第八話 緒戦
「なるほどのう」
重厚感あふれる大斧からなる嵐のような乱撃を素手で軽々と捌きながら、ティフォンは計らずも自らのマスターと同じようにふむ、と呟いた。
一方、まだ複数用意してある切り札は切っていないものの、想定していた以上の強さを見せる『九人の神敵』の強さに、黒髪金眼の青年は再び舌打ちする。
「チッ! 気に入らねえ。オレの攻撃はテメエからすりゃ集中するまでもなく考え半分で素手で捌ける程度ってか?」
「そういうことじゃ、成り損ないのハートレスよ。どこぞの神にそそのかされたかは知らぬが、少しでも生を長らえたくば我らを狙うことはやめておけ。命がいくつあっても――――」
今までずっと防戦に徹していたティフォンの瞳が一瞬だけ、さらに赤く、紅く光る。
青年はその瞳と目を合わせた瞬間、言葉では説明できない寒気を感じ、反射的に彼女から距離を取った。
しかし、その判断は、後退速度は、かの攻撃をかわすにはあまりにも遅すぎた。
「――――足りぬぞ?」
詠唱も魔法名も口にしていないというのに、鮮やかな真紅色の魔力を全身に纏うティフォンの右手の人差し指から、凄まじい熱量を伴った絶対破壊の赤い光線が放たれる。
青年は全身に肉体強化のエンチャントを施しているからか、機敏な動きでティフォンの光線の範囲外へと逃れようとしたが、それは叶わない。
「詠唱も何もしてねえ魔法がここまで凶悪な追尾かよッ!」
滅茶苦茶なんて言葉では形容できない性能を持った光線。そして、真に恐ろしきはハートレスでないにも関わらずハートレスとなったはずの自分を歯牙にも欠けない紅き童女のその実力。
こちらもまだ本気のほの字も出してはいないが、そんなことは向こうも同じだろう。元々はいずれ葬る九人の偵察を兼ねたこの襲撃だったが、ここにきて青年は自身の浅慮を悔やんだ。
「そら、光線速度を倍にするぞ。死ぬ気で逃げよ。殺す気で追うがの」
戦いに慣れるため、仲間内での模擬戦は何度もこなした。
しかし、初めての本格的な戦闘の相手がラスボスじみた恐ろしい幼女。青年は心中で自分と自分について来た二人の男が共謀した手練れの山賊団を使ってのこの夜襲に最後まで反対していた少女の言葉を少しは聞いておけばよかったと悔やみながら、生き残るために一枚目の手札を切る。
「いつまでも調子に………乗んじゃねぇぇぇぇえええええええ!!!」
両手を横に広げ、全身から禍々しい黒い魔力を放つ青年。彼の周囲に発生した魔力フィールドが、ティフォンの赤い光線を遮断する。
ほう、と感心したような声を上げたティフォンは、目を細めて男の発する魔力の解析を開始する。
「なるほどのう。少しじゃが、あの神と同じ性質を持っておるか。なれば、わらわの魔力が弾かれるのも道理よな」
「これでテメエの魔法は怖くねえ。さぁ、反撃開始と行くぜ!」
「その力を正しく扱えばこの場から逃げるのも無理ではないはずじゃが、この期に及んで撤退の道を選ばんか。よほど死に急ぎたいようじゃの、小僧」
先ほどまでの焦りを忘れてしまったのか、あるいは初めて使った切り札の威力に、自らの圧倒的な力に酔いしれているのか。
黒い魔力でできたオーラを身に纏う青年は好戦的な笑みを浮かべ、先ほどまで勝ち目の見えなかった相手へ黒く染まった大斧を片手に一気呵成に突進する。
そんな青年を呆れた目で見たティフォンは、問題外と言わんばかりに口を開いた。
「まるで初めて強い力を手にして自らを絶対強者だと勘違いしてしまった哀れな童よな。よい。遥か古代を生きた先達として、世の理を示してやる」
そう言って先ほどの魔力が塵に見えるほど膨大な魔力を解放するティフォンに、しかし青年は怯まない。
青年もさらに巨大な黒色の魔力を解放し、それに応じる。青年により強い魔力を放たせること、それこそがティフォンの狙いとも知らずに。
