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跡地  作者: 黄崎ロト
序章 新たなる火種
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第六話 ハートレスの力

「あ―――」



 セレーナの口から呆けたような声が出る。先ほどまで目の前で自分をなぶりものにしようと企んでいた邪悪な男が、今は綺麗に真っ二つになって地面に転がっている。

 盛大に飛び出した血も、どんなロジックなのかセレーナには一滴もかかっていない。そして、大男が立っていた場所、そのわずか後ろに、その男は居た。



「さて、無事かな? セレーナ殿。遅れてすまなんだが、助けに参った」



 先ほどまでまさにゲスらしく下品に笑っていた二人の男は、突然の事態に言葉を発することすら出来ていない。

 そしてそれはセレーナ自身も同じだった。しかし、その驚愕の色は男二人のものとはいささか以上に違うのだ。すなわち――――、



「マート………さん、ですか?」


「左様。かねてからの約定に従い、助けに参った。今頃わしの仲間たちも村中を回りながら、あるいは門の前で大立ち回りをしている頃だろうか。

 安心されよ。わしらが来た以上、一人の犠牲者はおろか、一人のけが人も出さずに賊のことごとくを斬って捨てよう」



 正直なところ。九人の男女が普通ではないとは感じていた。自分や他の村人たちを平凡とするならば、非凡。そんな言葉がしっくり来るような人たちだった。

 しかし、それでも。都会で暮らしていた頃から多くの凶報をもたらしていたあのグランガ山賊団の男をこうもあっさりと斬り捨て、あまつさえすぐ近くにいた自分におぞましい量の返り血が一切かからないよう配慮するなどという驚天動地の技量を持つとは思っていなかった。


 奴らがグランガ山賊団を名乗った時、セレーナは思ったのだ。エドワードらが提示したメリットの一つ、窮地に立った時は必ず助けるという約定。

 それがあっても、あの凶賊には勝てっこない、と。相手は大国が討伐の手をこまねくような大山賊だ。たかだか九人に勝ち目などない。

 まして、男の話では賊の頭……あの『剛力』と謳われて騎士団長クラスすら一蹴すると言われるほどの実力を持つグランガ当人まで来ていると言うではないか。


 ゆえに、諦めてしまった。心が、折れてしまったのだ。しかし、そんな心に寄り添う支えになるかのように、まるで英雄のように、彼は自分を助けてくれた。

 いつもの好々爺じみた表情や態度ではない。真剣な顔つき。しかし、その目は初めて彼を目にした時に感じ取った恐ろしいギラつきを放つそれではなく、穏やかで、落ち着き、澄み切っていた。




 初老の男性・マート。この地と人としての常識倫理を彼に叩き込んでやって欲しいとエドワードに言われ、いつの間にか自分の家に通うようになった、自分の父よりは若いが、自分より十才以上年上の男。

 初めて顔を合わせた時から、セレーナはこの男が苦手だった。言葉で明確に表せるわけではないが、あえて表現するならば―――血なまぐさい。そんな感じがした。

 そして、マートの両眼。黄金の瞳。しかし、同じような色の瞳を持つエドワードたちと違い、その中はギラギラと燃え滾っていた。そんなマートが、セレーナはただただ恐ろしかった。


 そんな印象が薄れ始めてきたのは、いつからだったか。村長としての仕事の合間、暇な時間を使って講習を始めてから二週間もすれば、マートが剣以外をあまりにも知らない世間知らずな男であり、性根が極悪なわけではないことは既に理解できていた。

 そして同時に、自分よりも年上であったこの男のあまりの無知さ加減に驚き、そして呆れた。

 聞けば、生まれてからこれまで剣のことしか考えてなかったという。彼を頼むときの女性陣の表情がどこか自分を憐れむような感じだったが、それはきっとこのためなのだろう。


 そして一年経つ頃には、セレーナはマート相手に父性に近いものを見出し、また彼に常識を教えていくなかでなぜか、年上の彼に対して母性にも似たなにかを養っていた。

 そんな奇妙な関係にあった男は、ただの常識知らずだった老人だった男は、しかし自分の想像の遥か上を行く強者なのだと、たった今理解できた。理解させられたのだ。



 いつものように長い白髪を後ろに流して縛り、初めて顔を合わせた時と同じ白が基調となった着物を着ている。

 そして何より驚くべきは、マートの持つ剣の長さだった。片刃、細く、平たく、そして何より――――長い。立てれば身長百六十センチほどの自分をさらに超えるであろう長刀を、マートは苦もなく(おの)が手足のように使いこなしている。



