処刑
暗い地下牢の中に一人の少女が繋がれていた。首輪、手錠、足かせ。華奢な体に似合わない黒く光る拘束具。金髪の少女は薄く目を開け朦朧とし、これから行われる「処刑」に安堵していた。
ほかでも無い、処刑されるのは繋がれた少女。
髪は短く切られ手足はやせ細り体のいたる所に拷問の傷跡が残る。
少女の名はシェルス・ロイスハート、大国レインセルにただ一人の姫君。着せられた白いワンピースには血がこべりつき、目は亡者のように光を失っている。無理もない、少女は一年間もの拷問に耐えてきたのだ。
床に散らばる様々な拷問器具が反吐を催す光景を物語る。だがそれも今日で終わる。この日をもって少女は解放される。死という解放を。
少女が監禁され拷問を受けていたのは大国レインセルの東に位置する小さな島、バラス島。このバラス島も他ならぬレインセルの領地だったが、島を管理統括している高官ブラグ・ガウンは一年前に独立を訴えた。だがその訴えはブラグの人間性を疑う他の高官によって一蹴される。あまつさえ、その訴えを切っ掛けとしバラス島の管理からブラグを降ろそうとした。
頭に血が上ったブラグは自国の姫を拉致監禁した。お忍びで島を訪れていた姫君を地下牢へと幽閉したのだ。そして再び訴えた、独立を認めなければ姫を殺すと。
だが姫が拉致されたというのにレインセルは沈黙した。その対応に腹を立てたブラグは姫の拷問を開始する。
一年間、休む間も無く姫を拷問した。常人ならば三日と待たず正気を失うか死を選ぶだろう。だが姫はひたすら耐え続けた。死んだほうが良い、それは彼女の為に有る言葉だと拷問するブラグの部下ですらそう思った。
ブラグ自身、姫がここまで生き残るとは思ってもみなかった。精々もって一週間、途中から姫の拷問はブラグの楽しみにすらなりつつあった。姫を拷問し処刑する。レインセルにとってこれ以上の屈辱はないだろう。そしてブラグは悪趣味極まる処刑を思いついた。姫を魔物の餌にするという方法を。更に姫の処刑と同時にレインセルへと進軍を開始する。バラス島専属騎士五千人、そしてとある巨大な力を使って。
レインセルへと侵攻する為、バラス島専属騎士団は準備を終えていた。水平線上に見える大陸へと侵攻するため約五百隻の船団が建ち並ぶ。その中でも中央に陣取っている船の甲板上に騎士団の指揮官は居た。腕を組み大陸を眺めながら物思いに耽っている。
男は騎士団長オズマ・ガウル。二十年前に起きた大戦の英雄の一人としてレインセルは元より、周辺の国々に名を馳せている程の騎士だった。
オズマは自分の母国であるレインセルに対して不満を抱いていた。何故姫を助けに来ないのかと。レインセル本土の騎士団を持ってすれば十分助ける事は可能な筈だ。潮風に身を晒しながら母国の騎士達が何を考えているのかと考察する。
「何を考えている……助けにさえ来れば引き渡した物を……」
彼は自分の主であるブラグに腸が煮えくり返る思いだった。まだ十五歳の姫を拉致し、挙句の果てに拷問を一年間も続けたのだ。地下牢から聞こえてくる悲痛な叫び声が今も鮮明に思いだせる。それでもオズマがブラグに従い続けたのは主従の関係だったからだ。絶対的な主であるブラグに疑念を抱いても決して顔には出さず、ひたすら忠義を尽くした。それがオズマにとっての騎士道。我が主にどこまでも着いて行くという強固な意志こそがオズマの強さを支えていた。
「騎士団長、まもなく処刑が開始される様です」
部下から伝えられる姫の処刑。オズマは祈る。せめて苦痛無く逝ってくれる事を。
自分を含め、無能な騎士を許してくれとオズマは心の中で悲痛な声を上げていた。
姫君が幽閉されている地下牢へと数人の処刑人が訪れた。牢の鍵を開け床に散らばる拷問器具を蹴り飛ばしながら姫へと近づく。姫は虚ろな目で処刑人を見ていた。
「もう見る影も無いな。シェルス姫君。だがようやく終わりだ、良かったな」
処刑人は一年前の姫君の姿を思いだしていた。金色の風に揺れる美しい髪は少年のように無造作に切られ、骨が浮き出る程やせ細った体。そしてその体には無数の傷跡が残っている。処刑人は枯れ木のような手を取ると手錠を外す。続いて首輪、足かせと外して姫を一年ぶりに解放した。だがまともに歩ける筈がない。処刑人は両脇から姫の腕を抱え無理やりに歩かせる。半ば引きずられるようにして地下牢から出る姫が見たのは一年ぶりの日光だった。
「ア……ぁ……」
微かに声にならない声を上げる。涙も枯れ果て希望など無かった暗闇から解放された姫は、太陽を見上げながら処刑人に連れられ地下から地上へと出る。姫が幽閉されていたのはバラス島のコロシアムの地下だった。中央には本来ならば戦いの場である円形の闘技場があるのだが、今は姫の処刑の為取り払われていた。
