第三話 九人の男女
「ぐ、ぐぬぬ……この淫乱聖女! 毎度毎度性懲りもなくその無駄にでかい脂肪の塊でわたしのお兄ちゃんを誘惑して! わたしへの当てつけなら受けて立つわよ!!!」
テツヤの我が身の危険を省みない忠言によって場は一応の落ち着きを取り戻した。しかし、それが先ほどまで怒りのあまり心臓までもを止めかねないほどの高純度のフリーズをしていたリーゼロッテという名の少女を覚醒へと導く。
普段はもう少しどころかかなり落ち着いた物腰であるこの魔貌の少女は、ことエドワードが関わると精神年齢が退行したかのような幼さを発露する。
そして彼女の言う『当てつけ』というのは言わずもがな、背も百六十五センチと高く、それでいで完璧なまでの形を保った大きな胸を持ったエロリアという名の桃髪シスターと、背は百五十センチ前後とそれほど高くなく、胸も美乳と言えば聞こえは良いが、大きさで言えば彼女のシーはエロリアのエイチには遠く及ばない。
リーゼロッテの美貌は初めて目にすれば十人が十人息とともに魂すら漏らしてしまうほどのものだが、ベクトルは違えどエロリアもそれには劣らない。まさしくその気になれば国はおろか世界を傾かせることすら可能である飛びぬけた美の持ち主である二人は、しかし互いにないモノを持つ互いをライバル視していた。
「おや、おられたのですかリーゼロッテ様。しかしそんなに恐ろしい目をしてしまいますと、はしたないとエドワード様に嫌われてしまいますよ?」
いつの間にかエドワードの背後から隣へと移動し、結果的に一つのソファーに腰掛けるは一人の男と二人の女。そして発生する修羅場フィールド。
優雅で高貴な笑顔を崩さない漆黒のシスター服を着たやや癖っ毛な桃色の長髪を持ち、エドワードやテツヤと同じ黄金の瞳を有する美少女の名前はエロリア。
村立ヴィタエ学園の教師を勤めるエドワードと同じく、保健室で保険医を務めながら学園内外のけが人の治療などを行う正真正銘のシスターである。
しかし、聖職者然とした落ち着きを見せながらも、エロリアの美しい微笑みの裏には隠されしリーゼロッテへの対抗心じみたものが渦巻いている。
エロリアをライバル視するリーゼロッテと同じく、この物腰柔らかな美女シスターもまた、リーゼロッテから自身にないモノを感じ、ライバル視しているのだ。
「ふ、ふん! 残念だったわね天然淫乱聖女! わたしのお兄ちゃんはそんな小さなことで人を嫌いになるほど小さな器の持ち主ではないの! ましてやわたしとお兄ちゃんは互いが互いの初めてを契った仲なのだからその仲は誰にも引き裂くことはできないわ!」
「……ふう。契りと言ってもマスターと使い魔という魔法契約のことでしょうに、わざと誤解を招きかねない表現を用いるとはまったく淑やかさに欠けますね。ふふ……遠からぬ未来、その自信と余裕が粉微塵に打ち砕かれる日がわたくしは楽しみでなりません。リーゼロッテ様のお顔が敗北の屈辱に歪む姿を想像しただけで、わたくしは天にも昇れてしまいそうです」
「ほらきた今の聞いたお兄ちゃん!? これがこいつの本性なのよ! 聖女だかなんだか知らないけれど、こいつ絶対穏やかそうなのは見た目だけで、中身は人をいじめることに生き甲斐を感じるタイプの筋金入りのサディストよ! ていうか、いい加減お兄ちゃんから離れろーーー!!!」
そんな二人のズバ抜けた美少女たちの争いを対面側のソファーに一人座って困ったように見るのは黒髪金眼の少年・テツヤ。
テーブルを挟み、エドワードたち三人が座るソファーから見て右手のソファーにエドワードの使い魔たるティフォン・ゴシック・ロリータの三人が座っている。
「久しぶりに見る気がするなぁ……『リア充爆発しろと言いたいけどそんなこと面と向かって言ったら確実に爆殺されるから言えないフィールド』」
「テツヤ、言ってる言葉がながーい!」
「ん。テツオは頭が悪い。だから、言葉を簡潔にまとめられない」
「そしてなぜか小さな声で発したはずの独り言が勝手に拾われたあげくディスられた!? 理不尽だ!!!」
「……まったく、呆れるほどにいつも通りじゃのう。そなたら」
なぜか何度訂正してもロリータからテツオと呼ばれることに定評のあるテツヤがもはや自身の名を訂正することなく、自らの不運な境遇を嘆く。
ティフォンが皆のかもし出す賑やかで、しかし同時に穏やかでもある雰囲気に呆れたように声を上げる。