「て、てッめえ………よくも兄弟をやりやがったなぁ!!!」



 ここでようやく二人の男が正気を取り戻し、斧を振りかぶりながら襲ってくる。セレーナは驚き、とっさに危ない! マートに向かってそう言おうとした。

 だが、やはりそれも杞憂に終わる。



「全くもって論ずるに値せぬ。踏み込みが甘い―――!」



 剣撃の極致へ至らんとする神業。音すらなく、次の瞬間には二人の男も最初に真っ二つになった男同様斬り捨てられていた。まさしく鎧袖一触(がいしゅういっしょく)

 おそらく、マートにとって山賊などという輩はたとえ血生臭い界隈で頂点に近い位置に君臨している残虐非道なグランガ山賊団だとしても、何も知らず、何もできぬ赤子を相手に戦うのと同じ。たやすく葬ることができるのだろう。

 窮地を、逃れることができた。そして、マートの実力を実感したことにより、他の八人の男女の実力も間接的に理解できた。きっと、否。必ず、彼らによってヴィタエ村は守られるのだろう。

 そう考えた次の瞬間、セレーナは膝から崩れ落ちた。



「あ、れ………身体が……」


「ふむ。おそらく、極度の緊張から解放されたからであろうな。駆け出しの剣士にはよくあることゆえ、案ずることはなかろうよ」


「………常識は何も知らなかったくせに、そういうことには詳しいんですね」



 セレーナが半分呆れながら、しかし半分嬉しそうな表情でそう問うと、マートがわずかに頬を緩めてこう返す。



「左様。わしはどこまで行っても武士なのでな。しかし、この一年間は悪くなかった。そんな時間をくれたお主をわずかでも穢される前に助けられたことは、良かったと思っているよ」



 そう言って少しだけいつものような好々爺じみた笑みを浮かべてお茶目に片目を閉じたマートは、そのまま腰が抜けてしまっていたセレーナを担ぎ上げ、凄まじいという表現すら生温い速度でもって隣に建つ村立ヴィタエ学園へと戻って行った。



 ※ ※ ※



「聞いてねえ! 聞いてねえ聞いてねえ聞いてねえぞこんなこと! なんなんだよこの村はァ!!! ぐはぁ!」



 そして、完全に準備を終えた九人の男女と総勢五百を超えるグランガ山賊団との戦いが始まった。

 しかしそれはもはや戦いと呼ぶことすらおこがましい、一方的な狩りのような様相を呈していた。



「なんだこりゃ? おいおい、こんな時期に仕掛けてきたんだから(おら)ぁてっきりまた戦役ん時に相手したようなヤベエ連中がわんさか来るとでも思ってたんだがな」



 逆立った金髪とガッシリとした立派な体躯。そして何より目を引くのは豪華絢爛な黄金の鎧と巨大な大剣。

 九人の男女の一人、『絶対(アブソリュート)勇者(ブレイバー)』の異名を持つゼグバ・ローダーが拍子抜けとばかりに斬り倒した賊を吹き飛ばし、ついで襲ってきた賊を後ろ回し蹴りで葬り去りながら肩をすくめる。



「いやいやいや! そりゃあ俺以外の八人にとってはまさしく雑魚なんでしょうけど、常人から見れば十分に練度(れんど)高いですよこの連中! 個人個人でバラつきはありますけど前にやり合ったエヴン王国の正規兵並みには強いですし! というかこの真夜中に戦役の時に相手したようなイカれたチート連中に大挙して攻められたら村人守りきる前に自分の身を守りきれるか不安になりますって!」



 バシュンバシュンバシュン。ゼグバとの戦闘を避け、隙を突いて正門を通りぬけようとする賊を機械弓―――クロスボウで次々と撃破しながらゼグバの言葉に返す少年の名はテツヤ・ナナセこと七瀬哲也。

 この世界に来る前によく着ていたという黒い学生服。学ランと呼ばれるそれをエドワードが魔改造した逸品を身に纏い、銃のような形状のクロスボウを手馴れた様子で装填・発射し、波状攻撃を仕掛けてくる賊を次々と撃つ黒髪の少年は、あまりの敵の多さにため息をつきながら言った。



