1話:アルバイト終了のおしらせ。
「農主さんっ?」
「ん? ……おお、バイトか」
由愛さんからの電話の直後、俺たちはその場で車を切り返し、教えてもらった病院その一室にやってきた。
――農主さんがSSで転倒。
その知らせは俺の肝を存分に冷やしたが、農主さんはベッドの上であわせ柿を頬張っていた。
その姿、たしかにギブスで固められた右足は高く固定され、両手にも包帯が巻かれている。でも、最悪命に関わる……というような状態ではなさそうだ。
「あらあら、塙山さんたち。わざわざ来てくれたん……ありがとう。それと心配かけたね」
ベッド脇の椅子に座り柿を剥いていた美夜子さんが、果物ナイフを置いてこちらに頭を下げる。
「い、いえ……それより、怪我の具合は大丈夫ですか?」
「ええ。この人、頑丈なのは昔からやからね~。今回もあばら二本と、右腕、左足の骨折だけで済んだわ~」
ホンマしぶとい人やわ~、と笑う美夜子さん。う、うん……笑えません。命に別状はないといえど、けっこう重傷のようだった。
話によると、農主さんはあの"崖畑"でSSを走らせていたという。
ちょうど日の当たりづらい面。早秋の長雨が予想以上に土に残っていたらしく、防除作業中にバランスを崩し、機体ごと転倒したようだ。
幸い、一番低地での作業だったので谷底に落ちることはなかったが、もし別の場所での転倒だと一発アウトだという。あの畑の過酷な環境を一度しか見ていない俺ですら、想像するに恐ろしい。
「なんもできんで悪いな、バイト。せっかく来てもらったのによ」
言いつつ、農主さんは慣れない手つきで柿を口に入れる。利き手じゃない左手で。
「はぁ……。こんなんなったら、今年の甘はしゃーないか。前野さんや早乙女さんも手ぇ空かんみたいやし。わたしも腰がアカンし……」
「自分で勝手にやった怪我や。おっさんらに迷惑はかけれん」
もしゃもしゃと咀嚼しながら美夜子さんと今後の話を進めている。酷い目に遭ったばかりだってのにもう仕事の話とは、熱心だ……。
と、ここでふと思った。
農主さんが怪我で動けなくなったけど……今後はどうなるの?
隣で立つ由愛さんを見ると、彼女はただただ無言で農主さんたちのやりとりを見つめていた。
* * *
病院を後にして、駐車場へ向かう途中。
さきほど降ったのはどうやら通り雨だったらしく、今は薄い雲が低く泳ぐばかりだ。
「ご、ごめんねぇ。私、頭真っ白になって……、ついはなくんにまで連絡してしまって」
アスファルトにできた水たまりを跨ぎながら、由愛さんは照れくさそうに頬をかく。
「いえ、俺は全然大丈夫です」
美夜子さんから農主さんの転倒の知らせが入り、由愛さんも相当混乱したようで。たまたま目に入った俺の番号に電話してしまったそうだ。
「混乱してる時なんてそんなもんだよ。でもまぁ、ひとまずは安心かな?」
朗らかに言う姉ちゃんも秘かに慌てていたようで。さっき貰ったあわせ柿入りビニールをずっと手に持ったままなのが、なによりの証拠だった。
「あの……じゃあ、甘柿の収穫は……どうなるんでしょうか?」
会話が途切れたところで……ここで言っていいのか少し迷ったが、尋ねてみることにした。
「うん。今年の収穫は無しになるかなぁ……。叔父さんも美夜子さんも動かれへんし……かといって、他の農家さんも逆に人手が欲しいくらい忙しい時期やからねぇ……」
柿の収穫繁忙期は、どこの農家も大忙しになる。それこそ猫の手も借りたいくらいに。そんな時に、他所の農家を手伝う余裕なんてないんだろう。
自分たちで起こしたことは自分たちで解決する。やり遂げる。そして……責任を取る。良いことであれ悪いことであれ、故意であれ事故であれ、だ。
そんな暗黙のルールが、農業経営者……ひいては個人事業主にはあるのだろうか。
「あとは、片付け作業かな。あ、これはうちだけでできることやから……」
だから今回のことも、乙葉家の人たちで乗り越えていくべきこと……なんだろうか。
自虐的に笑ったあと、由愛さんはこちらに向き直る。そして改まったように姿勢を正す。その表情は、今まで見てきたなかでも一際真剣で、そして寂しげなものだった。
「はなくん。改めて……ごめん。それと、ありがとう。今回の『乙葉おれんじふぁーむ』でのアルバイトは、今日をもって終了になります」
俺と由愛さん……こんなに近くで向かい合っているのに、その距離は途方もないように思えた。二人のあいだをひんやりとした秋の雨風が吹き抜ける。
甘柿の収穫が始まる少し前。
こうして、俺の『乙葉おれんじふぁーむ』でのアルバイトは呆気なく終了を告げたのだった。