でもずっと一緒
また2か月後南田さんが現れた。僕が初めてタマちゃんを診てから、もう1年半になる。これだけ繰り返し治らなければ、転院するだろうという篠原先生の言葉が思い出される。主訴はやはり『虫が便の上を歩いていた」。
予告通り、再度篠原先生が診察に入る。今日のタマちゃんの機嫌はまあまあだ。
診察を終えて、いつものように駆虫薬を処方するように関口さんに篠原先生が指示を出している。結局、僕でなくても結果は変わらなかったようだ。
「南田さん、また同じお薬出しておきますね。もう何度も来ていただいているし、次回は往診でうかがいましょうか」
待合室でそんな提案を篠原先生がしているのが聞こえる。この病院では、往診は全くないわけではないが割と稀だ。それにタマちゃんは動かすことが危険な状態でもない。南田さんはエッと驚いたように先生をみたけれど、すぐに微笑みを浮かべて
「そんなお手間おとり頂かなくてだいじょうぶですよ」
といって『ねー』とキャリーの中のタマちゃんに話しかけた。キャリーの中で、タマちゃんの黒い左耳がパタパタ動いて同意しているようだった。
それから半年、南田さんは来院しない。僕はずっと気になりながら、まあ治ったんだろうとも思っていた。できればワクチンを毎年うちに来た方がいいのだけど、寄生虫の治療が長引いて、それを伝える機会を失していたことに気が付く。今度、ハガキでも出してみようかと思いながら、久しぶりにカルテを取り出してみる。
何気なく、8月と10月の篠原先生の診察記録に目をやる。8月の欄はBW3.5㎏、108、208G軽度、食欲あり、10月にはBW3.6㎏ 104欠、食欲ありと書いてあった。その前の院長の記載には、BW2.8㎏ 回虫+、208欠。と書いてあった。カルテには、省略した文字で記載することも多い。この3ケタの数字も何かの表記なのだろうけれど、僕にはわからなかった。今度きいてみよう。
診療が終わるころ、1本の電話がかかってきた。先日、裏口から現れた瀬川先生だ。
「真琴ちゃんいる」
と挨拶もそこそこに切り出され、篠原先生に電話を代わる。
「ええ、しばらく来てないけど。そう、そう、同じだと思う」
南田さんの件だとピントきた。やっぱり転院してしまったのだろう。それがたまたま瀬川先生の病院で経緯を聞くために電話が来たに違いない。
「そう。やっぱりそう思う。行ったほうがいいよね」
いつもと同じ静かな声が続いている。クレーム的になって謝罪を求めているのか。胃のあたりが重くなる。
「わかった。明日は休みだから。10時に現地でね」
受話器を置いた、篠原先生がこちらにくる。なぜか悲しそうに見える瞳が接近して、僕に告げる
「明日、南田さんの家の前の十字路に10時前集合ね」
「折り菓子持って行った方がいいでしょうか」
と力なく聞いた僕に、振り向かないまま。いらない、と一言だけいって3階へ上がっていった。
翌日は、あまり天気は良くない薄曇った日だった。幸い雨は降っていなかったけれど、陰鬱な気持ちになる。灯りひとつで、どうして人の気持ちはこうも変わるのだろう。
十字路につくと、篠原先生がいてガードレールに軽く腰かけている。髪は後ろに一つに結んで、ゆったりとしたクリーム色のトップスとジーンズというラフな格好だ。普段は、仕事用の白のブラウスと黒のスラックスでそのまま出勤してくるから、篠原先生の普段着をはじめてみたけれど、意外とグッと来ない。どちらかというとあまりセンスが良くない。けれど、透き通るような白い肌と整った顔のおかげで、どんな服もそれなりにみせてしまうというマジックがあるようだ。など考えていると、後ろから瀬川先生が現れた。こちらはなんだか芸術的な絵のTシャツにカーキ色のカーディガン、黒のスラックスと普段着も隙がない。
「さあ、行こうか。治らない寄生虫疾患の謎解きに」
先に立って歩いている瀬川先生の声はいつも通り軽い調子で、頼もしく思えてくる。やや硬い表情となぜか悲しそうな瞳で篠原先生が後に続く。どうやらクレームではないようだが、訳が分からないまま僕は最後尾からついて行った。
軽く深呼吸をして、瀬川先生がインターホンを鳴らす。