「他の人たちは村の中を捜索なんでしたっけ?」


「おう。っと! なんでもまだ学園に避難できてない家庭があるんだとよ。ま、あいつらならそれを助けるぐらい余裕だろ」


「そりゃそうでしょうけど――――ねッ!」



 話しながら黄金の大剣を振るい、懐に入ってきた敵に関してはこれを見事に蹴り捌くゼグバと敵との距離を常に意識して中距離から正確無比な射撃で賊を射抜くテツヤ。

 村立ヴィタエ学園の正門前を守る彼らの顔に心配の二文字はない。

 なぜなら、九人の男女は皆が皆、怪物クラスの戦闘能力を有した規格外の存在だからだ。普通の人間が相手なら無双に近い力を持ったグランガ山賊団の団員も、地獄のような戦いを生き抜いた現代の大英雄たちが相手ではあまりにも役者不足であると言わざるを得ないのが現状だろう。



「とりあえず帰ってくる奴らのためにここを守ってやらねえとな」


「わかってますって!」



 次々と正門から校庭に侵入してくる敵に校庭のど真ん中で応戦しているにも関わらず人っ子一人一階の扉に近寄らせない鉄壁の防御。

 戦役の頃から腐れ縁なのか、なにかとコンビを組むことの多かった強さも性根も何もかもが正反対と言っていい二人の男の布陣は、しかし乖離大陸有数の凶悪な山賊団が相手だとしても容易く抜けるほど甘くはなかった。



 ※ ※ ※



「ひまー」


「ん」



 闇夜に可憐な声が響く。真っ黒なトンガリ帽子と黒いドレスを身に纏った銀髪の美少女・ゴシックと真っ白なトンガリ帽子と白いドレスを身に纏った銀髪の美少女・ロリータ。

 他の人たちが戦っているというのにまだ何もしていないとグズり始める二人に、二人のお守り役であった少女が諌めるように声をかける。



「まぁそう言うな。思っていた以上に敵の戦力が乏しいらしいからの。しかし、もし賊の後ろに今回の騒動を画策した何者かがいた場合、勝利の余韻に浸っている最中に襲ってくるかもしれん。村中を俯瞰しながら警戒してくれとマスターに命じられたのならその命を果たすのが我ら使い魔であろう?」



 二人の少女よりさらに幼い少女。しかしその実、壮年の男剣士・マートよりも成熟した精神を持つ赤髪の美幼女・ティフォン。炎獄衣(インフェルノ)と呼ばれる燃え盛る火炎を彷彿とさせるローブを着た少女は天空(、、)より村を眺める。



「しかしマスターの心配も杞憂に終わりそうじゃな。山賊以外に敵はおらぬし、今のところ魔力も感じぬ。歯ごたえがなさすぎるとマートやゼグバあたりが暴走しなければよいのじゃが……」



 ティフォンが呟くように言う。



「ひまー!」


「ん!」



 そしてゴシックとロリータはさらに駄々をこねる。仕方なしに二人をなだめるティフォン。もしかしたら、九人の中でもっとも厳しい役割を担ったのは自分なのではないかと思いながら、ティフォンは二人の少女を説得するのだった。



 ※ ※ ※



「心静かに……死者に最後の安らぎを―――――《ライトエンド》!」



 夜の闇においてもその暗く清楚な輝きを失わない聖女にしか纏うことを許されぬ漆黒のシスター服を着た桃髪の美女の柔らかな声が闇夜に響き渡り、この戦いで死した賊の死体が光の粒子となって空気に溶けて消えていく。

 土葬や火葬になぞらえて『光葬』などと呼ばれるこの魔法。しかし、少女の使うそれは通常のそれとは異なっていた。そう―――、



「相変わらずエグい魔法使うわよね……ついこの間までは無益な殺生はよくありませんとか言ってたくせに思い切りいいし。死者どころか生きてる奴まで消えていってるじゃない」



 不承不承ではあるものの、マスターたるエドワードの指示でエロリアとコンビを組んで血の匂いを頼りに村の中を駆け回っていた義兄と同じような意匠の黒衣を着た少女リーゼロッテの軽口がエロリアへと届く。

