プロローグⅡ
少女は生まれた時から唯一無二の“特別”だった。
少女は代々が教会の教皇、枢機卿、総大司教などの重役を担う由緒正しき聖職者の家系にて生を受けた。
少女がこの世界に生まれ出でた時、眩いほどの黄金の光が室内を奔ったという。
そんな前代未聞の生まれ方をしたがゆえに少女は時の枢機卿だった父、そして首座大司教だった母に大い期待された。
そして少女は、その期待に応えるように健やかに、美しく、高貴に、成長を重ねていった。
三才になる頃には、完璧に言葉を操るようになっていた。
五才になる頃には、ほとんどの学問を修めるようになっていた。
七才になる頃には、教会の上位位階の人間すら顔負けなくらいの神学の知識を身に付けていた。
そして彼女が九才―――グランゼ大陸でもっとも強い影響力を有していたエント聖教においてもっとも尊い数字であるとされる九才となった時、彼女は神の声を聞いた。
※ ※ ※
神の声を聞く。即ち、啓示の聖聴。人々は最初、その言葉を疑った。
たとえ枢機卿の娘であったとしても、たかだか齢九つになったばかりの少女が、未だ誰も成したことのない偉業を成し遂げたなど、簡単に信じられる話ではなかっただろう。
しかし、彼女はその日から、様々な奇跡を起こすことになる。
そのなかでも最たるものと言えば、少女が十一才の頃アゼリア法国―――エント聖教の教皇が代々統治する聖教国の各地が飢饉に見舞われた時に引き起こされた奇跡だろう。
少女の名声を絶対のものとし、今まで位階には存在しなかった『大聖女』設立のきっかけとなったもの。
少女は飢饉に苦しむ信者たちを相手に慰問を重ね、そして全ての村、街の慰問を終えたあと、古今類を見ない大奇跡を引き起こす。
アゼリア法国が飢饉に見舞われた理由は至極単純。ここ百年の間でももっとも大きな地震に見舞われたためだ。
その巨大地震は規模ゆえにアゼリア法国のみならず、大陸最強国であるマクスウェル王国を始めとするあらゆる国々へとその災禍をもたらした。
家々は粉砕し、大陸を囲む海は牙をむき、神の怒りに等しい大津波は容赦なく人々の命を蹂躙していった。
しかし、その悲劇は唐突に終わりを告げる。アゼリア法国の首都・エントノワールの象徴にしてエント聖教の象徴的建築物でもあるエントノワール神殿のテラスに現れた少女は荘厳にして高貴たる黄金の光を背にまといながら右手を天へと高くかざす。
その瞬間に彼女の背に顕現していた黄金の光が天高く昇り、ついでアゼリア法国中に散っていった。
呆気に取られる聖職者、信者たちが我に返ったのは、それからしばらくしてアゼリア法国各地の大地震の爪あとが跡形もなく消え去り、さらにはこの大災害で命を落とした全ての人々が黄金の光の中から眠った状態で現れたという事実が発布されてからだった。
こうして少女、否――――エント聖教史上最大最高の大聖女はその名声をアゼリア法国、グランゼ大陸内のみならず、遥か南に存在するアウギ大陸にまで知れ渡ることとなったのだ。
※ ※ ※
信じるというのは、何なのか。
神とは一体、何であったのか。
年月が経て少女から美女へと変化した彼女は、決して人の入り込める領域ではなかった世界の中心に存在する大陸に降り立ち、しばしばそう夢想する。
神を名乗っていたあの青年の声は、自分が何度も耳にした神の声とは違っていた。
しかし、彼は言ったのだ。自分こそが世界に祭られし最高神エント=アルマーである、と。
そして、彼は言ったのだ。最後の一人になるまで、存分に殺し合え、と。
それは、彼女にとっては抗うことを許されぬ啓示だった。
しかし、それはみだりに命を奪うこと、争うことを禁じられていた聖職者として許すことのできぬ啓示だった。
理想と現実のなかで揺れ動く彼女は、運命のいたずらか。計らずもそこで初めて俗世から完全に離れた大聖女ではなく、れっきとした一人の女としての個を獲得した。聖女としてではなく、一人の人として、自分で考え行動するということを初めて体験した。
※ ※ ※
今も時々、自身の判断が正しかったのかどうか、悩むときがある。
しかし、全ては過ぎたことなのだ。過去を省みるのは悪いことではないが、悔やみすぎるのは過去を懸命に生きた自分自身への冒涜に他ならない。
彼女は人間としての個を得てからメキメキと精神の中での人間性の比重を増やし、代わりに老若男女誰が見てもひと目でひれ伏したくなるほどの絶対的な神聖性を失った。そしてそれと同時に彼女はかつてはまるで恐ろしくなかった死という概念―――個の消失が、恐ろしくなっていた。
大聖女と呼ばれた彼女は、瞬く間に弱くなった。聖女ならばこうする、と思考停止したように振る舞う彼女は消え、自分はこうしたい、こう考えると思考するようになった彼女が現れた。
だが、それを悔やんだことはない。新天地となったそこには、自分のことを『大聖女様』と呼び、讃え、畏れ、敬い、また奉るような信者はいない。
そこにいるのは、自分のことをしっかりと名前で呼び、一緒に笑い、あるいは怒り、あるいは楽しんでくれる―――自分のことをしっかりと見てくれる人しかいない。
未だに慣れないことだらけだが、それでも彼女は、今を懸命に生きている。




