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跡地  作者: 黄崎ロト
序章 新たなる火種
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第一話 ヴィタエ村

 人口は百人にも満たず、べつだん栄えているわけでもなければ、べつだん際立つ名産品があるわけでもない。

 大陸一栄えている大陸中央を支配域とするエヴン王国の央都(おうと)からも遠く、地図などで確認できるその地と隣接する村や町からさえ遥かに遠い僻地。

 他の地や人との交流は無に等しく、人口も少なかったが土地は広く肥えていたために食料などの生活に必須な品は自分たちが生み出すもので事足りる、そんな可もなく不可もなかったありふれた地。

 縦に三つ連なる三大陸の真ん中に位置する世界中央の大陸の中の、その西側に存在する地を、人は『ヴィタエ村』と呼んだ。





 そんな、人々がほそぼそと暮らすこの地に、突然、なんの前触れもなく九人の男女が現れる。

 滅多に客など訪れない閑静な村だからこそ、その地に住む人々は「珍しいこともあるものだ」と、警戒心など微塵も抱くことなく純粋に彼らを歓迎した。

 とある理由から南北の二大陸とは隔絶され、それゆえ交通の便は悪くもそれなりに交易があり似通った文明の発展を遂げた南北の二大陸とは全く異なる文明の発展を遂げた中央大陸。


 同じ世界にありながら他大陸と比べれば異世界と呼んでもいいほどの地。

 見れるが来れずな大陸、通称『乖離(かいり)大陸』。そのなかでも、よくもわるくも変わらない、変化の乏しい村だったヴィタエ村。

 しかしそんな村で暮らす彼らと来訪者である九人の男女が出会ったことで、彼らの停滞は瞬く間に打ち砕かれる。それが良いことなのか、はたまた悪いことなのかは、彼らがこの地に移り住んできてから一年が経つ今、ヴィタエ村の村人ならば誰もが口を揃えて同じ結論を出すことだろう。



 ※ ※ ※



 キーン、コーン、カーン、コーン。

 正午、村中にこだまする鐘の音が人々の耳を刺激する。驚くほど大きな音ではないが、しかし聞き逃すほど小さな音でもない。



「お、鐘の音だ。もう昼になったのか」


「だな。そろそろ畑仕事を一旦終えて、休憩にするべ。昔は昼になったら飯を食うっていうより、腹が減ったらそのつど飯を食うって感じだったけど、あの人たちの言う通りに朝と昼と夜にしっかりと食べる一日三食の生活に慣れてからは決まって昼になると腹が減ってきちまう」


「腹の虫も俺らと同じで規則正しくなってきたってわけだな! さ、今日の飯はなんだろう」



 丈夫さと動きやすさを重視した麻の服とズボンで畑仕事をしていた二人の男がそんな会話をしながらクワなどの道具を片付け、村の中央を遮るように流れる大きな川でしっかりと手を洗ってから妻が用意してくれた弁当に手をつける。

 ヴィタエ村では一年前まで、時間という概念があまり知られていなかった。知っているのは朝・昼・夜の三種のみ。

 あまり知られていないということは、つまり知っていた者も少なからずいたのだが、大半の村人たちはそれを十全に理解するに足る学を持ち合わせていなかったため、村全体にまでその概念は根付かなかったのだ。

 しかし、今ではしっかりとほとんどの村人が一日が二十四時間であるということを理解している。さすがに分や秒まで理解している村人は多くないものの、かといって昔のように時間を朝・昼・夜でおおざっぱに区切ったりもしていない。

 会話の中でも出てきたように、食事の時間も朝、昼、夜の三つに明確に分かたれ、一日の食事回数が日によってバラけるようなこともなくなっていた。

 無論、中には朝昼夜それぞれの間や夜が更けてから朝が訪れるまでの時間帯に小腹を空かせて間食をとる者もいるが、それは個人の問題である。

 二人の男はにぎり飯と鶏のからあげを食べながら、感慨にふけるように呟く。



「しっかし、一年前と比べてこの村も変わったもんだべ」


「確かに。一年前じゃ米を握るなんて発想もなかったし、『からあげ』なんて都会にしかなさそうな食べ物にありつけることもなかったなぁ」


「もうあの人たちには足向けて寝らんねえな! おっかあもヴィタエ村がどんどん良い方向に変わってるって喜んでたし」


「んだんだ。あの人たちは男衆はみんな格好良いし女衆はみんな美しいし、きっと華やかな央都の方からやって来たに違いないべ」



 そんな他愛ない話をしながら昼食をとり、そのまま食後一時間ほどゆったりと身体を休めたあと再び畑作業に戻っていく二人の男。

 ヴィタエ村に数多く点在する昔ながらの素朴な造りの家々とは比べ物にならないほど、革新的で立派な施設に備わっている巨大な時計の短針と長針を見れば、細かい数字までは理解できなくとも今がだいたい何時かぐらいは把握できるのだ。