しかし、そこに不快さは微塵も感じられない。ティフォンはティフォンなりに今自分が座るこの場所を気に入っているのだ。一年前、色々なものを失い、または手にしながら戦い抜いた、あの時のことを思い返せば今の状況のなんと恵まれていることか。
ふと、そう懐古したティフォンがハッとしたような表情になり、エドワードへと尋ねる。
「のうマスターよ。そういえば、今日であの日から一年が経つのではないか?」
「あぁ、確かに。言われてみればそうだね。たった一年経っただけ、と斬り捨てるほどあれは小さな出来事ではなかったし、最近忙しすぎて気がつくのがギリギリになってしまったけれど、一周年のお祝いでもしてみようか?」
ティフォンの言葉に返すのはリーゼロッテとエロリアの無言の視線のぶつかり合いから身を乗り出すことで脱出したエドワード。
問われてから一秒も経たずに今日がヴィタエ村に来てからピッタリ一年経つという答えを頭の中から瞬時に持ってくるエドワードの記憶力には凄まじいものがあるが、そんなことはこの面々の中では常識なのだ。というか、こと九人の男女においてはそれぞれがそれぞれ規格外的な存在であるため、常識という言葉が意味を為さないのである。
「お祝い……パーティーですか。じゃあ俺はそれっぽい料理とか色々作りますよ。祭り好きの国出身者として頑張ります」
「ふむ。小僧に料理を教わるのはちと業腹じゃがあいにく祭りの料理などは知らぬのでな。わらわはそれを手伝うとするか。ほれ、リーゼロッテにエロリアよ。そなたらも手が空いているのなら手伝うがよい」
「なに言ってんのティフォン。わたしはこれからお兄ちゃんとめくるめくひと時を……! むしろ、ふた時でも、み時でもいいけど、とにかくお兄ちゃんとめくるめきたいの!」
「そんな……ようやく久方ぶりのまとまった時間を得られたというのに、あぁ……神は、わたくしとエドワード様の仲を再び裂くというのですか……?」
ティフォンの言葉に目を細めてボケのような言葉を発するお兄ちゃん大好き美少女・リーゼロッテと天を仰ぎながら両手を堅く握り合わせてわかる人にしかわからないボケをしつつおおげさに嘆くエドワード様大好き美女・エロリア。
しかし、ティフォンも伊達に一年以上彼女たちと共にいるわけではない。素早くエドワードに向かって目配せすると、エドワードは困ったような笑みを浮かべ、これから彼女たちの自分に対して抱いてくれている感情を利用してしまうことに小さくない罪悪感を覚えながらも自分の左右に座る二人の少女に言った。
「普段、私たちが食べる料理を担当しているのはもっぱらティフォンやテツヤばかりだし、私もたまには二人の作る料理が食べてみたいのだけど、ダメかな? リーゼロッテ、エロリア」
「「いいですとも!!!」」
そんな調子のいい二人の美少女を見ながらテツヤは思う。『この人たち、チョロいな』、と。
無論口には出さない。誰しも竜の逆鱗を好んで引っぺがしたくはないだろうし、虎の尾を好んで踏み潰したいとは思わないだろう。思ったことを口に出した瞬間が自分の十八年生きた人生の最期になるであろうことをテツヤはこの一年以上にも渡る八人との共同生活で熟知させられていた。
「あーっ! ずるい! あたしもお料理するーっ!」
「ん。花嫁修業。これもエドのため」
テツヤ、ティフォン、そしてティフォンとエドワードに扇動されたリーゼロッテにエロリアに続いてゴシックとロリータまでリビングスペースからキッチンスペースへと移動し、残ったのはただ一人。
「うん。こういう静かな空間は読書には最適だね」
自らに突然訪れた孤独を憂うことなくポジティブな考えを披露する強かなエドワードはソファーの傍に置いてあった自身のバッグから昼食時に読もうとしていた読みかけの本を取り出し、静かに読書を始めていた。
しかししばらくすると日頃の疲れがここにきて一気にやってきたのか、いつの間にかエドワードの両目は閉じられ、やがて静かに舟を漕ぎ始めた。
※ ※ ※
「―まえ――ただ―――ぎょう―」
―――――。
「おま――、―――にんぎょ―だ」
―――――。
「――――お前は、ただの人形だ」
―――――あぁ、そうかもしれない。
※ ※ ※
「――ちゃん! お兄ちゃーん!!」
「ん……あぁ」
外の世界からやや強引に覚醒を促され、見慣れてしまった夢から目を覚ます。いつの間にかソファーで横になって眠っていたエドワードは電球と呼ばれる照明の眩しさに少し目を細めながら、目の前に現れた綺麗な瑠璃色の髪を撫でながら礼を言う。
