でもずっと一緒
明日は休診日。この病院の休診日は日曜日と、木曜日だ。スタッフ数によってはシフトで回して休診日のない病院もあるが、小規模のこの病院では、スタッフ皆が同じ曜日に休む。休診日は、院長と篠原先生が一人体制で出勤して、入院や急患の対応をすることになっている。篠原先生が出勤した場合は、翌日の金曜日が篠原先生の休みになることになっている。僕はまだそれほど重症の症例を受け持っていないけれど、一応休み前に簡単に今週の患者さんについての引き継ぎをして帰路に就いた。
朝起きたら、既に10時だった。ベッドから出るか、もうひと寝入りするかと少し逡巡したが、やっぱり起きることにした。今日は天気もいいし、何となく家にいるのももったいないような気もしたから、動物園へ行こうと思い立った。もちろん一人で。たぶん、獣医学科学生や獣医では、一人でぶらり遊園地はそんなに珍しくないと信じている。入ってすぐ感じる、草食獣の排せつ物の臭い的なもの(世の中では、牧場の臭いといわれる)に何となく懐かしさを感じるのは、牧場実習の影響だろう。公立の動物園は閉園が比較的はやいので、できれば昼前には家を出たい。手早く身支度をして家を出た。
駅に行くまでに何頭か散歩している犬を見かけた。すれ違う犬が、肢を引きづっていないかとか、皮膚病はないかとか、ついつい視線で追ってしまう。見つけたとしても、声を掛けたりするわけでは無いので、何となく見ているだけなのだけど。犬や猫なんて、そんなにぞろぞろ歩いていないからいいものの、人のお医者さんはどんな気持ちで街を歩いているんだろなど、ちょっと気になる。
動物園にはモノレールで到着する。小さい頃、地元の遊園地もやはりモノレールが通っていたから、モノレールから降りるとそれだけでなんだか少し楽しい気分になるものだ。
入場券を買って入園する。僕が好きなのは、やはりアフリカゾーン。少し埃っぽい感じが、僕の中のサバンナのイメージと一致するからかもしれない。
広い運動場にたくさんのキリンとシマウマ、ペリカンがいる。まだ残暑と言える蒸し暑い中で、キリンはゆっくり歩きながら口をもぐもぐ動かし、シマウマもたたずみながら絶えず尻尾でハエを追っている。運動場の外側に位置する水場ではペリカンが毛繕いをしたり、水を口に入れては出したりしている。餌場と思われるところには小魚が落っこちているけれど、今拾うペリカンはいない。僕は、動物たちの口元や尻尾をたた漫然と眺めるのがすきだ。しばらくぼ~っとしてから、次に像舎へ行く。数頭の象が、耳をぱたぱたし、尻尾でハエを追いながら、だらだらと歩いている。
弱肉強食の世界で生き残っていけるポテンシャルを持った、強靭なはずの肉体を持ちながら、この安全な展示場の中で生きている動物たちの心境はどんなだろうといつも思う。安全だし、辛いこともないだろうし、でも退屈かもしれない。園にくるたびに、考えるけれど、それは僕にはわからないことだ。人とは違うから。いや、人だって何を幸・不幸と思うかは人それぞれなのだから。
像を眺めながら、僕が小学校の頃飼っていたウサギのことを思い出す。初めて家で買った哺乳類。ふわふわで、優しいい外見だったけど、ケージに手を入れると咬みついてきたりもした。ウサギの飼育法なんてよくわからなくて(たぶん親も)今思い返せば、正しくないこともしていた。でもウサギのチップは当時の僕には不満なんてなさそうに見えた。チップが4歳で急死したその日だって特に不幸そうには見えなかった。
でも、何か原因があったのだろう。なぜ死んでしまったのだろう。その思いが、僕を獣医学科に進ませた。
獣医になった今、結果として原因は不明だ。幼い僕の記憶をたどっても、観察が足りなすぎて、それまでの経過、前日から食欲がなかったのかとか、糞が小さくなかったのかとか、呼吸状態や元気さとか変化はなかったのかとか、情報が得られない。それでもやはりチップは最後まで特別不幸そうには見えなかった。動物たちは、死んでしまうその日でも、不幸そうな顔はしない。それは2年半、動物病院で勤めている間にみてきた動物たちの死の場面でも同じく感じることだ。
いつでも、取り乱すのは人の方だ。動物たちは死にたくないとは思わないんじゃないかと思う、むしろ純粋に明日も生きることしか考えていない、そのかわり、もういっそ死んでしまおうかとも思わない。人が思う以上に動物は強い。
そんなことを考えてしまったのは、石井さんのことがあったからだろう。今、石井さんはどうしているだろうか。もっと僕がうまく寄り添えればよかった。篠原先生風に言えば、うまく着陸させてあげることができなかった。着陸なんて喩はおこがましいと思いながら、グライダーが柔らかく地面に着陸するさまをイメージしてみる。乾いたサバンナの土に、わずかな埃が舞うけれど、すぐに飛散して見えなくなる。
くさくさしてしまった気持ちを振り合払うつもりで、足早にアフリカゾーンを立ち去り、だらっとしたカンガルーを冷やかし、ふれあい動物コーナーに勤務するモルモットたちに『頑張ってるな!』と人に聞かれない程度の大きさで激励を飛ばして帰路についた。




