母親
一年前
シェルスがバラス島へお忍びで訪れていた際、ブラグによって拉致された。イリーナがそれを知ったのは魔物の討伐から帰還した直後だった。
「どういうことだ! なんで……護衛は何してたんだ!」
激昂するイリーナはすぐさまウォーレンの元へと走った。自分もバラス島へと救助へと向かう為だ。当然の様に連隊騎士を送りこむ物と思っていたイリーナ。だがウォーレンから帰ってきた言葉に凍り付く。
「救助には向かわない。シェルス姫君は見捨てると会議で決まった」
「…………何? 今……なんて……」
イリーナは呆然としながらウォーレンを睨みつけ、胸倉を掴みながら迫った。どうしてそんな結論が出ると。
「私の……私の娘だからか?! 所詮奴隷の娘だから……見捨てるのか?!」
ウォーレンはイリーナとシェルスの関係を知る数少ない人間の一人。レインセルの幹部ら全員がその事実を知っているわけではない。ウォーレンは決してイリーナの娘だから見捨てるわけでは無いと首を振りながら会議の内容を語った。
「ブラグは元々レインセルの高官だ。そんな男が……騎士団や魔術師の戦力を知り尽くしている男が……わざわざ姫を拉致し宣戦布告してきたのは何故だ。バラス島の騎士団を全て相手にしたとしても……戦争にすらならん」
「だったら! すぐに制圧できるだろ!」
それは容易いとウォーレンも分かっている。レインセルの全騎士の総数は百万を超える。それに対しバラス島の騎士は精々五千人。戦力差は歴然だった。
「だからだ。それだけの戦力差があって……なぜわざわざ戦争になりかねん状況を作りあげたのだ。考えられるのは一つしかない。ブラグは持っているのだ。我々騎士団を全て相手にしても勝てると思える程の力を」
「それで……なんだ……シェルスと民を天秤に掛けて……あの子を見捨てろって言うのか!?」
「そうだ。我々は民を救う為……シェルス・ロイスハートの救助へは向かわない。以上だ」
ウォーレンはそれだけ言って部屋から出て行く。イリーナは崩れるように膝を付いて泣いていた。止めどなく涙が流れる。ウォーレンの言っている事は理解できた。できてしまった。
(あの子を助けようとすれば……レインセルは攻撃される……)
イリーナは床に自分の頭を叩きつけた。何度も。血が滲み出るまで。
(殺せ……殺せ……! 自分の感情を捨てろ! あの子を見捨てれば……! 無駄な犠牲は出ない……!)
そのまま無理やり自分を納得させた。民を救う為、自分の腹を痛めて産んだ子供を見殺しにすると。
(シェルス……殺される……いや……もう、殺されているかもしれない……)
イリーナは腰の長剣を抜くと、そのまま迷う事なく腹へと突き刺した。
自決を図ったイリーナが目を覚ましたのは数日後。王宮の一室のベットで寝かされていた。今の自分の状況を理解しつつ、腹の傷をなぞる。自分で刺した傷は綺麗に消えている。今イリーナがなぞっている傷はシェルスを取り上げた時の物。まだ十歳だったイリーナが激痛と共にシェルスを産んだ証。その時に比べれば自分で刺した時の痛みなど大した事は無かったと思いつつ傷をなぞる。
「痛かったな……まさか生きたまま腹を開かれるなんて思いも……しなかったな……」
元々イリーナはレインセル出身では無い。レインセルの隣国、マーケル出身だった。イリーナはマーケルのアルベイン家に長女として生まれた。だが生まれたてのイリーナはあっさりと捨てられた。女だという理由で。捨てられた先は奴隷商。マーケルでは堂々と奴隷の売買がなされている。まだ赤子だったイリーナは五歳まで奴隷商に育てられた。イリーナ・アルベインという名前は奴隷商が付けた物だ。わざわざ家名を付けたのはアルベイン家から買い取ったという証。貴族の子供は高値で売れる為だ。
