第十三話 優しき怒り
(2015.09.23)
・序章 プロローグの前に序章までの登場人物紹介を挿入しました。
「ふむ………」
エドワードがそう呟きながら、二人の少年少女の瞳をまっすぐに見つめる。
いつの間にかいつも落ち着きのなかった二組の子どもたちも押し黙り、教室の後ろに控える二人の少女たちは介入しないつもりなのか、エドワード・リム・アレクの三人だけの空間と化していた。
「う………」
エドワードの真摯な視線に、まずアレクが声を上げる。
子どもたちだけではない、おそらくヴィタエ村の村人のほとんど全員が尊敬してやまない『せんせー』―――それがエドワードという青年だった。
誰が見ても綺麗だと評するであろう銀色の髪は男性にしては少し長いが、彼はそれを縛って前側の左肩に垂らして落ち着いた雰囲気を出している。
顔立ちは端正などという言葉では安っぽいのではないかと感じてしまうほど気品と美しさ、そしてその中に男性らしさを有している。
さながら、知的な王子様のような、そんな青年。
彼の金色の瞳は常に優しげな光を宿し、彼が微笑むだけでどんな窮地に陥っても落ち着くことができるような、そんな無類の安心感を与える包容力に溢れた良い意味での優男。
正装は所々に金や銀があしらわれた上品そうな黒い上着に薄紫色のマントを羽織り、白いズボンは染み一つなく、上着と意匠が似ている黒いブーツのおかげで全体的にシックでありながらこれまたやはり高貴さを感じさせる。
そんな彼は元々の容姿も相まって近付きがたい雰囲気となってしまうが、授業などの普段はそんな仰々しい服装ではない。
黒いワイシャツにストライプ柄の銀色のネクタイ、その上に清潔そうな白衣をまとい、ズボンは白衣と対をなすような黒色。それでも素朴な麻のシャツなどが主流のヴィタエ村では浮いてしまうが、エドワードが元々持っていた優しげな雰囲気が相まって正装時とは違いいくらか取っ付きやすくなっていた。
しかし、アレクは時折エドワードが向けてくるこの視線が苦手だった。
嫌いというわけではないが、自分の考え、頭の中にあるもの全てを見透かされている気がして、少しだけ怖いのだ。
「まず、質問に答えようか。私はリムもアレクも嫌っていない。これは間違いのないことだ」
エドワードがそう言うとリムとアレクは伏せていた顔を上げる。しかし、次の一言はそんな彼らの希望を折るには十分な効果を持っていた。
「しかし、怒っているか怒っていないかで言えば、怒っていると言っていいだろうね」
その言葉を聞いた瞬間、教室内の雰囲気が変わった。子どもたちだけではない、傍観者に徹していたリーゼロッテとティフォンまでもが目を剥かん勢いで驚いたのだ。
温厚という言葉がここまで似合う人間を、彼らは知らない。それほどエドワードは普段から全く怒らず、優しい好青年だった。
リーゼロッテとティフォンはふと、だいぶ前にテツヤが言っていた言葉を思い出す。
あれは確か、マートの四十三回目の誕生日だからとロリータが精霊たちのお願いして様々な食料や酒を奮発した夜のことだったか。
※ ※ ※
「そういえば、エドさんって全然怒ったりしないですよねー」
九人の中で唯一酒を飲めないテツヤがチビチビと桃のジュースを飲みながらそんなことを言う。
「そういやそうだな。あの狂った戦いの中で元々ちっとアレだったマートの爺さんや戦い慣れしてた俺はともかく、エロリアの嬢ちゃんやテツヤの坊主だってナマの感情を丸出しにしてたってのに、結局エドは最後までそういうことがなかったな」
ゼグバが酒をガブガブと呑みながらそんなことを言う。ちなみに、ゼグバにアレと評されたマートは先ほどから久方ぶりの飲酒制限解除に溺れており、自身への皮肉など左耳から入って右耳から抜け出ていく勢いである。
「ふん。そんなのあんたたちが未熟だからに決まっているでしょ? わたしのお兄ちゃんは常に余裕だから滅多に怒ったりはしないのよ」
「滅多に……のう。聞くがリーゼロッテよ、お主はマスターが憤っているところを見たことがあるのか?」
「…………」
沈黙。この場合は見たことがないと判断するべきなのだろう。少なくとも、その場にいた者たちはそう断じた。
「エドは怒らない人なの?」
「ん。怒らない人」
「わらわもマスターが怒ったところはついぞ見なかったからの。これも人族の貴族の嗜みというやつなのか?」
「少なくともわたくしはそんな話は聞いたことがありませんけれど……」
ティフォンの疑問に答えるのはこの場においてはエドワードと唯一同じ大陸で生まれ育ったエロリア。
