5話:アルバイト、決まる。
由愛さんのあとを、俺、姉ちゃんと続いて歩く。
ふむ。こうして由愛さんの背中を見ていると、どこかのちびっこ探検隊の隊長みたいに思えてくる。……あ、そう見える理由は察してください。
なんか、和むなぁ。
「草太」
「ん? なに姉ちゃん?」
「……変態ロリ野郎」
背後からいきなり罵声を浴びせられた!
姉ちゃんはなぜか真顔でジト目だった。
「なっ、言いがかりだ! それに由愛さんは合法だっ!」
「え? 私がなんて?」
「ああ! いえ、なんでもないです! すんません!」
あ、あぶねぇあぶねぇ……。思わずエラいことを叫びそうになった。というかちょっと叫んだ。
乙葉家での失態もあるし、これ以上失言すれば由愛さんの対俺評価はダダ下がっちまう。
(おいコラ姉ちゃん。いきなりなに言い出すんだよ)
(バーカバーカあーほー)
……うん、話しになりませんでした。
それに今日はやけに俺の心の隙間に入り込んでくるなぁ……もちろん悪い意味で。
ただ、姉ちゃんがいきなり意味難解な言動をするのは今に始まったことではないので、ここではスルーしておきましょう。
そんなこんなで、我ら『由愛さん探検隊』はだだっ広い畑を練り歩いていく。
全体的になだらかな斜面。
そこを横切るように、車一台分ほどの畑道が幾筋か通っている。
上段の道と下段の道に挟まれるように雑草のよく生えたスペースがあり、そこに俺の身長の二倍強くらいだろうか……わりと背の低い木々が等間隔に植わっている。
木の幹を中心に横に広がるように伸びた枝は、新緑の葉っぱを着飾っていた。
「この木って、やけに白いよね?」
樹の幹に手を添えながら姉ちゃんが疑問をこぼす。
あ、俺もそれ思った。
それにいつしか正常モードに戻ってんな姉ちゃん。
「うん、これは【剥皮】っていって、樹の一番外の皮……『粗皮』をわざと削ってるんよ。樹の皮の下には隠れた病害虫がいっぱいいるから、それを退治する目的でね」
「あ、そっか。害虫の対策も重要だもんね」
「でも、これだけ沢山の樹をやるとなるとかなり大変そうですよね」
「まあね。剥くのは高圧洗浄機でジャジャジャっとするだけなんやけど、樹の本数が本数やからねぇ」
「なるほど……」
高圧洗浄機ってそんな使い道もあったのか。てっきりノコギリとか鉈でするのかと思ってた。
それでも、この広い畑での作業だ。けして楽ではないんだろうな。
「でも、この作業は叔父……農主さんだけでしてくれるから。弟くんにお願いしたい仕事は、主に五、六月の【摘蕾作業】と、九月の半ばから十一月終わり頃までの【収穫作業】……この二つの時期なんよ。その時はどうしても人手が足らんくて……」
つまりはこうだ。
今回は毎日フルタイムではなく、由愛さんが挙げた二つの繁忙期のみのバイトの募集。
そしてさらに、俺の大学や就活のスケジュールの空いた時だけでいいとのこと。
この話を聞いただけでも、かなり融通の利く内容だ。
それに……。
「どうやろう。お願いできるかな……?」と由愛さん。
「わかりました。やりませう」と即答の俺。
ふぅ……。
そんな飼い主の帰りを待つ小犬のような顔で頼まれても。こちとら断れませんぜ、まったく。
ということで、俺の『乙葉おれんじふぁーむ』でのバイトはあっさりと決定したのだった。
今まで就活であぶれていた……むしろ自らそうしてきたような俺だけど、こうして働き口が見つかったことは純粋に嬉しい気持ちだった。
思わず気持ちが溢れてしまいそうだ。
ええいかまわん、叫んじまえ!
「よーし、ガンガンやるぞー! みかんもいっぱい穫るぞー!」
「え? みかんって?」
やる気に満ち満ちている俺の叫びに、由愛さんがきょとんと首を傾げていた。
あ、あれ……?
なんか俺、間違ったかな?
一度叫んでしまった手前、この微妙な空気はすごく恥ずかしいよ?