 そしてそんな立派な建物こそ、ヴィタエ村の停滞を打ち砕き、急速とも言える進歩をもたらした九人の男女が住まい、時間を持て余した村人たちが新たな知識を得るために集う場所。

 ――――『村立(そんりつ)ヴィタエ学園』であった。



 ※ ※ ※



「せんせー! これで合ってる?」



 まだ八才になるかならないかといった幼い容姿の栗色の髪の少女が元気良く席を立ち、自らが『せんせー』と呼んだ人物の元へとおもむき手に持った紙を天高く掲げる。

 ………天高くと言っても腕を掲げる女の子自身がまだまだ幼いので、掲げられた紙の位置もせいぜいが百三十センチ前後ぐらいなのだが。

 そんな少女の元気の良さに、『せんせー』は男女問わず見る者に無類の安心感を与えるような包容力のある笑みを浮かべて手渡された紙を手に取り、ざっと目を通すと姿勢を崩して少女と同じ目線に立ち、小さな頭を優しく撫でつける。



「ふむ………うん。どうやらリムは基本的な四則演算は一通りマスターできたみたいだね。ミスもないし、これじゃあバツは上げられない。つまり、花丸……満点だ」


「わーい!」



 そんな『せんせー』の言葉に気を良くしたリムと呼ばれた少女が両手を上に上げて全身で喜びを表現して『せんせー』にひしっと抱きつくと、続いて少女よりは少し年上に見える、しかしまだ幼さの抜け切っていない金髪の少年がどこか誇らしげに胸を張りながら『せんせー』の元へと進み出た。



「よし! おれもできたぞせんせー!」


「ふむふむ……」



 『せんせー』は続いてやって来た少年の持ってきた紙を一通り眺めると、今度はやや困ったような感情が伺える微笑を浮かべる。

 そんなせんせーの顔を見て、少女リムはニヤっと笑い、それとは対照的に少年アレクの肩が瞬く間に落ちていく。



「はは……アレクは二問ほど計算ミスをしているね。一週間前に出した宿題、君は提出期限を超えてから『やったけどなくしちゃった』と言っていたけど、もしかして……」


「うぐっ……そ、それは……」



 『せんせー』は優しげな金色の瞳を少しだけ細めて咎めるようにアレクと呼ばれた十才ほどの少年の目をじっと見つめる。するとアレクは途端に言葉に詰まる。

 そう、現在『せんせー』が年齢も髪色も顔つきも様々な少年少女たちに取り組ませている三十問ほどの計算問題が書かれた用紙は、『せんせー』が生徒たちにあらかじめ渡していた宿題にきちんと取り組み、『せんせー』にミスをした問題の指導を受ければ比較的要領の良かったアレクならば詰まることのない程度のものだったのだ。

 他の子どもたちもクラスの中でも一歩先に進んでいるリムやアレクに比べてやや遅めではあるものの、頭を悩ませながらも正しい解答を記入していっている。



「アレクは確かにみんなと比べても物覚えが良い子だけど、だからといってそれを理由に鼻を高くしてしまってみんながやっていることを疎かにすると、こうやって足元をすくわれることになりかねない。これは勉強だけではなく、他の様々なことにも言えることだ。わかるね?」


「うぅ……ごめん。わかったよせんせー……」


「うん、わかってくれればいいさ。宿題なんて月に一度や二度程度しか出さないし、量だってそれほどでもないだろう? きちんとこなせば必ず君の力になるからね。嫌だろうけど我慢して取り組んでもらえると、私は嬉しい」


「ふふーん! サボりっこのアレクなんかにはまけないわ! こんかいもあたしのかち! アレクもまだまだ! まだまだね!」


「うぅ……ちくしょー。今日はまけたけど、つぎのテストこそはぜったいかつからなー!」



 そんな努力を怠らない秀才肌のリムと努力を怠りがちな天才肌のアレクの微笑ましいやりとりを耳で聞きながら、『せんせー』は他の生徒たちはどんな感じだろうとそれぞれの生徒が座る席を回り始める。

