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でもずっと一緒

 長田さんは、ちなみにナガタと読む。しばしばオサダと読み間違われて憤慨している姿を見かける。そんなに怒らなくても、などと思うが、僕の水野などは間違われて呼ばれることがないから、間違われやすい人の悲哀は良くわからないだけなのかもしれない。

 長田さんは勤務歴が長いだけあって、保定は完璧。なので、僕が担当した傷の処置と検査はスムーズに終わった。昼にやることは終わったので、お昼に上がることにした。スタッフルームには、篠原先生と関口さんも一足先に上がってお昼を食べ始めているところだった。

「マルちゃんどうでした」

 と、自分のお弁当(と言ってもコンビニ弁当だが)を電子レンジンに掛けながら聞いてみる。篠原先生は、やはり同じくコンビニのおにぎりをかじりながら、僕の方もみずに答える。

「だいぶ厳しいね。今月は超えられないかもしれないね」

 黒髪が、顔の半分を隠していてその横顔からは表情はわからない。でも淡々とした声。この人は、動物の死についてどう感じているのだろう。時々わからなくなる時がある。仕事はできるけれど、少し冷たい、そう感じてしまうときもある。

「そうですか。宮本さんにはもうそう伝えたんですか」

 感情の探りを入れる質問。

「もう数か月前から伝えてる。宮本さんも覚悟はできていると思うよ」

 答えは簡潔で、僕の要求を満たしてはくれない。

「何とかならないんですかね。せめて11月のマルちゃんの誕生日までは頑張ってくれるといいですけど」

 ここで初めて篠原先生がこちらを向く。いつもと変わらない、深いまなざし、僕ではなく僕の皮膚の10㎝内側をみているような。

「あのね、私たちに必要なことは、希望的観測をすることや、飼い主さんに同情することではないってわかる。私たちがすべきは、マルちゃんがい亡くなるか、それをなるべく正確に予測して、そこに向かってしまう宮本さんとマルちゃんの苦痛をなるべく取り除いていくことだから」

 でも、と言いかける僕の口元を無視して続ける。

「君は獣医師になって、動物を助けるつもりかもしれないけど、治療すれば治る・助けられるっていうのは幻想だよ。私たちは、あくまで手伝いをするだけ」

 そういうと、コンビニのおにぎりと、オレンジジュースのパックを無造作にビニール袋に詰め込んで、口を縛ると椅子から離れて、行ってしまった。


 何度も言うが、篠原先生は決していつも冷たいわけでは無い。僕にとって優秀な指導医だし、診察室では華やかな声は出さないものの飼い主さんには親切で適切な説明と、患者の動物にも優しく手当をしている。でも、診察以外の時には時々ひやっとするほど冷たく感じる瞬間があって、僕はこの人について行っていいのか迷ってしまうことがある。

 何となく、後味の悪い気持ちを持て余しながら僕も食事を済ませると、もう15:30、午後の診察まであと30分。1階に下りて、掃除や午後の診療に向けての準備にかかる。

 掃除や、消毒薬の補充などこまごま作業をしていると、裏口のドアが開く音がした。動物病院では、様々な異常を知らせるモニターの音や、動物の声などで急を知らされることが多いので、誰しも音には鋭敏だ。なので、ドアの開く音というのはとてもよく聞こえる部類に入る。この時間にチャイムを鳴らさずに入ってくるのは、院長だろうか。

「瀬川先生、勝手に入ってこないで下さいよっていつも言ってるんですが」

 言葉と裏腹に、それほど腹を立てているわけではなさそうな長田さんの声がした。瀬川先生? 病院の裏口からは色々な人が出入りする。宅急便はもちろん、薬の納品をする業者さん、外部機関の検査を依頼する際の集荷の方、そして昔からかかっている院長の知り合いの患者さんが表れることもある。

「午前中に電話しておいたじゃん。はい、お礼のシュークリーム」

 などと、物品で長田さんをかわし、長身の男性が僕のいる処置室に入ってきた。

「こんにちわ。君、新しい人」

 ジャケットは来ていないけれど、ぱりっとしたワイシャツネクタイにタイトなパンツとスマートに着こなしている。獣医師にはあまりいないタイプだ。しかもなんだか軽いのり。

「は、はい。3年目になります」

 新しい人かといわれると、3年目は微妙に長い気もしたが、お互い初対面なので、僕は新しい人というスタンスに決めた。

「俺、隣の駅で開業してる瀬川。以後よろしく」

 と言いながら、胸ポケットからするりと取り出した名刺を渡された。これも、あまり獣医師の自己紹介にはないパターンだ。名刺は、薄いブルーの地色に、病院のマークらしいロゴと紺色で『瀬川動物病院 院長 瀬川春樹』とある。人柄に反して病院名は普通なんだな、とやっと親しみのもてる箇所をみつけだした。

「お電話いただいたようですけど、何のご用でしょう」

 という僕の問いかけに、ああ残念といった意味なのか、大げさに両手を開いたジェスチャーを見せる。

「ワクチンを切らしちゃったからさ、貸してほしいって、篠原先生に頼んでおいたんだけど聞いてない」

 そんなこと言ってたかなと、口を開こうとした時、2階の階段途中から白衣の袖がにゅっと伸びて、瀬川先生の顔前にビニール袋がぶら下がる。

「はい、狂犬病ワクチン、1バイアル。入荷したら、現物で返してね」

 篠原先生だ。階段を3段挟むと、小柄な篠原先生の手元がちょうど瀬川先生の顔前にくるらしい。

「どうもどうも。真琴ちゃん、また飲み会しようよ。うちも新しい看護師さん入ったし、ここも新人君入ったみたいだしさ」

 この美しくもクールな篠原先生を下の名前で呼んだ、とどうでもいいところに動揺している僕とは関係なく、一言二言のやりとりがあり、とりあえずは忙しいから飲み会はしないと、断られながら爽やかな笑顔を絶やさず、瀬川先生は帰って行った。

 彼は、篠原先生と、どういう関係だろうか。獣医としては、かなりスマートでかっこいい感じで、篠原先生を下の名前で呼ぶけれど、篠原先生の方では、それほど好意を持っていそうにもない。その疑問の答えを求めて、ちらっと長田さんの方を見てみた。

「もと同僚」

 それだけ言うと篠原先生は2階に戻っていった。長田さんはちょっと含みのある笑いをしたような気もしたが、気のせいかもしれない。

 そんな対応をしていたので、掃除がぎりぎりになってしまい、関口さんに手伝ってもらって、大急ぎで待合室の掃除を終わらせた。10月は、それほど忙しい時期ではなく、午後の診察も重病の動物もいないまま19時には診療終了の札を掛けることができて穏やかに終わった。




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