五歳になったイリーナを買い取ったのはレインセルの貴族。見た目からして贅沢三昧していそうな小太りの男だった。男は買い取ったイリーナへと日々暴力を振るい逆らえない様恐怖心を与え続けた。まるで家畜のようにイリーナの首に鎖を付け、日も当たらない地下室へと閉じ込めた。そして男はそんなイリーナを慰め物にしていた。吐き気を催す毎日。だが決して希望は捨てなかった。どんなに辛い日々が続こうと、いつか解放される、そう信じていた。
イリーナが九歳になった時、初潮を迎えた。それを知った主人の男は地下に幽閉されていたイリーナを自室に連れ出し、一人の奴隷の少年の前へ放り出した。少年の名前はシェバ。まだイリーナと同い年の九歳。そんな少年へと男は鞭を打ち命令する。イリーナを抱けと。
当然拒否するシェバ。男は笑いながら鞭を打った、ならば死ねと言いながら。イリーナはそんなシェバを庇うように抱き付き、共に鞭に打たれながら行為を強要された。シェバはイリーナへと泣きながら謝った。もっと自分が強ければと悔し涙を流しながらイリーナを抱いた。
全てが終わった後、体を重ねる二人を見下ろしながら男は剣を抜く。
「さて……もう見飽きたな、二人とも串刺しにして腐るまで飾っておいてやる……」
楽しそうに笑いながら男は剣を振り上げる。だがその時、使用人が男の私室へと飛び込んで来た。
「ご主人様! お逃げ下さい! 騎士団……っ……」
飛び込んで来た使用人は全てを言う前に背後から胸を刺し貫かれた。自分の胸から生える銀色の刃を見ながら使用人は唖然としつつ、その背を蹴りながら剣を引き抜き部屋へと入ってきたのは騎士数人。
「久しぶりだな、家畜。実は偶然奴隷商を見つけてな。お前の名前を聞いた時は嬉しかったぞ……、これで堂々と切り捨てられるとな」
そう言い放つ騎士、グリス・ノリスカート。連隊騎士隊長の一人だ。グリスは床で体を重ね合っている二人の子供を見ると目を顰め、部下へと保護するよう指示する。
「このレインセルで奴隷の売買……しかも子供とは……恐れ入る」
「き、貴様! 切り捨てるだと?! ここでワシを殺す気か?!」
グリスは子供二人が部屋の外へと連れ出されると、淡々と語りながら男へと近づいて行く。
「人聞きの悪い事を言うな。まるで貴様が人間のようではないか。俺が今からするのは有害な汚物の処理だ。騎士の仕事では無いが致し方あるまい」
「ふ、ふざけるな! わ、ワシはジュールの幹部に顔が効くのだぞ?! ワシを殺せば……貴様とてただでは……」
グリスはため息を吐きながら首を振る。目の前の哀れな男を見ながら言い放った。
「そう言うと思ってな。その幹部とはロースカ伯爵の事だろう。今しがた切り捨ててきた所だ」
それを聞いて唖然とする男。膝を折り、今更になって自分の行為を後悔しながら無様に命乞いをしだす。
「子供に何をさせていた……外道め……貴様に裁判など必要ない……!」
容赦なく剣を振り下ろす。男の体は二つに裂かれた。
グリスによって保護されたイリーナとシェバ。二人はレインセルのジュール大聖堂へと迎えられ、聖女達の手によって育てられる事になった。だが三か月後、聖女達は驚愕する。まだ九歳のイリーナが妊娠している事が分かったのだ。聖女達に子供を降ろすという選択肢はあり得なかった。だが九歳の子供の妊娠など聞いた事も無かった聖女達。無事に出産出来たとしても、まだ幼すぎる。聖女達はイリーナ、シェバ、そして生まれてくる子供の幸福な人生など想像する事が出来なかった。
悩みに悩んだあげく、聖女達はジュール、マシルの幹部達に意見を求めた。
当時のマシルの最高権力者、ナハトであるリエナ・フローベルは一つの解決策として生まれてくる子供を王家で迎えてはどうかという案を出した。だが当然他の幹部達は渋い顔をした。イリーナとシェバはマーケルの奴隷だったのだ。その子供を王家に迎えるのは如何な物かと。会議は三日三晩行われ、ついに結論が出る。