 彼が教える生徒たちの中でも若く、それでいて要領の良いリムとアレクとは違い、大多数の子どもたち、たまに混じる大人たちは今まで触れたことのない分野である勉強、特に計算が苦手なのだ。

 一応、確認テストと銘打ってはいるものの、成績などと言った概念のないこの学校においてはテストの結果の良し悪しはあまり重要視されない。ゆえに『せんせー』はテスト中でも教室を回り一人ひとりに説き方などをレクチャーする。


 今日は算数を教えているが、日によって、あるいはクラスによって教える教科は異なる。

 とは言っても教室自体は一つしかないので、クラスというのも授業のある時間帯ごとに分けられる程度のものなのだが。

 昼に登校するリムやアレクが在籍するクラス、通称二組はまだ畑仕事や織仕事などをこなせない子どもたちが多く在籍しており、他には朝早くから登校し昼前に帰宅する一組、夕方に登校し夜前に帰宅する三組がある。

 一組と三組は、今テストを行っている二組と違い仕事を始める前、あるいは仕事が終わった後に知識を求めて来る大人がメインというようになっている。



 キーン、コーン、カーン、コーン。

 テストも終わり『せんせー』が一人ひとりに今回のテストの総評を丁寧に述べているなか、ヴィタエ学園の校舎に備わった巨大な時計の下にあるこれまた巨大な鐘から正午を告げる音色が響き渡る。



「おひるだー!」


「ごはんだー!」


「おなかすいたー!」


「わわわーい!」



 村立ヴィタエ学園には給食制度がないため、昼食は各自家庭で用意されたお弁当だが、今まで家族や親しい家同士ぐらいとしか食事を共にしてこなかったヴィタエ村の子どもたちからすれば自分と同年代の子どもたちと一緒に食事をとるということそのものが珍しく、それゆえに楽しいのかこうして昼の鐘が鳴ると途端に元気になりお弁当の用意をし始める。

 先ほどまでテストのせいで頭が沸騰しそうになっていた生徒たちも瞬く間に元気になるあたり、食事の楽しさと大切さがわかるというものだろう。

 慌しくなったままなんとか授業終了のあいさつをし、昼食が始まる。



「さて、私も………あれ?」



 『せんせー』も子どもたちと一緒に昼食をとるべく教卓から自分の荷物が入ったバッグの置かれている教師用の机に戻りバッグの中を探ると、そこでわざとらしく困ったような声を上げ、次いでまいったとでも言うように頭を手で抑えるリアクションを取る。

 そう、本来であればそこにあるべきものが、なかったのだ。いわゆる……『お弁当忘れた』、である。

 村立ヴィタエ学園は九人の男女の中の一人で、進んだ文明を知識として持っていた少年によってデザインされた乖離大陸はおろか南北の大陸を見渡してもないような先進的な施設だったが、あいにく学食や購買といった機能はない。

 『せんせー』にあるまじきミスをしてしまった彼はそこで、家にまで弁当を取りに帰るべきか、はたまた今日の昼食を諦めて昼食の時間を使って昨夜読みきれなかった本でも読もうかと思案し始めた。そして、三秒も経たないうちに結論が出る。



「…………まぁ、忘れたものは仕方ないね。さて、本はどこにしまったかな……」



 その容貌から溢れる知性を感じさせる見た目通り、生粋の本の虫であった『せんせー』は即決に近い形で昼食を取ることを諦め、授業には必要のない私物が入ったバッグをごそごそと漁り始める。

 しかし、幸か不幸か『せんせー』が下したその健康上あまりよろしいとは言えない、子どもが真似をしてはいけないであろう行為が完遂されることはない。

 なぜならば――――。







「はぁ………やっぱり。やっぱりまたわざと忘れてきたのね? おに……エドワード先生!」



 傍らから声をかけられた『せんせー』、あらためエドワードはどんな感情を抱いたのか一瞬目を閉じ、そのあと観念したのか諦観が入り混じった表情で開きかけていた本をパタンと閉じ、バッグにしまってから顔を上げる。

 するとそこには、美しく長い瑠璃色の髪と、可愛らしく大きな瞳の中に確かな意思の強さを感じさせる澄んだ真紅色が特徴的な十代半ばの容姿を持った少女が、あまり大きいとは言えない背丈を大きく伸ばし、全身で『わたし、怒ってるけど呆れてもいるよ!』と言わんばかりの複雑な感情を表現している少女がいた。