「ごめん、いつの間にか眠ってしまったようだね。起こしてくれてありがとう。おはよう、リーゼロッテ」
たったそれだけのことなのに、少女は花咲くような可憐な笑みを浮かべて口を開く。
「うん。おはようお兄ちゃん。でも、やっぱり最近働きすぎて疲れてたんじゃないの? お兄ちゃんらしからぬ無計画爆睡だったし。だめだよ、あんまり無理しちゃ」
リーゼロッテがそう言って心配そうにエドワードの顔を見つめる。
エドワードは一瞬だけ、何か考え込むような真剣な表情を作り、次いで壁に掛けられた時計を見て驚いた表情を作った後、またすぐにいつもの知性と包容力溢れる微笑に戻る。
「確か皆とリビングで話していたのは十五時を少し過ぎた時だったはずだけど……もう十九時か。これは、睡眠魔法でもかけてもらわないと夜に再び眠ることが難しくなりそうだ」
「その時はわたしにお任せだよ! あ、それとマスターへご報告! パーティー用の料理も全て出来上がったから、わたしと一緒にテーブルスペースに行こ?」
リーゼロッテはエドワードと一緒にいられることがよほど嬉しいのか心から楽しそうに話す。エドワードはそんな彼女の頭をもう一度だけ撫で、大きく伸びをしたあとに食事をする場所に誘ってくれたことに対して礼を言う。
「うん。ありがとう、リーゼロッテ」
「どういたしましてだよ、お兄ちゃん」
※ ※ ※
九人の男女が住まう村立ヴィタエ学園の三階はとにかく広い。これにはゴシックの操る時空間魔法という古代魔法が関わっているのだが、その魔法によって空間が拡張され、見た目の数倍以上も広くなっているのだ。
そして九人の男女が普段生活している各個室に加え男女別の大浴場、調理をする時に使うキッチンスペースや語り場となっているリビングスペースのほかに食事をとる時に使うテーブルスペースや鍛錬に使うトレーニングスペースなど実に様々なフロアが存在する。
余談だが、これらの各フロアを仕切る扉も全て自動ドアとなっている。と言っても個室と大浴場以外は鍵などといったセキュリティは施されていないのだが、これは半ば異空間と化しているこの村立ヴィタエ学園三階に侵入できる存在がそもそもいないためそうなっているだけなのだ。
「まったく! 酒盛りすんなら事前に言っとけよな! そしたら昼飯の量を減らしてきたってのに!」
「まぁ、そう言うな。急な催しならば致し方ない。わしとしてはいつも以上に豪勢な食事に加えて久々に飲酒制限が解かれるというのが嬉しいぞ、テツヤ殿」
「………確かにそのつもりでしたけど、現時点ではまだ飲酒制限に関しては一言も言ってないんですけどね。遠回しな要求ですか? ともあれ、今日も一日お疲れ様ですお二人とも」
そしてエドワードとリーゼロッテがテーブルフロアに到着すると、そこにはテツヤと話している二人の男性がいた。
二人ともエドワード・テツヤ・エロリアと同じ金色の瞳を持っており、なおかつ見ただけでも年齢がテツヤやエドワードより上であることがうかがえる。
最初に酒盛りがどうこうと言っていたのが癖のある堅そうな金髪をオールバックにした三十代前半ぐらいに見える男。
そしてその男を諌めたのがおそらく見た目で言えば九人の男女最高齢であろう男性。腰ほどまであろう長い白髪の髪をオールバックのようにして纏め上げ、縛って後ろに流している四十代を迎えているであろう壮年の男。
「ま、爺さんの言うことも分かるぜ。テツヤの坊主が余計な気遣いしなきゃ今でも毎日毎晩ガブガブ酒をかっくらってたってのによ」
「ダメですって。食料に制限がないからこそ節制の心をもって健康に気を使わないと。あんまりお酒飲みすぎると死期を早めかねませんし。というか、お二人とも呑みすぎなんですよ! 一晩で一升瓶何十本も空けるとか! 英雄酒を好むってやつですか? しかもゼグバさんに至ってはジョッキにつがれた生ビールよろしくグビグビとイッキで呑むし! 今まで急性アルコール中毒にならなかったのが不思議なくらいでしたよ本当に」
呆れたように言うテツヤに、年長の二人が声を返す。
「ゼグバ殿ほどではないが、わしも酒とは浴びるように呑むものと教わってきた。しかし、年が年じゃからな。それに健康あっての生とも言う。いつか理想の剣の道へと辿り着くため、今は一秒でも長く生きたい身の上、わしはテツヤ殿の言葉に異はないよ」