「マサキ・ヒダカの名の下に命ず! あの女をブッ散らせ!!!」
「井の中しか知らぬ哀れな道化よ、ここで散れ」
ティフォンの放つ紅色の魔力を超える黒色魔力を纏った大斧の一撃が衝撃破となってティフォンへと迫る。しかし、それはティフォンに届くことなく、急に進路を変える。
そしてティフォンの紅色の魔力を取り込み、元の威力に相乗されておぞましい威力へと変化した青年―――マサキ・ヒダカの一撃は、放った張本人であるはずのマサキの元へと戻ってきた。
「なッ………!?」
「―――しばし眠れ。案ずるな、運が良ければ四肢の一つは残ろうよ」
そして、赤黒い力の奔流が、無慈悲にもマサキ・ヒダカの身体を包み込んだ。
※ ※ ※
「向こうは派手にやっているみたいだけど、君はそういうのは苦手そうだね」
一体どんな原理なのか。いつの間にか先ほど負った傷が完治し、さらに自らの血によって赤黒く染まっていたはずの衣服までもが完全に元に戻っていたエドワードが未だ言葉を発さずに対峙する黒フードの男へ語りかける。
その顔はいつも通りに微笑んでおり、いつも通りに優しげであり。そして、そんなエドワードのいつも通りの表情は、場に全くそぐっていない。黒フードの男にとっては、状況に似合わぬ表情を浮かべる目の前に立つ男がこの上なく不気味に感じられていた。
「…………俺は、今まで自分の頭で理解できぬ存在というのを、見たことがなかったが」
やがて、重い口を開いた男は、暗く小さな声ではあったが思った以上に饒舌で。
「…………お前は、まるでわからない。お前のその眼には、一体何が映っている?」
そして、その言葉は計らずもエドワードからわずかに、ほんのわずかに、小さな動揺を引き出した。
しかし、エドワードは一瞬だけ驚いた顔を作ると、またすぐに元に戻って言葉を重ねる。
「なんてことはないさ。私の目には、常に正着しか映らない。しかし、君は私と問答しに来たのかい? てっきりリーゼロッテたちが去ったあとすぐに仕掛けてくるとばかり思っていたんだが。ほら、私は君のような人間から見れば、さぞや隙だらけだったことだろう?」
そう言って笑いながら両手を広げ、武装も何もない状態であることをアピールするエドワード。しかし、それでも男は油断しない。
「うそぶくな。お前には、まるで隙がない。少なくとも、俺には見出すことができない。人なき影から打って出ることしか能のない俺を、影へと潜ませる気すら持たぬお前の眼が、今まで戦いの始まりを告げさせなかっただけに過ぎない」
初めて出会ったはずなのに。最初のふいの一撃で自分の性質を理解したのか。あるいは、単に未知の敵に対して注意深いだけなのか。
エドワードの眼は、黒フードの男から動かない。おそらく、男が一瞬の隙を突いて万人の目から離れ闇にまぎれても、あるいは天高く跳んでも、今は失伝しているとされる伝説の転移魔法を使ったとしても、彼の飄々と輝く金色の眼から逃れることはできないだろう。
自分と同じ金色の瞳とは思えないほどの優しさを宿した眼は、全てを映し、あるいは全てを映していない。男は、そう感じずにはいられなかった。
「そうか。ならそんな底知れない相手である私と戦うことを諦め、降参するというのはどうだろう? 素直に投降するなら、決して悪いようにはしないけれど」
そんな会話の最中、一瞬にも満たぬ刹那。ついに開戦の幕を上げるチャンスを見出した男の手から必殺の一撃が放たれる。
エドワードの言葉が彼の口から発されるのと同時に、彼の背後からおびただしいほどの無数のナイフが出現する。
出現位置全てが人には決して知覚することの叶わない死角。まさしく針に糸を通すような絶妙な神業にて、エドワードを殺そうと闇夜に銀が躍る。