 特徴的なのはその髪色や瞳の色、姿勢から伝わる感情だけではない。傾国よりも傾世という言葉がしっくりくるやや幼げではあるがそれをひっくり返したまま粉砕してしまうほど異常に整った美貌……まさしく、絶世の魔美を体現しているかのような飛びぬけた美少女。それこそが彼女を形容するにもっとも相応しい言葉だろう。

 黙って立っているだけで天上の神々すら魅了しつくすのではないかと思ってしまうほど、至高の芸術足りえるであろうその少女の瞳には、しかし今は事情を知らぬ余人でも伺えるであろう明らかな呆れと、半ば諦めの色が浮かんでいる。



「………なかなか、上手くはいかないものだね」



 困ったように頭をかき、苦笑いをするエドワード。



「当然、当然、大当然よ! まったくもう! 『私は滅多に何かを忘れることができない体質でね』とか言うわりに何度わたしが注意しても懲りずにお弁当忘れるんだからまったくもう! 一食でもご飯を抜くと身体に良くないって教えてくれたのは元はと言えばエドワード先生じゃない!」


「ははは……毎度のことながら世話をかけるね。心配や苦言ともどもありがたく受け取っておくよ、リーゼロッテ」



 尊大な態度の裏側にわずかに心配そうな色をうかがわせる瑠璃髪真紅眼の美少女・リーゼロッテの言葉にエドワードが本当にすまなさそうにそう答えると、リーゼロッテは畳み掛けるように言った。



「別にここに届けるのが面倒だとか、そういう理由じゃないの。わたしは基本的に暇を持て余し気味だし。むしろ最近はおに……こほん! エドワード先生が急がしそうで朝と夜くらいしか顔を合わせられてないし、こうやって昼間に合法的に顔を合わせて会話もできる機会ができるのはわたし的にはアリだけど……いやいや! ともかく今度こそ忘れず覚えておくこと! 昼のお弁当、忘れる、だめ、絶対! ね?」


「あはは……そうだね。今度からは気をつけるよ」


「うむ、よろしい。これで今月に入ってから三度目の『気をつけるよ』だけど、わたしは寛大だから気にしないわ。というか、気にすれば疲れちゃうだけだし、気にしたら負けよね。それより、今日は寄り道などせず早く帰ってきてね! 絶対! ね?」



 そんなことを言い放ちながら途中途中エドワードの方を未練がましそうに振り返りつつも、生徒ではない自分があまり長居するものでもあるまいと教室から去っていくリーゼロッテ。その後ろ姿にエドワードは困ったように、されどどこか嬉しそうに笑い、彼女の持ってきた弁当を手に取る。

 元々、こうしてお弁当を意識して忘れてくるのも自身の知恵袋的な立ち位置にいるとある女性に提案されたことであり、目的は普段は自称する通り寛大なのになぜかエドワードが関係すると途端にフラストレーションの溜まり方が途方もないほど上昇し始めるリーゼロッテのガス抜きなのだが、リーゼロッテだけがそれに気付いていない。ただ、エドワードが本を読みたいがために意図的に忘れてくると思っているのだ。もっとも、リーゼロッテのそんな考えも実はあながち間違っていなかったりするのだが。


 ちなみにエドワード先生と謎の美少女リーゼロッテの間で繰り広げられるこのやり取りは昼に勉強にやって来る二組の生徒の子どもたちならもはや誰もが知っており、なおかつ慣れているやり取りであるため生徒の間で取り立てて騒ぎになることはない。

 優しく賢く格好良く、それでいてよく気がつき頼り甲斐もあると一見非の打ち所のないように見えるエドワード先生は、なぜかよく昼のお弁当を忘れる。そして忘れたのになぜか嬉しそうに食事を断念し、彼の趣味である読書に励もうとする。

 そんなエドワードの行動を読み切ったように毎回彼の前に現れる恐ろしく可愛い美少女ことリーゼロッテもまた、彼同様にクラスの中では有名人なのだ。村立ヴィタエ学園内だけでなく、ヴィタエ村全体で。





 村立ヴィタエ学園の教師・エドワードと、そんなエドワードに文句を言いながらも嬉々として何かと世話を焼こうとする謎の美少女・リーゼロッテ。

 ヴィタエ村の日常は今日も楽しく、あっという間に過ぎていく。ヴィタエ村を変革に導いた『九人の男女』ことエドワードたちがヴィタエ村にやって来てから、じきに一年が経とうとしていた。

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