「もしかして……『"おれんじ"ふぁーむ』やからかな?」
はいそうです。
すると俺のすぐうしろで吹き出す音が聞こえた。
「ぷはっ、草太、今までみかん畑だと思ってたのか!」
「あ、あはは……。ここ、みかん畑じゃなくて、柿畑なんよ」
「へ? ……カキ?」
……柿、とな?
おれんじの名を掲げているのに?
「樹自体ぜんぜん違うんだけど……そうだな。果樹のことなんてわからないだろうし、仕方ないな」
「えと、改めて言わせてもらうと……弟くんには、柿の管理と収穫のお手伝いをしてもらいたいのですよ……。ご、ごめんねぇ、紛らわしい名前で」
「いえいえ! なかなかユーモアがあってよろしいかと思います!」
ま、まぁどのみち農作業なんて初めてだから、実がなんでも関係ないんだけどね! ちょっと俺が恥ずかしい思いをした、ただそれだけのことさ。
てか、柿畑で『おれんじふぁーむ』とは。さてはあのおっさんだな……。こんなトリックみたいな名前つけたのは。
「そういえば、なんでここは『おれんじふぁーむ』なんだ?」
「ああ、それは……小さい頃の私が"おれんじ"を好きでね。その時に思いついた名前がそのまま農園名になっちゃって……」
「そうなのか。じゃあ、この農園の命名者は由愛なんだぁ」
「へへへ……うん、まぁね」
「……」
さすが由愛さん! 乙女心とセンス溢れる良い名前ですぜ!
……。
一通りの説明を終え、元の場所に戻ってきた。
広いし、斜面だし、一周歩いただけで予想以上に足が疲れた。
「じゃあ今日は以上かな。初出勤は今月の終わり頃やけど、これからどうぞよろしくね、はなくん」
「はい、こちらこそ……え? はなくん?」
「うん。はなちゃんの弟くんやから、はなくん。え……い、嫌かな?」
「い、いえいえとんでもないっす! はなくん! サイコーっす!」
……はなくん、か。
初めて呼ばれたあだ名に少し驚いたけど、これは由愛さんだけの呼び方。特別な呼び名って感じでいいかもしれない。
え? 姉ちゃんの『はなちゃん』を弄っただけの安易なあだ名だって?
バーローおめぇ! 俺が良ければそれでいいのっ!
細かいことを気にしないのが俺、塙山草太の生き様なのっ!
というわけで、俺のバイト開始は今月……四月の終わり頃からのスタートと決まり、今回はこれでお開きとなった。
「じゃ、先車エンジンかけてくるな」
「おう。……あ」
畑に残る由愛さんとはその場で別れて、その帰り際。
もう少しで車へ辿り着こうかというところで、俺の目は農主さんを認めた。
農機具を少し進めては止め、そこで乗っている袋の中身を撒く。その作業を繰り返していた。
袋の正体はどうやら肥料らしい。袋の表面に『有機配合肥料 20kg』と書かれていた。その数ももうすでに荷台に二、三を残すのみだった。
最初は山積みだったのに、俺たちが話してる小一時間のあいだにほぼぜんぶ撒いたのか、一人で。……すげぇな。
「……ん」
「あ……ど、ども、これからお世話になります」
ふと目が合ったので軽く頭を下げる。も、農主さんはなにもなかったかのように農機具を弄り続ける。
うぐ、無視しよったぜ……。
忙しい時期の期間限定だけど、これからこの人と一緒に作業するんだよな……。
一抹の不安が脳裏をよぎる。
でも、大丈夫だ。
このおっさんこそ厄介そうだが、ここには由愛さんという心のオアシスがいるのだ。
彼女とこれから一緒に作業できる……そう思うだけで俺はやっていけそうな気がする。
「よっし」
なんとか気を取り直し車の助手席に乗り込む。ドアを閉めようとしたところでひときわ強い風が吹く。
「……サボりと遅刻だけはすんなよ」
それと同時に、低く掠れた声が鼓膜に響いた。
思わず顔をあげると、その先では相変わらずおっさんが作業している。
……。
うん……。
なんだ。
俺はこれからここで、案外上手くやっていけるかもしれない。
山からの吹き下ろしの風。
強くも爽やかな風を浴びながら、俺はしばらくそんな根拠もない気持ちを弄んでいた。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました!
次回から【春のめつみ篇】に入っていきます。