人が人であるならば察知することのできぬ領域から、命を穿つためだけに放たれた無数の聖銀の投剣は、正確無比な狙いをもってエドワードへと迫っていく。
「――――なるほど、君はよほど優れた暗殺者なのだろうね」
そう小さく呟いたエドワード。その身は未だ、血塗られてはいない。
そう、届かない。並みの人間はおろか、自らの死角を自覚できる達人と呼ばれる領域の人間でさえその反応を許さない黒フードの男の英雄殺しの奇襲撃は、二十を下らない数のナイフをあらゆる方向から放たれた謎の光線で撃ち落とされることで防がれる。
「………その武装。そしてその容姿。間違いない。お前は――――」
黒フードの男の耳に、聞き慣れない小さな音が入り込む。―――――それは、何かが宙に浮いている浮遊音。
―――――そして、それは一つだけではない。
無数の浮遊音が、エドワードの元を離れると、瞬く間に黒フードの男を包囲する。そのあまりの速さは常人の知覚を許さないが、黒フードの男は今まで歩んできた道の仄暗さゆえか、かろうじてそれらの物体の動きが追えた。
限りなく透明に近い物体なのか、黒フードの男ほどの使い手ですら必死になって五感を凝らさなければ認識すら許されぬ無影の刺客。その正体が何なのかを、黒フードの男はあらかじめ聞かされたことにより知っていた。
「私はどうにも、あまり運動に向いていないようだからね。こういう小細工でもしないと、君のようなその身一つで戦場を渡り歩けてしまうような強者とは戦えないのさ」
「目に見えぬ無数の刺客。主の思考とリンクして強力な魔力光線を放ち敵を殲滅する半自立型オールレンジアサルトウェポン――――《アナイアレイト》。
かつて十人いたハートレスの一人。危険度Sランクオーバー。『万才』のエドワード・フェデル・フォン・グラシアか――――!」
自分にとって、自分たちにとって。何よりも優先して討たなければならない、そして同時にもっとも警戒しなければならない敵の首魁。
ハートレス戦役において常に優位に立ち回り、いくつものイレギュラーな事態を起こして異例の五人生還というエンディングを演出したエメト=ギア史上でも稀に見る大天才。
本来であれば単身での交戦は絶対に避け、交戦してしまったなら即座に撤退を選択してしかるべき相手。
しかし、と黒フードの男は考える。確かにエドワードという男は危険だが、それは彼の下に集う四人の凶悪な使い魔がいてのことだと黒フードの男は聞かされていた。
真偽はわからないが、見た限り、確かにエドワードは自称する通りあまり運動能力が高いとは思えない。無論、それでも一般的な人間よりは数段上の能力なのだが、黒フードの男にとっては警戒するに値しないレベルなのだ。
四人の使い魔がマスターたるエドワードを守るように立ち回り、エドワードが四人を巧みに指揮しながらアナイアレイトを用いて敵を確固撃破するというのがハートレス戦役における基本戦術だったのならば、今の状況はこの上なく黒フードの男にとって優位であることは疑いようもない。
そう、今、エドワードは一人なのだ。確かに厄介な兵器は存在するが、それも黒フードの男からすれば警戒さえ怠らなければ致命的とは言い得ないレベル。
多少どころではない大きなリスクは存在するが、元よりリスクを負わなければ倒すことの叶わぬ存在、その中でも抜群に危険な人間が相手ならば、リスクを負って然るべきなのが今なのだろう。
そして、男は決意する。
「あはは………さすがに、これぐらいじゃ撤退してはくれないか。しかし、相当な腕前を持つ君を相手に戦闘は専門外である私がいつまでもつやら………さて、困ったね。助けが来るまで、とりあえず生き残ることに専念しようかな」
――――この場で余計な邪魔が入る前に、速攻にてこの男を始末する。それが、黒フードの男が考えた、彼にとっての今現在における最善だった。