 しかし、その言葉とは裏腹にリーゼロッテの表情に嘲りの感情は存在しない。そう、エロリアの使う光葬は、本来であれば命なき死者のみに効果があるというのにも関わらず、瀕死の生者はおろか健康そのものの人間すら強引に、強制的に昇天させてしまうほどの効果があったのだ。


 戦闘という分野においてエロリアの遥か上を行くと自負しているリーゼロッテですら背筋に寒さを覚えるほどの威力。なまじ人間離れした魔力を持つエロリアゆえに、その規格外な魔法の効力は常識では計り知れない。



「あの戦役において、わたくしの甘さが原因となって何度もエドワード様たちを窮地に招いてしまったことは今も残らず覚えております。それゆえ、わたくし一人ならともかく、他の方の命が関わっている時はもう迷わないと決めたのです」



 エロリアは他の面々に撃破されたであろうグランガ山賊団の男たちと、戦況の不利を悟って周囲の家の中や物陰に潜伏していた者たちを無差別に、かつ次々と光葬していく。

 彼女の言った通り、一年前に終わったハートレス戦役においてもっとも仲間たちの足を引っ張ったのは九人の中でも文句なしの最弱であったテツヤではなく、聖女としての矜持と甘さを捨て切れていなかったエロリアだったのだ。

 しかし、史上最年少にして史上最もエント聖教の信者たちからの支持を集めた聖女だったエロリアは今、躊躇うことなく自らに課された役割を果たしている。

 他の者たちと同じく、エロリアもまた成長し続けているのだ。



「ふぅん。ま、うじうじ悩んでお兄ちゃんに迷惑かけるよりいいけどね。でも………」


「どうかいたしましたか?」



 情勢は火を見るより明らか。完全に自分たちが優勢だったが、まるでそんなことはないとでも言うような微妙な雰囲気を出すリーゼロッテにエロリアが問う。



「賊の狙いは十中八九わたしたちよね。なら、わたしたちの正体も知っているはず。なのになんでこんな半端な戦力で攻めたのかがわからないから不気味なのよ」


「そう、ですね……。山賊団の方々は先遣隊であり、本隊は別にあるとか、そういうことなのでしょうか?」


「判断を下すには情報が少なすぎるわ。お兄ちゃんならともかく、わたしもあんたもそんな判断材料皆無な推理は慣れてないでしょ。でもまぁ……」



 リーゼロッテはそこで表情を晴らす。そう、近くに愛しのお兄ちゃんの気配を感じたからだ。

 戦略眼においてもリーゼロッテの数段上を行くエドワードがこの奇妙な襲撃について何も考えていないはずがない。今まで自分がしてきた心配を全て杞憂に変えてきたお兄ちゃんならば、この程度は窮地とは程遠い。

 リーゼロッテはそう結論付け、エロリアに言う。



「そろそろ掃除は十分でしょ。わたしはお兄ちゃんのところに行ってくるからあとはよろしく」


「ええ!? いえ、このあたりも粗方片付けましたし、リーゼロッテ様がそのつもりならそれに同道するのもわたくしとしてはやぶさかではありませんが………」



 エドワードラブなリーゼロッテの言葉にエドワードラブなエロリアが便乗する。そこに迷いなど微塵もない。

 二人はそのまま気配を辿ってエドワードの元へと向かい、そして―――。



 ※ ※ ※



「……おに、いちゃん………?」



 リーゼロッテが呆然としながら声を漏らす。隣に立つエロリアも同様だった。

 二人の前方にエドワードはいた。銀色の少し長めの髪を縛って左の鎖骨の前に垂らし、黒衣に白いズボンと黒いブーツを履いた、彼の戦闘時における姿。いつも通り、柔和な笑みを浮かべている。

 その手に抱えているのは二人の少年少女。まだ十才にも満たないであろう、せんせーであるエドワードに特に懐いていた二組の生徒。アレクとリムを庇うように抱え、突然の賊の襲来に対してこれ以上怖がらせないように見る者を安心させる笑みを浮かべる。


 しかし、今回ばかりはその笑顔ですら二人の子どもの気持ちを晴らすには足りなかった。

 おそらくとっさに二人を庇ったのだろう。敵に対して無防備な背を向けるという愚行を犯し、そしてその背中には報いと言わんばかりに鋭利な何かが突き刺さっている。



 ――――そして。エドワードの黒衣は、その刃に貫かれ、徐々に赤黒く染まっていった。

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