第十一話 超常たる幻支結界
「純白の魔色………俺、またあんなのが復活したなんて事実を突きつけられたら卒倒しながら気絶する自信ありますけど」
かつての死闘を思い出して自身の両肩を抱きながらブルリと震えるテツヤ。
たった一年前の出来事だというのに、あんなにも大きな出来事だというのに。
テツヤはなぜかその時の戦いの記憶を精細には思い出せなかった。
最後の戦いは、最高神エント=アルマーの洗脳波動が延々と発せられていたために、記憶にほんの小さな齟齬が発生してしまうのだろう、とエドワードが言っていたのを覚えている。
しかし、そんな曖昧な記憶でもなお、一つだけ鮮烈に刻み込まれた記憶がある。それこそが、最高神を名乗った存在のデタラメすぎた力だった。
「チッ……未だにあの戦いのことはハッキリと思い出せねえんだよなぁ……ま、今までにないぐらい楽しかったのは覚えてるけどよ」
「わしもできるならもう十合は斬り合いたかったと思っておるよ。アレは剣も魔法も規格の外をいっておる腕じゃった」
「二度とごめんよ。あの戦いでお兄ちゃんがどれだけの傷を負ったのかわかってるの?」
「へ? エドさん怪我なんてしましたっけ?」
「どうだったかな? まぁ、さすがに完全に無傷とまではいかなかったと思うけどね」
各々の認識に食い違いこそ見られるが、やはり最高神エント=アルマーがいかに圧倒的であったのかだけは共通認識として存在している。
だからこそ、あの神以外持ちえるはずのなかった純白の魔色は捨て置けない。
「私が相手をしたフードの彼は純白の魔色はおろか魔法自体を行使しなかったが、疑うまでもなく彼もクロ、いやこの場合は―――マッシロと言うべきかな? なのだろうね」
「結局平穏が保たれたのはマスターの言った通りぴったり一年だけ……まったく、忙しないのう」
「ちょ、ちょっと待って! それってつまり、これからも定期的にこの村が襲われるってことなんじゃないの!?」
今までついていけない会話が目の前で展開していたことにより思考が停止しボーっとしていたヴィタエ村の村長セレーナが再起動され、九人と自分、計十人が囲む長テーブルをバンと叩きながら抗議する。
それが本当なのであれば捨て置けないなんてレベルではない。一度二度ならばともかく、何度も来られればいずれ村への被害は目も当てられなくなるのが自明だからだ。
しかし、一行の中心人物である青年はいつも通りの笑みを崩さず、言った。
「いえ、対策は万全ですよ。まだ一週間前に完成したばかりで満足なテストは行えていなかったけど、それでも最低限の動作確認は完了できた。みんな、これを受け取ってもらえるかい?」
そう言ってエドワードがテーブルの中心に手を添えると、部屋の中を一瞬だけ眩い閃光がほとばしり、その光が収まったのち、彼が手を添えた場所には九個のネックレスが置かれていた。
「わぁ……綺麗だね!」
「ん……」
「本当に……わたくしは今まで、ここまで美しい細工の施された首飾りを見たことがありません……」
ゴシックとロリータ、エロリアがぽーっとした目でテーブルの中心に置かれたネックレスを見る。
他のみんなもそれぞれ目を見張っている。あまり見張っていないのは元々そういった金細工に対し興味の薄いゼグバとマートぐらいだろう。
しかし、そんな彼らですらひと目見た瞬間だけはその目を大きく見開いていた。それほどまでに素晴らしい出来なのだ。王族に献上すれば、どんな高価な宝石すらかすむほど喜ばれるくらいには。
「お兄ちゃん、これは?」
いち早くショック状態から正気へと戻ったリーゼロッテが問うと、セレーナも含めた一同の視線が一斉にエドワードへと集まる。
そんな視線に対して若干の居心地の悪さのようなものを感じながらも、エドワードは少しだけ真剣みを帯びた声で答える。
「〈超常たる幻支結界〉と呼ばれる古代遺物……アーティファクトを私なりに改良したものだよ。効果は―――ティフォン、わかるかい?」
九人の中でもそういった造詣が特に深いティフォンに対し、エドワードが少しだけ人の悪い挑戦的な笑みを浮かべながら問うと、呆れたような表情のままため息を吐き、自身の長い灼髪をおもむろに手で払ってから幼女はそれに応える。
「一つ訂正するとすれば、これが活躍したのは今より数千年前の古代ではない……エメト=ギアの原初、元始の時代―――今から一万年以上も前、神代において神々が用いていた鑑定不能級の神具であるということぐらいか。よもや、あの時代の魔法技術などほとんど影も形も残っていないはずの現代において眉唾な神話だけを頼りにこんなものを創り上げようとは、相変わらずお主は底知れぬな、マスターよ」
そんなことを言いながらも、瞳の内には深い敬愛の思念が渦巻いている。そのまま、ティフォンは言葉を続けた。