桃髪美女である彼女は、グランゼ大陸の中でももっとも多くの情報が集うとされるアゼリア法国の実質的な頂点に君臨する大聖女なのだ。
彼女が知らないということは、『貴族たる者、常に余裕を持つべし』などという嗜みは存在しないと見ていいだろう。
「うーん、そんなことは考えたこともなかったけど……」
当のエドワードはそんな風に言いながらいつも通りマイペースに食を進める。
優男な見た目と違って意外と健啖家であるエドワードはよく食べ、よく飲む。もっとも、飲むのは果汁を絞ったジュースばかりで、滅多に酒を口にすることはないのだが。
「あれだ。エドは自分が最近いつキレたかとか覚えてないのか?」
「いつキレたか……か。申し訳ないけど、あまり思い当たらないかな」
ゼグバの言葉にそう返答するエドワード。するとテツヤがこんなことを言い出した。
「俺の国ではよくこう言われてるんですよ。普段怒らない人ほどいざ怒ると手がつけられなくなる。つまり怖いって」
「まぁ。ということは、エドワード様も怒られると恐ろしくなるのでしょうか?」
「………テツオの言うことは、いつも適当」
「グハッ!」
ロリータからなぜか唐突な口撃を受け沈むテツヤ、もといテツオ。
すると顎に手を当ててなにやら考えていたであろうエドワードがおもむろにその端正な口を開く。
「そうだね………自分自身が怒ったら怖いかどうかはわからないけれど。もしも私が怒るのだとしたら、その理由はきっと――――」
※ ※ ※
「おこ、ってる……ですか?」
リムが泣きそうになりながら聞く。彼女はクラスの中でももっともエドワードを慕っている生徒なのだ。
アレクにしてもそれは同じ。リムと違いエドワードとは同性であるため、異性的な憧れに比べればその気色は異なるが、それでも尊敬しているのである。
ゆえに怒られることはたまらなく悲しかった。怖いのではない、悲しいのだ。
「あぁ、怒っている。聞くけれど、なぜ君たちは昨日の晩、ご両親から隠れて危ないなか外に出たりしたのかな?」
「それ、は………」
「体育のとき、せんせーにはかてないけど、でもおれはつよくなったなっておもったから……」
アレクがそう言った瞬間、一瞬目を閉じてからふぅ、と静かにため息を吐いたエドワードの両手が小さな彼らの頭上に振り上げられ、そして――――。
※ ※ ※
「いたい!」
「うっ!」
げんこつされると思い両目をぎゅっと閉じて身構えていた二人に襲い掛かったのはげんこつではなく、デコピンであった。
おそるおそるといった様子で閉じられた目を開く二人の前に現れたのは、いつも通りの安心感を与える微笑を浮かべてエドワードせんせーだった。
「今回の件に関しては、もっと早くにしっかり注意しなかった私も悪かった。けれど、ただでさえ夜は危ないというのに、しかも賊が村へ押し寄せているなか自分の力を過信して外へ出た結果、君たちは村のみんなや何よりご両親に死ぬほどの心配をさせてしまった。だから、これはおしおきのデコピンだよ」
「あぅ………」
「うう………ただのデコピンなのに、いたい……」
予想外の痛みにうめく二人の子どもの身体を、次の瞬間大きな身体が覆い尽くす。リムとアレクの目が見開かれ、教室の後ろに待機していた二人の目がほとんど同時に細くなっていく。
「それでも、無事で良かったよ。もし二人のご両親が私に君たちの不在を伝えてくれなければ、きっと私は自分の不覚を一生後悔していたことだろう。二人は昨晩ご両親にこってり絞られていたみたいだからね、私からはこれ以上説教をするつもりも罰を与えるつもりはない。………無事でいてくれて、ありがとう」
二人を慈しむように抱き寄せたエドワードの言葉をようやく素直に飲み込めたのか、八才の少女と十才の少年はその場でおいおいと泣いた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃな二人を嫌がろうともせず、エドワードは抱擁を続け、二人は甘えるように自分の頭をこすりつける。
「こわかったの………こわかった。せんせーが、どっかいっちゃいそうな、きが……して」
「おれはちょっとでもせんせーの力になりたくて……ごめん、せんせー……」
「私はどこにも行ったりはしない。それでも……心配してくれてありがとう、私は大丈夫だよ、リム、アレク」
「「うわぁぁぁぁあぁあぁあぁああああん!!!」」
そのうち周りの子どもたちも二人に感化されたのか、賊の襲来の恐怖が蘇ったのか、続々と二人の元へと集まっていく。
三人は子どもたちに囲まれ、そのまま授業の終わりまで時間は緩やかに、優しく過ぎていった。




