、シェルスとレコスへと一つ提案する。
「姫様、レコス殿。今夜は街に降りて食事しませんか? たまにはいいでしょう?」
「えっ、ま、街?!」
目を輝かせたのはレコスの方だった。何故お前が興奮する、とナハトは疑問を抱くが理由はすぐに思い浮かんだ。なにせレコスはシェルスと訓練を共にするようになってからという物、王宮で寝泊まりしているのだ。言うなれば一日中強制的に姫君と生活を共にしている。レコスにとっては苦痛でしかないだろう。
「どうですか? 姫様」
「街ですか……しかし、リュネリアが……」
ナハトはしまったと思う。過保護な聖女の存在を完全に忘れていた。
剣の訓練自体反対していたリュネリアが、まさか街に降りるのを許可する筈が無い。
しかしナハトはどうしても、せめて一度だけでもシェルスとイリーナを二人きりにしてやりたかった。
「大丈夫でしょう、レコス殿も居ますし……護衛にイリーナも付けましょう、それならリュネリアも……」
「ぁ、リュネリア……」
と、その時ハナトは固まる。背後に聖女の気配を感じたからだ。
ぎこちない動きで振り向きつつ、ナハトはリュネリアと目を一瞬だけ合わせる、
「あー、リュネリア……えっとだな、たまには街で食事をって話を……」
ダメ元で尋ねるナハト。絶対反対される、そう思っていた。だが
「たまには……いいのではないですか? ナハト様も行かれるのであれば……護衛も心配ないでしょう」
思わず拍子抜けするハナト。シェルスも意外そうな顔をしている。
「あ、あぁ、勿論私も行くし……イリーナも……」
イリーナの名前を出した時、リュネリアは何かを察したようにナハトへと微笑む。
「そうですか……。姫様、お酒はダメとは言いませんが……程々に」
「う、うん……」
そのまま王宮の中へと去っていくリュネリア。
まるで鬼教官が去った、とナハトは安堵していた。
それはシェルスも同じだったようで
「意外でした……まさかリュネリアから許可が貰えるなんて……」
全く同感だ、とハナトは心の中で頷く。
そのまま剣の鍛錬を続行し、一通りのメニューを終えたシェルスは一度王宮へと戻っていく。
レコスは騎士の詰め所へとイリーナを呼びに行き、ナハトもマシル大聖堂へと準備を整えに戻った。
スコルアは東西に街並が真っ二つに別れていた。
今はそうでもないが、昔はジュールとマシルで争い事が絶えなかったのだ。
そのジュール側の街で酒場に入る一行。イリーナ、レコス、シェルス、ナハトの四人だ。
シェルスは姫君だとバレると色々と面倒が起こる、と言う事でフードを被りローブに身を包んでいる。
「で、こんなボロい酒場か、レコス」
イリーナの言葉に酒場の店主が睨んでくるが、そんな事はお構いなしに人数分の酒を注文するナハト。
四人で一つのテーブルを囲み、酒が来ると同時に乾杯した。
「だ、だって……ひめさ……シェルスが僕……私のお勧めがいいって……」
レコスは口調を直しつつ酒を煽る。久しぶりの果汁酒に、思わず大きく息を吐いて歓喜した。
ナハトは店主に料理を注文しつつ、イリーナへと世間話を振る。
「イリーナ、最近は何してんだ? 平和すぎて暇なんじゃないのか?」
「それをお前が言うのか……? マシルの最高幹部様は相当に暇そうだな」
二人の会話に目を丸くするシェルス。
「ふ、二人は知り合いなのですか? 凄い仲いいですね……」
その言葉にイリーナとナハトは顔を合わせ、互いに笑い合った。
更に困惑するシェルス。
イリーナは謝りつつ、ナハトとの関係を説明した。
「コイツと私は幼馴染だから……本来ならナハト様に敬語を使うべきか?」
「止めろバカ。背筋が凍るわ。あ、そうだ。レコス殿、ここのお勧めは?」
ナハトはわざとらしくレコスへと話を振りつつ、イリーナへと目配せする。
イリーナはそれだけで幼馴染が何を考えているか理解した。
お節介な幼馴染に心の中で礼を言いつつ、シェルスへと会話を振るイリーナ。
「シェルス……その、体の方はどうだ?」
「えぇ、だいぶ良くなってきました……あ、そういえば……イリーナ様にはちゃんとお礼を……」
シェルスの口に人差し指を当てつつ黙らせるイリーナ。
「ここでは様は無しだ。姫だとバレるぞ……」
冗談半分に笑いながら言うイリーナ。
だがシェルスはハッとしつつ、口塞いで酒場を見回す。