イリーナが十歳になった頃、激しい陣痛と共に新しい命が誕生した。イリーナは朦朧とする意識の中、自分の体から取り出された赤子を見ても親になった実感など無いが、間違いなく自分の子供だとは理解できた。長時間の痛みに耐えたイリーナを称賛する聖女達。だが、イリーナが赤子を抱く事は無かった。
生まれた新しい命は王家の子供として育てられる事となった。イリーナ達がそれを知ったのはシェルスが生まれて一カ月程たった後だった。聖女達はイリーナを前にして涙を流しながら謝った。幼いイリーナから赤子を奪い抱かせる事も出来ない。だが謝る聖女達へと、イリーナは頼みがあると言いだした。聖女達は自分達に出来る事ならば何でもすると頷いたが、イリーナから出された要望に思わず耳を疑った。
「あの子を守るために……騎士になりたい……。私を騎士として育ててください……」
まもなくしてイリーナとシェバはグリスの稽古を受け始める。シェルスを守る為騎士の道を選んだ二人は、その才能を開花させた。シェバは十五歳で連隊へと入隊し、イリーナは三年遅れ十八歳で入隊する。二人は互いに競うように腕を磨き、時折見るシェルスの姿を見て決意を新たにする。
「あの子を守る為に、私達は騎士になった」
だが現実は残酷にも二人を追いつめた。シェルスがバラス島に拉致され、見捨てると決定したレインセル。イリーナは帝王切開した時の傷をなぞりながらシェルスが生まれた時の事を想いだしていた。
「シェルス……」
守ると決めて騎士の道を歩んできた。
イリーナはただひたすら、シェルスの名前を呼びながら泣き続ける
そうする事しか出来ない自分を呪いながら
シェルスの出生を知る幹部達。その中の騎士団長ウォーレンとマシルの幹部、ゼシルは頭を抱えていた。バラス島へシェルスが拉致されるのと同時に西の辺境へ魔人の軍勢が現れたのだ。タイミングが良すぎる事もあり、ゼシルはブラグとの関係を疑うが確かめる術など無い。どちらにしても魔人の軍勢は叩かねばならない。もしブラグの持つ切り札ならば尚更だ。
「シェバを西に送る。奴は今にもバラス島へ乗りこみそうな勢いだからな……幸か不幸か……」
他にも血の気が多い騎士は全て西へ送り込むつもりでいた。なんとしてもバラス島との戦火は避けねばならない。民に被害を出す分けには行かない。イリーナが自決を図ったのだ、その覚悟を無駄にしてはならないと。
「姫は殺されたと思うか? ゼシル」
「恐らく……な。殺されておらんとしても……拷問を受け取る可能性が高い……相手は何せあのブラグじゃ……とても十五歳の少女が耐えれるような物ではない……もはや……望みは薄い……」
ゼシルが王家の事をお飾りだと公言する理由は血が薄いからでは無い。王としての責務をまだ幼い二人の子供に背負わせるのが酷だと判断した為だ。ゼシルはジュールとマシルで王家の権力を奪いとり、幼い王族を利用して良からぬ事を企んでいる幹部を黙らせる為、堂々と言い放った。王家はお飾りだと。
そしてゼシルはシェルスを助けるか否かの会議でも心を押し殺して言い放つ。
「お飾りの王家は見殺しにする。お飾りの王家の為に民を犠牲にするわけには行かぬ」
そして一年後、リュネリアの元にバラス島の騎士を名乗る男からの伝言が届いた。冒険者を通じて王宮の関係者に当てた物だった。
『姫はまだ生きている。一週間後、処刑を執り行う。助けるならその時だ。騎士団は警備にはつかない』
リュネリアはこの伝言をイリーナのみに伝えた。希望を無くし意気消沈していたイリーナの心に希望の光が灯される。
シェルスを助ける。謎の戦力を使われる前にブラグを殺す。
二人は結託しバラス島へと向かう。自分達の娘を助ける為に。




