6話:こわい病気。
「こ、これは……」
凸凹の登り坂を越え、山林の中を数分走り、ようやく辿り着いた『崖畑』。
そこで待っていたのは、静寂。
そして、甘くもアルコールに似た強いニオイ……熟し柿のニオイだった。
入口から長い坂を下る。その途中のコンクリート上にはちらほらと落果の跡がみられた。
「これって、どうなってるんですかね……」
「ま、まさか……!」
軽トラを降りて、由愛さんはすぐ側の樹に走り寄った。
「やっぱり……」
「あっ、これって……」
由愛さんが手に持った、不自然に赤い柿。
そのお腹の部分には黒い斑点があった。これ……たしか、渋柿の収穫時にも見たやつだ。
でも、あの時と違うのは、実につく斑点の範囲が、格段に広いということ……。
滲むように黒く凹んだその様子は、まるでブラックホールのようだ。
「やっぱり……『炭そ病』や」
「たん、そ……?」
「うん。柿に発生する病気の一つでね……、一番、厄介なやつ……」
まだ目の前の現状が信じられないような声音で、由愛さんは教えてくれる。
「『炭そ病』っていうのは、柿以外にも色んな果物や野菜に起きる病気で……、菌の一種が原因やねん。その症状は、柿でいえば枝や実で発病して、実にはこうやって黒い病斑が現れる。そんで、未熟なまま落果したり、枝に残ったとしても熟すペースが一気に早まったり……」
「柿にとって、悪いことが起きる……?」
「……うん」
果実に巣くう病斑、その部分は見るほどに毒々しい。そしてやはり、こうなってしまった柿の商品価値は……残念ながら、ゼロだ。
周囲の柿の樹を見渡す由愛さん。俺もそれに倣って見渡す……と、思わず息を呑んでしまう光景がそこにはあった。
今俺たちがいる入口付近の樹々だけでも、ぱっと見で四分の一ほど……。その病斑を宿してしまった実が、それほど多く見てとれたのだ。
「ひ、ひどいな……」
弱々しい葉っぱに、黒い病斑に浸食された果実。なかには、シワシワに枯れたりぽたぽたと雫を流すものもある。
まるで悪魔に襲われ死に絶えた集落のように、暗い雰囲気が畑全体を覆っていた。
「で、でも……、たしかに防除はしてましたよね?」
農主さんがSSを運転する姿は、俺もこれまで何度か見てきた。
あれはたしか、病害虫を防ぐための作業だと聞いていたんだけど……。
「うん……。叔父さんは例年通り、病害虫の防除をちゃんとしてきたよ。でも、それで『炭そ病』を絶やせるかっていうと、そうじゃないねん。それが、この病気の一番厄介なところでもあるんよ」
「消毒をしても、防ぎきれないんですか……?」
俺の問いに由愛さんは頷き、唸るように声を絞り出す。
「それだけ伝染力が凄い病気やねん……。それにこの畑やと、とくに防ぐのが難しくて……」
「え、それって……?」
「この畑って、日当たり悪いでしょ? それに、風通しも良くない……。それだけに湿気もたまりやすい。だから、この炭そ病の病原菌が繁殖しやすい条件がほとんど整ってる。この菌とっては、ここは楽園みたいな場所やねん」
「そ、そんな……」
ようはこの菌、ジメジメとした場所を好むらしい。かつてこの山に柿を植えた人たちも、そんな事態は想定していなかったのだろう……。
「あれ……、でも、今までは防げてきたんでしょう……? なんで今年に限って……」
「……きっと、雨が多かったからやと思う」
「あ……っ」
そうだ……。
今年……、それこそ八月のお盆過ぎくらいから、雨がやたら多かった。しかも、一度降り出すとなかなか止まないしつこい雨だ。
それが、この畑に潜む病原菌を活発化させた。
景色が一変してしまうほどに、悲惨な形で……。
「でも、対処の仕方もまだあったはずやねん。この病気は、春から初夏には枝に現れる。その時に発見して病気にかかった枝を完全に取り除いてたら、ここまでにはならんかったかもしれへん……」
春から初夏というと、ちょうどめつみ作業の頃だ。でも、あの作業を経験した者なら……それこそド素人の俺でも、あの無数に生える枝から症状を見つけるのは困難だとわかる。
「だとしたら、俺にも責任はありますよ……! 俺だってあの畑にいたんですから」
「ううん、はなくん。これは誰の責任とかじゃないんよ。この広い場所から病気の元を確実に見つけ出すのなんて、ほとんど不可能やからねぇ……」
少し俯きがちに、由愛さんは唇を噛む。
今回の炭そ病の多発は、この崖畑の悪条件、例年以上の降雨量などが運悪くすべて重なってしまったこと。
けして農主さんや由愛さんが管理を怠ったわけではないのだが、実際こうして、自分たちの柿畑は甚大な被害を被った。
その責任と悔しさを、由愛さんが感じていないはずはない。
……でも、だ。
それで由愛さんがどうするか。次にどんな行動を起こすのか、俺は知っている。
一度はおめおめと逃げ出してしまったけれど、もう二度と見失ったりしませんよ?
しばらくの沈黙のあと、由愛さんは顔を上げる。
いつもの優しくて、そして一本図太い芯の通った表情だった。
そしてさも当然のように明るい声で、
「ほんじゃ、作業始めようかっ」
「はいッ!」
一にも二にもなく、俺は用意していた返事を放った。