「え、えっと……イリーナ、ちゃんとお礼がしたいのですが……」
シェルスが言うお礼とは、バラス島から助け出された時の事を言っている。
だがイリーナは礼を言われる筋合いなど無いと思っていた。一年間放置した事実は変わらない。
「そんな事はいい。それより――」
「それより、もっと酒を飲めー!」
イリーナの言葉を切りながら叫ぶナハト。まだ一杯目の果汁酒を飲んだだけだというのに既に酔っぱらっていた。
「おい、お前……そんなに弱かったか?」
「何言ってんだー! 私は、この国で最高の魔術師だぞー? 弱いわけあるかー!」
机をバンバン叩きながら叫ぶナハト。このままではシェルスが姫君だとバラしかねない、とイリーナは席を移動する。
「シェルス、カウンターで飲もう。レコス、頼んだぞ」
あからさまに嫌そうな顔をするレコス。シェルスも謝りつつイリーナと共にカウンター席へと移動した。
そこで新たに酒とツマミを注文するイリーナ。シェルスはそんなイリーナを見つめつつ、疑問を口にする。
「あの、イリーナ……。何故イリーナは醜い騎士と言われているのですか? バラス島での事は聞きました……。観衆を皆殺しにしたと……。でも、それでも……」
「少し前に……ローレンスでも闇市を開いていた奴隷商と客を皆殺しにした」
その言葉に固まるシェルス。
ローレンスはスコルアの西に位置する商人の街。そこで起きた事件は有名だ。
闇市に居合わせた商人、そして奴隷を買おうとしていた客すらも騎士に皆殺しにされた事件。
まさかその騎士がイリーナだとは思わなかったシェルスは、開いた口が塞がらなかった。
「私が醜いと言われるのは見境が無いからだ。奴隷の売買が行われていると……我を忘れて暴れる。私自身……奴隷だったからな」
「それも……初めて聞きました……」
シェルスは酒を煽り、イリーナの手を握りしめた。
震える手に、イリーナはそっとシェルスの顔を見つめる。
「イリーナ……貴方がどんな辛い経験をしていたか……私にはわかりません。貴方のした事が正しいかどうかも分かりません……。でも、私は……あの地獄から助けて頂いた事を……」
シェルスはバラス島に監禁され拷問されていた一年間を思いだした。
イリーナがどれだけ醜いと言われていても、地獄から救い出してくれた事に変わりはない。
いつのまにか涙を流しているシェルス。イリーナはその涙を拭いながら「ありがとう」と一言だけ返した。
四人が酒場で過ごしている頃、マシル大聖堂にてゼシルがある人物と通信していた。
「久しぶりじゃな、オズマ。ようやく声が聞けて安心したぞ」
『私もだ、戦友。姫君の事については……』
「安心せい。お前の首だけで済むように話を進めておる。それよりもお前には聞きたい事が山ほどあるんじゃ」
『感謝する。私も言いたい事が山ほどあるが……』
ゼシルは通信魔術の触媒を見つめつつ、イリーナからの報告書に目を通す。
その中にどうしても気になる事があった。
「ブラグが持っていた切り札についてじゃが……一体なんだったのだ? イリーナからの報告じゃと、レインセル本土に進軍する準備を整えていたそうじゃな」
『……やはりイリーナだったか。派手にやってくれたな……。ブラグの切り札についてだが……それについて私の方からも気になる事があってな』
「なんじゃ、気になる事とは」
あからさまに嫌な予感がするゼシル。淡く光る通信魔術の触媒を睨みつけながら、オズマへと話の続きを要求する。
『まず……ブラグの切り札は暗唱の宝石と言われる触媒で……』
「なんじゃと?!」
大声を張り上げながら立ち上がるゼシル。
暗唱の宝石とは魔術の触媒の中でも最も危険だと言われている代物だった。
下手をすればレインセルは跡形もなく消し飛ばされるだろう。
『それでだな。実はイリーナに雇われている盗賊を先日捕らえた。事情を聴いている内に……その中の一人から気になる事を聞きだしてな。イリーナと共に姫を助けに来た魔術師風の男が居たそうだが……知っているか?』
ゼシルはイリーナの処遇をどうするか決める会議での会話を思いだした。
ガウェインという魔術師が同伴していた事を。
『その男が持っていたそうだ。手の平程の大きな宝石を』
「まて……まさか……」
『気をつけろ。恐らく……暗唱の宝石だ』