「〈超常たる幻支結界〉の効果は単純じゃ。自分たちの帰る場所、自分たちが生きる場所、つまりは拠点、その防衛を究極まで突き詰めたものこそが、この神具。
複数の存在が支柱となる媒体―――この場合はそこにあるネックレスじゃな、それを身に付け、決められた呪文を唱えることによって魔法契約が結ばれ、発動する仕組みとなっておる。
一度発動すれば、以後は発動者全員が集って魔法契約自体を破棄するか、もしくは発動者全員が死ぬまで絶対に解除されぬ究極の守り。この世界の始まりに君臨していた神々ですら複数に魔力源を分かたなければ維持すら儘ならなかったとされておるほどの燃費が玉に瑕じゃがの」
「ええっと……なんか説明が仰々しすぎてイマイチ要領を得ないんですけど……」
「つまり、一度発動してしまえば魔法契約によって指定された地点を完全隔離してしまえるということさ。この場合で言えば、それはヴィタエ村ということになるね。
これが私の一年の成果。もちろん、消費魔力は極限まで抑えてあるから、戦闘はおろか日常生活にだって支障が出ないことを約束できる」
「その分あたしがたくさん魔力使うからね~!」
「………適材適所」
神話に語られる神々すら上回るほどの魔力量―――世界が続く限り決して枯渇しないとすらされたゴシックの存在と、エメト=ギア史上最高の鬼才エドワード、そして結界の守り手に相応しい英雄たちがいて初めて効果を発揮する神具。
それこそがエドワードが一年かけて完成させた神代神具、〈超常たる幻支結界〉だった。
「つまり、それが上手く機能したら、もううちの村は襲われないってことになるのかしら?」
「はい。発動した瞬間にヴィタエ村とその周辺地域だけがこの世界と次元を異にするので、間違いなくそうなります。
例外は結界の守り手――――つまり、私たちだけ。ゆえに、今後もしも襲撃に見舞われても、敵の攻撃は身体をすり抜け、あらゆる害意すら受け付けない。いわゆる無敵、というやつですね。
今回セレーナさんをここへ招いたのは、このことを村の皆さんに伝えて頂きたいからです」
エドワードがセレーナにそう言うと、彼女は思わず首をかしげた。
「それは別に構わないわ。今さらあなたたちが虚言を弄するとは思ってないし、その結界っていうのも途方もない話なんだけど信じる。けれど、こういうのを伝えるならそれこそ授業の時にでも伝えればいいんじゃない?」
村立ヴィタエ学園の授業にはバラつきこそあれど、ヴィタエ村の村人ならば誰もが一度は足を運ぶほどの出席率を誇る。
それを利用するのが手っ取り早いのではないかというセレーナの当然の疑問は、しかしエドワードによって否定される。
「それは、残念ながらできません。昨晩の彼らは遠くないうちにまたここへとやって来るでしょう。その時、また同じように勝利できるかはわからないのです。
今まではこれを造るくらいしかすることがなかったので両立も容易かったのですが、相手がもし一年前に戦った面々と同等、それ以上だとすればこちらも相応の準備をしなければならないのです。
ゆえに、しばらく授業は休止しなければなりませんので、この村の村長であるセレーナさんに村人の方々への周知のお願いをしたいのですよ」
「あん? 俺は別にあんな連中相手なら働いてるところを急に襲われるようなことになっても難なくぶっ飛ばせると思うんだが、エドはそうは思ってないってことか?」
エドワードの言葉に反応したのはゼグバ・ローダー。歴戦の猛者さながらの体躯を持つ偉丈夫の姿を見れば、確かに寝ている時に襲われても竜すら返り討ちにしそうな風格はある。
「あぁ。少なくとも私が彼らの仲間だとすれば、戦力の逐次投入なんて愚策は犯さない。昨晩の襲撃が個人の独断による暴走だったからこそ何とかなったけど、恐らく彼らは今頃どうやってここを攻めるかの策を練っていると思うんだ。
次の戦いはおそらく――――総力戦になる。私たちの手の内は前回のハートレス戦役時に晒されてしまっているけれど、彼らのそれはまだ謎に包まれているからね。私が彼らならあらためて九人の戦力を分析し、適切な相手をぶつけるよう仕向ける。彼らは私たちのことを知っている、しかし私たちは彼らの力をロクに知らない。全くもって彼らにとっては有利な状況も、しかしこうして邂逅を果たした以上いつまで続くかはわからないだろうからね。―――私なら確実に、ここで勝負を決めに行く」
「ボスキャラがいきなり徒党を組んで突撃ですか……確かに、様子見を繰り返して俺たちに対策立てられるよりはそっちの方がいいっていうのもわかりますけど。俺たちの手の内がバレてるっていうのはエドさんの中では確定事項なんてすか?」