コロシアムには姫の処刑を一目見ようとバラス島の貴族達が集まってきていた。まだかまだかと処刑を楽しむように笑いながら姫を待っていた。まるで娯楽を楽しむかのように酒を飲みながら待つ者すら居る。そんな中、姫が処刑台であるコロシアムの中央へと処刑人に抱えられながら連れてこられた。
貴族達は姫の姿を確認すると口々に叫び始めた。殺せと。
姫はコロシアムの中央まで歩かされる。そこにあるのは一枚の金網。本来ならば闘技場がある場所に穴が開けられ地下と繋がっている。そして金網の上に崩れるように座らされる姫が真下に見たのは一匹の魔物。
涎を垂らし牙を剥き出しにする巨大な狼。姫を確認するなり金網へと飛びかかってくる。姫は既に怖がる事すら出来ないほど衰弱していた。狼を見下ろしても表情一つ変えない。
そこに処刑人の一人が姫の首にとロープを掛け傍の柱へと結びつける。金網が落ちると姫が宙刷りにされ、そこを魔物に食わせるという処刑だった。続いて処刑人は目隠しを出し姫に見せる。
「どうする。目隠しするか?」
姫は俯いていた顔を上げ首を振る。どうせ何の反応も無いと思っていた処刑人は驚いた表情で目隠しを仕舞う。
処刑の準備は整った。あとは執行の合図を待つのみ。
姫君の耳には貴族達の耳障りな声が届いていた。殺せと連呼する醜い豚の観衆の声が。
「ぁ、ア……」
もう一度太陽を見上げる姫君。目隠しを拒否したのは光を少しでも見ていたかったからだ。もう闇に沈みたくはなかった。
「ぁ、ヨ、ウ……ァ……ラ……」
声にならない声で別れを告げる。一欠けらも期待していたなかった本国の騎士達に向けて。
助けなど来ない、それは最初から分かっていた。何故なら姫君を含めレインセルの王族は飾り物だと言われていたからだ。
『皆の者、お待たせした! これより我々は独立を志し聖戦を開始する!』
処刑を待つ姫と貴族達の耳に届くブラグの声。その場に居る者へ聞かせる「魔術」を用いての演説が始まった。コロシアムの上方、姫君を見下ろすように観客席から突き出た特等席へとブラグは姿を現した。姫を見下ろし哀れな姿を目にして笑いながら演説を続ける。
『ただいまより! レインセルの姫君、シェルス・ロイスハートの処刑と同時に! 我々は侵攻を開始する! 既に勇敢な戦士達がいつでも出立できるよう準備を整えている!』
姫は変わらず太陽を見上げながらブラグの演説を聞いていた。耳障りな声は嫌でも魔術で脳内へと伝わる。観客席にいる貴族達の歓声も同時に聞かされる。
『我々は! ついに手にするのだ! 自由と希望に満ち溢れた日々を!』
早くしてくれ、と姫は呆れるように演説を聞かされていた。もはや座っている事すら出来ない姫は金網の上へと倒れるように寝そべる。太陽で熱せられた金網が心地よく感じた。それから数分間、無駄な演説を続けたブラグがようやく処刑執行を下そうと右手を掲げる。
『さあ! 始めようぞ……我々の聖戦を!』
姫は金網の上で寝転がりながら再度太陽を見上げる。最後にもう一度だけ会いたい人間が居た。その人に会う為に拷問にも耐え続けた。だがもういいと覚悟を決める。
大国レインセル、巨大な力を持つ騎士と魔術の国。仮にもその国の王族なのだ。死ぬ時くらい上を向いて居なければと、会いたかった人間の顔を思い浮かべた。
「……ネ……リア……」
ブラグが右手を下げる。それと同時に金網は落とされ姫も共に落ちる。
食事を待ちわびていた巨大な狼の魔物は落ちてきた餌へと襲い掛かった。
「姫は死んだ! オズマへ伝えろ! レインセルへ進軍せよと!」
ブラグは落ちた姫を確認し近くに控えていた魔術師へと指示を送る。魔術師は頷きながらコロシアムの奥へと消えた。
「バカな国だ……あんな石ころ一つに怯えて姫君を見捨ておって……」
笑いながらブラグは姫が落ちた穴を見下ろした。だがそこに見えたのは姫の死体ではない。
「探せ! 一人で動ける筈がない!」
そこに護衛団と処刑人が騒いでいる声も聞こえてくる。ブラグは何事だと近くの護衛団へ様子を見てくるようにと指示を送り、再び目を凝らす。そこに見えたのは首を切断された魔物の姿。
「なっ……バカな……何が起きてる! おい!」
嫌な予感がブラグの脳裏を駆け巡る。
ブラグの指示を受け地下へと降り立った護衛団数人。魔物の死体を確認するが姫の姿が何処にもない。
「探せ! 地下通路だ!」