「かーッ! 俺やマートの爺さんみたいな超ド級の英雄に節制なんぞ似合わねえっつーの! ま、坊主の助言を無碍にしてここで死んじまうのもいかんだろうし、従っちゃあいるけどよ」
そんな取り留めのない会話を続けている三人の男たちに、隣にリーゼロッテを連れたエドワードが声をかける。
「やぁテツヤ。もう準備は万端かい? 久しぶりに豪勢な食事になりそうで、実は少し楽しみだったんだけど」
「第一声がそれかよ。相変わらずのグルメっぷりだなエド。ま、毎日パーッと飲み食いってのも味がねえし、たまにの豪勢な食事ってのを楽しみにするその気持ちもわかるっちゃあわかるけどよ」
豪快そうな男がそう言って笑う。彼の中でのエドワードという人間は、文学とグルメと教育と発明に熱心な青年だ。
「なに、それほどでもないさ。ゼグバ、今日も何事もなく終えられたかい?」
「おうよ。ま、わかっちゃあいたがここは平和な村だからな。そうそう大きな事件なんぞ起こらんだろう」
金髪金眼の偉丈夫。村立ヴィタエ学園の用務員を務めるゼグバ。素手で竜をなぎ倒せると豪語されても信じてしまいそうな独特の凄みを持つ男だが、その精強な容貌から取っ付きづらいタイプかと思えばそうでもなく、むしろ気さくな部類に入るだろう。
発言だけを聞けばダメダメなおっさんなのだが、その実この大陸以外の二大陸では戦いに携わる者なら知らぬ者がいないと言われた英雄の中の英雄。その実力は世界最強に限りなく近いとすら言われていたほどだ。
「そしてマートは今日もお疲れ様。剣以外にも興味は沸いてくれそうかな?」
「うむ。剣の道を極めんがゆえにあえて他の道を知るという試みもなかなかに面白いが……それ以上に、この歳になって何かを学べる毎日を送るというのも興味深く、充実しておるよ」
白髪金眼の男。肉体の最盛期を過ぎたであろう彼は、しかし隙のない立ち姿をした達人という言葉のよく似合う男だった。それもそうであろう。こと剣の腕に関してはこの場にいる誰もが相手にならない、そんな常軌を逸した剣才の持ち主なのだ。
とある理由から今は剣以外のものを学ぶためにヴィタエ村の村長の家に足しげく通っているが、たとえ子どもとてひと目見ただけで理解できる。ゼグバの持つ『動』の強さとはベクトルの違うマートの『静』の強さもまさしく本物だった。
「む? いつの間にか皆揃っておったか。よし、エロリア、ゴシック、ロリータ。料理を運び込むぞ」
「かしこまりました」
「はーい!」
「ん」
そこでテーブルスペースにひょこっと顔を出したティフォンがキッチンスペースにいるエロリアやゴシック、ロリータに声をかけるとすぐさま彼女たちから声が返ってくる。
そして瞬く間に豪勢な料理や酒などが運び込まれ終わると、とうとうテーブルスペースにヴィタエ村を良い意味で変えた九人の男女がここに揃う。
「この催しの意味はわかっておろうな? 今日であれから一年が経つ。つまり、わらわたちは無事この一年を生き抜けたということじゃ」
「ま、悪い気はしねえな。生きてこその人生だ。死んじまったら酒も飲めねえし武器も握れねえからよ」
ティフォンの言葉にゼグバが酒を呑みながら反応する。
「ほんと、色々あったわね。色々あったけど、だからこそ今わたしはお兄ちゃん……マスターと共にここに在れる。お兄ちゃんがいつまで経っても振り向いてくれないのは小さくない悩みだけど、それでも今は幸せよ」
「わたくしは……そうですね、今の生活をわたくしは嫌っておりませんし、むしろ好んでいるのだと思います。そこを鑑みると、わたくしの信仰心は妄執の域には達していなかったようです。今となっては、それは良いことなのでしょうが………」
リーゼロッテがしみじみと、エロリアがどこか複雑そうに語る。
「よくわかんないけどおめでとー!」
「ん。めでたい」
「左様。この歳になって新たな何かを得るというのも不思議な感じがするが、悪くはないし、むしろ良いとも」
ゴシック、ロリータ、マートが言う。
「そうですね……あれから一年………かぁ」
テツヤが独り言を呟くようにしみじみとそう言うと、エドワードが昔を懐かしむように目を細めながら微笑した。
「あぁ。『ハートレス戦役』の終結から一年。長いようで、でもあっという間の一年間だったね」
そう、十人のハートレスたちが己が全てを賭けて生き残るために殺し合ったハートレス戦役。今日が、そんな戦役の終結から一年目となる日だった。