「そうだね。ティフォンが相手をしてマサキ・ヒダカという人物の裏に最高神エント=アルマーか、それに連なる何者かがいるのだとすれば、ハートレス戦役の内容なんてそれこそ伝え放題だろうから。
私が相手をした人物も、私がアナイアレイトを展開しただけでピッタリと名前を当ててきていた。どの程度知られているかは別にしても、私たち九人を知っているということは確定と見ていいだろう。
事前に私たちの情報を知って、自分たちの力をもってすれば勝てるとタカをくくって攻めてきたのが昨晩なのだろう。それが弾き返されたのなら、次は慢心なしの総力戦、殲滅戦になるのは道理だと思わないかい?」
エドワードの言葉が、無音になったリビングスペースの中に響き渡る。
無、無、無。誰もが口を閉ざし、思考する。脳裏に思い浮かぶのは、昨晩のことではない。ハートレス戦役のことだ。
前回の戦いで、エドワードたちは最高神を打倒せしめた。しかし、最高神たるエント=アルマーはしきりに、自分の上に何者かがいることを仄めかしていたのだ。
もしその何者かが動いているのだとすれば、今回の戦いは前回以上に厳しいものになる。そんな考えが、全員の頭をよぎる。
自分たちは今、生きている。しかし、前戦役において自分たち以外のハートレス―――五人のハートレスは消滅しているのだ。
前回とは全く条件が違うとはいえ、最終到達地点は同じ。人間とは本質の異なる上位存在………神を相手にするというのは、生半可な気持ちで覚悟できるものではない。
だからこそ、九人は一様に無言を貫き、そして――――。
※ ※ ※
「飾り物なんざ趣味じゃねえんだがな」
テーブル中央へと手が伸びる。一番初めに九個全てに同じ意匠がこらされた赤い宝石のネックレスをその手に掴んだのは、ゼグバだった。
「構いやしねえよ。どんなに厳しい戦いだろうが、戦いである以上は勝つのが勇者サマってもんだろうが」
『絶対勇者』ゼグバ・ローダーはそう言いながら守り手のネックレスを身に付ける。
「はぁ………わかりました、わかりましたよ。ここまで来たら俺も腹をくくります。出身がどうもかぶってるっぽいマサキっていう人のことも気になりますし」
テーブル中央へと再び手が伸ばされる。テツヤ・ナナセがため息をつきながらも守り手のネックレスを首へとくくる。
「あたしだって頑張るもん!」
「………最後まで、お姉ちゃんとエドに、ついて行く」
三つ目、四つ目のネックレスを少女らしい白くか細い手がさらう。エンシェント・ハイエルフのゴシックとロリータの瞳に迷いはない。
「やれやれ……全く。お主らと共におると平穏という言葉がどこかへ逃げていく気がするのう」
「わしの手に再び剣が握られるか………それもまた良し」
五つ目、六つ目のネックレスがテーブルの上から姿を消す。ティフォンと『剣鬼』マートが戦場へと進む覚悟を決める。
「これもまた、試練なのでしょうか。わたくしの求める答えが、この先にあるというのなら……」
「お兄ちゃんの行くところにわたしあり。わたしが守ってあげないとお兄ちゃんはいっつも危なっかしいからね」
七つ目、八つ目のネックレスが『大聖女』エロリア・ネイキッドと『魔王』リーゼロッテ・ファンタズムの手の内へと渡り、最後には一つのネックレスが残される。
「ありがとう、みんな。これで彼らの標的は私たちだけとなった。彼らにとってこの村は人質の価値のあるものだけど、着手するためには私たち全員を倒さねばならないのだからね。この村以外にしがらみのない私たちを打倒するのに、彼らはもう搦め手を使う方法がなくなったということになる。
願わくば今回の戦いで全ての因縁が断たれんことを……というのは、少し贅沢すぎるかもしれないけれど。
それでも私たちなら不可能ではないだろう。一度神を破ったのなら、二度三度と破れない道理はないのだから。
もう一度始めよう。私たちが生きるために、生き抜くために」
九つ目のネックレスを『万才』エドワード・フェデル・フォン・グラシアが手に取ったこの瞬間、再び運命の歯車はその運動を再開する。
――――それは、時代を彩った英雄たちの競演、あるいは狂宴。
人類を牽引し、時代を牽引し、あらゆる苦難、困難を打ち破ってきた英雄たちは、目の前に立ち塞がった試練を前に剣を取る。
それは、両眼と心臓を奪われ、偽りのそれを埋め込まれた五人のハートレスと、過去にその名を刻み、あるいは埋没した過去から降臨したエドワードに従う四人の使い魔が織り成す物語。
――――ハートレス・サガが、これより始まる。
※ ※ ※
『我が身は郷を守護する盾となり、我が魂は郷を庇保せし楔となる。
ただ一度の契りによりて、三魂と七魄が尽き果てるその時まで、かの郷を庇護せんことをここに誓う。
告げん――――開かれしは神々の王の定めし理想郷。我が意に従い、真なる理をここに示せ――――〈超常たる幻支結界〉』