魔物が放たれた空間からはいくつかの通路がある。姫が幽閉されていた地下牢へと続く通路、コロシアム内の宝物庫へとつながる通路、そして魔物を入れる為の通路。護衛団達は別れて捜索に当たろうとするが、ふと護衛団の一人が上を見上げた。
「待て! 誰がいるぞ!」
姫が落ちた地下を見下ろすように黒いマントで体を覆った男が立っていた。顔すら確認できないほど深くマントを被り、そしてその肩には姫が担がれている。
「居たぞ! 捕らえろ!」
護衛団たちは地上へと上がろうとするが、そこに新たな魔物が姿を現した。先程姫の処刑に使おうとした狼よりも一回り小さい魔物。だが、その数は護衛団を上回っている。たちまち腹を空かせた魔物に襲われる護衛団、大した腕も無い彼らはただの餌へと成り果てた。その地獄を尻目にマントの男は特別席から何やら叫んでいるブラグを見上げる。そして唯一露出している拳を握りしめ念じた。
―――殺せ
手の甲に刻まれた蛇の刺青が光り地面へと泳ぐように落ちる。
その姫を担ぐ男へと観衆の貴族達は口々に姫を帰せ、殺せ、などと叫んだ。だが地響きがコロシアムを襲った。何かが地下から地上へと昇ってくるような地響き。貴族達は不思議そうに周りを見渡す者も居れば、引き続きマントの男へ抗議する者も居た。そして次の瞬間、地響きと共に地面を突き破って現れる大蛇。全長十五メートルはあるであろう石と土で出来たゴーレムが姿を現した。
「守護霊……?!」
誰かが叫んだ、そして大蛇は容赦なく観客席へと突っ込み貴族達へと襲い掛かった。巨大な体で轢きつぶし大口で飲む。それを離れた所から見ていたブラグは何とかしろと部下へと叫ぶ。だがいつのまにか彼の目が届く範囲に部下の姿は無い。
「ど、どこに行った! 誰か来ぬか!」
その時、ブラグの頭上へと勢いよく滑空する竜。ブラグは突風で転がりながら何が起きたと周りを見渡しつつ立ち上がる。
「ドラゴンだと……?! 一体どこから……!」
突然現れたドラゴンはマントの男の近くへと降り立つと、その背に乗せ再び助走を付け飛び立つ。ブラグは歯ぎしりしながら叫んだ。連れ戻せと部下へ。だがあいも変わらず答える者は居ない。
「何処だ! 誰もおらんのか?!」
混乱するブラグは貴族達を襲う大蛇を見る。大蛇はマントの男が去るのと同時に霧散する。
「おのれ……まんまと……!」
歯を食いしばりながら姫を奪われたとブラグは悔しそうに地面を叩く。だが時、頭の中へと声が響いた。自分が先程演説で使っていた物と同じ魔術が頭の中へと響いた。
『殺す、この場に居る者皆殺しにする』
女の声だった。ブラグは一体なんだと辺りを見渡した。貴族達にもその声は聞こえたらしく、我さきに逃げんとコロシアムの出口へと駆けた。だが
「あの女……いかれてんぞ、殺るのか?」
「当たり前だ、仕事だ」
コロシアムの出入り口は四カ所。その全てに黒装束の盗賊と思われる者達が居た。
「楽な仕事だ。悪いが……金になってくれ」
盗賊は腰から長剣を抜き目の前の貴族を容赦なく切り捨てた。貴族達は再び観客席へと引き換えし、盗賊から逃げるようにコロシアムの中央へと雪崩れ込んだ。
その様子を見ていたブラグは一体何が起きていると混乱していた。目の前で逃げ惑う貴族達、それを襲う黒装束の盗賊。
「バカな……一体……一体……オズマは何をしている! さっさと……」
「お前の指示は届いていない」
背後から突然声を掛けられた。思わずブラグは振り返り声の主を見る。
女騎士だった。金髪で速度を重視した最低限の鎧。手に持つ長剣には赤黒い液体が滴り落ちている。
「き、貴様……何者だ?! 一体何を……」
「護衛団と魔術師は殺した」
ブラグへと歩み寄る騎士。それに合わせてブラグも下がるが、背に柵が当たる。ブラグが居る特別席の下では貴族達が叫びながら切り捨てられていく光景が広がっている。
「お前……一体……何……」
全てを喋る前にブラグの首は胴体から零れ落ちた。
異常に気が付いたオズマがコロシアムへと駆けつけたのは、その半刻後。まさに地獄の光景を見ているような気分だった。護衛団、魔術師、貴族に至るまで皆殺しにされブラグも首を跳ねられている。
「団長……これは……」
オズマの部下も、その光景を目にし呆気に取られていた。こんな光景を見るのは大戦以来一度しかない。
「奴だ……」
コロシアムの中央に姫の処刑用にと開けた穴。そこに巨大な狼の死体が転がり、同時に数匹の魔物が死体を漁っている。オズマは確信する、レインセルの騎士が姫を助けに来たのだ。そして変わり果てた姫の姿を見て報復された。
レインセルで最も醜いと言われる女騎士。イリーナ・アルベインの手によって。